『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

スカイライン開通

2019-06-30 05:46:00 | 風景
きのうの朝刊で、
スカイラインが開通したことを
知って、嬉しく思った。

なにせ、
フクシマ観光のシンボルであり、
ワタスゲ湿原の散策は
毎夏の楽しみでもあった。

ただ、
御嶽山の噴火じゃないが、
目の前にモウモウと常に
活火山の噴煙が上がっているので、
気持ちよい感じではない。

散策中に
ドッカーン! とこられたら、
ひとたまりもない。

レストハウスも閉店後、
再会の目処がたっていない。

ここには、
大阪から来た教え子たちを
幾人も観光に連れてきた。

ミニコンサートにも
招聘されて来たことがある。

何回目かのリサイタルの時には、
「成功祈願」と称して、
ひとりで火口のお釜をひと廻りして
途中でヘバッたこともある。

梅雨の晴れ間があったら、
いちどはワタスゲに
再会したいと思っている。





同じく朝刊で、
高島 忠雄が亡くなったことを
知った。

寿美花代との
オシドリ夫婦で
長年『ごちそうさま』という
料理番組をやっていて、
それを録画でよく見ていた。

いちばん印象に残っているのは、
中1の頃、家族そろって
お茶の間で見ていた
『細うで繁盛記』(全156話)での
〔山水館板長の清さん〕役である。

恋焦がれた「こいさん」
(新珠三千代)とは
とうとう結ばれず、
「こいさん」のダメ亭主の妹
(柏木由紀子)と結ばれる、
という顛末を、今でも覚えている。

柏木由紀子の夫・坂本九ちゃんが
85年の日航機墜落事故で
亡くなったのも話題になった。

牛乳瓶底のような眼鏡をかけた
小姑の正子役の冨士眞奈美の
悪口雑言が強烈で、
その憎々しさといったらなかった。

その叔母役の赤木春恵も
憎々しく、後年、『金八先生』で
良識ある校長でイメチェンするまでは、
悪女のイメージが強かった。

ウィキには
名セリフが残っていた。

静岡弁で・・・
「ちょっくら! 加代!
おみゃーの出る幕じゃあ、 にゃーズラよ!」

「加代! おみゃーの言うとおりにゃさせにゃーで!」

「犬にやる飯はあっても、
おみゃーにやる飯はにゃーだで!」

最後には、
正子の兄であり加代のダメ亭主が事故死し、
山水館も傾き、
改心した正子が加代に跪いて
「ねえさんッ・・・」
と泣いて哀願するシーンも脳裏に残っている。

今では考えられないような
名優ぞろいの大作ドラマだったが、
そのほとんどが故人となった。

- 滝田裕介 - 吉田義夫
- 大村 崑 - 園佳也子
- 神山 繁 - 内田朝雄
- 加東大介 - 松村達雄
- 谷 幹一 - 大友柳太朗
- 浪花千栄子 - 本郷功次郎






新装された
松川学習センターの図書館で、
『徒然草』やら嵐山光三郎の本、
談志家元の未読のものを
借りてきた。

役場の建物も兼ねているので、
期日前選挙がなされていて、
玄関に飼い犬がクサリにつながれて
ご主人様を健気に待っていた。

なんたが、
『スターウォーズ』の
チューバッカみたいな顔に見えて
愛らしかった。

草むらには、
梅雨にぬれたツユクサが
コバルトブルーの可愛げな花を
咲かせていた。







6年前に赴任したときに、
デスクの上に置かれていた
「ウェルカム・メッセージ」を
捨てられずに、
書斎の本棚に飾ってある。

どの学校でも、
新任の先生に対しての
恒例のもの、形式的なものだが、
そこには、レイアウトし、
プリント・アウト、造形…という
人の手が入っているので、
あだや疎かにできないものを感じてしまう。

