気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

今起きていること (5)魂の解放

2015-06-07 06:51:39 | 地球の一大変容
●魂は時空を超えた意識表現体
様々な人生を体験する主体としての魂は、言わば「多次元意識体」というべきものだ。

あなたも私たちも本質は無限に自由度をもった「多次元的魂・意識」そのものであるが、この地球のような、小さく閉塞された観念世界の中に生まれてくることで、この世界特有の3次元的で不自由な肉体をもった自分・・・という認識で生きてきたということだ。

ところで、赤ん坊が「オギャー」と泣くのは、始めて息をし出す瞬間、この閉塞した世界に敢えて出てきた気概と度胸と、さらにどこか悲しみの想いを、その無力で無防備の状態での最大限に発していることだと思えないか。

●次元とは意識・想念の展開様式である
よく3次元とか高次元とか言うわけだが、宇宙において多次元と言うのは、何か空間・物質的な組成のようなものと捉えるのは大きな誤解であり、

より高次元とは、

意識の表現様式が、より精緻で多彩な在り方、

宇宙の存立原理のより深い理解とその表現が可能な在り方をいうもの・・・と心得るべきである。


宇宙・大自然は、空間や物質が勝手に、ランダムに展開しているのではなく、

意識~⇒意図~(想念)~⇒エネルギー~⇒物質・現象、というプロセスによっている。

そして、エネルギーがそうであるように、次元には周波数的な要素、粗密の要素、波動的な異なりである、諸相の周波数帯域が生じるために、それを称して「何次元」とか言われているわけだ。

●今は次元上昇の分岐点
よくスピリチュアル系で、地球が1つ高い次元に移行するという意味は、例えばチャンネルの周波数帯域の移行と考えてよいだろう。

今それが起きているということなのだ。

チャンネルを替えるという意図がなければ変わらないのはTVチャンネルと同様だし、また周波数が異なるからには、そこに表現される情報の質自体も一新されざるを得ないのである。

そう、現象において、結局古い世界映像は跡形もなく消えてしまうだろう。

周波数移行が徐々に進む場合であっても、ある時点で「分岐点」、「峠」を迎えることになるために、

その時には、気付ける者にとっては、明らかに何か以前と異なった状態に気づけるものである。

実に今がその時にあることに、あなたは気付けるだろうか。

・・・
意識~⇒意図~(想念)~⇒エネルギー~⇒物質・現象、

どんなことにも、この宇宙の自己展開プロセスがあるし、人間においてもそうであることがあなたも、自分の生活、人生を通して理解できるだろう。

意識のないものは、大自然・宇宙においてどこにも無いということだ。

山川草木、国土悉皆成仏・・・、これは空念仏ではなく、事実を言っている。

全ては<ひとつ>の「意識」の、個別化、自己表現であるために、全てはひとつと言っているのだ。

・・・
●世界とは物理世界ではなく、信念体系世界のこと
様々な当たり前のような社会通念、常識観念つまり大多数の人間の思考・想念が、社会・国家・世界を創り上げている。

観念、想い、信念という、固まった意識で出来上がった世界観が、いわゆるマトリクスというべきもの。

この地球上に文化・文明は、想念を発する存在、大勢の意識体達、つまり人間であるが、その人間達が「そうである・・」と思うことで、共同で創り上げてきた1つの体験世界である。

しかしながら、その思考と想いの質が、肉体自己の生存と存続を中心にしていたものである為に、その自己同士の闘いや争いになることで、悲しみや不幸の大きく含まれる歴史絵巻を創ってきたのだ。

●出始めている、この次元の理解の為の「解答」
これから、そして今起きている古い世界の飽和と崩壊は必然のことであり、何も嘆くことも悲しむこともない。

つまり世界経済の飽和と崩壊、政治や支配構造の隠された仕組みの暴露、宇宙情報に関する隠ぺいの漏洩等は、古い世界を理解する為の、その「解答」が出始めた段階に来ていることを示している。

とはいえ、別に、陰謀や洗脳による支配などに気づくかどうかは実は問題ではなく、

自己とは何か・・・という根本的な命題を・・どの程度把握しているかということである。

自己が、偶然に出来た生物、猿の深化した肉体存在でしかないという認識は、未だこの世界の3次元物理的マトリクス体系に甘んじることを意図することになり、

必然的に、その古いマトリクス体系の崩壊を共にすることになるかも知れないし、また何が起きているのか・・それさえも気づけないかもしれない。

人々が、無意識的、盲目的であり続けるならば、これからの最終的な混乱と崩壊、そういうフィナーレの演目の部分に巻き込まれるかも知れないし、しかしまたそれはそれであるとも言えるけれど、

混乱と崩壊の中で、人間が単なる醜い動物であるという、馬鹿バカしい姿態演技に流されるのは、実に全く面白くないと思わないだろうか。

・・・
●赤ん坊のような無垢なこころと知恵があるか
ところで、赤ん坊が「オギャー」と泣くのは、始めて息をし出す瞬間、この閉塞した世界に敢えて出てきた気概と度胸と、さらにどこか悲しみの想いを、その無力で無防備の状態での最大限に発していることだと思えないか。

そして今あなたには、赤ん坊の時のような無垢で純粋な意識と、調和と愛をもとにした、大人の知恵があるだろう。

我々は、無意識的な存在から意識的な存在へ進化するべく、何回も何回も生まれてきたこの世界が、晴れてその役目を終え、喜々として更に美しく愛深い世界になることに、

深い思いやりと感謝を捧げる時が来ているのである。

そのようなあらゆるものにたいする「無条件の愛と感謝」の想いこそが、魂の解放の為のキーワードである。





本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。