『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

あ゛~!!

2017-07-31 08:04:00 | ノンジャンル
やっちまった…。

前日にアマゾンから届いた
CDケースを階段に仮置きしていたら、
今朝方、階下に降りるとき
お盆で足元が見えず、
それに躓いて
大事なカップを粉々に
割ってしまった。



昨日から、
二階に持ち上がろうと
何度も思っていたのに、
ま、明日でいいや…と、
横着心を起こしたのが
この始末である。

破片を片付けるときに
指先を切って
怪我までしてしまった。

まさに、
踏んだり蹴ったりである。

来週の日曜に
サマーコンサートで
ギターを弾かなきゃならないのに…。

三十代の終わり頃、
カミさんと京都に赴いて
浄瑠璃寺山門の陶器店で
購入したお気に入りの
信楽の焼〆碗だった。

受け皿だけが残ったので
これからは第二の人生で
料理を盛って使ってやろうか
とも思った。

夏休みでヒマなので、
破片を3Dパズルだと思って
また金継にでもしてみよか
とも考えた。




3.11の時、
これまた大事な登窯製の
平清水焼の花入が
粉々になったので
泣く泣くもらい物の金継セットで
手当てを施した。

水漏れも防げたので
金継痕はひとつの景色として
その侘びを愛でることもできる。

コーヒーカップも
水漏れが防げなかったら
中にぐい呑でも忍ばせて
花入にでも転用すれば
茶道の心得でもある
「一器四用」になろう。






大学時代の同級生Nさんから
ご主人が書かれたご著書を
贈って頂いた。

MD(メディカル・ドクター)で
脳科学者の見地から、
ヒトの「origin」を描いた野心作で
一読して感激した。

アマゾンでのレヴュー評価も高く
発刊半年で3刷で、
読者全員から5つ星評価を得ている。

エビデンス・ベーストのない
スピリチュアル系ロジックの対極をいく
真っ当な「Scientific truth」の集積により
「創発主義的一元論」という瞠目すべき
自論に到達している。

創発(emergence)という、
部分の性質の単純な総和に留まらない性質が
全体として現れる現象は、
生物学的に重要なキー・コンセプトである。

心理臨床でも
ブリーフセラピーには、
局所的な複数の相互作用が
複雑に組織化することで、
個別の要素の振る舞いからは
予測できないようなシステムが構成される
というシステム理論が応用されている。