自分で、リサイタルなどで、
冊子やCDの手作りポップを
作っているからこそ知っている
陰の労力への敬意なのである。



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雨夜の茶事

2019-06-29 06:55:00 | 風景
ソータの竜王戦の
決勝トーナメントが
始まった。 

何処までも勝ち進めば、
名人位と並ぶ二大タイトルの
竜王位が獲得できる。

これから
対戦する相手には、
いずれも勝って来たので
初タイトルも夢物語ではない。

賞金は、棋界最高の
4.320万円である。

ソータはすでに
4組予選優勝賞金と
対局料をあわせて
337万をも稼いだ。

高校2年生で
そんなバイト料をもらっている16歳は
何処を探してもいないだろう。

もっとも、
彼は歴とした「プロ」だが。






きのうの相手は、
七段/4組のソータより格下の
六段/5組の近藤誠也(22才)
だった。

過去3勝1敗で
勝ち越しの相手ではあるが、
なにせ前期の順位戦で、
唯一、一敗を喫した相手であり、
それにより、相手はB級昇級、
ソータはC級残留になったという
因縁の棋士である。

なので、
ソータにとっては
「江戸の仇を長崎で討つ」
雪辱戦でもあった。

竜王戦は
プロデビュー以来、
毎年決勝トーナメントに出場しているが、
過去2年とも2回戦で敗退してるので、
雪辱を果たすのと同時に
更なる高みを目指しての一戦だった。

双方合わせて
持ち時間10時間、
昼・夕休憩をはさみ、
たいていは午前10時開始の
終局が夜の10時を越すのが通例である。

きのうの対局では、
近藤六段が無理攻めをして、
夕休前には敗勢に転じていた。

ソータは
手を緩めることなく、
最短の勝ち筋で
厳しくも鋭い手を次々と放ち、
100手にも満たず
夜8時にギブアップさせた。

相手側の自滅っぽかったが、
解説陣をして
「藤井七段のノーミス、完璧な勝利」
とまで言わしめた。

ふつうなら、
もっと穏やかな局面にして、
将棋を長く楽しもうということが
あってもいいような場面でも、
ソータはそのような冗長な展開には
まったく関心もなく、一切の妥協もしない。

〔詰将棋選手権〕5連覇のチャンプだけあって、
常に「最短の勝ち筋」だけを見出して指すので、
観戦シロートのコメでは、しばしば、
「鬼中学生!」「オニ高校生!」
とカキコされてきた。

そりゃ、そーだろー。
プロなんだもん。

この先も、
己れの生活と人生を賭して
対局してるんだもん。

シロートの
道落観戦者が、
何を言うてるかッ!
である。

そんでも、
ただソータを見るだけ、
という「見る将」という
女性ファンも多いらしく、
解説者の話では、
「将棋は知らなくても、
フジイ君が何を食べてるかは知ってる・・・」
という、ヘンテコ路線の
勘違いファンもいるという(笑)。

毎回、
ソータが昼・夜に
何を喰うのかだけ、
チェックしてるというのだから、
変態チックでもある(笑)。

きのうの昼食は、
ソータが好物の
「珍豚美人」と書いて
「ちんとんシャン」という
豚天の定食だった(笑)。






昨晩の月例「宗教セミナー」には、
初めて、Tちゃん先生が
ご主人を伴われて
おいでになられた。

なので、
茶室に手燭を灯して、
夜噺風の室礼を演出した。

ちょうと、
長明の『方丈記』を読了して、
その世界観に浸っていた時だったので、
それを茶室でも表現してみた。

長明は、
その狭い方丈に
琴と琵琶を備えて、
独り奏することで
雨の晩なぞは
無聊の慰めとしていた。

台風一過の
雨降りの晩で、
長明の方丈と似た
小間の茶室なので、
二十年ほど前の雨降りの深夜に、
裏磐梯にあった叔母の別荘で、
独りしみじみとした気分で書いたものが
情に合っていたので
軸に掛けてみた。

唐代の詩人・白居易の
「廬山夜雨草庵中」
(廬山の雨降る夜、草庵の中に居る)
という句である。

これには、
続きがあって、

 半路雲泥迹不同  
 唯有無生三昧觀  
 榮枯一照兩成空  

【通釈】
人生半ばにして、友たちとはずいぶん貧富の差がついた。
自分はただ生死を超脱した境地に在るのを良しとしている。
栄枯は同じ虚像であり、いずれは空に帰するのだ。

