『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

米沢プチ旅行

2022-05-31 05:24:00 | 風景
月の第五週目と
月初めの休みが重なり、
今日から「私的七連休」である(笑)。

もっとも、
木曜日には杉妻会館での
「SC研修会」が入ってるが・・・。

金曜日には、
ソーちゃんの『棋聖戦』の
第一局が始まる。





今朝は、
どんよりとした雨雲が垂れ込んで
梅雨のような霧雨である。

今週一週間は
ほぼ雨降りのようなので、
どうやら梅雨に入ったようである。

庭の紫陽花の花芽も
膨らみはじめている。



きのうは
ピーカンの晴れ日で、
カミさんが「土曜学級」の
代休日だったので、
先々月、ミツオ叔父さんを亡くした
ミッちゃん叔母ちゃんを誘って、
郊外にオープンした
『道の駅ふくしま』に寄ってから
米沢まで高速で出かけてきた。

オープンしたてで、
休日は駐車場も満車で
レジには長蛇の列と聞いたので、
平日の開店時間9時半に到着するよう
出向いたが、それでも、
駐車場はほぼ満車に近く、
レジもまた長打の列であった。

朝食がわりに
『ラーメンよしだ』のおばちゃんが
作ったという「おはぎ」と、
韓国料理店の春雨餃子と、
おやつに麦煎餅を買った。





米沢には、
祖母の実家である
「音羽屋」という旅館があったが、
父の従弟になる当主も亡くなり、
旅館も廃業して平地になっている。

亡き父は
その旅館に下宿して、
名門の興譲館高校と
山大工学部に
七年間通っていたので、
従弟のクニちゃんとは兄弟同様の仲で、
自分たち家族も何度も
旅館に泊まっている。

そこから
歩いて行ける近所に
上杉神社があり、
自分も幼少期には
ハトコたちと遊んでいるのだが、
きのうはさっぱりデジャヴュ感覚は
感じられなかった(笑)。

80歳になった叔母も
ちょいちょい祖母を伴って
音羽屋を訪れていたので、
上杉神社や立泉寺のことを
よく覚えていた。







祖母の叔父には
大橋乙羽(おとわ/ペンネーム)という
マイナーな文学者がいて、
ウィキペディアにも載っている。

尾崎紅葉が率いる
「硯友社」という文学結社に入り、
後に、当時、最大の出版社「博文館」に
娘婿養子となって、
樋口一葉をデビューさせたり、
尾崎紅葉らを担当した、
日本の近代文学における
編集者の先駆者とされている。

当人も、
小節『花鳥集』『若菜籠』や
紀行文集『千山万水』などを
記している。

亡き父とも血続きなので、
やはり、どこか、目元に
父に似た面影がある。

当然、自分とも血続きなので、
ブロガーの自分が
文章を編んだり、
自著を作ったりするのが好きなのも
若干の血のなせる業かもしれない(笑)。





境内は
古木や苔が美しく、
それに見とれていたら、
健脚のカミさんが
ひとり小高い処にあった墓碑から
降りてくるところだった(笑)。

古めかしい境内のたたずまいは
どこか京都らしい感じが
しないでもなかった。








上杉鷹山は、
【為せば成る】
の箴言を家訓とした
名大名だった。











戦国時代から
江戸時代前期にかけての武将・
直江 兼続(なおえ かねつぐ)は、
米沢藩(主君 上杉景勝)の家老だった。

大河ドラマでも
「愛」の字を兜につけた姿で
一躍有名になった。

地元には
「かねたん」なる
マスコット・キャラクターもある(笑)。







大正元年に作られた
巨大石灯篭には
十二支のレリーフが刻まれており、
面白く鑑賞できた。








音羽屋から
歩いて数分の処に、
名物の「酒饅頭」を商う、
『岩倉』がある。

幼少期から、
よくこの饅頭を食べてたので、
なつかしく思い、
立ち寄ってみた。

齢80を過ぎる老婆が
店守りをしていたが、
潰れた音羽屋の親戚だと告げると、
一瞬、目の色が変わり、
饒舌になった。

1ケ90円の饅頭のみで、
70年以上も続いてる。







温泉マニアのカミさんが
ネットで調べ上げた
「白布温泉」まで
米沢市内から足を延ばした。

最上川の源流という
渓谷を眼下に望む
露天風呂に浴してきたが、
奥まった秘湯であったので、
他客は誰もいずノンビリできた。







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足かぶれ

2022-05-30 07:51:00 | 健康

おとついに
近所の野っ原に
野生のアスパラを採りに行ったら、
草深い中を短パンで入ったため、
この時季、生命力の強い夏草に触れて
皮膚が負けてしまい、
両足ともかぶれてしまった。

