『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

神仏に祈る・・・

2024-07-06 07:41:55 | 信仰

きのうは
山の学校の
1学期さいごの勤務日だった。

市内は35℃の予想。
車のエアコンの効きが悪かったので、
出勤時間を2時間早めて
朝早くから家を出た。

出がけに
また、血便があり、
心は穏やかならぬものがあり、
いつもとは違った
ボーッとした車中だった。

これは、もはや
虚血性大腸炎ではない・・・
と思い始めており、
最悪の「大腸がん」では・・・
と予期不安はマックスになった。

信心が出来ていないからか・・・
父親がそれで苦しみ逝った姿が
脳裏を駆け巡り、
カラダが委縮するような
胃がキュッとなるような・・・
ヒビっている自分をメタ認知した。



通勤路に
真福寺があるので、
菩薩様・お地蔵様にも
「救い」をお願いしようと
途中下車した。

 



「南無阿弥陀仏」の石碑に
「日」と「月」が彫られていて、
先日、動画学習していた
『日月神示』のシンボルマークを見て、
(おぉーッ!!)
と思った。

金光教では
「日天子様」
「月天子様」
という。

比較宗教学の研究でも、
「日・月」は
古今東西、普遍的アイテムである。



*

それぞれの仏様に手を合わせ、
菩薩様のおなかのあたりを
スリスリさせて頂き、
「どうぞ血便が治まり、
悪い病気でありませんように・・・」
と、お祈りさせて頂いた。



**

真福寺からは
遠くに山の学校が望める。

車を発進させると
「インサイト。
 インスティテュート」
と、パイロット・コールして、
ランディング準備をする(笑)。



*

標高550mにある学校なので、
下界よりは3℃は低いが、
それでも30℃は越しそうなので、
いつもとは違った
木陰に駐車した。

首にアイスバンドをして、
背中に生命維持装置の
クーラーバックを背負って
2時間も早く登校したので、
先生方も驚かれていた(笑)。

コーディネーターが
養護教諭なので、
朝方、血便が出て、
不安な気持ちで来たことを
吐露すると
「エェーッ!!
 やばくないですかー!!」
と、若い先生らしい反応だった(笑)。

「うん。
 やばいのよ・・・」
と、ジジイSC(笑)。



*

いつもなら、
どっさりと連絡ボックスに
お菓子が入っているが、
この日は、塩飴1ケのみで(笑)、
なんだか、絶食療法を
見越されたような
不思議な気分だった。

中に、
夏休み中にオペをする先生の為に
「メッセージお願いします」
というカードが入っていた。

これまた、
下手すると、
自分もオペしなくちゃならないかも・・・
なので、シンクロして
(・・・・・・)
言葉が出なかったが、
自分へエールをするように
筆ペンで揮毫させて頂いた。

空き時間が多かったので、
今の不安な気持ちに立ち向かう為、
自己分析の「レジリエンス・チェック」と
「ウォッチ・ワード・テスト」を
やってみた。

メンタルの回復力は、
並み以上にあるようで、
安心した。



*

「血便」と「大腸がん」を
キーワードにして始めた
言語連想では、
無意識領域の
「内的人格(魂)」に
《科学的態度》
「自己実現(最終到達点)」に
《神の劇場の主人公》
(すべてはシナリオどおり)
という結果を得た。

