『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

黄砂舞う

2021-03-31 05:40:00 | 季節

弥生三月も晦日となり、
今年度もいよいよ
今日をもって終了である。

教職にあった頃には、
教務部だったので、
学籍簿の点検やら
次年度の時間割つくりで
春休みでも毎日のように
出校していた。

テニス部顧問でもあったので、
その合間には
指導にも出ていた。

空き時間には、
もっぱら生物室の
ワープロに向かって
童話や短編、エッセイを
書いたりしていた。





夏日になる陽気のせいで、
市内は三月なのに
さくらが満開となった。

寝室の寝床から見える
隣家のさくらも
いいあんばいに咲いた。

寝ながらにして
花見ができるのは
ありがたい(笑)。






裏庭の
ユスラウメも
小さな花が沢山咲いた。

今年も
いっぱい実がなりそうだ。

銀色に光る
脚立を見て、
去年はザクロを採るのに
いちばん上から転落して、
あやうく大怪我を免れたっけ…と、
思い起こした。





きのうは黄砂が舞って、
気管支喘息の人は
不要不急の外出は控えるように、
と予報士が警告していた。

それでも、
マスクを厳重にして
買い物に出かけた。

車のフロントガラスには
案の定、指跡がつくほどの
砂塵が付着していた。

街に出ると、
たしかに紗が掛かったように
うすボンヤリしており、
遠くの山は霞んで見えた。

こんな厄介者でも、
海中の植物プランクトンには
鉄分をもたらし、
その中には「納豆菌」まで
潜んでいるというから、
地球生態系的には
何らかの有用性があるようだ。