きのうは
さすがに痒みに耐えかねて
ムシ刺され用の痒み止めを
カミさんに買ってきてもらったが、
効き目が今一つで、
ゆんべも痒みで眠りを
妨げられた。

かぶれとは
関係のない背中まで
痒みが転移してしまい、
全身アレルギー症状になったので、
花粉症用のアレグラを呑んでいる。





接触性皮膚炎なのだろうが、
こんなにひどくかぶれたのは
初めてである。

子どもの頃は、
アトピー性皮膚炎があって、
掻けばかくほど
痛痒さが増して
腫れてしまったのを思い出した。








市販の鎮痛痒剤が
効かなければ、
いよいよ皮膚科に行かねばである。

いきつけの医院が、
待合室が狭くて、
その上いつもビッシリで
1時間待ちが常態化してるので、
この時節柄、行くのは躊躇われる。







長引くコロナ禍の影響で、
マスクを外せなくなった生徒たちが
出てきていると、
今朝の朝刊にあった。

「顔パンツ」という
珍妙な若者言葉もあるらしい(笑)。

互いにマスクをしたまま
新入生時代から過ごしているので、
初めてマスクを外して対面した時、
「そんな顔だったのか~」
という一言に
微妙に傷つく子がいるらしい。

たしかに、
中一からマスクをしたまま
中三までカウンセリングをしていると
どんな素顔なのか判らない
という子もいる。

なので、
ご新規さんに、
「いっかい、マスク外して
お顔を見せてくれる?」
ってお願いしているが、
やはり、中には
頑として拒否るJCもいる。

それが、
「顔パンツ」だから、
それを脱ぐ羞恥心に近いものがある、
という事だったと今朝知った。





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カディスに捧げる哀歌

2022-05-29 09:05:00 | ギター
きのうは、
午前と夜に
カウンセリング仕事があったが、
午後にはちょいと散歩に出て、
近所の野っ原で
アスパラを摘んできた。





4ケ所ほどに
株が成長していたが、
ほどよい可食のものは
2本きりだった。

しかも、
短パンのまんま
草ボウボウの中に入り込んだので、
帰って来てから、
両足の膝から下が
切れてたり、かぶれてたりして
夜中に痒みに襲われて
目が覚めるほどだった。

軟膏を塗っても
痒みが治まらず、
掻いているうちに
段々と赤く腫れてきて
痛痒くなってきたので、
仕方なく抗アレルギー薬と
痛み止めを服用したら、
1時間ほどで治まってくれた。

おかげで、
今朝は寝不足なので、
午後には寝落ちしそうである(笑)。

今日は30℃の予報なので、
クーラー稼動させなっきゃである。





夕方には、
摘んできたアスパラと
庭に生えてる
フェンネル、オレガノ、
山椒、サクランボなぞを
お惣菜のチキンカツと
半月盆に盛ってみた。

夏向きのギヤマンのぐい呑みは、
クライエントであるY君が
ガラス工房で創ったものである。







お昼の"ぼっちフレンチ"には
牛ランプ肉を
ニンニクや甜麵醤をのっけて
グリルで焼いてみた。

自家製の
バジルオイルも
添えてみた。









家の書室にも
筆ペンは何種かあり、
その腰の強さから、
狸の毛による本物の筆よりも
描きやすく、そっちを
多く愛用している。

作品創り以外では、
墨は磨らずに、
もっぱら特濃の墨液を
用いている。








毎週土曜の10時から、
意識研究家のエハンさんが、
カナダの自宅から
『シンクロニシティ・ニュース』
というのを日本語で生配信しており、
欠かさず視聴している。

きのうは、
世界が混沌に向かっている、
というので「カオス」が
テーマだったが、
そこで、ユンギャン(ユング派)には
馴染みのある「ウロボロス」が
登場した。








蛇や竜が
自分の尻尾を呑み込んでいる図を
「ウロボロス」と言うが、
紀元前5000年前から
存在しているという。

それは、多義的な象徴を意味し、
死と再生、不死、永遠性、
護るもの、自己信頼、
統一性、一にして全・・・
などなど。

夢分析や箱庭療法では、
「円」や「丸」は
『曼荼羅』の現われとも
解釈されるが、同時に、
このウロボロス的状況かどうか、
ということも
セラピストやアナリストは
検討するのである。

