気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

マインドの話(2)心ここにあらず

2019-12-20 05:58:27 | 語り部の章
これこそが・・仮想現実だ! というそれは、
根っから”そう想っている”という・・その意識状態のことだ。


根からすべての木が成長し、枝葉を伸ばし姿を広げるように、
思考、感情や体感記憶イメージの集合を創り上げている。
これが「魂」といわれるもので、その中には多生の記憶集合体も包含している。

魂の記憶集合体が1つの存在シナリオを選定し、
”わたし”という個人として、時空間内部に、自らを結実・顕現させているのだ。
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物理的環境とか条件とか・・肉体感覚とか、重いとか熱いとか・・そういうものは、
その2次的知覚創造感覚として現れているに過ぎない。

その”根っこから想っている”・・一見単純な物言いだが、
自己の内部・意識・・に想起する想念を観察できるまでに至らねば、
これはそう簡単に理解は不能かもしれないが、

それしかないと意識的に・・絞り込んでいる・・信じ込んでいる、
あるいはフォーカスともいうが、それその状態そのものが、
仮想現実の経験領域として出現しているのである。


この世では、外側・環境があって、それによって意識・マインドが決まるという、
実際には最悪な「たわごと」を教えられる過程で、いつかそれが根の思考になってしまい、
環境、条件、物質が人間を規定するので、
この環境、条件、物質を少しづつでも改善せずば幸せにはなれない・・、
そういう根の思考も作り出す。

したがって、毎日の思いのつぶやきも出てくる。
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いや応なく・・毎日毎日繰り返される現実は、
悟りどころか・・飯を食うための生活維持に翻弄されているではないか。
悟りで得られそうな幸福感すら、いったい全体?どこにあるのやら・・
これはどうしようもないではないか・・!?

・・と、

これはいわば思考の回路のようなもので、この状況のままでは、
同じ回路で同じ状況を生産することになるため、
はっきり・すっきり・・完全破棄!しなければならないのだ。

人類意識が変わるまで・・待っている?ならば、
実際には、それが足の引っ張り要因であろう。

使い終わった古びた道具は捨てるだろうに、
ましてやそれが身の丈に合わなくなったならば、
まずそれを捨て去らねば、他の新しい道具を扱えないではないか。

多くの場合自分のこころ・想念を観ていないため、
こころここにあらずのまま人生を繰り返すため、
こころのうろつくまま、右に左に翻弄されていて、
様々な不快や苦痛、軋轢を大量生産していることに気付かない。
そうして、
悪いのは社会や大勢の他者であるとそう思うのも・・マインド・思考である。

例えば自分に不快感や不幸感、恐怖感をもたらすと分かった「想念」、
小さな世界でぶつかり合いつぶしあって、へとへとに疲れるような「想念」を、
いつまで後生大事に持っているのかという話である。




微細な水の分子も人の想いによって反応することが報告されている。

水に「ありがとう!」感謝・感謝の念を投げかけた場合と、
「馬鹿野郎!、この野郎!」等を繰り返し投げかけた場合の違いは明瞭である。

上の写真はまるで花のように結晶した水分子であり、
下の絵はぐちゃぐちゃな水分子の集合を示している。

例えばこのような写真の信憑性にしても、それ自体の証拠を探し回ることも大切なことながら、サラサラと知識だけ仕入れただけでは事足らず、
誰でも今・・すぐ出来ることならば、それを想いと行為で試し・現す時期でもあろう。
そう・・、それが科学的な行為と言えよう。