一時、読み飽きして
買い控えていた
『クッキングパパ』の続きを
中古店を巡って
最新刊までまとめ買いしてきた。

リアルタイムに
新刊を買うよりも
いくらか安くは変えたが、
100円本はさすがになかった。





『7人のシェイクスピア』の
第2巻にも
リュート演奏シーンが描かれ、
タブラチュア譜を記しているのにも
目が惹かれた。

こういう場面を見ると、
自分でもリュートが弾きたくなる。







きのうは
カミさんが
さっそく、上京したナッちゃん宅を
視察がてら、ちゃっかり
ひとりだけリク坊ちゃんに
会ってきた。

撮ってきた動画を
見せてはくれたが、
持参したお菓子を
パクパク食べる姿は
相変わらず可愛いものだった。

ここ数週間で
さらに成長したようで、
自分でジュースパックを持って
飲むことができるようになっていた。

顔つきも
すこーしばかり
しまって凛としてきた。

コロナ禍さえなければ
自分も同行したのだが、
第4波が到来しつつある都会には
さすがにおっかなくて
病気持ちのジジは
行けやしない。

なので、
居間の一角をしめている
リク坊ちゃんコーナーを
眺めては動画で心癒している。

さんざん遊んでいった
ジャンボレゴは、
ふたたびプレゼント袋にしまって、
さながらプーさんが
番人になって守ってるようだ(笑)。














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夏日

2021-03-30 05:50:00 | アート
きのうは
まだ三月だというのに
汗ばむほどの陽気で
「夏日」となった。

三月としては
観測史上初のようだ。

この分だと、
この夏もまた
"殺人的"猛暑のような
予感がする。

去年のうちに
クーラーを新調しといて
よかった。




正午前に
フキノト採りに行こうと
車に乗ったら、
26℃を示していた。

帰宅してからは
3時頃の
2階寝室のデジタル計は
26.9℃まで上がった

事実、冬物の
長袖・長ズボンではいられず、
思わずランニングシャツに
パンツ一丁姿になった(笑)。




菜の花畑も満開となり、
吾妻の雪兎と
見事なコンビネーションに
なっていた。





ついこないだまで、
一面氷結していた
「びっき沼」だが、
南向きの土手斜面には
フキノトの花と
カタクリの花とが
暖かげに咲き誇っていた。






この陽気で
駐車場にまで
フキノトが芽吹いており、
さっそく降りるや否や
足元から山菜狩りを始めた(笑)。











土湯の登り口では、
「水神」様の湧き水を
ペットボトルに
汲ませて頂いた。








帰ってから、
銘水を端渓硯にとって、
松煙墨と油煙墨を磨った。







かねてより用意していた
ボードに
「いろは歌」を
変態仮名で書いてみた。

 色は匂へど散りぬるを
  我が世たれそ常ならむ
   有為の奥山けふ超へて
    浅き夢みじ酔ひもせず

思い切った
意訳をしてみると…

 どんなに美しく芳しいものでも
 いつかは衰える
 この生(よ)は無常なものである
 ならば夢見たり酔って誤魔化さず
 涅槃の境地を悟るべきである

生きているうちに
「成仏」せよ、
と言うのである。

「仏陀」とは、
目覚めた者、
悟りの境地に達した者、
という意味である。

金光教では、
「生神」となる、
と言う。

そして、教祖は、

 人ひとり助ければ
  ひとりの神となり
   十人助ければ
    十人の神となる
と言った。

また、
碧水先生は、

 すべてに禮をいふこころ
  神を現はし
   神になるこころ

と、教えてくだすった。

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日々、是研究

2021-03-29 07:38:00 | 勉強
ナッちゃんが置いてった
自家製デスクを使って、
茶室を春休み限定の
臨時研究室にしている。

30代の頃、
母校の大学院に
社会人入学した時、
四月のオリエンテーションの
自己紹介で、
「勉強し直しに参りました…」
と謙遜したつもりで
挨拶したら、
いきなり副査のS先生に
「ここは、勉強する処じゃなく、
研究する処ですよ」
と窘められた。

まだ、学問的な事が
右も左も
よく分かってなかったので、
「は…?」
ってな感じだったが、
その後の厳しいトレーニングで
その真意が徐々に
骨身に滲みてきた。

殊に、年に2回の
修論の中間発表会では、
毎度のように先生方から
研究法やデータ解釈について
素人院生に対して
容赦なく「批判」の口先が
向けられた。

学部上がりの
女子院生は毎回、
全員がそれで
泣く始末である。

そのたびに、
先生方からは
「私たちは貴方の人格を
非難してるんじゃないですよ、
貴方の研究法の不備を
批判しているんです。
それに、応えられないんなら、
もうやめなさい」
という厳しいものだった。

修論が完成せずに
3人の女子院生が
やめていったが、
同期で最後まで残ったのは
たった一人だけである。





「勉強」とはインプットの事で、
「研究」とはアウトプットの事である、
と、心理のお弟子さん方にも
かねがね言ってる。

なので、研究の目的は、
まだ知られていない事、
自分が知りたいと思う事を
探って、分析し、
新しい知見を見出し、
それを公表することなのである。

そして、
学界論文などでも、
「公益性」ということが
問われる。

自己満足の趣味ではいけなくて、
「世と人のお役に立つ」
というのが前提条件なのである。

新しい事を探求するには、
先行研究というのを
探らねばならず、
そのための引用文献やら
書籍類がしだいに
PC周辺を取り巻くようになると
段々と研究室然としてくる。

茶室の簾(すだれ)を通して
庭に咲くレンギョウやボケの
彩りを眺めながら、
時折、手を休めては、
コーヒーブレイクにする。

隣室の「書室」にある
オーディオセットから
ルネッサンス音楽を
低めに流しながら、
ホッと憩っていると、
なんだか院生の頃を思い起こし、
研究も楽しいなぁ…と、
久々に至福感を味わっている。

『夢十夜の深層分析』
として、また、
『小説家になろう』サイトで
久々に公表して、
それから冊子化しようとも
考えている。

以前は、年間、二冊の本を創る
というハードな目標を課して
何年も続けていたが、
最近は、とんと隠居モードに入り、
怠業の日々を送っている。






臨時"研究室"用のPCは、
カミさんのものなので、
有線マウスがなくって
操作が不便なので、
2階のメインPCや
学校のものと全く同じ型のを
アマゾンに発注した。

人間工学に基づいて
デザインされたという
エレコムのマウスは、
おそらくは粘土でも握って
その手形を基に
形状化したのだろう。

なので、握り具合が
フィット感があり、
しかも、手元のボタンで
画面の「戻る」「進む」が
操作できるので
文章作業には都合がいい。








ナッちゃんが
やりかけて放棄した
ジグソーパズルのフレームを
使ってもいいというので、
その台紙上に
48分割のマス目を区切り、
これから47文字の「いろは歌」を
変態仮名で清書していこうと
思っている。

