ソーちゃんが
昨日の竜王戦の
挑戦者決定戦を勝ち抜き、
初めてのビッグタイトルへの
挑戦権を得た。
相手は、またトヨピーである(笑)。
なので、
王位戦、叡王戦と続いて、
ウソみたいな
十九番勝負となった。
既に王位戦は
4-1で防衛し、
来週の13日は
2-2で迎えた叡王戦の
決着がつく。
タイトル奪取できれば
「三冠」達成である。
そして、その勢いで、
同じ竜王タイトル保持者の
トヨピーからも
「四冠」目を奪える可能性大である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/a3/443f4c0d886a3a9d6182031d673998f2.jpg)
今朝の朝刊には
「令和最強」という
コピーを初めてみた。
そして、
全タイトル制覇をしそうである、
という森下九段のコメントや、
「現在の最強」という
渡辺名人のコメントもあった。
トヨピーは
「特別の才能」と表現して
畏怖している様子である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/17/76478b299062a8f03c365c705c4c905e.jpg)
こんなパンデミックに
憂える世の中だから、
ソーちゃんの活躍は
国民に「こころの抗体」を
与えてくれているような気もする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/8e/1f446019a9d406be5f6e0ca80906bece.jpg)
夏休み明けで
ひと月ぶりに
K中に出勤した。
この間に
地震が何度もあったので、
絵が傾いていたり
落下しているのもあった。
3.11来、
数千回もの余震が
日常的にあるので、
「ウィズ・コロナ」
と共に
「ウィズ・アースクェイク」
でもあり、
「ウィズ・ラディエーション」
(放射線)である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/8e/6f99367e35defd31b00f820f1a67a878.jpg)
相変わらずのボンビーなので、
ガタがきたタッパーの弁当箱を
ダイソーで買い替えた。
そんでも、
110円で3年近くも
持ってくれたので、
ボンビー・ライフには
「100均」様様である(笑)。
きのうは、
マメに朝っぱらから
イカ飯を作った。
いつもは
野菜と玉子焼きオンリーなので、
さすがにご飯物は
弁当らしいガッツリ感があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/23/910494a0d8f8f932dde86099da63d98e.jpg)
玄関前に一輪咲いた
野生の百合ちゃんが、
帰宅を出迎えてくれるので、
すこぶる気分がいい。
今朝も夜明け前の
4時頃にゴミ出しに行くのに、
「おはよー。
ユリちゃん」
と声かけした。
あと数日で
はかなく朽ち果てるまで
愛でてあげようと
擬人化して観ている。
*********
『魂理学試論』1
「はじめに」
夏休みに『名人を超える』という「ファンタジック・リアリティ」小説を48日間で書き上げたので、次の創作テーマとして、ブログ内でさんざん書き散らしてきた事だが、学際的アプローチによる「意識論」を総括してみたいと考えた。
ここ十年くらい、年に二冊の本を創る、というのを自分に課しているので、今年度は、『夢十夜の深層分析』『名人を超える』に続き三冊目である。
量産出来る時は、やれるに越した事はない(笑)。
誰にも頼まれもせず、読まれもせず、買われもしなくとも、自分の為の「自学的創作活動
」なので、「楽しい」という事と「満足する」ということが主眼である。
自主的にする勉強と研究ほど、安上がりで一生楽しめるものは他にはない。
「たましいは生き通し」
『魂理学』というのは、「心理学」が「こころ」の「ことわり」を学ぶものであれば、「たましい」についての「ことわり」を意味する造語である。
「たましい」とは、およそ、科学的思考の俎上には上がらない概念だが、「愛」と同様に、これほど多く人口に膾炙される語もない。
【多くの者が愛について語るが
まだ誰もそれを見たものはいない】
という箴言があるが、それを【たましい】と代えてもいいだろう。
さて、何の前振りもなしに、いきなり「断言」あるいは「定理」とするが、とりあえず「霊魂不滅」説を魂理学的立場では採用している。
それは、古今東西の宗教が説く処である。
金光教祖は、自らが神様に連れられて神界・霊界を三日間つぶさに見るという神秘体験をしておられ、そして
「たましいは生き通しである」
と仰った。
『教典』にある教祖の事跡には、シンクロニシティック(共時的)な奇跡がいくつも出てくる。
当時は、それを「霊験あらたか」と表現された。
今回、「霊験」を初めて英語で調べてみた。
そしたら、「miraculous efficacy」とか「miraculous virtue」というようだ。
「霊験あらたかな」は「wonder‐working」
「霊験あらたかな人」は「a person who performs miracles」
「その神様は霊験あらたかであるというので評判だ」は「The god is renowned for his ability to fulfill the wishes of worshippers」
「たましいは生き通しである」というのを三十代頃に認識してから、不惑の四十代以降、本質的な事に注目していると、些末な事に心が乱されるという事が少なくなった。
現下のコロナ禍でも、過去・現在・未来と無限に「生き通している魂」が個性化して、意識して、体験している「現象」に過ぎない、と考えれば、「実存するものは脅かすことが出来ない」という金言が至当なものに思えてくる。
これは、現象に対してフェーズ(相)やディメンション(次元)を変えて観察し認識する事でもあるのである。
