気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

今起きていること (6)今が、魂・意識の選択時期

2014-08-06 21:32:05 | 見えないものから見えるものへ

世界では今急激に様々な騒ぎが起きている。 

 

それは意味のある必然のプロセスなのだ。 

 

騒いでいるのは、ここ数百年そうだったように、やはり欧米的唯物観念の周囲にいる者たちであることには変わりがないし、 

 

既に古い物質次元での、あらゆるレベルの飽和状態での、どん詰まりの状況における騒ぎなのである。 

 

極めて微妙で、かつ、とんでもない事態に展開する可能性のある、不安定な状況が現出している。 

 

超マクロに言えば、地球生命全般における、<一大分岐点>に来ているということでもある。 

 

経済がどうの、政治がどうの、金づまりがどうの、グローバルな勢力争いがどうのというような見方は、 

 

ちょっと近視眼的、皮相すぎると考えた方が良い。 

 

・・・・ 

 

日常、常識の範囲の中で動き、生活し、人間関係を営んでいるばかりでは、 

 

なかなか見当がつかないかもしれないが、 

 

しかしながらこのブログの記事を読んで頂いている方々にとっては、既に気づいている事だろうとも思われる。 

 

 

今の人類ステージ、それを簡単すぎる表現の仕方をするならば、 

 

第3次世界大戦の可能性が真剣に噂されるほどの、人類のそういう大きな選択時期にあるとも言えるだろう。 

 

そういう側面も含め、今人類においては、その意識レベルの極めて大きい変革の時が来ているのである。 

 

それは、社会でよく叫ばれる改革、革命、改善などというような、嘘まがいの政治題材等ではなく、 

 

人間にとっても極めて本質的な、意識的「進化」の時期だという意味である。 

 

人間というよりも、この地球上の・・・魂レベルの・・・進化、と言った方が良いかもしれないが、 

 

意識的に自らの在り方を選択出来るところの人類にこそ、その大きな問題が投げかけられているのである。 

 

魂レベルの進化かあるいは停滞か?

 

簡単に言えばそういうことだ。 

 

しかしながら、唯物論的思考内に自らの意識を固定化した者や、還元論的信者には多分、理解不能なことでもある。 

 

また、銭・金・物、地位や名誉という皮相的な価値のみを追いかけている者たちには、 

 

そうであればこそ、全く関知不能であろうとも思われる。 

 

だからこそ、今の世界の、収束すべきはずが全くそうではない、このような騒ぎになっている。 

 

・・・

 

全ての背後にあるところの意識、大霊、神、創造の根源の・・・・ 

 

その表出形、無数の子らであるところの、人間達、動物たち、植物・鉱物を含め、 

 

魂というか、霊というか、本質というか、 

 

そういう生命体または意識体の一大進化のステージが始まっていると言って良い。 

 

・・・・

 

とは言え、それって・・一体何?という人も多いはずである。 

 

何を言っているのか?進化?・・・それって、・・・・何よ?

 

色々いう人はいるけれど、すぐに起きたためしはないし、どんな意味があるというの? 

 

それって、猿が人間になること?・・・・ 

 

等という感覚だろうし、 

 

何か普通にはない直観的感覚を持つ人も、 

 

ひょっとしたら、人生の嫌悪を忘れるような、何かとんでもないことが起きて終わりになるとか、 

 

あーら不思議なバラ色の世界になるとか、そういうことを考えているのかもしれない。 

 

しかしながら、そういう安易な厭世観や期待感とも違うだろう・・・。 

 

この先、世界の大混乱の末、爆発して終わりだとか、現状意識のまま支配に甘んじつつ何とか肉体が生き残ることとか、 

 

そんな風な取り方も、全く違うとは言えなものの、どこかやはり枝葉末節の捉え方なのである。 

 

 

今起きている事は、 

 

この次元世界において、意識の発露形態が大きく変わり、つまり想念形が質的に大きく変化し、 

 

 

 

意識的、あるいは知的生命体達の扱うエネルギーも、より精妙、精緻なものとなり、 

 

 

 

それらの結果としての地球惑星の次元環境もその本質が大きく変化するということだ。 

 

 

別の表現をするならば・・・、 

 

地上に存在する・・意識的な存在である「人」の・・・想いが、 

 

 

 

エゴ的なものから、自他共通愛的なもの、 

 

 

 

今までの自分だけが良ければ・・・まずまずというような、 

 

 

 

競争による淘汰、個人我の生存だけを意識した生き方が席巻する状態からステップアップし、  

 

人もその他の生命も、

 

お互い様・・・、

 

あなた達も、わたしも本質は同じだとする実感、

 

それぞれが個性でありつつ、尚且つ全体がより一体化した、

 

あるいは調和した生き方になって行くということである。

 

 