茶室は“市中の山居”と
称される。

そこに、
梅雨の紫陽花に露を打って、
妖しく蠢(うごめ)く
蝋燭の灯りを頼りに
茶を立て、共に喫する。

そして、
雨音に耳をやる。

炭にくべられた
沈香の香りは幽玄を醸し、
ここに、一座建立、一期一会の
詫び茶の世界が立ち上がる。

陰旋法に調律した和琴の
五音階の十三弦を
バラバランと弾き流すと、
恰(あたか)も長明の居た方丈に
タイム・スリップするかのような
気分がした。






おとついまで、
散歩道にあるツタヤで
中古CDニ割引セールだったので、
ふだんワンコイン価格のものを
400円で2枚組をいくつか買ってきた。

一枚あたり200円だから、
これならシミッタレな自分でも
無駄遣いしちまったと
後悔することもなかった(笑)。

京都から帰福した25年前も、
フクシマでは外盤が買えず、
田舎街の非文化性を
呪ったものである。

なので、
仙台や東京に行くたびに
石丸やタワーレコード、HMVで
嬉々としてまとめ買いしてきた。

その昔への郷愁もあって、
先日、中古ながら、
外盤が一万点も近所のツタヤに
ストックがあると聞いて、
早くそれらにお目にかかりたく、
主任にちょくちょく放出してくれ、
と事あるごとにお願いしている。

令和セールからこっち、
ずいぶんと未知の作曲家たちの
マイナーな古楽曲集を買った。

ジャケットの古典画を鑑賞し、
耳に音楽を聴きながらの
ライナーノートの英文読解は
楽しみ半分、勉強半分でもある。





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オンナの子

2019-06-28 06:09:00 | TV・ドラマ
ゆんべは、
台風が接近していたので、
ムシッとして、ジメッとして、
不快な晩で寝苦しかった。

なので、
二度ほど覚醒しては、
エアコンを1時間タイマーで
入れていた。

盛夏ともなれば、
朝方までつけっぱなしで寝ることも
しばしばあり、
寝起きがダルクなることも
しょっちゅうである。

冷房室内と室外気温の
寒暖差によっても
「冷房病」と言われる
自律神経系が乱れることがある。

春先からずっと
寒暖差の激しい日々が続いてきたので、
この夏はすこしは
耐性がついたかもしれないが・・・。






毎週、録画して視ている
『大草原の小さな家』が
3回目で、ようやく面白くなってきた。

原作をベースにしながらも、
TVドラマならではの
子役たちの表情、
セリフまわしの可愛いさが
微笑ましくある。

主人公のローラは
美人のお姉ちゃんに比べ、
反(そ)っ歯でソバカスで
見劣りがするものの
オシャマで口達者なのがいい。

姉の方は、
元教師の美人母親に似て、
常識人で節度がある。

原作シリーズを先読みして、
この姉が後年、病気で失明し、
ローラがその手足となる、
ということを“神様目線”で知ってるので、
仲睦まじく健気なふたりを視ていると
なんだか胸キュンになってしまう。





バラエティ番組で唯一
『さんま御殿』だけは
毎週録画して視ている。

最近のオキニは、
青森出身のすごく訛ってて
超天然ボケの
王林ちゃんである。

見た目は、
夏菜と早見優を足して
2で割ったような美人顔だが、
滝沢カレン並の“不思議ちゃん”で、
しょっちゅう、サンマも引っくり返るような
大ボケをかましてくれ、
腹を抱えて爆笑してしまう。

なので、
「王林ちゃん」ネタだけを
HDDからブルーレイ・ディスクに
ダビングして、時々、
プレイバックしては
笑っている。

まだ、21歳なので、
地元、弘前の
大学4年生のようである。






アマゾンから届いた
『絶頂美術館』で、
これまで知らなかった
多くの画家たちを知った。

中でも、やはり、
『奴隷市場』のジェロームは、
その筆致、画力、
印象派を蛇蝎の如く敵対視していた
頑固ぶりは、筋金入りだと感じた。

これまで、
アングルの裸婦が
いちばん美しいと思っていたが、
ジェロームに宗旨替えすることになった。





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ヘン・カイ・パン

2019-06-27 05:19:00 | 趣味
散歩の楽しみに
名も知らぬ雑草の花々が
健気に咲いているのを
見ることがある。

きのうも
小さな黄色い花に
目がとまった。

そしたら、
『マクベス』のなかの
“弱き者、汝の名は女なり”
というフレーズが蘇り、
“か弱きもの、汝の名は花なり”
というヘンテコなフレーズが
思い浮かんだ。

ただ、
哲学者の井筒 俊彦の言を借りれば、
「存在が花している。
 存在が自分している」
ということで、
このものとは等価な関係なんだなぁ・・・と、
再認識させられた。

