●まともな唯物論者のつぶやき
お客: マスター、私もねまあ人生長く生きてきて、身近な人間が何人か既に逝ってしまったのを見てきてね。なんというか、不思議なんですよ、どうして消えてなくなるのか・・とね。
マスター: そりゃまーそのうちあんたや私もそうなのは、間違いないさ。
お客: 生きてきて色々なことを経験していって、結局どうなってしまうんだろう。何の意味があるのかなんてね。せっかく積み木を組み上げて、最後はパーなんて、どういう意味があるのかなーと思うんですよ。
マスター: なるほど積み木ねー。でも積み木はいつか壊れるから別の積み木で遊べるんじゃないかい。積み木の作り方がわかれば、どこでも出来るしね。それの方が大切だよ。
お客: しかし死んでしまったら、何もなくなるじゃないですか。
マスター: 人間の肉体は物質で高度に作られているものだけど、いわば、高度な積み木のようなもんだね。小さい頃を思い出せば、積み木で色々作ったんじゃないの?お城や、家、キリンさんやガンダムなんかさー。あれこれ作ったんじゃないかと思うよ。
お客: まーそうでしたかね。1つ作ったら別のもの、友達とくらべっこなんかしていたかなー。いや、そういう話でなくてね。生と死の意味を聞いているんですよ。今は。
マスター: 積み木は自分じゃないんだよ。自分だと思っているのかい。つまり肉体も自分じゃないんだよ。自分だと思っているのかい。
お客: 肉体のこの身体感覚で生まれてから、ずーっとやってきましたからね。それ以外に自分がどこにあるといいうんですか。見えない霊魂があって身体に宿っているとも言われますが、どこにあるんでしょうかね。
マスター: 例えて言えば、コンピュータ、パソコンでもいいが、本体だけでは電源入れても動かないよね。ソフトウエアがないと、画面も出なければ、WEBにもつながらない。ソフトをインストールしなければならないわけ。そのソフトは、まー色々あるけれど、1枚のディスクに書き込まれているプログラムなんだ。1種の文章であり、考え方、動かし方、記憶の仕方を書いているとも言える。それらは眼に見えるかい?
お客: 普段はそんなの意識なんかしませんよ。プログラムなんて見ても分からないし、我々が扱えるもんじゃないしね。パソコンはデスクの上でしょっちゅう皆使っているけれどね。文章は書かれたものは見えるけれど、確かに考え方を書いたものとも言えるかもしれませんね。でそれが生と死とどう関係あるの。
マスター: パソコンでも、画面やキーボードばかりをいじっているわけなら、中身の見えないプログラムなんか気がつかないよね。でもプログラムどおりに動いているのは分かるんじゃないかい。絶対にそれから外れる動作はしないわけだ。パソコン本体のハードウエアはいわば肉体、ソフトウエアは魂・意識と言ってもいいんじゃないかな。自分のパソコンが壊れたら、プログラムやデータのバックアップがあれば、別のを買って来て、それをインストールすれば、また同じパソコン機能が再現されるだろ。
お客: なるほどね、言いたいことはわかりますよ。パソコン本体よりも重要なものは、それを動かすプログラムであって、目にも見えないしね。それじゃ、生まれるのは新たにパソコンにインストールして動き始めることで、死ぬということは、パソコンでの経験やらデータのバックアップが、別のパソコンにインストールされる、と言う様な仕組みのことなんでしょうか?
マスター: あなたが最初に言った言葉、全て消えたら意味がないんじゃないの、と思うのは連続した大きな仕組みを想定していないからなんじゃない。過去の多くの先達たちは、大なり小なり口をそろえてこの命の連続性のことを言っているのだけれど、現代人は何か勘違いしているんじゃないかな。古いものは古臭くて意味がない・・なんてわけの分からない信念に捕らわれているような。私は誰を信じるかといえば、まわりの一般人や社会のお偉いさんの言葉よりも、歴史の中で真剣に生き抜いた先達の言葉を選ぶね。絶対に。
お客: まーそうですかね。でも、何を信じるかの、いわば宗教的なもんなんでしょうかね。
マスター: そうね。信じるごとくに汝になる、といえばそうなんだけれど。でもそれだけじゃなくて、ちゃんとした法則があって、生まれたら死んで、死んだらまた生まれるのは当たり前なんだけどね。生きている時の生活を元にした意識の進展に基づいて、次にどうするか決めることになっている。借り物の物質レベルの肉体は地球が創ってくれたもの、十二単衣(ひとえ)の一番外側の衣のようなものさ。ここにいる時はその衣が好都合なんだ、まー当然だけど。
お客: へーそーなんかな。それでマスター、証拠はあるんでしょうかね。ただ言うだけではね。生命が連続するなんて結構なことなんですが、それが真実だとしたら、世界は変わるはずですよ。でも、ブッダもキリストも一遍上人も・・今はいないし、確認しようがない。
マスター: 物的証拠はないよ。今ここにいるあなた自身以外はね。そこが大切なハードルなんだ。あんたそれを自分で探せば見つかるよ。それに、数多くの生前を記憶する人たちの証言やその発言の裏づけも取っている学者もたくさん出てきている。調べてみればいい。学者のいうことなら信じれるんではないの。実は今の時代は、その気になれば色々な気付きや成長が出来る時代なんだよ。スピリチュアル系では、銀河中心からの精妙な光が届いている・等とも言われているが、現象側面の観察では、確かにそのような有益な情報や意識進化に気付いている人間達も増えているともいえるんだ。
マスター: 道元禅師が残している言葉の1部だけどね。言葉にも意味と、それを感じることで出てくる波動が生まれるんだ。
お客: へーそうなんですか。
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「・・生より死にうつるとこころうるは、これあやまりなり。生はひとときのくらゐにて、すでにさきありのちあり、かるがゆへに佛法のなかには、生すなはち不生といふ。滅もひとときのくらゐにて、またさきありのちあり、これによりて滅すなはち不滅といふ。・・」