数学で用いられる
無限の記号『∞』も
紀元前からウロボロスの
ヴァリエーションとして
「永遠性」を現わすものとして
描かれていた。
















Facebookでは、
『リュート・マラソン』という
コンセプトで、毎日、
演奏を一曲アップしている。

きのうは、
丸一日、研修に費やして、
まだ、録音も録画もしたことのない
パコ・デ・ルシアの名曲
『カディスに捧げる哀歌』
という超渋い曲を
5、6回撮り直ししながらも
やっとアップした。

これは、
自分が中1の頃、
初めて聴いて衝撃を受けた
パコの二十歳のデヴューアルバムの
レコードに収められていた一曲である。

若い頃は、
その深さ、渋さが理解できなかったが、
後年、その良さが解ってきて、
自分の楽しみとして
ひとり弾きしては悦に入っていた。

こんな曲を
19歳にして完成して
デヴューアルバムに入れた
パコも不出生の「大天才」というよりない。

さすがに、
本家本元のようには
キレよく、スピーディーには
弾けないが、それでも、
曲の佳さ、フラメンコ特有の
ホンド(深み)はよく理解できる。



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ママ愛

2022-05-28 07:25:00 | 家族
今週は、七日間、
働きずくめで、
来週の月曜日からは
一日だけ「SC研修会」があるが、
あと七日間はオフ日という
変則の月末から月初めとなる。

仕事が続いていたせいで
「プチうつ」も
少しマシになり、
すこし意欲も復活してきた。







ゆんべは
大阪のミカちゃんから、
リク坊の誕生日カードが
子ども園から返ってきた、
というのでシェアしてくれた。

自分も、
ダンゴ三兄弟の園児の頃は、
毎日、連絡帳担当だったので、
当時の様子を記録したものが
数冊も保管してある。

今度のオフ日にでも、
また紐解いて、
いくつかブログにも
転載しようかと思いついた。

まだ、"イクメン"なんてのが
流行ってもいなかったが、
社会人から大学院生になった
37歳の頃は、まさに、
フミが5歳でアキが1歳という
育児盛りだった。

それから3年して、
ナッちゃんが生まれたので、
三人の朝のオムツ交換と
園への送りは
足掛け12年もやった。







ママの愛情たっぷりの
メッセージカード通りの動画が
いつも送られてくるので、
ほんに、リク坊は幸せである。

ジイジ、バアバにも
負けず劣らず
愛されているしね・・・(笑)。


リクボウ~ッ ! ε=ε=ε=ヾ(*。>◇<)ノ






朝刊の全面広告に
ユーキャンの
『モタさん(斎藤茂太)』の
講演CDが、31.680円とあり、
(そーいや、
セコハン店にあったなぁ・・・)
と、昨日のぞきにいったら、
カセットテープだったが
同じセットが750円だったので、
買ってきた。

一年中、
脱衣場に置いてる
カセットデッキで
落語を聞きながら
湯浴みしてるので、
今日からモタさんの
一人語りを聴いて
雑学ネタにしたいと思う。








きのうは
プチ断食するつもりだったが、
鬱っぽいので、
ある程度は喰っておいたほうが
よかろうと思って、
大豆、アーモンド、バナナ、
ブロッコリー・スプラウト・・・と、
牛赤身のステーキだけにした。

冷蔵庫に
酢味噌の小袋があったので、
それでやってみたが、
なかなか舌先が変化して
面白かった。







金曜の夕方に放映される
『キンゴジ』を録画予約してあり、
一週間に一度は、
東京局から大阪局に転勤になった
マイ・マドンナ「アサちゃん」の
ご尊顔を拝している。

92年生まれなので
ちょうど30歳になったばかりだが、
ハイヴィジョンの大画面に
アップで映ると、
さすがに、顔の小さなシミやら
ソバカスもどきが見えて、
マイ女神様も
生身の人間なんだなぁ・・・
と、思ってしまった(笑)。