ビッグバンの特異点では、
互いに同じ一つの粒子だった。

それが、分裂、多様化したものの、
素材的には対して違いがない
生物どうしでもある。

「今、ここ」の時点では、
たまたま、自分として自我を認識しているが、
何処ぞの時点では、
向こう側として
「存在」しているかもしれぬ。

また、万物を構成する素粒子が
波であり粒子としても振舞うという性質から、
「ダルマさんが転んだ」遊びみたいに、
観察者が観察した時にだけ
現象として顕現するのであれば、
自分以外のあらゆる実体が
果たして本当に存在している、
と言えるのだろうか・・・とも、
思ってしまう。

我思う、故に、我あり・・・
とは言うものの、
この我という実体を
認識している意識も
そうとうに怪しいもんである。

なにせ、
睡眠下、麻酔下では、
認識されないのだから・・・。

・・・なぞと、
小さき花にインスパイアされて
愚にもつかない
形而上的な存在論を
思索しながら炎天下を歩いていた。

思弁的に、そうかもしれない・・・と、
現時点で帰結した考えは、
《一にして全、全にして一》
ではないか・・・という、
古典的な一元論的な世界観であり、
世界のすべてが神であるという
汎神論の世界観でもある。

これは、
古代ギリシャ時代から
唱えられており、
「ヘン・カイ・パン/hen kai pan」
と言う。






裏庭の春菊の黄色も
盛りを過ぎた。

黒スグリが開花したかと思ったら、
もう結実しだした。

どんな形、味に成長するか
今から楽しみにしている。






Y中の壊れたチェロを復元すべく、
使えそうなブリッジ(駒)用の板を
ダイソーで買ってきた。

プリント・アウトした画像を
直貼りして、
糸鋸でくり抜いてから
キレイに整形してみようと思う。

来週の講演会での
頒布用の冊子を10部ほど
造本しようと印刷している。

私家出版社ごっこ、
造本家ごっこでもある。

毎度ワンコイン販売だが、
内職仕事のつもりで
楽しんでやろうと心がけている。






30年ほど前、
中国への修学旅行引率時に
上海の工芸館で
総漆・螺鈿造りの中棗(なつめ)を
買い求めてきた。

中国に茶道はないので、
明らかに日本の茶人向けに
職人が「中棗」の形状をコピーして
精魂込めて造りあげた
逸品と思われる。

当時で5.000円ほどだったが、
その頃の中国の平均月収が
ちょうどそのくらいだった。

80~90年代当時の中国は
まだ貧しくて、
人々はまだ人民服が多く、
貧相でどこか哀れげに見えた。

バスで隣に座った大卒の通訳から
「先生は月いくらもらってるんですか?」
と訊かれ、
まだ30代だったが、私学だったので
年収600万くらいあり、
月平均50万だとすると
彼らの100倍もらっているとは
さすがに言い難く、
「まあ、みなさんと同じくらいです」
と言葉を濁したことがあった。

生徒もお土産店の交換所で、
数千円を中国紙幣に交換すると
札束になってきて驚いていた。

その時、生徒に
「GDP世界2位の日本は、
いかに金持ちか実感したやろ」
と言うと
「ほんまやなぁ・・・」
と、得心していた。

それが、今や中国が
世界第二の経済大国になり、
億万長者の富裕層が
5.000万人もいるというから
日本の半分くらいが
大金持ちということである。

かつて、
日本人もそうしていたように、
来日した富裕層たちが
旅先でバンバン札ビラ切って
金を落としていくもんだから、
日本人があの頃とは逆に
ヘェヘェしているのが
なんだか情けなくもある。

