気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

世界とカルマの解消

2022-03-22 06:10:11 | 今起きていること

この世界は3次元世界、あるいは物理的世界、

低次元の世界だと言われるが、どうしてだろう?

真の自分、真我、

大いなる無限の意識である「わたし」に気づいている人は、

どうしてこんな不自由で、不本意で、

自己中心的な人々の世界での体験をしているのか、

あるいは魂としての自己が、どうしてこんなに混乱した世界に生きているのか、

なぜなのだろうと・・考えることがあるかもしれない。

あなたはどうだろうか?

あるいはどうしてこういう世界に・・いるのか、

疑問に思う事はないだろうか?

それとも、この世界がすべて・事実・現実だと、

漠然と思ってるのだろうか?

 

そんな疑問にも全く気付かない人々は、

生まれた意味、生きている意味、

やがてはここから去ってゆく意味にも気づかず、

無意識の生命の波が起こす、人生という波頭のまにまに、

生まれては、また流れてゆくのだろうか。

・・・・

1つ明確に言えること、この世界は、

あなたの、いや多くの人間、肉体を通じて自己表現している「魂」の、

カルマの解消のためにある・・・ということだ。

地球という次元世界は、低次元世界、

過酷な利己的、生存競争世界と言われる意味は、

それが故の、カルマの生成もさることながら、

そのカルマの解消が大きく可能な世界ということなのである。

 

それはまるで、土埃のついたイモ洗いのようなものだ。

洗い流したい汚れた土壌は、実は汚れではなく、

イモが生育する得難い環境・土壌を創り上げ、

その中で小さな種がすくすくと育つことを可能とする。

 

 

「カルマ」とは・・・・

久遠なる意識・ひとつなる根源から派生した

個性ある魂の中に潜む・・・・ ”歪(ひずみ)”のようなものである。

それは人としての想念の中に潜んでいる・・歪み(ゆがみ)だ。

 

また、カルマとは、

魂の体験のはざまで身に着けてしまった、

穢れ・けがれという事も出来るが、

その穢れ・けがれは・・魂の経験がゆえの「付着物」なのであり、

ただ単にそれを忌み嫌うことは大いなる間違いなのである。

つまり、

カルマを忌み嫌うこと、排斥することなく、

ただそれをしっかりと直視する必要があるのだ。

あー、これがわたしの・・経験だったのだ!・・と、

シッカリとそれを直視することなのである!

カルマから逃げてはいけないし、あるいは逃げられもしない。

なぜならば、それは外の世界の中に在るのではなく、

その世界を認識している・・その意識・人の想いの中にあるからだ。

自分の中に在るものから・・どうして逃げられようか?

自分自身から・・どうして逃げられようか?

 

あー、ヤダ!嫌だ・・こんなのいやだよ!

人生でそう思うことは、

すなわち内面(意識・魂)の歪が、

その人の周囲の世界に顕現していることを意味している。

つまり、内面の歪・けがれ・汚れが、

あなたの世界にエネルギー顕現していることを意味している。

したがって、そのカルマの解消・解放が行われているのである!

 

 

 

 

・・・

到底こういう風に思えるような促しのない世界であっても、

実際は歪エネルギーの「解消」「解放」が行われているのであり、

それを直視し、認め、その経験知に「感謝」することで、

大いなる魂の経験と知恵に昇華されるのである。

 

あー、有難い・・というのが真実なのだ。

そうは思えないだろうか?

 

これもまた、ただ「あるがまま」なのだ。

決してそれを忌み嫌い、排斥し、消し去ろうとせず、

あー、これもまた魂のあり得ない様な、得難い経験であると、

心底そう想い、そう受け取るのが・・

大いなる根源から派生した魂・無限の意識の「真髄の想い」に他ならない。

 

人生の嫌なこと、嫌な人、嫌いな出来事、

苦い経験、恥ずかしい記憶・・

感情で嬉しく、楽しいことばかりではない人生の中で、

ちょっとやそっとでは経験できない、

自分以外には到底理解できないつらさ・・・・

それらに満ちたこの3次元世界・・・

 

しかしながら、朋よ・・

そういう得難い経験が出来るのは、

 

こういう世界があればこそなのだと、

あなたは今はもう思えるだろうか?

 

 

その昔、

「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや・・」と

親鸞は言ったとされている。

 

 

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。