『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

怪談『Gの見たもの』

2022-08-06 07:26:56 | 創作

 これは私が、二十年ほど前に、ある高校で、実際に心理療法のケースとして体験した噺である。
 当事者からは、学会の「事例研究」や「ケース論文」でも発表の許可をとったものである。

 *

 高校三年生の男子Gは、一学期のある日、突然、授業中に、教室に於いて、自分の机の下に小さな女の子の姿を見た。
 推定5、6歳くらいのようで、以後たびたびGは少女の姿を目撃し、ある時は、教室移動にも付いてくるまでになったという。
 その現象を境に、Gは激しい悪心と嘔吐を催し、たびたび保健室を訪れるようになった。
 養護教諭は、Gに何か食中毒や片頭痛など原因となるものがないか問い質した。
 身体的な要因は否定して、「少女の姿が見えてから」という事を初めてGは他者に話をした。
 養護教諭は、それならばスクールカウンセラー(筆者/以下SCとする)に相談するように奨め、Gは了解して来談した。

 *

 Gの第一印象は、がっしりした大柄な体格で、生真面目で、成績も学年トップクラスだった。
 この生徒が、養護教諭やSCに真顔で嘘を言ってるとも思えず、虚言癖があるとも考えにくかった。
 唯一、病理的なものがあるとすれば、シゾ(統合失調症)の幻覚の可能性もあるので、しばらくは経過観察となった。
 
 一週間後の二回目の面接時に、彼は、まだ見えるという。
 向こうから話しかけることはなかったし、彼も話しかけたりはしていなかった。
 カウンセラーが真剣に聴いてくれて、自分に起こっている事を否定もされず、信じてくれていたからか、Gは最初ほど怯えた様子はなくなったものの、
「見えた時、どんな気分?」
 と、訊ねると
「怖いです…」
 と応えた。

 その少女を、校内以外で、家や通学路ではいっさい見ることがなかった。

 養護教諭からは、お守りを身に着けてはどうか、とアドバイスされたが、それをやってはいなかった。
 ただ、養護教諭にもSCにも打ち明けて、自分だけの秘密の重荷でなくなったせいか、身体的な主訴であった「悪心と嘔吐」は減っていた。 
 でも、毎日のように少女は見え、それが怖くて不安なのは間違いがなかった。
 彼の話ぶり、態度から、シゾ臭さは微塵も感じられず、デプ(鬱)ってもいず、気力・体力・認知とも健常なので、精神科医にリファー(依頼)するケースではないとアセス(査定)した。

 それからしばらくは、週に一回のペースで、淡々と、いつ・どこで・どう見えたかを聴き、その恐怖と不安に随行していくのみだった。
 そして、いつしか一学期も終了し、夏休みとなり、カウンセリングも一ケ月の中断となった。

 *

 転機は、夏休み明けに起きた。

 Gは、お盆中に、祖父母を随伴して家族一同で墓参りに出かけたという。
 その際、彼は、父に命じられて、墓石を濡れ雑巾で水拭きさせられた。
 本家の長男というので、そういった事もあるのだろう。
 そして、彼はその作業で、墓石の裏に刻まれた先祖や親族の俗名をいくつか初めて目にしたようだった。
「その中に、童女○○…というのが、あったんです」
 と、Gはおしえてくれた。
「享年…っていうか、年齢は見たかい?」
「はい。六歳でした」
 
 私は、そこで不思議な符合に気付いた。
「なら…、今日、お祖母ちゃんに、その子がどんな子だったか、訊いておいで」
 と、次回までの課題とした。

 *

 翌週、彼が来室した。

 二学期になっても、登校すると、彼はまた少女を見るようになった。
 それでも、「悪心と嘔吐」は全く消失し、恐怖感も以前よりはなくなっていた。

「誰か、わかりました…」 
 とGが言った。
 彼の説明によると、その「童女」とは、祖母の妹の娘だったという。
 その妹はまだ健在で、郡山に独居していた。
 
 Gは全く面識がなかったが、祖母を通じて連絡を取って、今度の休日に会いに行ってみるようにと、私は更なる行動課題を彼に課した。
 そして、自分の身の上に起こった今回の出来事を話してみて、その子の写真があるかどうか尋ねて、もしあったならば、それを見せてもらってきなさい、とも付け加えた。
 と同時に、それでどんな事が起こるか、よく観てきてほしい、という観察課題も同時に課した。

