気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

古い信念体系からの超脱

2008-09-21 15:17:17 | 宇宙的気付き

●人類意識のビッグバン

 現在は情報化社会真っ只中ですが、その溢れるかえる情報は、実は眼に見えない想念の爆発を表したものと言えるかも知れません。人類相互間で行なわれる様々な出来事を、不特定多数の大勢の人間達がニュース等で「知る」ことによって、更にそれに関する思いや感情が、其の分だけ増幅されます。あたかも細胞同士のコミュニケーションが、指数関数の更に指数関数的なつながりをつくり出します。まさにニューロン細胞の爆発的進化を彷彿とさせるようです。単なる物質現象レベルの爆発・崩壊ではなく、原因を作る側の人類意識レベルのビッグバンともいえるものです。

●想念・感情と現象世界の相互作用

 思いや感情は、眼に見えないけれど確実に現実化の原因です。眼に見えるように現れたこと、現象化したこと、それが情報として伝わったこと・・・、これは、はすでに様々な人類想念が結果として世界に変換されていることを表します。心を持った人間存在たちが発する想念、感情は時間経過を通して結果となって現象化し、さらにそれらの現象・結果を知ることにより、再び人間に影響を与え、更なる思いや感情を次々と作り出してゆくわけです。今、次第に因果の移り変わりが速くなっているようでもあります。

●人類意識内で起きている連鎖反応

 このように考えると、人間社会での情報の多様化と拡大は、一種の「意識作用の連鎖反応」であることがわかると思います。外から与えられたエネルギーをそのままの形態で再び外に放出してゆく過程は、あたかも物質原子レベルでの核反応のようです。原子力は熱核反応ともいわれ、無理やり外部からのエネルギーを与えて、熱中性子をはじき出し、その同じ反応を連鎖的に拡大させます。その爆発的に崩壊してゆくエネルギーを、水分子の運動エネルギー(熱)に変換し、それを蒸気タービンで廻して発電しているのが、今の原子力発電です。問題は、調和をもって存在している物質原子を、無理やり分裂させる過程で現れる崩壊エネルギーを使用することであり、副産物として膨大な放射線が同時に放出することであり、何万年単位の間、危険な放射能とし生命への直接的な脅威として存続し続けることです。

 昨今起き始めている経済での大変動も、ある意味で、すでに限界にきた貨幣社会の仕組みへの執着によって変質しているようであり、更なる崩壊の連鎖を呼び込もうとしているようです。これはまさに人為的な恐怖の濁流であり、このような流れにはいち早く気づくべきでもあります。現象の根本的なところに「恐怖」や「不安」があると見える場合は、いつも注意していることです。また恐怖や不安は、他者依存でなく、自分自身で消し去る努力がどうしても必要です。これからおきてくるであろう様々な現象、これらも今まで何世も苦楽を経験した人間達の、あたかも卒業試験問題の1つではないかとも思われます。

●恐れの克服

 恐怖や不安、これが今人類が最も克服すべきことなのです。様々な結果で溢れかえった世界の中、無意識状態での生存努力を続け、混乱と不安を今体験し続けている人々、いまだ自己がはるかに高次元ともいえる存在であることに気づかない催眠・睡眠レベルの人々にとって、必ず通過しなければならない課題でしょう。自分自身が何であるかという理解を少しでも得るならば、恐れや分裂等は本来どこにも無いことに気づくことになるでしょう。それは目覚めの瞬間でもあります。

●外から内への帰還

 原因は内にあること、外の世界はその結果・反映にすぎないこと、このことを理解することは容易ではないと感ずる場合もあります。偶然の確率が支配する外の現実世界が、唯一の実在であるという観念が、いつの間にか身に染み付いていることに気がつくわけですが、それらは一体誰に、どこから教わったのでしょうか。責任者などどこにもいるわけがありません。全ての経験と思いは自分の観念のフィルターを経た認識・記憶にすぎません。

 目覚めるのも、寝るのも、食べるのも、笑うのも、泣くのも、困るのも、恐れるのも・・・ありとあらゆるものは、全てその人の思いや判断・感情を元に起きているものです。それに気がつくことが内観ということです。現象の背後にある因を理解することが出来る大切な行為なのです。