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お返し

2017-07-30 06:20:00 | ノンジャンル
お中元を頂いた方々に
お返しするのに
リサイタルのCDを増産した。

長らく
CDコピー専用に使っていたサブPCが
ちょいちょいエラーが出るようになり、
メインPCで製作するようになった。



プリンターも
製本用に2台あるが、
CD印刷やラベル印刷で
両方使い分けている。

プラケースも
今週中に100枚届くので、
夏休み中に、
来年のリサイタルの頒布用に
ちまちまと増産していきたい。

それまで、販売できる
講演かミニコンサートの
仕事依頼があるといいのだが。




毎月、
老母の介護ホームから
「たより」が届く。

健康管理シートでは、
掛り付けクリニックの検査で
慢性的な腸閉塞と診断され、
大丈夫かいな、と懸念された。

今のところ、
便秘のみの症状のようだが。

脳溢血で入院中から
たびたび気分が変動するというので、
非定型精神病薬で
ムード・スタビライザーでもある
「セロクエル」のジェネリックも
処方されている。

学校臨床でも
MDI(双極性障害/躁鬱病)や
Schizo(統合失調症)の生徒で
よくお目にかかる薬である。

去年、
8月末に倒れて
救急搬送、長期入院、リハビリから
ずっと老母の服薬カルテの
管理をしている。





「たより」の中に
毎回、スナップが載っており
元気な姿が垣間見れる。

もっとも、
歩いて5分の近所なので
時々は、カミさんと
訪問しているが。

永年のキャリア・ウーマンで
年金をしっかりと
払っていてくれたおかげで、
高額な施設費用も
毎月拠出できている。


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梅雨の戻り

2017-07-29 08:09:00 | 仕事
ここ数日、
梅雨が戻ったように
雨の日が続いている。

まだ、
東北は梅雨明けしていないので
8月の本格的な猛暑を前に、
涼しい夜で快眠を得て
体調を整えておきたい。



今日は、
カウンセリングの
ご予約が二組あるので、
床をモップがけして
窓ガラスを拭いた。

ご新規さんでなく、
常連さんなので、
お待ちするのに
緊張感がなくて助かる。

やはり、
何十年やっていても
ご新規さんは緊張するし、
初日にすっぽかしの
ドテキャンされて
頭にきたこともある。





ここ数日は、
毎日、ブルックナーの
交響曲を9番から0番に向かって
逆順に聴いている。

独特の弦のトレモロによる
「ブルックナー開始」や
「ゲネラル・パウゼ(全体休止)」
などブルックナーの特徴が
各曲に聴かれる。

また、緩徐楽章では
ヨーロッパの深い森を想わす
神秘的で荘厳な厚みのある響きが
なんとも言えぬ魅力である。

30代の頃、
CDとレコードの双方で
全10曲をコレクトして、
節目節目に通して聴いている。





今年のリサイタルの
CDを製作しているうちに
ケースの在庫が切れ、
アマゾンに注文した。

これまで、
100枚単位で
5、6たび注文しているので、
すでに5、600枚が
人手に渡ったことになる。

今日も、
お中元を頂いた
ドクターと元同僚に
CDとDVDと礼状をお送りするのに
朝から、ラベル印刷やら
パッキング作業をしている。







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口に福あり

2017-07-28 07:58:00 | 風景
連日の猛暑日も
いいあんばいに途切れ、
梅雨の戻りで
涼しげになって
過ごしやすくしている。



先日の
叔父の会葬御礼カードに
従妹のミキの
心のこもった小文が
載っていて
しみじみと読んだ。

千葉から帰省した兄が
帰りしなにポツリと
「これから、葬儀ラッシュになるな・・・」
と言ったのを聞いて、
齢80を超えた叔父・叔母たちの
ことを考えると、
さもありなん、と思った。

既に、四祖父母・父、
叔父・叔母の七人が
鬼籍となった。

かつて、
「死」というゾーンの前に
衝立かバリアのようにあった
年長の親族が次々と亡くなってくると、
その障壁が一つひとつ除かれて、
自分の前に「死」が迫ってくる
感覚を覚えた。

子どもの時、
重症の喘息で
肺炎もたびたび併発し
呼吸困難で酸素のテントの中から
世界を見つめていたので、
「死」というものを恐れ、
それを考えない日はなかった。

後年、
生物学や心理学、
宗教学、宇宙論に興味を抱いたのも、
「死」とは何ぞや、
「命」「存在」「意識」とは何ぞや、
という根源的な問いの
答えを知りたいという
欲求からである。

今は、
魂理学という独自の
学際的なポップ学問を打ちたて、
これらの根源的問いの
還暦の時点で得られた知見を
平易に伝わるように
一書に纏めている。




夕刻の駅前で
はじめて
ムクドリの大群が
空一面に飛び交うのを
目撃した。

まるで、ヒッチコックの
『鳥』の一シーンのようで、
不気味ですらあった。

一群が真上を飛び去るときは、
落し物のフン爆弾を
浴びせられるのではないかと
ヒヤヒヤしたが、
幸いにも無事だった。

ただ、
連れの車には
案の定、何箇所にも
白いスポットが炸裂していた。

***

昨日の朝方、
長らく懇意にしている
C先生から電話があり、
午後から近所に所用で赴くので、
夜、会食できないかという打診だった。

長い付き合いなので、
すっかり、こっちを
見通しており、
「夏休みで、ヒマで困ってるんでしょ」
と言うから
「そうなのよ。
 ヒマで、ヒマで、
 どうしようかしらんと
 思ってたところですわ」
ということで、
会食の段取りとなった。

C先生とは、
F高、O高、教育センターとで
一緒になり、長らく
相談部のコーディネーターを
担当して頂き、
永年のグルメ仲間でもある。

毎年、
『復興支援リサイタル』にも
来て頂き、いろいろと
ご支援も頂いてきた。

数年前に
お母様を亡くされた時には、
我が家にカウンセリングに
来られたこともある。

この春、
指導主事から教頭になられたので
多忙を極めているとのことだった。

大手術も無事乗り越え、
激務でスリムになって、
一段と美熟女になられていた。

「先生のヒマを
 買取りたいくらいです」
というほどに
マジに忙しいらしい。

お知り合いの
O高の女性教頭先生も交えての
楽しい会食を
夜の10時までしていた。




C先生からは
モロゾフのシャーベットを
頂戴した。

夕方には、
お向かいさんから
リサイタルCDのお礼にと
ビールを頂いたり、
おとといは桃が届いたり、
接骨院からはスイカを頂いたり…と、
ここの所、連日、
我が家に食べ物が舞い込んでくる。

思い当たることは、
叔母さんち通いしていた時に、
従妹のミキティと娘のチーちゃんに
ラーメンを奢ってやったが、
その時は財布に7.000円しか
入っていなかった。

ミキにも冗談で、
「超ボンビーで、財布んなか、カラッポよ」
と開けて見せた(笑)。

ここ数年のライフ・モットーに
「くれない族」にだけは
ならないようにしよう、
と決めて実行している。

「あーしてくれない」とか
「こーしてくれない」と
不平不満を言う人間にはなるまい、
人様に何も「くれない」人にはなるまい、
ということで、我がシステムノートには
「一日一与」として、
実践したら「与」マークを記している。

