SF的に聞こえるような話が世の中多くある中に、5次元というものがあるのは知っているかもしれない。
次元の話はどこか物理、数学的な表現で説明しやすいとされていて、例えば世界説明するには、概してニュートン力学的説明は3次元的世界、アインシュタイン以降はそれが4次元的とされている。
いずれにしても、世界の全ての現象は、<位置>を示す3つの次元=空間と、その中の何かの物体の変化を示す1つの次元<時間>による、4つの次元によって説明できるとされている。
従って本来の我々の認識している時空は、既存の科学的な謂いでは、すなわち4次元時空とされるわけだ。
但しアインシュタイン以降の理解では、時間と空間が独立したものではなく、それが相互に補完しあっているという意味が加わっている。
面倒くさい表現であるが、固有の運動座標系の間において、時間は空間に変化し、空間は時間にも変化するともいえるし、
其々の運動する物は、どれが絶対というわけでもなく全て対等であり、またその運動の速度は光の速度を超えられないということである。
また、この世界にある物体は、それが様々な運動を行いながら変化しているがその動きは光の速度を超えないということを言っている。
今の物理的な世界認識では、何物も光の速度を超えることは無いという意味でもある。
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つまり有限な光の速度の壁が我々の回りにあるということもできるし、またこの壁があるがゆえに広大無辺な宇宙も4次元的球体として閉じているとされている。
地球が3次元的球体と認識されているように、我々の知覚している宇宙も4次元的球体とされているわけである。
そういう宇宙球では、地球を一回りできるのと同様に、宇宙のある方向に永遠に?進めばあら不思議、もとの4次元地点に戻ってくるというわけである。
とは言え、このような大航海?を行ったバスコダ・ガマは未だ存在しないし(笑)、またそんな航海は相当数の時間?が掛かるかもしれないし、今の物理次元での肉体を使って証明など出来るわけもないだろう。
またこういう証明の仕方は、まるで3次元的な手法であることにも気付けるかもしれない。
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科学的と言われるアインシュタイン的物理認識をベースに説明しているつもりなのだが、
要は、
我々の知覚する物理的宇宙そのものは、さらに大きな次元内におけるたった1つの宇宙球であると想像するのは容易であろうということだ。
それを例えるに、
4次元宇宙の中に地球という3次元球体があるように、
さらに広大な5次元宇宙?の中に4次元球体としての、今の我々の認識する宇宙があるということも言えるだろう。
5次元論で有名なリサ・ランドール博士も、そういう風なたとえ話をしているわけである。
この宇宙の中に沢山の星があるように、この広大な宇宙自体もさらに大きなユニバースの中の1つにすぎないということかもしれないのである。
まるで頭がくらくらするようだが、このような想像、想念が間違っているという証明なども出来ないことは事実であり、
せいぜい言えるところは、それは「常識的」ではない・・・ということだけである。
また一般大勢の人は誰も認めていない・・・ということだけである。
その大勢の人というものが、何か権威のよりどころとして機能したり、あるいは無知なる集団として位置づけられたりしているところが面白い所でもあるが・・・。
アインシュタインの相対性理論のように、物理現象の世界には絶対的なものは何も無いということであれば、今の段階で何事も決めつけるわけにはいかないということなのだ。
ことさら決めつけの根拠を今の「常識」に当てはめていては、どこに科学的な進歩や進展があるだろうか。
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我々は膨大な砂浜の中の砂の一片も知っていない・・・と言ったのは、実にかのニュートンであった。
要は我々は・・・秩序ある・・・無限・・・と言われるものの中にいるということである。
それに対して何が出来るかと言えば、謙虚であることしかないではないか。
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一般に3次元的な世界(本来は四次元)・・・という表現は、制限された世界・・という意味合いで使うことが多いはずである。
また、その制限と言うのは、人間の自由度に一定枠の制限が掛かっているという意味であり、
それ以上の自由度を有する5次元以上の次元が無いという断定が出来るわけではないということが重要である。
5次元以上の有り方、それが今何かは判らずとも、まずそれを認識しようとする人間の思考、想像には制限が無いことは誰でも理解が出来るはずである。
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そう・・・・、人間の<想像>自体には限度と言うものが無い。
それが今の物理的現実と一致しているので正しいだとか、あるいは一致していないから間違いだとか言ったとしても、
<想像>そのものは無限に可能であることは、あなたも私もわかっているはずである。
想像は創造とも言われるが、もう少し突っ込んで言えば、
神なる存在、大いなる存在、全体がひとつであるところのものの<創造>を、
1つ1つ、1段1段、認識し、観察し、検証してゆく行為の推進力というものが、いわゆる人間の<想像力>であると言えるだろう。
それが本来のいわゆる哲学的・科学的な態度なのだ。
そうして、今までの4次元の認識を超えたところの五次元という謂わば世界認識は、単なる4次元以下の時間と空間を超えるところの<軸>とも言えるものが現われなくてはならない。
云わば新たな次元軸というもの、それがまず気付かれなくてはならないはずである。
それを高次元軸というならば、
それは・・・、
今の4次元を包含しながら、それを超えているもの。
また相対論で言う光の速度なるものを含みそれを超えているもの。
また想定される4次元球体宇宙を含みそれを超えているもの。
あるいはそういう意味での多次元宇宙を超えているもの。
そういう側面があるはずである。
それは何だろうか。
今、我々は意識進化レベルで、まず今までの物理時空である四次元から、五次元と言われる認識世界に移行しているとされているが、
その気付くべき新たな1つの云わば次元<軸>とは何だろうか。
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そう・・もうここで既に・・扉だけは開かれていることに気付くだろうか。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。