『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

心を種子として言の葉と為す

2023-12-12 08:57:32 | 箴言

 

きのうは
希死念慮を持つ
常連の文学少女と一緒に
「道歌」を味わう
「短歌療法」を行った。



授業では教わらぬ
こうした
「生きる道標」のような事を
心理教育の一環で教えるのも
サイコセラピストの役割である。

古典文学に精通している生徒には
雅味のある短歌が
箴言や格言のように浸透し、
その「言霊」によって
生きる力が醸成されると信じている。

自分の小中高生時代には
心理カウンセラーなぞいなくて、
誰もこのような事を
教えてくれはしなかった。

*

先日、岩角寺で
急峻な石段をいくつも登っていたら
「あせらない一休み」
という道標があり、
ついつい目が留まり、
それに従った(笑)。

我々の行動は
闘争や逃避という
本能的なものに加えて、
脳内で言語変換される
思考によるものがある。

それゆえに、
時として「こころ」は
「ことば」に支配される
という現象が起こり得る。

殊に「呪詛」なぞは、
現代にも生きており、
ネット内で誹謗中傷されて
自死する者たちが後を絶たない。

「呪い」の字には
「口」が二つも入っている。

似た字の「祝い」は、
「神」を表す「ネ」(しめす偏)と
「口」であり、「こころ」を
喜ばせ癒してくれる。

「口」から発せられる「言の葉」が
人を殺しもし、生かしもするのである。

「言(こと)」は「事(こと)」と同源で、
「口から出て事実になり得るもの」
という意味だったが、
「事実を伴わない口先だけの事」
として「言の葉」という説がある。

また、「言の葉」の「葉(は)」は
「端(は)」と同源で、
『枝葉末節』のように
「端っこの重要でないもの」
「たくさんのもの」
という意味を持つので、
「言の葉」とは、口から出る
様々な事(言)という意味でもある。

『古今和歌集』には・・・
 
 やまとうたは
  ひとのこころを
   たねとして
    よろずの言の葉
     とぞなりにける

(和歌というものは、
ひとの心を種にして、たくさんの言が
葉っぱのように茂ったものだ)
・・・と、ある。

*

『日本餡子党』を結党しようかと
思うほどに、餡子に偏愛がある(笑)。

なので、
冷蔵庫には
幾種類も常備しているが、
キレると、カミさんも
黙って補充しといてくれる(笑)。

最近では、
世界各国にも「ANKO」と
知られるようになったが、
諸外国では煮豆を甘くすることには
抵抗があるようである。

それでも、小豆の
ポリフェノールなどが
赤ワインに匹敵するというので
大豆などと同様に健康食品としても
注目されつつある。

昭和生まれにとって、
昔は、甘味の主流は
「餡子もの」だったので、
その郷愁もあるのだろう。

鶯餅は漉し餡。
大福は粒あん。
笹巻ダンゴも粒あん。
羊羹は漉し餡。
アンパンは両方あったっけ・・・。

夕食後に、
仕上げのデザートとして
ひと匙、〆の甘味を楽しむのは
案外にいいものである(笑)。

*

前夜が牡蠣鍋と
蓮根の挟み揚げだったので、
残った牡蠣をオイスターソースで
炒め直してベントのおかずにした。

きょう日、
ホカ弁屋やコンビニで買えば
ワンコインほどにもなるのが、
手作りベントは
原価50円ほどなので、
ここで節約して
月に一度はドーンっと
懐石やフレンチ、鮨で
“おごっつぉ”(ご馳走)を
楽しんでいる(笑)。