昨日の竜王戦の
挑戦者決定戦を勝ち抜き、
初めてのビッグタイトルへの
挑戦権を得た。
相手は、またトヨピーである(笑)。
なので、
王位戦、叡王戦と続いて、
ウソみたいな
十九番勝負となった。
既に王位戦は
4-1で防衛し、
来週の13日は
2-2で迎えた叡王戦の
決着がつく。
タイトル奪取できれば
「三冠」達成である。
そして、その勢いで、
同じ竜王タイトル保持者の
トヨピーからも
「四冠」目を奪える可能性大である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/a3/443f4c0d886a3a9d6182031d673998f2.jpg)
今朝の朝刊には
「令和最強」という
コピーを初めてみた。
そして、
全タイトル制覇をしそうである、
という森下九段のコメントや、
「現在の最強」という
渡辺名人のコメントもあった。
トヨピーは
「特別の才能」と表現して
畏怖している様子である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/17/76478b299062a8f03c365c705c4c905e.jpg)
こんなパンデミックに
憂える世の中だから、
ソーちゃんの活躍は
国民に「こころの抗体」を
与えてくれているような気もする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/8e/1f446019a9d406be5f6e0ca80906bece.jpg)
夏休み明けで
ひと月ぶりに
K中に出勤した。
この間に
地震が何度もあったので、
絵が傾いていたり
落下しているのもあった。
3.11来、
数千回もの余震が
日常的にあるので、
「ウィズ・コロナ」
と共に
「ウィズ・アースクェイク」
でもあり、
「ウィズ・ラディエーション」
(放射線)である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/8e/6f99367e35defd31b00f820f1a67a878.jpg)
相変わらずのボンビーなので、
ガタがきたタッパーの弁当箱を
ダイソーで買い替えた。
そんでも、
110円で3年近くも
持ってくれたので、
ボンビー・ライフには
「100均」様様である(笑)。
きのうは、
マメに朝っぱらから
イカ飯を作った。
いつもは
野菜と玉子焼きオンリーなので、
さすがにご飯物は
弁当らしいガッツリ感があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/23/910494a0d8f8f932dde86099da63d98e.jpg)
玄関前に一輪咲いた
野生の百合ちゃんが、
帰宅を出迎えてくれるので、
すこぶる気分がいい。
今朝も夜明け前の
4時頃にゴミ出しに行くのに、
「おはよー。
ユリちゃん」
と声かけした。
あと数日で
はかなく朽ち果てるまで
愛でてあげようと
擬人化して観ている。
*********
『魂理学試論』1
「はじめに」
夏休みに『名人を超える』という「ファンタジック・リアリティ」小説を48日間で書き上げたので、次の創作テーマとして、ブログ内でさんざん書き散らしてきた事だが、学際的アプローチによる「意識論」を総括してみたいと考えた。
ここ十年くらい、年に二冊の本を創る、というのを自分に課しているので、今年度は、『夢十夜の深層分析』『名人を超える』に続き三冊目である。
量産出来る時は、やれるに越した事はない(笑)。
誰にも頼まれもせず、読まれもせず、買われもしなくとも、自分の為の「自学的創作活動
」なので、「楽しい」という事と「満足する」ということが主眼である。
自主的にする勉強と研究ほど、安上がりで一生楽しめるものは他にはない。
「たましいは生き通し」
『魂理学』というのは、「心理学」が「こころ」の「ことわり」を学ぶものであれば、「たましい」についての「ことわり」を意味する造語である。
「たましい」とは、およそ、科学的思考の俎上には上がらない概念だが、「愛」と同様に、これほど多く人口に膾炙される語もない。
【多くの者が愛について語るが
まだ誰もそれを見たものはいない】
という箴言があるが、それを【たましい】と代えてもいいだろう。
さて、何の前振りもなしに、いきなり「断言」あるいは「定理」とするが、とりあえず「霊魂不滅」説を魂理学的立場では採用している。
それは、古今東西の宗教が説く処である。
金光教祖は、自らが神様に連れられて神界・霊界を三日間つぶさに見るという神秘体験をしておられ、そして
「たましいは生き通しである」
と仰った。
『教典』にある教祖の事跡には、シンクロニシティック(共時的)な奇跡がいくつも出てくる。
当時は、それを「霊験あらたか」と表現された。
今回、「霊験」を初めて英語で調べてみた。
そしたら、「miraculous efficacy」とか「miraculous virtue」というようだ。
「霊験あらたかな」は「wonder‐working」
「霊験あらたかな人」は「a person who performs miracles」
「その神様は霊験あらたかであるというので評判だ」は「The god is renowned for his ability to fulfill the wishes of worshippers」
「たましいは生き通しである」というのを三十代頃に認識してから、不惑の四十代以降、本質的な事に注目していると、些末な事に心が乱されるという事が少なくなった。
現下のコロナ禍でも、過去・現在・未来と無限に「生き通している魂」が個性化して、意識して、体験している「現象」に過ぎない、と考えれば、「実存するものは脅かすことが出来ない」という金言が至当なものに思えてくる。
これは、現象に対してフェーズ(相)やディメンション(次元)を変えて観察し認識する事でもあるのである。