そのために、
これから、わざわざ、
土湯の里まで
湧き水を汲みにいき、
それで松煙墨と
油煙墨(菜種油製)を
磨ろうと考えている。






ロンバケになると、
我が家の「まんが図書館」が
役に立ってくれる。

といっても、
わずか二千ほどの
蔵書数だが、
近所には数万点も蔵してる
ゲオもツタヤもあるので、
ないものは銭ぃ出しゃ
借りられる。

もうすぐ200巻目に到達する
『ゴルゴ13』も全巻そろってるが、
トランプ・マジックの
カードを引くときみたいに、
エイッと適当な処を
引っ張り出して読み始めると
けっこう忘れてて(笑)
それなりに楽しめるものである。





ここの処、
喘息性気管支炎のせいで
気力が充実してないせいか、
数日間もピアノ離れしている。

なんだか、
弾く気がしない…
というのは、
あきらかに気力が
低下してる証拠で、
プチ病み期なのだろう。

病識がなくって、
無茶苦茶をするJC/JKには
常々、
「病院に行って、薬呑んでるのを
『病人』って言うんだよ…」
と窘めているが、
その考えを時折、
自分にも向けて
自粛・自制を促し
自宅安静療法をも
忘れないようにしている。

音楽は
CDやらでは
なんぼでも聴けるのだが、
演奏するとなると
そこに全人的な
コミットメントを要し、
やっぱり疲れっちまうんだな
これが・・・(笑)。

物事には、何でも、
アクティヴ・コミットメントと
パッシヴ・コミットメントの
両方があんだねぇ…(笑)。

…と、今更ながら、
馬鹿みたいに
再認識してしまった(笑)。








また、
プチ糖質制限食餌療法(笑)
を再開してみたが、
お昼の"ぼっちフレンチ"創作だけは
メンドく感じず、
夕飯支度の買い物ついでに
素材を買ってきては
飽きずにやってる。

もっとも、
喰う事に飽きちまったら、
もう、お陀仏なんかもしれない(笑)。

末期がんだった亡父が、
抗がん剤の副作用も
あったのだろうが、
一緒に食卓を囲んでいて、
ポソリと
「喰うのも飽きた。
生きるのも飽きた…」
と吐いたことがあった。

その数か月後に、
父はこの世を去った。

時折、あの時の姿と
あの言葉を思い起こしては、
自分はまだ
「喰いっ気」があるなぁ…。

こりゃ、
まだ生きる気だ…(笑)
と、自分を冷やかしている。

そーいや、
ロンバケで暇だと
嘆きながらも
「研究意欲」もあんじゃん(笑)。

まだまだ、
生きる気だな、オレ…(笑)。

エイエイオー! ٩( 'ω' )و

      ↑ シヌシヌサギジジイ





録画で
『東京家族』を観た。

これ、
『家族はつらいよ』という
題名もあったが、
山田監督作品なので、
当然、『男はつらいよ』を
もじったものだろう。

日本一の朗読家として
リスペクトしてる
橋爪 功が主人公なので
それに魅かれて観たが、
所々で朗読で聞かれる
橋爪節の口調が心地よかった。

老夫婦ふたりが
子どもたち三人が棲む
東京に遥々離島から趣き、
その旅先で老妻が急逝し、
遺骨となって故郷に帰る
という素朴な噺であった。

山田監督作品の常で、
いくらか鼻につく
臭い演出と演技感が
作品から漂ってきたのは
感心しなかった。

こないだの
寅さんスペシャルで
監督が
「出来るだけ役者さんには
演技を抑えてもらって、
その人の存在感を
際立たせたい」
と言ってはいたが、
橋爪 功以外の役者は
みなダイコンだったのか
演技感が感じられて嫌だった。

してみれば、
渥美 清はじめ
笠智 衆、志村 喬なぞは
やっぱり名優だったんだなぁ…
と、再認識した。









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ふたりデジュネ

2021-03-28 06:48:00 | 食物・飲物
春分の日に
珍しくカミさんから
墓参りに誘われなかったので、
今年は忘れてんのかな…と、
ほっといたら、
きのう思い出したようで(笑)、
突然、行くというので
付き合った(笑)。