「問題と不安」は
《正常性バイアス》
「抑圧」は
《直視する勇気》
「今の自分」は
《自ずから然る》
(為るように為る)
と出て、
一々、得心ゆくものだった。



*


「不安」とは
「不明確な対象への恐怖」
なので、それを解消するには、
とことん対象について
客観的に認識することである。

なので、常道として、
「大腸がん」や
「内視鏡検査」について、
あれこれとスマホで調べてみた。



対象に命名化/ラベリングするのも
科学的「腑分け」の態度なので、
英語名も調べた。

血便・・・ヘマトゲズィア
大腸内視鏡・・・コロノスコーピィ
直腸癌・・・レクタム・キャンサー



**

この日は、
若い先生のコンサルテーションをやり、
板書を交えて、
生徒の心理を解説した。

ご自身の永年の悩みの症状も伺い、
強迫行為では・・・という助言と
受診をお奨めした。

**

偶然にも、
再来週が定期検診日だったので、
それを市民検診に振り替えて、
その日に大腸内視鏡の予約をしようと
決心した。

そしたら、
午後から来られた
常連のお母さんが、
看護師なのは知っていたが、
「血便」について開示すると、
なんと、内視鏡を4年も担当しているとの事で、
その流れや処置について
詳しく教えて下さり、
「きょうは、カウンセリングして頂いて
ありがとうございました。
少し、不安が楽になりました」
と、お礼申し上げた。

*

お昼の給食はなしにして、
流動食のスープと甘酒、アクエリ
に代替えした。

無事、帰宅すると、
郵便受けに
クルマの保険屋さんからの通知があり、
更新の連絡かなと思って開けたら、
なんと・・・
「がん保険」のお奨めだった・・・(笑)。

おもわず、
「ヒャ~!!」
と、声を上げてしまった(笑)。

なんという
シンクロニシティだろう・・・。

そんでも、
いっさいの費用が賄われる
というので、
掛け金をみたら
月々6000円というので、
「ないない」と思って
屑籠に入れた。

***

ここ数日、
比較宗教学の勉強に、
YouTubeのエンタメ系サイトを
気軽に見ていた。

その中に、
キリストを信じるのではなく、
キリストならば
どう行動するか、どう生きるか、
という視点が大事である、
という解釈が心に響いた。

そう。
自らに置き換えれば、
子ども達や孫、
お嫁さん、孫犬、
カミさん・・・といった
愛する家族の「苦しみ」「痛み」を
引き受けて十字架に掛かれれば、
いいんだ・・・と。

人の為なら死ねるんだ・・・
と考えたら、
いくらか気が楽になった。















 

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金光つづき・・・

2024-03-29 08:48:11 | 信仰

庭のサクランボが
満開になり、
天気がよい日には
車内は25℃を超えることもあり、
エアコンを使うこともある。

去年、クーラーのガスを
自分で充填したばかりだが、
どうも、一年で抜けたようで、
効きがよくないので
新たに1本をAmazonで購入した。

YouTubeの動画に
セルフでの入れ方が
いくらもあるので、
それを参考にこれから
再充填するつもりである。

*

今朝は、春の嵐のような
雨風が吹き付けている。

ここに、中国から
黄砂が飛来する
という予報である。

また、車のフロントガラスが
黄色く汚れるかと思うと
少々、うんざりである。



*


きのうは、春休みの
ラーメン行脚として、
その名に惹かれて
わざわざ高速に乗って
本宮にある『金光老麺』に
行ってみた。

朝方、不愉快な出来事があり、
ムカムカしていたが、
カミさんの京土産を
光っちゃん叔母ちゃんちに届けたら
「こないだはフキノトありがとね。
あの晩、旦那が夢に出てきて、
早く、天麩羅にしろ‼️
って、怒られたんだよー」
と、笑わせてくれた。

それで、いくらか
気が晴れた。

叔母さんの名前は、
「金○光○」で、
一昨年亡くなった叔父さんは、
「金○光○」と、
どちらも「金光」が入っている。

なので、
その足で『金光老麺』に行ったので、
「金光」続きでの《厄払い》である(笑)。

もっとも、訊いたら、
こっちは「かねみつ」と読むが・・・。

「金光」続きで不思議なことは、
新年度に増えた一校の前任者が、
「金○光○」というお名前で、驚いた。

そっからの
「金光」続きである。

そうそう。
カミさんも、車窓風景で
旧金光第一高の動画を送ってくれた。

「金光」続きの
五連ちゃんである。

*

5年前には、
Tちゃん先生の教会の近所にある
T中に、神様・御霊様に
お引き寄せ頂いたが、
初任の時に、隣席の
コーディネーターの先生のお名前が、
『金光老麺』と同じ読みの
「金光」先生といわれて
驚いたものである。