バブルがはじけて来、
「失われた20年」と言われる
長期経済低迷のトンネルに入って、
今もってパッとしない。

我が身も、
ボンビー・カウンセラーの道に
踏み込んでしまった為に、
“清貧”に生きざるを得ない
晩年になってしまった(笑)。

 貧乏をすれど
  我が家に風情あり 
   質の流れに
    借金の山

         八五郎


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日々、徒然なるまま・・・

2019-06-26 04:52:00 | 勉強
隠居の身の
六連休中なので、
ゆんべは9時半に入眠し、
今朝は3時半に目覚めた。

7時間睡眠を
理想としているので、
-1時間の勘定だが・・・
「目が覚めたら、朝!」
とキッパリ決めている。

日中、眠たくなったら
そん時、「補眠」(造語)すればよい。

なので、今朝は、
コーヒー&朝刊の
ルーティーン後、
4時からブログ“創作”を
開始した。



今朝は
17℃まで冷え込み、
日中は32℃にもなるという。

15℃もの寒暖差だが、
さすがに、春先の
ジェット・コースター気象の洗礼を受けて、
数週間かけてやっとこさカラダが
順応したようで、自律神経系の乱れや
不定愁訴もなくなってきた。

でも、中度CKD(慢性腎臓病)のため
熱中症体質になり、
夏日への耐性はないから
要注意日である。

真っ昼間になる前に
散歩&買い物をすませ、
あとは冷房寝室で
引き篭もっていよっと。

読むべき本、
聴くべきCD、
視るべき録画番組は、
山とあるので、
家内養生には事欠かない。





きのうも
日中は28℃まで上昇したが、
お昼前に散歩をして
恒例のツタヤ・ブラウジングで
20パーオフセールの
中古CDを4枚と
『ばらかもん』のスピンオフを
5冊ほど買ってきた。

そしたら、
CDコーナーに
『コダーイ/無伴奏チェロ組曲』(412)を
見つけ、ヤフオクで431円で落札したので、
クソ~ッ!! 19円も損したぁ~!!
・・・と、その場で地団駄を踏んだ。

~(>д<)ノ グヤジィ~!

ボンビー・プレ年金生活者ならではの、
“損得ゲーム”である。

ヴァーチャル・ゲームでなくも
課金制の厳しい“リアル・ワールド”なので、
1円単位で一喜一憂して
人生の機微を味わっている。

落語に
「びた一文だって、地べたぁ掘っても、
 出てこないぞッ!」
という名言がある。

金光教祖には
「1円とて、半分に割るつもりで大切に使え。
 1万とて、ここぞという時には惜しみなく使え」
というような
有り難いみ教えがある。

『がばいばあちゃん』も
この金銭哲学を実践していた。

古書コーナーで、
20パーオフで5冊買って
(得した)と思ってたが、
ふと、(レンタルに有りはしないか)
と思い浮かんで、
恐々と(笑)サーチしてみたら、
あったぁ~~~・・・・・・。

 ガックシ・・・ _| ̄|○ セカオワ・・・

この時の、
意気消沈といったら、
なかった。

思わず、その場にへたり込んで、
“世界のオワリ”みたいに
頭かかえこんで唸ったので、
女性店員さんに怪訝な眼で
見られてしまった。

脳内のボンビー・スパコンが、
64円×5-652円=472円
という損失額を
瞬時にはじき出した。

CDと合わせて
491円もの大損失である。

このペナルティと埋め合わせは、
一回分の「昼飯抜き」で
落とし前をつけることにした。

リアル・ゲームは
キビシーのだ。

もっとも、
その前に、無駄っぽい
趣味のマンガ費とCD費の
遊興費を削れ、という発想もあるが、
人間は文化を吸収せずには
生きていけない生き物なのよ、
と、「いきものがかり」の
キヨエちゃんも言っておられる。
(・・・んなワケないか (^▽^)>テヘ…)

