誰でも幸福であることを願っている。
意識する、しないに関わらずだ。
動物、動物種、人、人種の違いに関わらず、誰でも幸せを求めている。
これは否定しようがない。
存在は・・創造の喜びがあるからこそ「存在」なのである。
誰であっても、つまらないものを好むことはない、
嬉しくないと感じるものを、大事にしようとは思わない。
あなたは嫌いな人と是が非でも一緒にいたいと思うか?
不快な状況は避けようとするし、
気持ちが悪いものを肌身離さず持とうとはしない?
不幸を好むか?
・・・・
いいや、決してないだろう。
誰でも、自分が幸せに感じるもの・・
それとつながるものだけを欲しがるのだ。
だからシュールで意味ありげな例外はないということだ。
全ての人々の目的は幸福にあると言っても過言ではない。
悪い人も良い人も、その思考や行動がどうであれ、
自分自身の幸福につながると信じているからこそ、
悪いことも良いことも行うのである。
人に隠れ、人にひけらかし、騙し、騙され、
嘘を言い、真実を言うのも、
自分の利益になると信じているからこそだ。
良い思考、悪い思考、それから必然的に起こる行為、
それが確信犯的であろうが、詐欺的であろうが、
真実一路の行為であろうが、
その背後にあるのは・・その時時に信じ込んでいる、
自らの幸福の追求である。
皆々、これを漠然と行っているのである。
・・・・
しかしながら、なかなか幸福は得られない。
これでもか、これでもかと頑張っても、
幸せを実感することは針の孔より小さいものだ。
あっ・・と思えばすぐに消えてゆく。
それは、
地で満ちている不幸の群れの中で、
夜空に輝く星々のように小さい。
・・・
たしかに、幸福でなくとも毎日生きていける。
やらねばならないことがいつも山のようにあり、
それらをこなすことが、どこか苦しいながら、
それ自体に安定・安心を感じることもあるだろう。
そうやって、瞬間にも及ばない間の、
与えられた人生を消化するものだ。
・・・
そして今、あなたは幸福だろうか?
もしそうでなければ、なぜなのだろうか?
得られないことに意義があるのだろうか?
またそもそも、幸福とは何だろうか?
それが分からないのに、得る得られないもない。
幸福であるとは・・何だろう?
なんとなくの霞の中の幻想か?
・・・
それはこころの状態だ。
こころが幸福なるものをを感じている状態だ。
明らかに、物でも状況でもない、
絶対に、地位や名誉、財産や美貌ではない。
あなたの意識する・・
それ・・その対象物、状況そのものではない。
言葉で表現するならば、
「あー幸せだ・・!」と感じるこころ・・のことだ。
・・・
こころ?感じる?・・・馬鹿言うんじゃない、
そんなもの何の役に立つ?
銭や財産、地位や権威が効くんだよ・・
それで幸福をつかむんだよ・・
そんな大嘘の支配観念に気づくだろうか?
それは、肉体自我保身への不安を払拭する、
切ない努力ではあるものの、
生存のための過ぎたる試み以外の何物でもなく、
それで幸せを感じることはない。
なぜならば・・・
不安と不信のこころが根にあるからだ。
常に何かの問題があるので・・
いつもこれを何とかしなければならない・・・!
そうやって、次から次へと問題・トラブル・不安・不幸を創り上げ、
それを打ち消そうと努力に努力を重ね、
汗を流し、苦渋の涙を流し、
その先にきっと・・幸福がやってくると・・・
そう集団で思い込んできたのだ。
そうやって・・人生を終え、気を取り直して、
また次の人生へと・・突入してきた。
そうは思わないか?
条件付きの幸福を願い、
そのための条件を次から次へと・・
次から次へと・・・
不安と不信がゆえに、繰り返し繰り返し創り上げ、
決して到達しないように、
到達しないことが良いことのように思い込み、
幸せであることが間違っているかのように、
集団で真似事しながら思い込み、
顔を見合わせつつ、互いに戦いながら、
どうして幸福や平和は訪れないのだろうと、
難し気な哲学者のように考え込み、
永遠のかなたに追い求め、押しやり、嘆き悲しむ。
嗚呼、何という屈折して腐食した、
こころ・マインドだったのだろうか。
幸せの青い鳥は外の世界のどこかにいると、
今まで外の世界のどこかに幸せがあると信じ込み、
あるいは集団幻想を信じ込み、
あちら、こちら、あの人この人と探し回り、
いつもいつも、永遠のかなたを見上げながら涙したのか。
・・・
マインドの論理、理屈の罠にはまっている場合、
これらは意味不明な言葉と捉えられるかもしれない、
しかしながら、
幸福とは、
幸せだ・・と感じるこころ・・。
今・・感じる・・幸福感のことだ。
今・・何はなくとも・・幸福だと・・感じること。
あれが無ければ、これが無いから・・
そういう条件はまったく、まったく不要なのだ・・・
他人がどうであれ、環境がどうであれ、世界がどうであれ、
今・・幸福であることを実感・宣言・実践することだ。
そして、
そこから・・幸福が出て来るのである。
常に今の瞬間に湧き出す切なる根源からの想い、
創造の源・・理由・・
「あー、わたしは幸せだ・・!」
と、
何はなくとも、
無条件で・・
今・・感じること、
今・・瞬間の・・・創造なのである。
理由を付加しない無条件の・・
幸せであるという実感こそが、
それがマインドが撒く「種」である。
種は必ず成長し大きな花が咲く。
種を蒔かずして、どうして収穫があろう?
今、無条件で幸福を感じなくて・・
どうして幸せの現象花が開くのか?
現実という、過ぎては消える「結果」の世界を、
繰り返し繰り返し議論すべきではない。
・・・
元にある根源の・・創造の実感・・
それは・・既に在る、
時空を超え、常にいつも在った・・
至福である。
それを思い出し、それを芽吹かせるのは、
今ここでの・・幸せの実感である。
それに気づいただろうか?
本日も拙い記事をご覧いただきまして、
誠にありがとうございました。