こういうのを
亡き親父は、麻雀のたびに、
こつこつ上がって満貫を喰らうと
【納豆売りの女郎買い】
と言っていた(笑)。

どちらも
昭和の頃にあった風物だが、
平成・令和には
すたれたものである。

**

かねがね、
松茸の軸は食するのに、
なんで椎茸は食さないのだろう・・・
と、疑問に感じていた。

そしたら、ネットで、
軸には笠よりも
豊富な栄養分が含まれているという。

ならば、喰わない手はない。

ただ、やはり、
歯応えがあり過ぎて
いささか食感がよくない事は
確かである。

少なくも、
マツタケのように
シャクシャクとして
心地よい噛み応えはない。

それでも、
クタクタになるまで煮ると、
プツリと噛み切れる
独特の食感を持つ。

・・・てなわけで、
最近は、この軸も
廃棄することなく、
出汁にも食材にも用いている。

ただし、他のキノコ同様、
軸先の部分だけは
菌糸が付着しているので、
切除したほうがいいという。

***

最近、老け込んだせいか・・・
坐骨神経痛や顎関節症による
気鬱感があるせいか、
とんと、ネクタイをして
スリーピースのフルコーデの装いで
出勤しようという気が失せている。

初冬の今頃だと、
秋口から着ている
超軽量の薄でのブレザーに
長袖のポロシャツ・・・という
いでたちが、いちばん肩が凝らず
快適感がある。

スーツを着たがらなくなったのも、
ジジイになったんだなぁ・・・と、
洒落っけが失いつつある今日を
恨めしく感じている。

つい数年前までは、
スーツとウエストコートのバランス、
ドレスウォッチの色と
シャツのカフリンクスとの
コーデまで気遣っていた。

お洒落を楽しむにも
こころのエネルギーが要るんだなぁ・・・
と、疲れ気味の昨今では
遠い昔のように
かつての自分のフルコーデ姿を
眺めている。













 

 

 

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【個人は社会の病理を背負っている】

2023-12-08 06:48:36 | 箴言

【個人は社会の病理を背負っている】
と、かつて、
河合先生から習ったことがある。

それゆえ、
目の前のクライエントと
社会がどうリンクしているか、
そのどちらも並行して
分析を試みている。

数日前に、あるJCが
初めて創った「箱庭」と
その日の朝刊で
目に留まった記事が
こころに引っかかったので、
対比・熟慮してみた。



左側の「過去」領域では
肉食系の猛獣同士が
にらみ合っているが、
トラの親はライオンから
子どもを守っている。

右側の「未来」領域には
草食系の動物がおり、
いずれも中央を向いている。

右下(大地への郷愁の象意)には
馬のツガイ、キリン、牛、犬が、
右上(生への対決の象意)には
親子のゾウがいる。

真ん中の「水域」は
母親ゾウの力(フォース)で
出来たものだという。

全体には
光り輝く「おはじき」や
「ビー玉」が置かれている。

パッと見は、
動物とガラス玩具だけで
寂しい風景だが、
大まかに四分割されており、
曼荼羅を形成して
バランスを取っているようにも見える。

ポジティヴな母性性と父性性が、
いずれも子ども(可能性)を護り、
新たなフォースを世界に
生み出そうとしている。

親ゾウがその力でもたらした「水源」を
穏健な草食動物群(民衆・大衆?)が
注目し、見守っているかのようである。

過去領域における
肉食動物どうしの攻防は、
「力」(武力)と「金」(金融経済)で
相手を牛耳ることに腐心してきた
西洋・欧米文明のグローバリストや
DSを連想させられた。

 



日本において、
「力」と「金」で
勢力拡大を強引にしてきた
「新宗教」の教主たちが
今年になって、立て続けに死去した。

政権と癒着してきた
統一教会には、
解散命令が出されようとしている。

米DSの傀儡政権で
マネーロンダリング、
生物兵器開発、児童人身売買、
不法臓器売買、異民族虐殺と
悪辣の限りを尽くしてきた
ウクライナのネオナチ政権は
敗北し死に体同然である。