 それでは外の世界で起きていることはどうなんでしょうか。それらは無数の仲間たち、あなたやわたし達が同じフィールドで演じている結果にすぎないものです。自分の眼に見える・聞こえる・感じる世界をどう考えるのかは、全て自分だけにかかっています。変えることが出来るのは自分の意識だけであり、競演する他者の演じる物語はあくまでも他者の学びであることを自覚する必要があるでしょう。確かに、いつもあるのは「わたしは在る」という感覚だけです。

●世界を見る「わたし」という「意識の窓」

 我々は自分の耳目や感覚というセンサー情報を元に、思考、感情という意識作用の「窓」を通じてこの世界にアクセスしているものです。この世界にどっぷり入っている分けでもなく、この世界の1部の有機物質の塊でもないのです。

これには表面的な意味の他に、深い意味があるわけです。

例えて表現すれば、こういう事が言えるかもしれません。

●意識集中しながら体験しているこの世界

 例えば、小説や映画に夢中になっている時には、まさに自分の身体感覚や、日常の生活の思いや感情などにはあまり感知せずにおり、まさにその世界に集中しています。意識がその映像ストーリーに入り込んで、その中で行なわれる様々な出来事やハプニングに一喜一憂し、ハラハラドキドキを感じているわけです。映画館などでは周りが暗いためもあり、視野が制限され、まさにそのスクリーン画面で演じられる物語に、意識を集中することが出来ます。その中で行なわれている物語に、どの程度フォーカスするかは、各自の意識の集中度・感情移入度によります。

 このように、その中に意識的に注意を集中してしまい、自分が鑑賞者、観客であることを忘れてしまう瞬間は誰にも経験がありますね。もっとも、日常の経験では怖い、あるいは面白い物語に夢中になりながらも、時折、読書をしている自分、映画を観ている自分の意識にふと戻ります。怖い夢から覚める場合も、同じように自分の意識に戻ってホッとする場合があるでしょう。

●地球生命圏にフォーカスしている人類

 映画や小説に夢中になっていることと、この地球生命圏で生きているということとは同質であるとも考えられます。意識を集中・フォーカスしている事で言えば、全く同質であるのですが、1つ違いがあるようです。すなわち、地球上で生まれること、すなわちこの世界に意識を集中すると、本来の自分の記憶を一時忘れ去ってしまうことです。いわば地球という舞台の存在周波数帯に自分を同調してしまうことになる為、本来の高次の存在周波数を変調する必要があるともいえます。変調して周波数を落すために、本来の高周波レベルでの情報・記憶がハッキリしなくなるのかも知れません。

 地球に生まれる場合は、各自の意識は、世界体験をする為の一番外側の物質レベルの波長帯、すなわち肉体という波動レベルにフォーカスする事になるようです。肉体波動レベルは五感というセンサーによる情報送受でその形態を維持しますが、その波動感受情報が振動波や電磁波の物質レベルであり、安易にそのレベルに意識がフォーカスするようになっているようです。そのような世界で記憶を無くした場合に、いったいどういうことになるかは、まさに今の我々が示しているとおりです。

わたしは誰なんだろう? 何をすべきなんだろう? どこから来てどこにいくのだろう?人間とは何なのだろう?

●命を守る為の物質が一番大切という文明段階からの上昇

 物質はどうしようもなく強固に感じられ、またそれらの変化する時間は長く感ぜられます。このような世界では、か弱い肉体を維持する為に、戦々恐々と外側ばかりに意識を向けてしまうわけです。生存競争というプロパガンダは本当に最もらしい響きとなるのです。元々おのれが弱く、か細い存在であることを体験することに同意してこの世界に来ているわけですが、そのような重く、そら恐ろしい世界の中で生きることに不本意ながら慣れてしまうことで、内面の心の働きなどは、眼にも見えず明確な形にもなっていないこともあり、想念、感情などは全く役立たずの抽象的な単なる概念だと感ぜられるのでしょう。

