気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

体とこころと魂と (6)愛すべき人類

2012-11-04 10:37:06 | 覚醒意識

我々は何を大切にしているかといえば多分「体」かもしれない。

 

多くの人はその「体」を維持するために色々なことをやっている。

 

取りあえず、まずはそういうことであろう。

 

殊更必要以上にお金を稼ごうとするのは、そういうことから来るのだろうし、

着飾ってことさら見た眼を良くするような努力もそういうことから来るのだろうし、

契約を使って合法的に他人の物を奪おうとする行為もそういうことから来ているだろう。

  

そう、例えばどこかの国のように、

よそまで出張って人殺しをするのもそういうことから来ているだろう。

人を支配する地位に登ろうとするのもそういうことから来ているだろう。

世界的な組織を造っては富の簒奪をしているのはそこから来ているだろう。

 

また、今のこの世界は、そういうわけのわからぬ者達が何故か物知り顔をしつつ、結局は自らもわけのわからぬことを行っているような、まるで乱痴き祭りの騒ぎを呈してきているようだ。

 

それを観ている者達も、あいつが良いとか悪いとか、こいつはまだましだとか駄目だとか、そういう者達を評価し上げたり下げたりを繰り返しているお囃子(はやし)のようでもある。

 

しかしながらその騒ぎのベースにあるのがやはり「恐怖」であることに気づいているだろうか。

 

政治屋が何をしでかすやら、特権官僚が何を隠しているやら、おバカな体制を固持する国々が何をしでかすやら、・・そんな恐怖があるからこそのお囃子なのだろう。

・・・・

 

そのような世界がまるで呆けた者達の巣窟のように感じている者ならば、もう気づいても良い頃ではないだろうか。

 

この世界は既に飽和し、ようやくその古い学びを終える時が来ているということを・・・。

 

ある意味で、分離された他者を他者と観ている自分に気づき、他者が顕している思考や行為を他者のものとせず、

 

それを観ている当の自分の中にあるものだと知ることである。

 

外に映るものは全て内にあるが故のことであると知るならば、

 

騒ぎに浮かれた世界の有り方、様々な矛盾、これでもかという理不尽な行為も、どこか自分の中にあるものが浮き出してきたのだということに気付けるだろう。

 

過ぎたる所有欲、過ぎたる生存欲、過ぎたる性欲、過ぎたる物欲・・・それらが世界中にぶくぶく泡立ちながら現われて来ているのではなかろうか。

 

巷でネットやメディアで報道されているものは、その多くがお金の話や破れかぶれのような情報であり、さも世の中がどんどん悪化しているようなものばかりではないのか。

 

そう・・・古い時代は確かにもう終わっている。

 

・・・・

 

しかしながら、

 

これらを見つつ嘆き悲しむことはない。

 

歪みは必ず解放されなければならないからだし、また解放されるが故の数々の異変にことさら恐れ慄くような愚を演じてはならない。

 

様々な不都合や矛盾が噴出してしていると見えるならば、それは人類の内面にある様々な歪みがようやくそのエネルギーを解放しつつあると知っているだろう。

 

それらを自己の中にもあったものとして、

 

それをしっかりと観ることである。

 

それらの汚れはこころの底から浮き出しながら昇華されなくてはならないのだ。

 

今は肝心要の峠に来ているのである。

 

それらの噴出する観念にまた囚われるならば、騒ぐ行為を通じて濁流に流されることになるかもしれない。

 

ゆめゆめ外を流れる歪んだ観念に捉われてはならないのだ。

 

捉われてそれをまた内面に取り込むならば、またその歪みを抱え込むことになるし、またそれをいつか解放しなければならない。

 

見ている、観ている、・・ということは、外に投影された内面からの影絵を観察していることに他ならないのだ。

 

人類が無意識ながらも極めて愚かなことを演じているのならば、それはあなたやわたし達にそれを見せるためのものであり、

 

そういう意味でまさに我々は学びの為に集まった同胞なのだと感じるはずである。

 

実に愚かな者達の集まりと思える我が人類は、まさにたとえようも無く雄々しい発展途上の魂達、まさに同胞(はらから)なのだとわかるだろう。

・・・ 

 

それを受け入れている、この次元の地球という魂の学び舎にこころから感謝しようか。

 

日本という国のみならず、地域社会の人々のみならず、ましてやあなたの大切な親・兄弟そして子供達のみならず、

 

全てのこの地、この学び舎に降下してきた意識達が、

 

たとえ苦しくとも、楽しくとも、悲しくとも、

 

たとえ誰の理解を得られずとも・・・

 

夢を持ち、愛を探しあぐね、

 

そして全ての根本にあるそれぞれの<わたし>に気付けるまで黙って見守ってきた・・・

 

その魂達の為の学び舎に感謝しよう。

・・・ 

 

この世界での学びは極めて峻烈で極めて愚かではあるものの、それを敢えて行って来た魂達が実にいとおしく感じられないだろうか。

 

転生を通じ、短い人生を何度も何度も浮いては沈み、叫んでは嘆き、悲しみに震え、

 

歓びにこころを輝かせることが出来るこの世界は、

 

実に有難い学び舎なのである。

・・・

そして、

 

その古き世界は、今大きく変わろうとしている。

 

魂である<あなた>はそれに恐怖など感じないはずである、

 

今はもう潔(いさぎよ)く、そして感謝を持って見守っているはずだ。

 

  

02008xchi  

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。