民間人虐殺を繰り広げる
イスラエルのシオニスト政権は、
これから、周辺国から
叩きのめされるのだろう。

ここにおいて、WWⅡ後、
80年余りも生き残ってきた
過去の「亡霊」である
ナチズムとシオニズムは
一巻の終わりとなるのだと思われる。

それは、同時に、
国内においては、
戦後、戦勝国・占領国の
米CIAとDSに支配されてきた
自民党政権の終焉をも
意味しているのだろう。

増税メガネ総理は、
狂気とも思われる振る舞いで、
日々、良識ある国民を失望させ、
呆れさせている。

それが、怒りに転嫁した時、
この国は、ようやく、
ヨチヨチ歩きの
独立独歩の歩みを
始めるのかもしれない。

箱庭から見て取れるのは、
それでも、多くの大衆・国民は
傍観に甘んじるかもしれず、
(右下の草食動物群)
あるいは、良識的に
静観に留まるかもしれない。

やはり、
ゾウに象徴される
巨人(タイタン)的な
カリスマ性やパワーを持った
傑物の登場により
変革がもたらされるのではないか・・・
とも想像できる。

野球の大谷、
将棋の藤井・・・クラスの
「超」傑物が
政界にも登場したら、
センチメンタルに感応し易い
日本人は「目覚め」て
動き出す予感がする。

ただ、聖書の箴言には、
こういう時こそ、
「偽預言者」が
数多出現するとも警告しているので、
その真贋は見極めなくてはならない。

カルト的で
その「真善美聖」が
疑わしい「新興宗教」群が、
そのトップたちの鬼籍へのシフトで、
教勢の失速・内紛などがあるようで、
これから、あらたに、
入会しようという若者は
ないように思われる。

ふたたび、箱庭に戻ると、
その全体は「植物」の緑もなく
砂漠然として荒涼感もあるが、
全体にちりばめらたガラス質が
あたかも秘められた宝石のように
若者の「希望」と「夢」を
象徴しているかのようにも
感じられた。


***

【老兵は去り行くのみ】
ではあるが、
これから、「真善美聖」の世界を
創らんとする若者たちを
見守り、支え、そして、
励ましていくのを
人生最後の仕事としたいと
願っている。













 

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「歳は勝手に取る」

2023-12-07 07:48:37 | 箴言

誕生日のきのう。

多くの友人・知人・教え子の
皆様から、過分な
お祝いのメッセージを頂戴して、
有難く思わせて頂いた。

たまたま、
水曜のオフ日だったので、
朝から、冷蔵庫の整理をかねて、
晩餐の料理を楽しみながらしていた。

前日の鍋の残り物を
フードプロセッサーで
ペーストにしてから、
シノワゼ(濾す)したが、
これが、けっこうな手間だった。



十分に魚介の出汁がでた処に
トマトペースト、コニャック、
ブール(バター)、
クレーム(生クリーム)を加え、
エストラゴン、ポワヴルブラン
(白胡椒)で風味を付けた。

チンゲン菜の芯の若葉を添え
カミさんに供したら
「ビスクみたいだねい・・・」
と驚いていたが、
たしかに、
オマールも海老も入ってないのに
魚介出汁+エストラゴンが
“ビスク風”な仕上がりにしたみたいである。

ガツンと濃厚な味わいは
この一皿だけで
十分に満足できたものだった。

*

カミさんが
光っちゃん叔母ちゃんから
もらってきた自然薯は、
卵と出汁で
「ウフ・ロワイヤル」
(茶碗蒸し)風に仕立ててみた。

*

今年のケーキは、
近所にある
『フルーツピーク』のタルトを
カミさんが買って来てくれた。

ここは、値段が高いので
普段は近寄らないようにしてるが(笑)、
生涯に一度のハレの日なので、
奮発してくれたようだった(笑)。

ジェノワーズ(スポンジ生地)が
ほとんどなくて、
フルーツがメインで
ガツンと食べ応えがなかったせいか、
「お正月には、また、
ハピニュヤー・ケーキで
ローソクをリク坊に消させたいねい・・・」
と、去年から始めた
新たな家族儀式の話題になった。

去年の暮は、
総勢8人が集まって、
ワイワイいいながら
二歳児にローソクを消さそうとして、
なかなか消えてくれなくて
途中でオツユが飛び始めたので
リク坊ともども大爆笑になったっけ・・・。

