気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

神さんとの会話 Ⅲ その3

2013-01-05 11:49:35 | 見えないものから見えるものへ

その2からのつづきです。

 

・・・

峠のおやじ

  へえ~、じゃ混乱した観念とはなんでしょうかね。

  これから出てきそうな大混乱した現象に遭遇するのは願い下げですもんね。

  でもま・・、普段色々考えてしまいますが、どう考えればよいと・・・。

神さん

  おい、おい、それは見当違いやぞ、考えてはいかんチューことや。

  それにな・・、あんさん方は自分の考え・・を考えとらんことに気いつくか?

  外からの考えを、自分の考えと思うとるんやないか。

  ニュースや新聞や人の噂や、外から情報なるものを無条件にとりこんどるやろ。

  で、いつの間にかメジャーと言われる観念にとりこまれるんやが、気いついとるか?

峠のおやじ

  あ、そうですね。みんなが言うから正しいのではと鵜呑みするような・・。

神さん

  そうそう、鵜呑みやがな、そういう者は鵜飼に操られる鵜なんよ。

  それにな・・・「みんな」・・なんて有り得んことくらいわかるやろ。

  要はそれが身の安全なのかという、集団思考で動かされているというこっちゃろ。

  そういう場合は「他人の思考」で踊らされているわけよ。 まさに鵜 じゃな。

  ・・・世界の中にあって、これから極めて大切なのは<自己の感性>なんや。

峠のおやじ

  それはそうですがね。でも、

  自己中心では社会で生きることは難しいではないですか。

神さん

  あほんだら!・・もうずれとるがな。誰が自己中心というたんや。

  自己の感性やぞ、自己保身のための自己中やないのがわからんかいな。

  何が真実か・・・という解答を、

  自分の感性、感覚あるいは直感で知ろうとするというこっちゃ。

  1人1人のこういう意識的な姿勢が大切な時代に突入したんや。

  というか、そうあるべき意識レベルのステージに上がってもうたんや。

峠のおやじ

  うあ?・・・あアホンだら?・・。口が悪過ぎ・・・ブツブツ・・・。  

  でもまー、なるほど。そうですか。

  世界に在っても、決して世界に巻き込まれない生き方というわけですかね。

神さん

  おー、そういう言い方もあるか~。・・それにな。

  自己の意識、感性、直感に気づいて、それに沿った生き方をせんことには、

  まこと怒涛のような、カルマの解消のための騒ぎや混乱に巻き込まれるやろナ。

  今は人類進化のターニングポイントを過ぎたによって、ある意味、

  その方向転換の急な加速で振り落とされることにもなろう。

  まあ、例えで言えば、慣性で走る車は角を急に曲れない・・・ちゅうこっちゃ。

  自己意識を持たない者達がそれが安全だとして、

  尤もらしい顔をして、無意識に乗っていた大型バスはもろ危ないワイ。

峠のおやじ

  んん?ん・・、相変わらず例え話でわかりにくいですが・・・。

  ま、大勢の人の乗る大型バス。。とは、

  ・・・例えば今までの常識やら、社会的約束事やら、通念やら

  ・・・そういう価値観とか。

  それから、今までの貨幣中心の考え方や、経済成長一本やりとか、

  はたまた、究極まで富や利益を追求する国家、企業姿勢やら、

  金借りて贅沢をして、少しずつ返せばいいというような金銭奴隷根性、

  そういう人類全体を覆っている、今では常識?の価値観・・・・。

  そんなものが、危ない大型バスということでしょうかね。

神さん

  そうやな、今からは・・・大型の、メジャーな、常識的な、功利的な・・・

  マス・・コミ、マス・・メディア・・、とかいう全体の囲い柵が消えるわけや。

  ある意味で人類を縛っていた呪縛観念の囲い柵や。

  究極言えばな・・・、人間とは物質的動物であるという呪縛観念や。

峠のおやじ

  へっ、呪縛観念の囲い柵・・・ですか?

神さん

  そう、観念の囲い柵やで。

  人と人を共通の価値観に結びつけて縛っている大きな柵や。

  人類の歴史のなかで柵の形は変われども、ずっと続いてきたもんやな。

峠のおやじ

  しかしですよ、お言葉ですが、・・・

  それらは人間達が生きるための社会的な仕組みということも言えるでしょ。

  何でも悪いとは言えないはずですよ。

神さん

  わかっとらんな~。生活の仕組みは仕組みでええがな。

  そうやなくて、柵とはそこから出てはいけないという支配でもあるやろ。

  そりゃ、まるで無数の羊の群れの飼育の為の柵やないか。

  本来人間に観念の柵がいるんかい?  えー?

  特定の観念だけで人生終わって委員会?・・みたいな。

  まあ、結局のところは・・・人間とは何か?  自分とは何か?

  そういうテーマへの気付きから来ているんやな。

  自分が刹那的で偶然の産物・・・、

  また肉体だけの存在であるという自己認識レベルへの固定とも言えようし、

  ・・・意識している・・・当の自己自身に気づいてないということ。

  眼に見える表面の自己を・・自己の全てと認識することが支配的というか、

  それが・・観念の支配・・ということや。

峠のおやじ

  そうか、・・・、そう言えば、中学校の社会教科書で

  「人間とは社会的動物である」

  とかいう、確か、アリストテレスか誰かの言葉がありましたね。

  どうともとれますが、なるほどこういう仕込み方もあるんですかね。

  「人間は意識的存在である。意識において世界・宇宙全てと繋がっている」

  などと教われば、これはもう全然違ったでしょうし、

  そういう方面でより多くの人が、精神的、霊的自己探求等を促すことにもなったでしょうかね。

  まあ、その場合は物質的な富の創出や、

  その為の経済競争、あるいは闘争などは2の次になったでしょうがね・・。

神さん

  そうやな。

  気付かん間に自己限定と特定の方向付けが行われるもんやで。

  良い悪いではないが、それが教育というもんや。・・・そうやろ。

  また世界で行われてきた宣伝、洗脳、集団催眠のようなことや。

  昨今はそれが特に激しいやろ。

  肝心なのは、それに気がつくかどうかや。

峠のおやじ

  なるほどね。さすが神さん。

  目覚めるということは、

  自分を知らず知らず覆っていた自己限定の枠に気付き、

  あるいは、自己をそうやって造り上げている有様に気付くということ、

  ・・・そういうことでしょうか。

神さん

  そうやなあ、そうやって自己限定している自身に気づいてゆくことこそ、

  自己が意識的存在あるいは霊的存在であることを証明しとるやろう。

  

  時代というか、精神波動場というか、情報場というか、

  あるいは、意識エネルギーフィールドというか、

  それが急速なテンポで刷新されつつある時に遭遇しているわけで、

  それがそれぞれの人間の意識場、内面で感じられることが肝要やでな・・・。

  結果でしかない外の一大変化は、いつも遅れて来るやろうし。

  内面を知らぬ者は、その時大慌てに、慌てふためき、

  内面を知る者は、その時何がどうあろうなかろうと、どこか潔くあれるもんや。

  ある意味では、それは武士道精神のようなもんやろうか。

・・・・

峠のおやじ

  時に臨みて、これに慌てず、

  泰然自若、

  あるがままなり。

・・・・

  まさに、だから、それがどうした?  ということでしょうか。

 

・・・

神さんとの会話Ⅲ 

(おわり)

 

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本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。