気のせいか、
「与」マークが増えるにつれ、
いろんな頂き物が
次々と舞い込んでくるようになった。

これは、
ニュートンの第三法則でもある
「作用・反作用」の
法則なのかもしれない。

大学時代に、
興味本位で
「カバラ占星術」というのを
読んでいたら、
「金曜日生まれは、一生に喰うに困らない」
とあり、
「ほー。そうなんだ」
と感心したことがある。

実際に、その後、
食に困ったことは一度もないから、
まんざらウソではないのかもしれない。

もっとも、
飽食の時代で、
今の日本で餓死したら
それこそニュースになるだろう。

でも、格差社会化し、
貧困は確実に広まっているし、
その家庭の食糧事情に
心が痛むような生徒もいる。

飽食、美食に
甘んじている自分に
時折、忸怩たる思いを
することがある。

この夏休みには、
プチ断食でもしてみようか、
とも考えている。









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お心遣い

2017-07-27 08:05:00 | 風景
告別式で頂いてきた花を
手篭に活けて
玄関の室礼として
添えてみた。



軸には
アキの中学時代の
美術作品を
色紙に表具してみた。

庭の紫陽花たちは
空梅雨と猛暑で
花が茶色になってしまい、
日陰の咲き始めのものが
一輪だけ生気を保っていた。

図らずも
珍しく“花尽くし”の
室礼になった。

「立礼(りゅうれい)」
という椅子に座ったお茶席で
このような室礼を見たことがある。





金光大阪時代の元同僚だった
養教の羽ちゃんから
3.11以来、毎年、
この時季になると
高価な和歌山の白桃が
贈られてくる。

福島は岡山に次いで
桃の名産地なのに
桃を贈って頂いて
不思議な気持ちだ・・・と、
当初はお礼の電話口で
笑い話になっていた。

でも、3.11直後は
原発事故による放射能汚染で
桃は収穫できなかったので、
その時に贈って頂いたから、
有難味がある。

去年は久しぶりに
金光大阪に講演で招聘され、
羽ちゃんとも再会できて
嬉しかった。

「私が退職するまで贈るからね」
と仰って下さり、
私個人のみならず、
福島への彼女なりの復興支援に
一本筋が通っていて
大したものだと
リスペクト心を抱いている。

元同僚で
赤穂在住のギター弟子
ガッちゃんも、
未だに、折々に
さまざまな支援物資を
贈ってくださり、
その真心を有り難く感じている。

彼女とも、
去年、久しぶりに再会でき、
元気な姿を拝し、
歓談もできて幸せであった。

3.11は悲惨な体験であったが、
まさに
「ふたつわるいこと さてないものよ」
である。






定期的に近所のツタヤの
レンタル・コミックのコーナーを
のぞいては、新刊をチェックしている。

一日60円で借りれるので、
毎月、何冊かずつ
借りては楽しんでいる。

『へうげもの』
『学生 島耕作』
『いぶり暮らし』
『宇宙兄弟』
の最新刊と
既読の
『山賊ダイアリー』
の初巻を借りて午睡前に
楽しんだ。

***

叔父さんが亡くなってから
寡婦となった叔母さんの処に
一週間、毎日通っ
て線香をあげては、
思い出話で偲んでいた。

別段カウンセラーであることを
意識してのことではないが、
なんとなく遺族の慰問に
毎日、訪れているような
ことをしていた。

それだけ、
親族間の身内意識、
相互扶助の思いが
強いのかもしれない。

亡くなった当日に
駆けつけたときには、
枕経の後、スーパーに
買出しに行った惣菜類での
通夜振る舞いとなった。

故人のために
ひと箸なりとも摂りあげる
というのが供養になるので、
アルコールも入り小宴となった。

夜が更けるにつれ、
叔父、叔母たちも
三々五々帰宅にかかり、
さて自分も引き上げるかと
腰を上げたら
皆より遅れてやってきた叔父が
「なんだ。
おめぇ、本家だべ。
早く帰るやつ、あっか」
と窘められた。

言われてみて、
あ、そーなんだぁ・・・と、
思わされた。

半分は冗談なのだが、
亡き父の弟で
信用金庫の理事長まで勤めた人なので
「筋」とかにはうるさく、
それでいて冗談好きなので、
そのひと言で
(本家代表かぁ・・・)
と帰りそびれてしまった。

たしかに、
父親は長兄で祖父母とも
暮らしていたし、
先祖代々の位牌が収まった
仏壇もあった。
(今は、金光教に改宗したが)

兄が千葉にいて、
自分が実家を継いだので、
いちおうは本家代表になるんだ、
と、この時に
再認識させられた。






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