意識は、あなたがあなたである・・と気付いていることを意味している。
わたしが・・・わたしである、と識っている・・それだ。
この”根本的真実”・・に多くの人が気付いていなかった。
自己・魂・わたし・・に気付いていなかった。
意識の意識する・・気付く、知覚する対象物
物質形・概念・イメージの世界のほうを真実と誤認しているのである。
それが実に壮大で、無限の多様性に溢れているため、
その展開する、現象世界、感覚世界のほうを真実と誤認していたのだ。
あなたの存在の基盤は・・・肉体でも環境でも、血統でもない。
それらは形や機能やその記憶、歴史であり、
わたしは在る・・という意識によって、
気づかれる、意識されるもの(対象)であって、
意識そのもの(神・根源)ではない。
すべての五感で感じるもの、眼・耳・鼻・舌・触で感じる世界、
意識が無ければ、気付いていることが無ければ、
主体・それ・本源・・が無ければ、
世界は存在できないということである。
いままでのこの世の人々の多くは、無限に展開するその対象世界を、
事実、現実、真実と誤認し、
その根源、主体、あるじ・・である・・
わたし・意識を観ていなかったのである。
例えば科学的な人は、自分は肉体であるという考えに固定されていた。
眼・耳・鼻・舌・触で感じる世界、
それはすべて、各種の波動を身体で受け、は
頭脳で処理されている信号という解釈になるため、
結局は・・人間の中枢は頭脳である・・と云う話になり、
意識・・は頭脳で生産されているもの(対象)と認識することになるが、
そうすると、
あなたの・・今の・・意識・・われあり・・
自己自身に気付いている・・意識は・・
頭脳の産物・機能という事になるだろうし、
つまり・・意識は身体頭脳が無くなれば消滅するということになる。
死んだら全て、はい終わり!
そう考えるのが一般的、それも科学的な常識であろうし、かつ、
一般の人々は、まず、そこまで突き詰めていない場合が多い。
したがって、肉体が破壊や病気によって死んでしまえば、
わたしという存在意識は永遠に失われると考えるため、
これがいわゆる死の恐怖という事になり、
その信念が、世界の多くの住人を縛り付けているということだ。
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でも、・・・それって本当じゃないのか?
多くの人は死んで消えてしまったではないか、
肉体死があったら・・わたし自身は失われてしまうのじゃないのか?
まれに改めて、考え直したりする進歩人もいるだろう。
本当に、死んだらすべて終わり?
例えば、
ここを見ているあなたは、すでにその回答を知っているだろうか?
知っている振りをしているのだろうか?
あるいはスピリチュアルな断片知識を知っているだけなのだろうか?
このタイプの本や記事や文章を見ているが、
本当のところは良くわからないだろうか?
あるいは、それを事実であると認識しているだろうか?
つまり・・自己とは死しても死なず、
ただ形を変えて様々に存在する不変なる因、
いわゆる魂であると深く認識しているだろうか?
言い換えれば、意識が・・
外側の環境世界を這いまわるのではなく、
光源のある内側に戻っただろうか?
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無限なる空(くう)から生じる、
根源の波動、あらゆる全ての元に成っている、
すべてに行き渡っている、最も微細な究極の波動・エネルギー
それが根源意識であり、それから波動の周波数を減じつつ、
高次から低次までの無数のオクターブ、波動階層が生じ、
その意識(波動)の階層における神々、
無数の意識体の認識の質に応じて、
無数の次元、時空間、物質やそれを包含する時空間が現れている。
元は・・主体的な意識であり・・客体としての現象、世界、つまり
気付くこと・知覚する対象が、投影されていることには変わりがない。
あなたも・・神々である。
多くは気付いてはいないが、
意識があり、周りに、世界に気付いている・・それが証拠である。
さらに、人の意識として個性化した根源意識を「魂」と呼ぼう。
魂とは、本来の自己である無限へとつながる道を行く者、
言わば、未知なる辺境である低次の波動まで、果敢に自己自身を投出し、
波動の底の限界まで行きついて、逆に水上へと上昇する浮力を得た魚のように、
低次から高次へと、子供から大人へと、物から神へと、
壮大な進化、帰還の道を行く者、それを・・魂・・と呼ぼう。
魂とは、極微の根源波動から生じた個性化した波動であり、
あらゆる波動階層、周波数帯を既に含んでいて、
人の意識の質・想念に応じて、精神・意識進化に応じて、
大きくは、物質地上界、幽界、観念界などと云われるような世界の階層、
そのいずれかの周波数帯域を、活性化・現実化させているのだ。
どの世界に住まうか?あるいは経験をするのか?は、
魂の進化度、あるいは魂の波動周波数の振動数(密度)による。
魂とは、あらゆる波動階層、周波数帯域を含んでいる
・・個性化した根源、神であり、
人は・・神にも悪魔にもなる?等と勘定的に比喩されるように、
本来なれば、如何様にも・・自身を表現することが出来る。
例えば、今までのこの地球、地上界のように、
悲惨で忌まわしい戦争や支配の経験なども可能であるということだ。
古来の宗教画、仏画に描かれる不可視の後輪(後光)やオーラは、魂の波動層の顕現形態であるともいわれ、その進化度すなわち振動数によって、当然ながらその色も異なってくる。
神から分かれた個性・神々とでも言おうか、
あるいは全体そのものでありながら、
部分(個)から生じて、
全体(神)へと帰還する旅に出たものを不滅の魂と呼ぼう。
また、
魂は経験や知恵を数限りなく記憶する媒体のようなものでもある。
どんな意識的・肉体的・感情的経験も記憶され、醸造されること、
また、それによって進化・進歩・発展が起きるのである。
根源に帰一するまでは・・その魂の記憶は決して消えることは無い。
魂とは、自己の中の無限性の無数の具象化であるため、
知覚化したその体験を忘れるはずがないのである。
どんな人間も、動物も、個別化したかたちの意識ある生命存在は、
それら、みな魂と言えるわけであり、
その意識する段階に応じて、無数の記憶を蘇らせることが出来る。