また、新たな生活次元を通じて、魂の経験を重ねて進化する為の手段としての、 

 

その扱えるエネルギーもさらに自由度の増したものになるということで、 

 

ある筋では既に可能とされている、いわゆるフリーエネルギーが雨後のタケノコのように出てくることになる。 

 

ところが、全てを物質に還元して、その組み合わせだけを眼中にするような想念では、 

 

我々自身を満たしている・・・空(くう)それ自体が、あらゆるものの源である等とは露とも気付けないし、 

 

色即是空も、一即多も、因果応報も全く理解できないかも知れない。

  

そういう高い認識から具体化する、さらに高いレベルの科学技術的な手段も理解できるとも思えないのである。 

 

・・・・ 

 

フリーなエネルギーとは、空間(くう)に潜在するエネルギーの引き出し、その直接利用を示すものであり、 

 

それは時空周囲のエントロピーが減少するタイプのもの、局所に集中して現れるタイプのエネルギー、生命の成長に寄与するタイプの高次なエネルギーと言えようか。 

 

逆に、今までのエネルギーは物質分子、原子の運動エネルギーの拡散場を利用する、あるいは物質分子の爆発的な動きを利用するものであり、 

 

附随的に余分な熱や摩擦がエネルギーの損失分として発生し、結果として周囲には熱や環境汚染物質が拡散する類のものであった。 

 

つまりその時空周囲はエントロピーが増大する、熱が増大するある意味で温暖化の方向、つまり無秩序化が進む方向のものであり、ひいては生命場に逆行するものでもあったということだ。 

 

次第に汚染される文明の中で、よくやってきたとも言えるのだが、そりゃ、そうだろう。 

 

自動車の内燃機関も、火力発電も原子力発電も、たき火も風力発電も、 

 

たいていは、何かを燃やすことや気体分子の流れを操作する事で得られる、分子や原子あるいは電子の運動エネルギーを利用するものなのだ。

  

 

そしてフリーエネルギー、空間から湧き出す真空エネルギーのような、 

 

クリーンでエントロピーの減少をもたらすエネルギーの利用によって、 

 

今まで無秩序化や汚染が進んでいた時空環境は、新たなステージとなり、 

  

今までのそれと逆行する、生命進化を加速する・・・ような現実がもたらされることになる。 

 

 

それが、簡単に表現するところの「次元上昇」した文明形態である。 

 

 

 

その文明では、自然の生態系は復元しつつ、

  

更に美しく、多様な生命場を表現しするようになるだろうし、

  

人存在はそれらを我が子のことのように観て、聞いて、感じることだろう。

  

それはまるで毎日がお祭りのようなものだ。 

  

そういうフィールドであれば、有難う、お互い様・・・・。 

  

そこには、嘘のない・・・・実感の創出こそが、人の役目であることを悟った人々だけがいることだろう。 

  

嘘のない内面から滲み出す絶対確実な・・・実感あるいは感謝や愛念は、 

 

実に、壮大な宇宙創造への感慨であり、また自己創造を通じた魂の進化への感動なのである。

 

・・・ 

 

しかしながら、それは「いつか、どこか」であり得ること・・・・でもなく、 

 

今この瞬間に、少しづつでも、それぞれのあなたに出来ることなのである。 

 

生命への感動と、生きて表現することの奇跡への感謝、 

 

本来、それは世界が混乱と混沌を通じてようやくの想いで達成されるようなものではなく、 

 

今、この瞬間・・・瞬間・・・瞬間に・・・選ぶことが出来ることなのだ。

 

そうでない場合にだけ、苦難の時節を通り抜けなければならないということだ。 

 

 

 

今の瞬間に感謝と愛念を実感できる、そういう存在が増えるに従い、急速ながら漸進的に一大変革が起きることになるわけなのだが、 

 

しかしながら、それもそれぞれの・・・意識的存在ならではの、自由意思がまず第1義的要因である事には変わりなく、 

 

それらの自由意思による、魂の先行きの方向分岐もまた必然なのである。 

 

どのような生命表現をするのか・・・・と、そういう選択は、 

 

完全にそれぞれの魂・意識にゆだねられている。 

 

その選択は、頭の思考や、さらりとした知識との接触等ではなく、

 

まさしくそれは・・ Let、it be・・・、 so be it ・・・・ 

 

 

まさに・・・そうである!・・・という自己認識・・・そう・・・・それは「実感」なのである。

  

人々は、何を考え、実感しているのか・・・それが全てであろう。 

 

 

しかしながら、幸運の女神には前髪がないという古い西洋の諺(ことわざ)にあるごとく、 

 

今のこのステージでは、自己の選択をするための、

 

その時々の割り当てられた「時間」は常に少ない。  

 

・・・・というか、今・・・しかないのである。

 

 

 

Thca1n21ss


本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。