なので、
今年も『三万石』の
バターケーキを注文せねばである(笑)。

こうして、
誕生日、クリスマス、年越し・・・に、
アントルメ(ホールケーキ)で
家族と寿げることの
平和の有難さと
家族一同の無事達者の幸せを
戦禍の国々に想いを馳せながらも
しみじみと感じている。

**

教え子の
ユリッペとハツミからは
毎年のように
好物の『高槻城』の
菓子詰め合わせが贈られてくる。

きのうも到着するや否や、
さっそく一年ぶりに
銘菓を味わわせてもらい、
心遣いの篤い
教え子のいる有難さをも
しみじみと感じさせられた。

 ギャンブラーは一瞬の楽しみ
  農夫は一年の楽しみ
   教師は一生の楽しみ


***

YouTubeを見てたら、
『竜王戦』を
「4-0」でストレート勝ちした為、
対局が行われなくなった
第六局目の予定会場の秋田市に
ソーちゃんが「祝賀会」で呼ばれた。

市全体で歓迎され、
『一日駅長』体験では
秋田新幹線に出発合図をしたり、
除雪車運転の体験をしたり・・・と、
「鉄オタ」の彼を満足させるような
好待遇であった。

希代の天才棋士にして
今「時の人」でもあり、
実質的な「人間国宝」でもあるので、
その歓迎ぶりは
むべなるかなであった。

なんだか、
「推し」のソーちゃんが
幸せそうな表情をしてるのを見て、
自分にとっても
いい誕プレになったなぁ・・・と、
思いもした。

***

朝刊には、
めでたく100歳を迎えられた
アイコ大先生の御尊顔と、
相変わらずのアイコ節に
ニンマリするようだった。

そう・・・。

100歳にしても
そうなんだから・・・。

歳ぃとることを
気にしても
しゃーないなー・・・と、
おおらかな気分にさせられた。

さすがに、
アイコ先生だなぁ・・・と、
ますますのご長寿を願った。

そしたら、
草葉の陰から
「ばあさん・・・。
化けるほど長生きして・・・」
という、
狐狸庵センセイの声が
漏れ聞こえてきた(笑)。










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ジャバザハット婆ぁ

2022-11-23 07:50:37 | 箴言

きのうは
近所から二本松に移転した
『万SAI堂』に行って、
コミックを買ってきた。

行きしな、
近所の『オフィス8』で、
写譜用の「10B」の鉛筆を
2本買った。

このマックスの濃さだと、
ほとんど、力要らずで
スイスイと書けるので、
愛用している。

作家の狐狸庵センセイも
たしか、「4B」くらいの鉛筆で
原稿用紙の裏に小説を書いていた。

*

11時頃に、
『万SAI堂』の近所にある
4号線沿いの
『レストラン立美』に寄ったら、
「都合により、暫く休業します」
の貼り紙がしてあり、
残念だった。

ここは、二度ほど来たが、
昭和ムードのレトロチックな店で、
ドミグラスソースも
昔の懐かしい味なので、
機会があれば、再訪しようと
思ってただけに残念であった。

店主も女将も
そうとう高齢だったので、
健康上の問題かもしれない。

市内の『キッチンカロリー』も閉店し、
次々と昭和レトロ・レストランが
姿を消してしまうのは、
寂しい限りである。

やがて、
ファストフードと同じような
ファミレスの均一化した
平板化した味のみが
外食産業として残るかと思うと
ぞっとしないものである。

*

・・・仕方なく、
安達に出来た『はま寿司』に
寄ってみた。

コハダがあればいいなぁ…
とは思ったが、
回転寿司なので
あるわけもなかった。

なので、
なるべく、普通の「鮨屋」では
頼まないようなネタを
選んでみた。

冷凍物だが、
「手長海老」は
フレンチで言う処の
「ラングスティーヌ」で、
その恰好がいいので
タブレットをタップした。

味は、甘海老と
たいして変わらないが、
ちゃんとミソも味わえた。

広島の牡蠣は
カナッペのようで、
酢飯には馴染んではいなかった。

ウニは
微かにミョウバンのえぐみが
感じられたが、
ワサビのてんこ盛りで
なんとか中和してくれた。

 