 身動きの取れない観念体系では、とりあえず肉体を保護する為の「物」が、自己存続の為の有意義な道具だと感じるでしょう。要は我々の文明が高度になったというのは、この「物」の供給を、今まで以上に楽に行なえるようになったという事だけのような気がします。生命の多様な表現によって生きがいや真理を探求することよりも、とりあえずの自分の命を守る観念だけに固まってしまった文明に堕してしまったと考えても決して誇張した表現とは言えないと思います。非常に微妙なところですが、個人尊重という考え方の中に、この保護すべきか弱い肉体存在という思想、自己過小評価が見え隠れしています。

●探索や思索による自己再発見

 本来、科学や技術、思想、内面観察行為などは、自分達がフォーカスし、現れ出でたこの世界のあり様を探索し、色々な法則や真理を発見する過程を通じ、実はおのれ自身、本来の無限たる自己存在を再発見することが目的でもあるのです。本来の高次の波動帯から、あえて3次元という、粗いともいえる周波数帯にわざわざ現れることは、一見意味がないと考えるかも知れませんが、高次の存在であるからこそ、あえて自己の周波数を落として次元の最先端・フロンティアを探索できるとも思われます。

 例えれば、普段は陸にいる人間だからこそ、あえて身動きの極めて重い海の中へ、潜水服をつけて潜ってあれこれ探索するというようなものです。潜って探索したあとは元の陸に戻ることもまた自然なことです。人間であればこそ、地にも、宇宙にも、また海中にも潜って探索することが出来るものです。様々な次元の経験をすることが出来るということでしょう。

●意識の進化と時空連続体の進化は表裏一体

 海の中から陸を覗くのは困難でしょう。海から見えるものは大気と海の波の狭間で揺らめく光だけかもしれません。それらが次第に垣間見えるようになるには、自分の重い観念を軽くして浮上してゆくことが必要でしょう。地球は海の中のように動きの緩慢な、1つ重い次元の世界だったともいえます。それは、人類の意識に基づく思いや感情が原因であり、その結果の地球時空体の現象化であり、その重さだったのではないでしょうか。

 惑星生命圏の主要たる意識が、周辺時空にそのような物質化をするということであり、重力も必然的に強力なものに感じてしまうでしょう。昨今のUFOなどの重力を無視したような異なる世界からの船体の目撃増加は、我々がより軽い光に満ちた世界への浮上を示す現象とも言えます。少し波動の高い周波数帯への接近ということかもしれません。今ある次元の先には更に壮大なものがあることがいずれ理解出来るはずです。

 その為に必要なことは、重い物質偏重・執着観念を勇気をもって捨て去ることで、浮かび上がるのは自分自身なのだと気づくことではないかと思います。ただ単に恐怖や執着は海底を散策する為の重りであったと考えることも出来るでしょうか。

●進化は内から外へ現れる

 肉体の進化ではなく、内面・意識の進化こそが、またそれに相応しい舞台・新しい文明を必然的に現して行くのだと感じないわけにはゆきません。新しい文明は、調律された心が人間の基本として浮かび上がり、物質は単なる手段であり、また存在形態の異なる友であるとも感じることになるでしょう。そこには物質崇拝などあるわけもなく、恐怖や不安も辞書にしか記憶されていないような古い観念の跡としてのみ残ると思います。もう十分すぎるといえる混乱や困苦は、すぐにも捨て去る権利があることを思い出す必要があります。人々はお互いが今同時期に存在出来ることを、心底喜びながら共存できる世界になることは間違いないと思います。

●本質はいつも永遠の「今」在る

 悟りや覚醒は世間の常識のように特別に難しいわけでもなく、何万年という時間の壁をのり超える為の肉体進化も必要が無いのです。今思い出すべきは、数千年に及ぶ外の世界の観察とそれへの意識フォーカスから翻って、自己の内面への帰還とも言うべき行為でありそうです。古来から伝わっている精神修養や自己観察を通じて内面にこそある原因の世界への気づきを通してこそ、逆に今までの外面での探索結果が理解されるようになっていると思われます。

ここでいう内面というのは、肉体の中にある心の働き・・等という陥りやすい誤解はもう避けなければなりません。

人間の内面の意識作用は、全てを現す因たる宇宙の意識作用と同質であり、森羅万象の全ての元である根源意識と同義です。

 Anndoromeda

 

 

  

  

 

今回も拙い文章をご覧頂き、誠にありがとうございました。