*

落札したプリンターが
不良品で、出品者にかけあっても
善処してくれず、
ずっと気分を悪くしていた。

そして、
能登震災の1.1、
3.1の犠牲者22222人の
ゾロ目続き・・・と、
どうも何かが布置していると感じ、
易を立て、言語連想テストから
コンステレーション分析をした。

そしたら、
『火水既済』と出て、
その二爻(こう)は、
小難が起こる時だが
落ち着いて賢明に遣り過ごせば、
大きな幸運になる、という。

物事の完成・結実・現状維持
・・・という象意であった。

先日のゾロ目への気付きは、
天啓・瑞象・・・
という象意であった。

言語連想テストでは、
「生き神への道」
「お試し」
「覚悟」
という言葉に収斂して
畏れ慄いた。

もっとも、
【実存するものは脅かされない】
という真理があるので、
生き通しの魂が
経験しようとしていることを
運ばれる「命運・運命」と達観し、
在るがままの「自然(じねん)」に
身を委ねようとも覚悟した。

ここにおいて、
諦念の境地、無我の覚悟が
「大死一番」で要るのだろう。

金光教では
【死んでもままよ】
と言う。

魂の錬金術で、
「金光かる」ような意識体になるには、
物質界での欲得心・憤怒・邪心を
排さねばならないのだろう。

まだまだ、
凡夫の身の上には
とてもとても
そう在ることは
至難の業である。



****

金光ラーメンは
真っ当な喜多方ラーメンで、
名代の「しそおにぎり」は
直径15㎝、厚み5㎝という
赤ん坊の顔ほどの巨大なものだった(笑)。



*

昨日の嘘をつかれ、
マウントを取られた事が、
トラウマになって、
まだ引きずっているが、
リク坊のあどけない顔を見ては
「癒し薬」としている。

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神様のおわします処

2023-11-28 08:36:55 | 信仰

今朝は
寝起きが
やや風邪っぽく
お腹が張って違和感がある。

それでも、
明日からは
「私的五連休」になるので、
きょう一日は頑張って
勤務してこようと思っている。

明日は、
三ツ星フレンチのシェフに
お願いしていた
ピジョン・ラミエ
(スコットランド産山鳩)
を頂いてくる予定なので、
今日は少しでも体調がよくなって
くれればと願っている。

*

きのうは
空き時間が3時間できたので、
ヒマリちゃんの神演奏で
感動させられた
バッハの『アダージオ』の
アナリーゼをやっていた。

普段はあまり目にしない
64分音符(4分音符の1/16音価)が
付点と相まって沢山出てくるので、
目がチラクラしてしまい、
全部にカウントを書き込んだ。

4、5回通して弾いてみたが、
未だに、曲全体のイメージが
掴めていない。

随所に、バロックリュート的な
書法が認められたが、
なにしろ抽象の極みのような
曲想なので、ここから
ヒマリちゃんが成し遂げたような
神性と神聖の領域に至るのは
至難の技である。

超天才故に出来た
奇跡の演奏なのだろうが、
彼女曰く、
「何百回でも、千回でも、
弾けるまで練習します・・・」
という努力のプロセスも
天才ならではなのだろう。

12歳までに
世界主要コンクールの
40近くを制覇してきた彼女は、
ヴァイオリンの藤井聡太に
喩えられるが、
ソーちゃんが
「400年に一人の天才」なら、
彼女は
「生まれるのが1000年早過ぎた」
と審査員に言わしめるほどの
超天才なのである。

ネット雀の間では、
モーツァルトかショパンの
生まれ変わりでは・・・
という都市伝説が
囁かれ始めている。

全ての動画を
すでに何十回となく視聴したが、
昨晩もブルッフのコンチェルトを
聴いていて、ふと・・・
その面差しに「美空ひばり」の
風貌が見えて、もしかしたら・・・
と、不死鳥伝説の方を
勘繰ってしまった(笑)。