珍しかったのは、
「銀鱈」の生で、
(大丈夫かいな・・・)
とは思ったものの、
さほどに生臭い感じはなかった。

普通の鮨屋では
まったくない「カニみそ」も
回転寿司ならではである。

久しぶりで、
こんな味だったなぁ…
と、よく味わった。

「ネギトロ」は無かったが、
「マグロ叩き+ネギ」があり、
その組み合わせが好きなので
やってみたが、やっぱり、
鮨屋のものより
イマイチ・イマニだった(笑)。

いちおう、
タブレットのメニューには
「握り」とはあるものの、
何だか、どれも本寸法ではないので、
アタマに「お」の字を
付けたくなるような
気がしないでもなかった(笑)。

酢飯とネタが
しっかりと握り合わせて
フィットしていないと
「握り鮨」というよりも
なんだかカナッペのような感じで、
別の食べ物のような気がしてしまう。

 

回転寿司には、
デザート・ドリンクもあるので、
場を変えずして、
抹茶ラテとプリンで〆た。

お会計「1771円」は
けっこうなお値段で、
廻らない鮨屋の「並」の
「六貫一巻」くらいであった(笑)。

*

コロナ禍対策で、
椅子席ボックスでない
一人客用のカウンターには
それぞれプラ板の仕切りがなされ、
その中に入って食すると、
なんだか、養鶏場の
ニワトリになったような気分だった(笑)。

後から、隣に座った
「ジャバザハット」似の 老婆が(笑)、
お茶用のお湯を出すのに、
旧式の押し当てて出す方式と
思い込んでいて、
いくらやっても出ないでいた(笑)。

お困りの様子を察知して
「押すんじゃなくて、
ダイヤル回すんですよ」
と教えてあげたら、
「あ、そうですか・・・」も
「ありがとうございます」
の一言もないので、
いささかムッとした。

(礼儀知らずのババアだなぁ・・・)
(きっと、無教養なんだ・・・)
(因業で、嫌われてんだろなぁ・・・)
と、腹ん中で呪ってたら、
今度は、「箸ない、ハシない・・・」と
騒ぎはじめた(笑)。

よしゃあ、いいのに・・・(笑)、
あたしゃ、また、
「うしろのトレイにありますよ」
と、ついつい、お節介にも
おせーてしまったが、
やっぱし、ウンもスーも無い。

(この、ババア・・・め)
と、恨めしく思ったが、
先日、『バカと無知』のレヴューで
【バカは自分がバカである事を知らない。
 何故ならば、バカだから】
という、箴言を思い起こした(笑)。

バカにお節介やいた自分が
いちばんバカだった・・・(笑)。

ちゃんちゃん(笑)。

*

今朝の朝刊で、
タイトル99期獲得ながらも
現在、無冠のレジェンドで、
『永世七冠』のハブちゃんが、
いよいよ王将戦で
ソーちゃんと相対することになった。

ただ、公式戦では
6-1と、圧倒的にソーちゃんが
勝ち越しているので、
「100期」達成は
七番勝負では分がないだろう。

棋界では、もはや、
『藤井時代』の到来・・・
という絶対王者感が色濃い。

そして、
旧レジェンドは99期で引退し、
新レジェンドが100期超えを
達成するのが、
物語の本筋のような気がする。

*

コロナ「第八波」は
県内でも過去最高の感染者数となった。

市内でも400人を超えたので、
ザル計算では、
700人に一人・・・
くらいと思われる。

買い物や街出の時には、
やはり「三密」は回避した方が
無難であろう。

それと、仕事以外の
不要不急の外出もできるだけ
控えた方がいいかもしれない。

東京在住のアキが
二回も感染し、しかも、
二年越しの後遺症で
体調が芳しくないという。

ナッちゃんは
ワクチン接種するも感染したが、
幸いに後遺症は皆無という。

このウィルスに関しては、
どうも怪訝な生態が多く、
ウクライナ辺りで
DSサイドが作ったのでは・・・
という都市伝説も
“ない噺ではない”のかもなぁ・・・
と、ついつい考えてしまう。

