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窓辺から遠く陸地に目をやると、故郷はしだいに霞みはじめていた。
それでも、水平線とは明らかに違い、山々の凹凸が地面の在ることをあからさまに見せていた。
それは西の方角に当たり、その反対側が、陽の出ずる沖合である。
家舟は一路その方角に舳先を向けていた。
沖合に出るにつれ、周囲に散乱していた浮遊物も疎らになり、流された家々は、まるで宇宙の膨張によって銀河どうしが互いに遠ざかるように散開しはじめていった。
家舟はゆったりとした周期で時計回りの方向に回転していた。
それによって、寝室の窓は陸地に向いたり、沖合に向いたりした。
何分かの周期で一回転して、さながら螺旋階段のように、同じ方角にくるたびに陸地は西の水平線にちょっとずつ沈んでいった。
理系の人間には馬鹿らしいことだったが、地球が丸いことが呪わしかった。
その間にも、床上浸水は確実にその嵩を増し、フローリング全体がユラユラと蠢く巨大アメーバに占拠されたかのようであった。
(建材が水を吸ってるんだ…)
湿潤率と沈降率は時間経過に正比例していることは、理系の学生でなくとも自明だった。
一定の傾きで右肩上がりにモニター上を上昇する直線の先には、デッドライン、即ち、虎口がポッカリ開いていた。
ドラマのように、放送時間ギリギリでの奇跡的な救助がなくば、自分の余命は、落下する砂時計の砂の残量であることを、里奈は痛いほどイメージできた。
(やばい。やばい…。
もうダメだ…)
またもや、ペシミスティックな想念と諦念感が、さっきまで『巨人の星』を歌っていた勇猛な少女の心を侵食しようとしていた。
家舟とデュエットでシンクロするかのように、里奈の心も揺れに揺れた。
十八年の人生のなかで、最も濃密な時間を今、ここで、生きていることに彼女は気付く余裕なぞなかった。
枕の下から半分顔をのぞかせていた目覚まし時計が、3時半過ぎを指していた。
あれから、まだ一時間も経っていなかった。だが、この時間の長さはどうだろう。
今朝、体調しだいでは、卒業式に出られるかも…と、念のためにセットし、そのアラーム音をとめて起きた。
風邪さえ癒えていれば、卒業式に出ていて、地震とともに仲間たちと避難したか、あるいは、津波を見て校舎の屋上へと退避したかもしれない…。
受験を終えて、しかも合格して、緊張の糸が緩んで、油断して、風邪を招いたのかもしれない。
今さら、ああしていたら…、こうしていれば…と、「タラレバ」論に帰結しても詮ない事だった。
【時間の矢は元に戻らない】
熱力学第二法則は、宇宙の基本原理である。
里奈は〝理系頭〟の自分が恨めしかった。
科学は人の役に立つものだが、人は科学のために生きているのではない。
そんな哲学的なことを、このカタストロフィックなクライシス状況で、里奈は学習した。
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