意識という概念は、想う事や感じる事、感想や記憶などの精神的な働き全般のことを意識と言ったりと、普通に良く使われているが、
もっと根本的に言えば、
「意識」とは自らに気付いていること・・を意味する。
わたし自身に・・わたしが気づいている・・そのことだ。
これはすべての第1原因・・何かに依拠しない根本原理である。
この宇宙、そして自分が存在するようになった
理由や仕組み、因果での説明責任の必要のない・・第1の原因だ。
科学者が途方もない距離の向こうの宇宙を眺めて、どうして宇宙が出来たのか、またいつビッグバンが起きたのかと、
様々に思い巡らし、理論づけする試みを行っているわけだが、それらすべては、あーなってこうなって、だからこうなるのだと・そういう必然のプロセスを模索している。
しかしながら、その玉突きゲームのような原因と結果の組み合わせの根本、様々な現象が生起するその・・第1原因は・・・
宇宙創造・ビッグバンのために圧縮された無限のエネルギーなどと言うものではなく、
創造主が・・自らに気付いている・・ということだ。
・・・・
(パブロ・ピカソ作)
例えば、あなたが鏡の前に立った場合だけ・・あなたはあなたの全体の姿が見える。
さらに・・その姿・投影像は・・完全に左右反転したものであることがわかるだろう。
つまり、反転・投影した「姿」を観ることで、
あなたは・・あなたの姿の一端を観ることが出来るのである
あなたは、投影した像を観察・気づくことでしか、おのれ自身を観ることが出来ないのである。
根源・ソース・神・創造主・・言い方は何でも良いけれど、
神の・・自己への気付きによって・・
その自己の姿が・・万華鏡のように展開されるのである。
それが・・我々が観察している・・宇宙なのだ。
そして、あなたもまた・・今・・この瞬間にもそれをあなたの世界で実践しているのである。既に・・今!
つまり、あなたは自らに気付いているからこそ、
あなたを中心とした宇宙を創造しつつ観察している。
今生きていることとは、そういうことである。
しかしながら、多くの存在たちは、
自らの知覚世界に展開される様々な現象に目を奪われ、
この世に構築されたさまざまな観念・知識・生活の活動にその意識を没入させ、
肉体を自我とする低次の観念・想念によって、
生きてゆくために必要とされる様々な強迫観念の流れに自己没我させてしまったのである。
繰り返すが、
あなたが・・今生きている‥と言う自覚、
意識があること、・・自分に気付いている・ことは、
それ自身が・・・すでに、・・
あなたの周囲環境・ひいては宇宙として顕現しているということなのだ。
・・・
あなたはお金が増え、誰かに褒められ、良い生活が出てくれば、
そういう考えも確かに効果があると、それを信じるかもしれないが、
今ここで話していることは、
あなたが在る・・気づいている意識である・・ということによって、あなたの世界・宇宙が立ち現れているのだという、
もっともっと・・根本的な創造の話である。
・・・
そう・・スピリチュアルレベルでよく言われるように、
意識が・・すべてを創り上げているということだ。
物質が創り上げているのではない、
なぜならば物質を物質として・・投影しているのは意識であるからだ。
再度、そして何度でも問いかけよう、
あなたは何か?
あなたは・・一体何なのだろうか?
死んだら終わりの単なる有機動物か?
”自分自身に”問いかけてみよう。
そして自ら・・想い巡らしてみよう。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。