*

暗号資産(仮想通貨)の
交換業大手『FTX』が
経営破綻したのは、
FRBが強硬に利上げを続けたので、
ダムの水が干上がって、
底から「悪の遺構」が現れたのだ、
という経済アナリストの見方もある。

バイデンと民主党側が
ウクライナ支援と称して
国家予算から多額の支援をしたうちから、
FTXによりマネーロンダリングされ
与党政治家にキックバックされて
中間選挙費に充てられた
という情報もある。

その真偽が
共和党側によって
白日のもとに晒されたら、
民主党も一巻のオワリである。

自民党も
大臣の更迭が続き、
岸田政権も支持率30%落下で
いよいよ危険水準域というより
ほとんど断末魔の状態である。

もし、12月「解散総選挙」を
しようものなら、
統一教会問題、物価高、
増税問題・・・などで、
歴史的大敗を喫し、
党分裂か消滅の可能性もあるだろう。

歴史の流れから見て、
山口出身の安部氏の
暗殺・国葬・・・によって
薩長の明治政府から
引き継がれてきた
安部一族と清和会、
勝共連合、自民党、
米CIAバックの体制は
終焉の時節なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「あなたを大切にしない人を、あなたが大切にする必要はない」

2022-11-12 09:48:19 | 箴言

おとついの
「失敗つづき」で
落胆していたら、
さっそく、大学の同級生ふたりから
「そんなの、あるある、だよ」
と自らの失敗をカミングアウトして
慰めてくれた。

それで、少しは癒されたが、
そしたら、きのうは、またまた、
勤務日でもないのに
山の学校に出勤してしまい、
先生方に驚かれてしまった(笑)。

校長先生まで出てきて(笑)、
出役表の確認などをしたら、
やはり、自分が年度初めに
スケジュール帳への転載ミスを
犯していた。

でも、それは、
3月末の事なので、
認知の「錯誤行為」の連続性とは
言い難いエラーである。

…とすれば、
「この時期」に
「過誤」が集中している…
というコンステレーション(布置)と
取れる。

こういう時は、
ユンギャン(ユング派)は
ユングに倣って
『易』を立てる。

結果は『山沢損 初爻』
(さんたくそん しょこう)

その象意は、
「沢は、その深さが深いほど、
その山を一層高いものにさせり」
であり、
そこから
「己を減らして他を益す」
「事を已めてすみやかに往く。
咎なし。酌りて之を損す」
となる。

すなわち、
相手を助けたり、
自分の物を与えたり、
自分が損して相手に益してやるから、
咎められるような過失はない、
…ということである。

そんなんで、
きのうも勤務外だったが、
いつもと変わらず
生徒たちと関わり、
ケース・カンファレンスをし、
カウンセリングもし、
自己分析も、ギター練習もしてきた(笑)。

失敗を益することに費やしたので、
まさに易経の「山沢損」の
意味する通りである。

ついでに、
「WWT(言語連想テスト)」も
二通りやって自己分析してみたら、
「難は御蔭」
「身を削れ」
「今ここを生きよ」
という三つの
キーワードが出てきた。

いずれも、
納得・了解でき、
腑に落ちるものだった。

*

せっかくの研究時間ができたので、
ネットで、認知エラーについて
「細胞死」の観点からも調べてみた。

25歳を超えると脳細胞は
毎日24時間、絶えることなく
1秒で約10万個ずつ死滅するという。

また、記憶を司る「海馬」も
1年で約1%ずつ小さくなるという。

この生理的な減衰を
少しでも抑えるには、
やはり、ランニングや筋トレなどの
適度な運動が有効のようである。

それにより、
『脳由来神経栄養因子』
(BDNF/Brain-derived neurotrophic factor )
という液性蛋白質を分泌させ、
神経細胞の生存・成長・
シナプスの機能亢進が起こるという。