「喰って寝て」だけは、
社会的死を意味する。

生物学者のライアル・ワトソンも
「ヒトの本性は、
ネオフィーリア(新規探索好き)」
であると喝破していた。

我が造語では、
「ソフト喰い」と言っている。

(お~い。長くなってきたゾ~・・・笑)
    ↑
談志家元のメタ認知手法

***

莫大な経済損失に
悲嘆しながら帰途につくと、
オフィス8前で
とんと見慣れぬ
おもしろきクルマを見つけて、
思わずカメラを向けてしまった。

人様のものなので、
周囲を見回してから
盗み撮りのように速写した。

リアのロゴで
シトロエン製と判り、
(なーるほど、やっぱ、
おフランス車はエレガントざんす・・・)
と、『おそ松くん』の
イヤミのような心境になった。

普通車ながら
コンパクトで
優美なボディ・ラインに
お抹茶色が、
あたかも【サンダーバード2号】を
思わせた。

サイド・ヴューの
フロントとリア・ウィンドウが
段違いになってるのが、
近未来的でもあり、
セダンを切りつないだようでもある。

こういうのを
【グッド・デザイン】と
称するのだろう。

ワンコイン分の損失も
“美しきもの”を鑑賞して、
だいぶんと癒された。

 佳きもの
  それは美しきもの
   観るにあたひするもの哉

         





明後日は、
月例の宗教臨床セミナーなので、
ディスカッション素材として
今朝の朝刊の
『G20 世界宗教会議の提言』を
採り上げてみようと思った。

なかでも、
「すべての政策が尊重すべきなのは、
第一に統計ではなく、
血の通った人間でなくてはなりません」
という、
ローマ法王のメッセージには
納得させられた。

世界人口の85%が
何らかの宗教に関わっており、
諸問題の75%も
宗教・民族がらみだという。

1970年に
第1回・世界宗教者平和会議が
京都で開催されたが、
宗教学者の山折 哲雄から聞いた話では、
「諸宗教間の対話と相互理解から生まれる英知を結集し、
平和のための宗教協力を行う」
という行動理念にも関わらず、
けっこうガタガタして
紛糾しかけたという。

ところが、
誰かの提案で、
最後に
「我々が共通に出来ることは、
世界平和のために共に祈りましょう」
と、それぞれの形式で
祈りを捧げたという。

それを聞いて、
イイ話だなぁ・・・と、
思った。

あれから、
半世紀近く経って、
はたして人類は
真の平和を迎えたか。

否、である。

50年で文明は格段に進歩したが、
平和共存という主義・思想・宗教
という文化は未だに
定着していない。

まだまだ
野蛮、残虐な振る舞いが
世界各地で散見される。

この解決という
グランド・テーマにも関心があり、
市中の山居のような半隠遁ジジイも
何かしらネットで発信すべく
機会をみてはアウトプットしている。

それは、
【超規模大震災と超規模原発事故】
という人類史上未曾有の複合災害を
身をもって体験し、無事、生き永らえている
“サバイバー”としてのフクシマ人の
責務だと感じている。

なので、
復興支援事業(コンサート)をしながらも、
人類・社会への提言も
別サイトでしてきた。
(https://ncode.syosetu.com/n6240s/)

そこでは、
3.11の翌月から今日まで
58.000のアクセスを得て、
その内容を冊子化して頒布もし、
講演も幾度か行ってきた。

だが、
復興支援コンサート同様に、
個人の出来ることには
限界がある。

でも、何もしないよりは、
ずっとマシだと思っている。

少なくも、
クリネー(臨終の床)では、
自分の人生に恥じずには
済むだろう。

同じフクシマ人でも、
浜通人は「被災者」、
会津人は「非当事者」、
とも言えるので、
「半被災者」の中通人こそ、
提言の使命を負っている
と思ってきた。

***

『方丈記』全文を
ダウンロードして読んでみた。

長明の記した
鎌倉時代の隠遁者のログには、
現代のブロガーの心を惹く処が
いくつかあった。

言わずもがなの冒頭の
「無常観」は、
やはり稀代の名文かもしれない。

 ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
 淀みに浮かぶうたかた(泡)は、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
 ・・・
 生れ死ぬ人、いづかたよの来りて、いづかたへ去る。

長明は隠棲前に
琵琶を習っていたようで、
草庵には琴と琵琶があり、
独り弾きの楽しみが
記されていた。

 芸は、これ拙なけれども、人の耳を喜ばしめむとにはあらず。
 ひとり調べ、ひとり詠じて、みづから情を養ふばかりなり。

また・・・

 身を知り、世を知れれば、願はず、わしらず。
 ただ静かなるを望みとし、憂へなきを楽しみとす。

人様を羨ましく思ったり、
あくせくしないことだという。

 ただ、絲竹(しちく)、花月を友とせんにはしかじ。

・・・ともあり、
絲竹の「絲」は、琵琶・琴のような弦楽器、
「竹」は、笛のような管楽器のことで、
楽器を奏で、音楽と自然を友にすれば
上々であるという。

なんのことはない、
我が半隠遁生活そのものである。

長明ってるなぁ~、オレ・・・(笑)。

( ̄□ ̄)ワオ

養生訓もある。

 心、身の苦しみを知れば、苦しむ時は休めつ。
 まめなれば使ふ。
 使ふとても、たびたび過ぐさず。
 もの憂しとも心を動かさず。
 如何に言はむや、常に歩き、常に動くは、養生なるべし。