11歳の時の演奏時の表情には、
『ハウル』のソフィーのように、
一瞬、老婦人のような表情が見え、
ドキリとする場面があった。

*

きのうの
手作りベントには
煮卵と目玉焼きで
卵がダブッてしまった。

物価の優等生と
謳われていた卵も
一時、150円台から350円台まで
跳ね上がり、カミさんも
買い控えていた時期があった。

冷蔵庫の卵ラックに
卵が常備されていない
というのも違和感があった。

最近では、
250円台に落ち着いてきたが、
それでも、高騰には変わりない。

鳥インフルエンザの多発で、
またぞろ、値上がりする気配が
ないでもない。

**

古楽器工房で
製作中にバンドソーから
焦げくさい異臭が漂って、
そして、まったく
動かなくなってしまった。

調べてみたら、
カーボンブラシという
モーターに電気を供給する
パーツが焦げ付いたようだった。

メーカーに問い合わせたら、
ホームセンターから注文できる
との事だったので、
さっそく2組発注した。

メインの切断工具が
機能不全になってしまったので、
しばらくは、別の作業工程に
専従せねばである。

 



朝方は、出勤前の寝床で(笑)、
切り出したヘッド部分の
ペグ孔の位置取りをした。

リュートフォルテ用だが、
計算したら「9弦」が
最適幅となったので、
歴史上は珍しい
9コースの楽器になりそうだ。

明日からの
「私的五連休」中は
バンドソーなしで出来る
ベンディング(曲げ)作業や
完成した6本のヘッド&ネックの
研磨と下塗り(アマニ油)でも
やっておこうかと思っている。

***

おとついは
カミさんに誘われて
『蛇の鼻庭園』で
紅葉狩りをしてきたが、
ついでに文化財になっている
旧邸宅の彫刻や襖絵なぞも
鑑賞してきた。

かつて、
8年ほど在京していたので
「なんだか、
ちょうとした・・・
プチ京都の雰囲気だねい・・・」
と、二人して感心していた。

**

温泉マニアのカミさんも
初めてという
『大玉』温泉にも
寄ってみた。

露天こそなかったが、
近隣にある
『フォレスト・パーク』と同じく
ヌルリとした泉質だった。






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知ることと信じること

2023-09-20 08:57:53 | 信仰

きょうから
「私的五連休」である。

還暦をとっくに過ぎ、
「前期高齢者」入りしたので、
本来、悠々自適で
リタイアメント・ライフ
(隠居生活)できてたら
良かったのだが、
雀の涙の年金と
同様の貯金しかないので、
75歳までは頑張って働こうと
決めている。

75歳からが
「後期高齢者」になり、
SCの採用規定が
75歳までになっているので、
それまでは現役として
奉職させて頂きたいと
神様にもお願いしている。



きのうの朝刊では、
75歳以上が2000万人を超え、
65歳以上は30%弱になったという。

6人に一人が後期高齢者で、
約3人に一人が前期高齢者以上となる。

これで、少子化が加速しているから、
明らかに、日本という国は
衰退化している事がわかる。

この傾向は
先進国や一部の途上国でも
観られる現象なので、
人類そのものが衰退化している
と見てもよいのかもしれない。

*



きのうは
隣市のT中への出勤だったが、
32℃ほどの夏日で、
正午頃に、
一転俄かに掻き曇り、
突然の雷雨と強風の
荒れた天気になった。

普通学級の生徒たちは
騒ぐこともなく、
粛々と授業を聞いていたが、
支援学級の少数の生徒たちは、
みな窓辺に集まって
「うわ~ッ!!」
と、歓声をあげていた(笑)。

突然、暗くなって、
風がビュービュー吹いて、
窓ガラスに雨が打ちつけ、
雷鳴が轟いたら、
だれもが、ドキドキするか
ワクワクするのが
正直な反応だろう(笑)。

**



きのうは
カミさんが風邪気味だったせいか、
いつものように
ベント用のご飯を炊き忘れていて、
仕方なく、パンにオカズの
シャケを挟んで
パニーニにして持参した。

たまには、
こういった物も
目先が変わって良かったには
よかったが・・・(笑)。

冷蔵庫に
シャインマスカットがあったので、
デザートとして幾粒か
もいで詰め込んだ。

いつもYouTubeの
グルメサイトを見ながら
ランチしている。


**



きのうは
ODD(反抗挑戦性障害)の
『DSM5』の操作的診断基準を満たす
JCの予約が入っていたので、
即席に、チェック項目を
彼女たち世代の言葉に噛み砕いた
アセスメントシートをつくりあげた。