それでも、
その姿とイケヴォには
魅了されている。








街出をするたびに、
あちこちの看板やら
通り名を撮っては
「書」の手本としている。

最近、見た
「組」と「通」の字が
真逆のパースペクティブになってて、
その延長上にヴァニシング・ポイント
(消失点)が感じられた。








『リュート・マラソン』を初めてから、
来月の7日で4ケ月となる。

ギター、リュート、音楽
の事とはいえ、
よく飽きもせず続いてるのに、
我ながら感心もしている。

もっとも、
"ぼっちフレンチ"で撮影した
料理数も裕に200を超えてるが・・・(笑)。

何事も、
飽きずに続けていると
【継続は力なり】
で、その特技の力が
ひしひしと付いてくるものである。

ことに「譜読み」は、
数を熟せばこなしただけ、
読譜力がついてくる。

初見の曲でも、
そこにどんな物語が描かれているのか、
作曲家は何を表現したかったのかが、
段々と解ってくるものである。

これは、小説を読んだり、
絵画を見て、感じたり、
読み取ったりする作業にも
通ずるものがある。

ただし、
「読解力」イコール「表現力」
ではないので、
必ずしも、自分が感じ理解したように
演奏で表現できるわけではない。

そこには、
技術や集中力と
繰り返しの稽古が要る。

それでも、
汲み取った事の100%を
表現できることは稀である。

マエストロ小澤が、
超一流の演奏家たちを率いて、
最高のパフォーマンスを出来た
と思った時でも、
「さらにまだ上がある」
ことを感じる、と言っていた。

それは、
おそらく、完璧、天衣無縫の
神の領域なのかもしれない。

変な喩えだが、
ある種の曲は、
譜面として存在しているだけで
完結しているような気もする。

本来は、奏でられてこそ
音楽の意義や価値があるが、
演奏という行為は、
ニンゲンのやることだから
必ずしも「完成された楽譜」を
100%表現できるとは限らない。

それは、
キャンバスは白いままが
いちばん美しく、
絵画とはそれを絵具で
汚していく作業である、
ということにも似ている。

それゆえに、
時折は、楽器を置いて、
譜面と全身全霊で対峙し、
黙読することがある。

そうすると、
脳内の「神の楽器」が
まさしく「神業」で
完璧に譜面を再現して
脳内に響かせてくれるのである。

そして、
それに酔って、
いざ、楽器を手にすると
その神々しい美しさは
己れの未熟な心技体で
穢されてしまい
ゲンナリし落胆したりする。

まさに、
「真の美」も深淵にして
人の及ばざるものなのかもしれない。





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父と子

2022-05-27 10:17:00 | 家族
きょうはオフ日だが、
一日、大雨の予報である。

勤務日の翌日は、
休養を意図して
ダラダラと過ごすことにしている。

今朝も、
いちど6時に目覚めて、
朝刊を読んでから、
また、二度寝してしまった。

この処、
体重が増え気味なので、
今日明日はプチ断食しようと、
朝から水分以外
固形物を摂取していない。

飢餓感が襲ってきた時、
はたして食欲を克服できるか・・・(笑)。






昨晩、大阪のミカちゃんから
リク坊の動画と写真が
送られてきて、
その成長ぶりと可愛らしさに
カミさんと目を細めていた。






フミが同じ年ごろに、
よく連れて行っていた
京都の宝ヶ池公園に
行ってきたようである。

カミさんは、
写真を見て
懐かしそうにしていた。

そこに、33歳になった息子が
2歳の孫と戯れているのを見て、
なんだか不思議な感じもした。









この写真とそっくりなのが
我が家のアルバムにもある。

父と子の
スキンシップと
心のつながりの大切さを
こういう写真から
つくづくと感じるものである。

それがなかったがゆえに、
辛い子ども時代に苦しむ生徒たちを
数多く見ている。

長じては、
社交不安障害になったり、
反社会性パーソナリティ障害になって
「自傷他害」事件を起こすケースに
発展する事もある。

母性愛と父性愛は
クルマの両輪なのである。









T中への通勤路で
『陣屋通り』の街路樹が
早緑で爽やかであった。

その字体にも趣きがあり、
通りの入り口に
マッチしていた。





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