「過労の戒め」である。
金光教祖のみ教えには、
「自ら、身を潰した者は、助けようがない」
とある。

なので、
我が倅たちや
知人のオーバーワークと
健康障害を常々懸念しては
ご神前でご祈念させて頂いている。

自分も過労が元で
「四十二の大患」で鬱病になった。

メタボ・ロコモ・サルコ予防にと、
暇を見ては散歩を常とし、
気が向けば筋トレもする。

 人に交じらはざれば、姿を恥づる悔もなし。
 糧乏しければおろそかなる報(むくい)をあまくす。

オフ日の家んなかでは、
誰にも会わないから、
穴のあいた短パンとTシャツ姿で
パジャマと普段着を兼用して
着替えもしない。

さすがに、
買い物にはその姿で出る勇気はない。

着てるから着物だが、
脱げばボロである(笑)。

 それ三界は、ただ心一つなり。
 心もし安からずば、牛馬七珍もよしなく、宮殿樓閣も望みなし。
 今さびしきすまひ、ひとまの庵、みづからこれを愛す。

生きるとは、
心の持ち様に尽きる。

心穏やかならざれば、
いかなる事物も価値を持たない。

 魚は水に飽かず、魚にあらざれば、その心を知らず。
 鳥は林を願がふ、鳥にあらざれば、その心を知らず。
 閑居の氣味も、またかくの如し。
 住まずして、誰か悟らむ。

なるほどねぇ。
せやなぁ・・・。

(ーωー).oO ウーン

結語には、
瞬く間の一生を
一夜の月に喩え、
あらゆることへの執着を
捨てるべし・・・と、
諭しているようだ。
 
 一期の月影傾きて余山の端に近し。
 たちまちに三途の闇に向かはむ時、何のわざをか託(かこ)たむとする。
 
 仏の人を教へ給ふ趣きは、事にふれて執心なかれとなり。
 今、草庵を愛するも咎とす、閑寂に着するも障(さは)りなるべし。

「三途」とは、
火途<かず>、
刀途<とうず>、
血途<けちず>、
の責め苦を受ける場所、
すなわち地獄を意味する。






Y中の壊れたチェロを修復するのに、
治具類をボストンに詰めた。

タイトボンド以外の
ハタガネ、クランプ、魂柱立て・・・なぞ、
およそ弦楽器製作以外では
使わない道具ばかりである。

・・・なんだか、
疲れたなぁ・・・と、
思ったら、一心不乱に
6時間もブログを書いていた。

・・・って、
一日の1/4じゃん。
バカじゃん(笑)。

そりゃ、
背中も凝るわいなぁ。

この集中力と情熱、エネルギーを
他に使えんものかと、
忸怩たる思いがする(笑)。

「金儲け」に・・・と、
浮かばないのだけは幸いだが・・・(笑)。

だから、
ボンビーに甘んじている。

でも、勉強ノートでもあり、
日記文学の創作でもあるから、
己れの自己実現には必要なのであろう。


***

日が高くなる前に、
散歩&買い物に行かねばである。

***

「いちい」で
150円で買った
ミニトマトの小鉢が
キレイに色づいた。

35°の焼酎で
コーヒー豆を浸出させ、
生クリームを添加し、
リキュールを拵えた。

ガスパチョに垂らした
生クリームとトマト・ピューレが
マーブル模様を描いて、
いとをかしだった・・・(笑)。

   ↑

『方丈記』『徒然草』流の
事実の羅列・・・(笑)。

だから、何なのッ・・・
ていう記述だよなぁ。

(ノ-_-)ノ□

日記文学、三大随筆といっても
駄文も少なくない。

もっとも、
アタイのんは
全編これ駄文である(笑)。




コメント
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