誤出勤したおかげで、
勉強もでき、奉仕もできて、
学徳・積徳とできたので、
【転んでもただは起きぬ】
気概は必要だなぁ…(笑)。

*

家から30㎞もある山間校には、
曲がりくねった山道を延々と行くが、
途中、拡張工事のために、この三年ほど
ずっと続いている
対面通行用の工事信号で
「300秒」ストップという箇所もあり、
ウンザリするが、その時は、
ドライバーは一様に
スマホに目を落としている。

*

片道45分の通勤路のため、
車中には、シガレット電源から
ラジカセをつないで
千本以上もあるラックから
「耳学問」できるものを
いつも選んで出かける。

これを、20代の教員時代から
40年以上つづけているから、
未聴の講演テープはなく、
朗読物もおよそ全クリしてるだろう。

勉強物では、河合先生の
『ユング心理学』全10本は、
何百回聞いたかわからないので、
その一字一句は、
臨床でも、研修でも、
講演でも、雑談でも、
掛け算の「九九」なみに
スラスラ出てくる。

自分は9歳からギターを始めたので、
「聴覚型」人間のようで、
大学院試験も国家試験も、
テープやCDに「学術語」を吹き込み、
それを通退勤車中で
何百回と繰り返し聞いて
「旋律」が定着して、
自然に再生できるようになる、
という勉強方法だった。

だから、
どちらも社会人で受けたので、
一緒にいるカミさんは、
いつ勉強してたんだろう?
と思ったことだろう(笑)。

*

きのうは、
「生物教員」時代に
広い生物教室用の
カセット付き拡声器の
ピンマイクで録音した
「1992/93年」の
『学習』と『最終授業』の
貴重なテープを偶然見つけたので
聴きながら出かけた。

授業が終わってからの
目の前のJKとの対話も入っていて、
車中で笑えてしまった。

「池田ぁ。
 夏休みは、どうやった?
 なんか、アバンチュールは
 あったか?(笑)」
「いえ。
 岡山のおじいちゃんが
 亡くならはったんで、 
 お葬式に行っただけです」
「なんや…。
 くらい青春やのぉ…。
 キビ団子は喰ってきたか?」
「いえ…」

…て、ヒドクね?(笑)

…まずは、
「それは、気の毒やったなぁ。
 ご愁傷様でした」
言うのが人間やし、
教師やんなぁ…と、
思わず、関西弁モードで
自分にツッコンでしまった(笑)。

…でも、教員時代は
「口が悪くて」
「ツンデレ」って
思われてたらしく、
よく、JKたちからは、
「腹立つやろ、このオッサン」
って、笑いながら言われていた。

なので、後年、
学校カウンセラーになるなんて、
信じられへん…と、思った教え子は
多いはずである。

先の「池田さん」も
三年生の18歳だったから、
30年後の今は、
48歳の立派なお母さんに
なっておられることだろう。

この時の授業では、
「母性」について、
心理学レベルでも重要な
「アタッチメント(愛着)」について
適切な例を挙げて、
解りやすく説明している。

「口は悪いが」
大事な事は、ちゃーんと、
生徒には教えてたんだなぁ…と、
30年前の自分に安心した(笑)。

*

Y中のカウンセリング室の
デスク前には、
十年以上前に、
退職された美術の先生が、
コンサートで弾いたリュートを
ご覧になって、
「いちど描かせて頂きたい」
と仰られたので
一週間ほどお貸しした。

その折、できた作品の
コピーを頂いたので、
額装して飾ってある。

これは正式には、
スワンネック型の
『ジャーマン・テオルボ』
と言うが、通常は、
「バロックリュート」
と時代名で呼ばれる。

*

我が家の
『佐々木心理教育カウンセリング室』に
十年以上通われて、
もうすぐ「500回」の夢分析・
教育分析になるHさんの為に、
洒落名の『国際魂理学院』名での
ディプロマを差し上げようと
英文案を考えている。

こういう時、
翻訳ソフトは役に立つ。

*

朝刊の新刊書のコピーに
「…だよなぁ…」
と思わされる
キャッチーなフレーズを見た。

ここ十年で、
ずいぶん、いろんな人と
関係を意識して断ってきた。

いずれも、
我田引水、自己中、
自分だけ、愛着障害、
のような人たちである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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