用意万端で待っていたら、
欠席キャンセルの連絡がきて、
アララ・・・と、
肩透かしを喰った気分だったが、
お陰でODDアセスシートが出来たので、
ま、いっか・・・とした。

**


数日前から
怪しかった腰の腫れを
朝方、手を回して自撮りしてみたら、
“オトコの乳首”状に膿んでたので、
あらまぁ・・・、またまた
アテローマ(粉瘤)だと、
ガッカリした。

それも、ちょうど、
来月の4日にオペ切除する
予定部位である。

あたかも、
早く取って下さいと
いわんばかりである・・・(😿)。

朝方、自分で排膿しようと
ティッシュを持って手を回したが、
ちょいと触っても激痛が走り、
とてもじゃないが、
自分で「腹切り」するのは無理だった(笑)。

皮膚科に行けば、
問答無用に摘まんだり、
注射針を刺されて
激痛を伴う処置がなされる。

それでも、自然に破れて
排膿するプロセスをたどるのを
何度も経験しているから、
今回はそれに任せた。

もう、8回くらいなっているので、
一度なぞ、入浴中に大きな袋が破れ、
浴槽の底に、内包物の
出来損なった薄い皮膚が
鱗のように積もったこともあった。

帰宅後、
カミさんに患部を接写してもらったら、
すこーし、破れかけていたので、
痛みは辛抱して、ティッシュに
いくらか自分で排膿した。

そしたら、
いくらか痛みも減じたが、
未だに、仰向けに寝て
床に当たると痛い。

皮膚科で抗生物質をもらうと
治りが早いのだが、
それも面倒だから、
あと二三日ガマンして、
前に処方された『ゲンタシン』を
塗布して、大判カットバンで
凌ごうと思っている。