 心理療法師は、クスリこそ処方できないが、「助言指導」というかたちでこのような処方が出来るのである。
  
 *

 翌週、彼は来室すると、開口一番に、日曜日の出来事を話してくれた。
 祖母の妹さんは、姉の孫の訪問を、ことのほか喜ばれたという。
 そして、前日から腕を振るったらしく、たいそうなご馳走を頂いてきたらしい。
 彼は、行動課題も忠実に守り、事の顛末を話したという。
 そしたら、妹さんは涙を流されて、仏壇に彼を案内した。
 四畳半の仏間には、その少女の白黒写真が飾られてあった。
 まさに、その子であった…。

 彼は、位牌のある仏壇に、懇ろに合掌して拝んだという。
 それから、ふたりは本当の孫と祖母のように、ご馳走を食べながら、長々と歓談したようだった。
 妹さんは、ぽつりと
「あの子も、どんなに学校に行きたかったんだか…」
 と漏らされたという。

 その話をし終えたGは、晴れ晴れとした顔をしていた。

「そうか…。
 それは、いい事をしたねぇ…」
 私は、そう言うと、来週でカウンセリングも終わりだね、と告げた。

 *

 翌週、彼は、あれ以来、一度も少女を見なくなったという。
 なので、主訴の消退をもって、ターミネーション(終結)とした。

 

 *

 
 ここからは、まったくの蛇足だが…

 後日談として、彼は、学校始まって来の難関校「外語大」に合格して、スペイン語学科に入学した。
 将来の夢として、いつかスペインに渡りたい、と彼はカウンセリングでも語っていた。

 Gの本名は、ようもそんな「硬い」名前を親は付けたもんだなぁ…と、思うような野球に由来する突飛なものだった。
 父親は中学の校長先生で、長らく野球部顧問をしていた質実剛健な人格という。
 その父親さえ、今回、Gが体験した「特異な事件」は、知らされていない。
 真面目なGは、養護教諭とSCとの間だけの「守秘事項」として、最後まで自分の恐怖・不安・苦しみ・悩みと向き合った。

 彼の許諾を得て、私は、時折、教員研修会やSC研修会で、このケースを例に挙げて、生徒の中の「内的現実」を尊重することの大切さ、を説いてきた。
 親も教師も友人たちも、「外的現実」でしか物事を判断できないから、うっかり、こんな話をしようものなら、「気のせいだ」はまだいいとして、「頭がおかしくなった」「気持ちわるい」と言われるのがオチで、当人にとって何の解決の足しにもならない。
 ならない処か、かえって、心的エネルギーを浪費して疲弊してしまうだろう。
 
 *

 ユング派の深層心理学的には、かの少女は、Gの無意識下にある内的異性性(アニマ)が外界に投影されたもの、という解釈もできる。
「アニマ」は、ラテン語由来で「霊/スピリット」という意味もある。
 そして、それは「創造性」の象徴でもあり、論理性や知性が優位の「男性性」に対抗するもので、非論理性や感情性を「補償」作用として働くものである。
「硬い」ものに対する「柔らかな」ものでもある。
 アニマには「風」や「息」という意味もある。

 きわめて堅固で何物にも壊されない【金剛】に似た名前を持つ彼は、その名を付けた父親にも似ていたのだろう。
 それが、異性のアニマとの邂逅で、怖れ苦しみもしたが、その「死と再生」の通過儀礼の洗礼を逃げずに対峙したことで、古く硬い自我が死に、新しく柔らかい自我に生まれ変わったのだろう。


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2 コメント

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Unknown (たけし)
2022-08-06 20:10:41
TEACUPがクローズすることはわかっていたのですが、今月とは知らず、やっと探しました。引き続き楽しみに読んでます。
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Unknown (liqbeau2020)
2022-08-07 09:34:18
ずっと、ブログの上んとこに、予告しといたやん(笑)。
山崎から6月頃、「新築に引っ越したんで、たけしと遊びに来て」って、ハガキ来てたんだけど、コロナがまだこんな状況なんで、おちついたら「祝い」持って行こうや。
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