**



きのうは
出勤前の朝の時間に
注文を請けていた製本の
仕上げをやった。

5冊の少数ロットなので、
完成して、今日、
お店に届ける予定である。

+++++++++++++++++++++

+++++++++++++++++++++

YouTubeの
スピリチュアル系のサイトも
いくつも視聴しているが、
時折、新しい発見をすることがある。

きのうは、
直接ではないが、
あるサイトを視ているうちに、
インスパイアされて
ふと思い浮かんだ事があった。

それは、
『魂理学』で
よく扱ってきた
「極性」問題についての
気づきである。

---

「点(・)」で表される
「0」次元は、
静的ではあるが、
そのままでは「無始無終」の状態を
維持したままである。

「線(-)」の「2」次元になると、
点がある方向に移動して
それが成立する。

すると、そこには必ずや
線分として、始点と終点が生じる。

それが、原始的な「二極性」の
成り立ちなのではないか・・・と、
考えた。

「点(・)」のみの「0」次元では、
現象は「何も始まらず、何も終わらない」。

ある意味、「点=0次元」は
相対のない「絶対存在」である。

敷衍すれば、
その静的な絶対存在からこそ、
相対的な「始点・終点」を持つ
動的な「1」次元が創生される。

宇宙の多くの物理現象で、
極性を持つものが多くある。

光と影
負の電荷(-)と正の電荷(+)
N極とS極
酸性とアルカリ性
男性と女性
生と死
静と動
…などなど。

世界は相対化されることで、
意識に感知されるように思う。

「カーナビ」では、
赤い三角印が自車を表すが、
それは、道路や建物といった
相対的な対象物の存在によって、
自らの位置が
定位・認識できるようになっている。

養老先生の名言に
「赤い三角印だけでは、
カーナビは成立しない」
というのがある。

このことは、
世界や宇宙、現象界は、
対象の存在によってこそ
成立していると言えるのである。

「神様はなぜ、宇宙や人間を作ったのか?」
という問いに、
「寂しかったから…」(笑)
という、子どもの
意味深な答えがあった。

人間中心原理的な
センチメンタルな
面白い理由だが、
案外、真実に近いのかもしれない(笑)。

「・」のみの静的な絶対存在だけでは、
「何も始まらず、何も終わらない」
無変化な状態が続くだけで、
さぞかし、ツマラナかろう(笑)。

**

極性の問題は、
なにゆえに、世の中に
「悪」が存在するのか…
という、エシカル(倫理的)な問いにも
関係してくる。

「悪」は「善の欠如である」なんて
トートロジカル(同義語反復的)な解釈を
神学ではしているが、
善があるゆえに、極性として
対極的な性質が生じた結果、
とする方がずっと解かりやすい。

そして、
おそらくは、善悪不二の状態が、
それらを包摂した「0次元の点」であり、
静的な絶対的存在なのだろう。

ゆえに、
「善悪」は動的なもので、
単純な二極性ではなく
スペクトラム(連続)的な性質も
有するのだろう。

それは、ちょうど
酸性とアルカリ性の間には
中性もあり、pH値にすると
「1~14」まで規定できるような事と
フラクタル(相似)的に
なっているのであろう。

数学的に言えば、
始点と終点の間の線分内には
「無限」の「点」が存在する。

***

近年、ハッブル宇宙望遠鏡の性能を凌ぐ
ジェイムス・ウェッブ宇宙望遠鏡が
打ち上げられ、人類が現在得られる
最高の解像度による宇宙像の解析により、
定説の『ビッグバン』理論に
そぐわない観察事実が発見された。

この100年間、
不動の地位を築いてきた
ビッグバン理論に
修正が必要になってきたのである。

ここにきて、
かつて否定された
フレッド・ホイルの『定常宇宙説』や
爆発・膨張・収縮・爆発を
繰りかえす『振動宇宙説』などの
「無始無終」説が
マルチバース説と共に
再度、机上に上がってきた。

 



金光教はじめ
世界の多くの宗教では、
【魂は生き通し】
【霊魂不滅】
【個的魂は集合的魂(神)の分霊化したもの】
という見方が多い。

この考え方を
知るか、信ずるか、
知らないか、信じないか、
の違いによって、
個人の自己実現や個性化の過程
という生き方は
大いに違ってくる筈である。

 

 

 

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震災短編『贖罪』7

2022-11-13 11:41:11 | 信仰

 

〈私は、罪深き、生存者です〉

 その一行を書き出すのに、圭子は誇張なしに数日を要した。

 そして、その後、激しい自責の念に捉われ、衝動的に、ペンで自分の甲を貫こうとした。
 だが、それは数ミリほど喰い込んだのみで、軽い出血だけで治まった。
 その生きている証(あかし)である痛みさえ、彼女にとって罪深い物だった。

 なんで、私が生きて、あのお婆さんは死んだの?
 自分は、あのお婆さんより若くて、未来があって、価値があるから?

(・・・・・・) 

 そんな自問の嵐が、彼女の心を責め立てていた。

 自分は、あの老婆を、足蹴にした…。 

 それは、まさしく、芥川 龍之介が描く処の『蜘蛛の糸』のカンダタその人の所業である。
 勧善懲悪の典型として、小学校の教科書にも出てくる話だ。 

 カンダタは「エゴイズム」の権化である。

(そうなのだ…。

 わたしは、カンダタ…なんだ。 

 自己保身のために、あのお婆さんを死に追いやった、エゴイストなんだ…)


  文学部を出、それなりの教養もある圭子は、自らの非人間的な振る舞いを恥じるには留まらず、死んでしまいたいほどの良心の呵責に苦しめられていた。

 九死に一生を得たのに、死んでしまいたい…というのは、まさに皮肉な話である。
 それと、断末魔の老婆の悲しげな目、恨みを抱いた目…が、消そうにも消せないイメージとして、彼女の人間性を蝕んでいた。

 

      

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