自分は、毎日、
朝晩、神前・霊前に
ご祈念をしているので、
ご先祖様との御霊様とも
会話してるようなものなので、
特段に、彼岸に墓参りを
しようという気が起こらない。

なので、
いつもカミさんの行事に
くっ付いていってる
心境ではある(笑)。

朝一の鍼治療に
一緒に出掛け、
自分が施術中には
カミさんは車で
読書していた。

墓所のある信夫山に赴いたら、
早々と「さくら祭り」の警備員が
通行止めをしていて、
「お墓参り」を告げたら
ブルー「許可書」を渡してくれて
通してくれた。

登坂しながら
まだ三分咲きの花を
愛でながら、
これから開けようかという
露店のカラフルなテントにも
目が惹かれた。





帰りにスーパーに寄って、
"おうちフレンチ"の材料を
二人分買って帰宅した。

学休期間中は
ほぼ毎日のように
"ぼっちランチ"してるので、
一人分つくるのも
二人分つくるのも、
手間はたいして違いない。

『グリル・ダニョー・オー・ソース・プノー』
(仔羊のグリル プラムソース)と
『ロティ・ド・ポール』
(豚のロースト)の二品を拵えた。

二人分で
ちょうど千円くらいだったので、
この四皿をフレンチ・レストランの
アラカルトでやったら
「諭吉さん」になってしまう(笑)。

なので、
"おうちフレンチ"は
如何にお得か…(笑)。

口にするなり
「美味しいーッ!!」
と言うので、
内心、
(…ったりめぇだ、っつうの)
と思った(笑)。

そりゃ、馬鹿みたいに
毎日つくってりゃ、
火加減、塩胡椒かげんも
ピタリと決まるわなぁ…。

もう完全に体得した
トーチャンの
得意技である(笑)。

なればこそ、
初対面のリク坊ちゃんに
自信をもって離乳食も
供してあげれる
っていうものである。

┌( ̄^ ̄)┐エヘン! 

   ↑
ジマン・ジコマン・ジジイ




ワインセラーから
『サンライズ』という
ベタなネーミングの
チリのシャルドネを
合わせてみたが、
安もんのわりには
まずまず佳かった。







肉よりは魚を好む
カミさんは、
昭和の人だから
「豚肉」を
ヴィアン・ロゼの薔薇色に
仕上げると気持ちわるがるので(笑)
火が入り過ぎの
ヴィアン・キュイ(ウェルダン)にした。





オーヴンから出して
数分間ルポゼ(休やませ)してから
二等分したので、
ジュ(肉汁)は全く垂れず
内部に留まってくれた。

これをその状態で食すには
ナイフを滑らすように
スパリとカットしないとならないが、
肉の喰い方に馴染みのないカミさんは、
力任せにナイフを圧しながら
ギコギコやるもんだから
ジュクジュクと肉汁が湧きだして
スープ皿に溜まってしまった(笑)。

作り手としては…

ʅ(-"-;)ʃ アーア… 

…ってな
感じだった(笑)。

でも、
あえて文句も言わず、
もう、好きなように
喰えやいッ!!
と、黙ってた(笑)。

自分のプレートには
一滴もジュを流さなかった。

(=`(∞)´=) ドーダ、オラ!

   ↑ ドヤ顔(笑)

『美味しんぼ』の
海原 雄山なら
「貴方は、
共に食事をするに値しない!」
と一刀両断に
されんだろう(笑)。

上から目線で
食通ぶって
嫌味ったらしくも
感じられるかもしれないが、
茶聖・利休の逸話にも
似たようなのがある。

ある日、
茶事に招かれた利休が、
茶菓として出された
摘みたての苺に
たっぷりと砂糖が
かけられていたのを見て、
すっくと立ちあがり、
「貴方は、
共に茶をする価値がない…」
と辞去したという。

戦国時代当時の
白砂糖であるから、
それこそ、庶民では
手に届かぬ高級品だったろうが、
それをこれ見よがしに
旬の摘みたて苺にかけられたのが、
利休としては
我慢ならなかったのだろう。

これは、
通ぶったスノビズムとは
一線を画すものであり、
「ものの本質を解してるかどうか」
という茶聖の命懸けの
生き様なのである。

であればこそ、
時の天下人
「大公秀吉」を相手に
縁起が悪いと嫌っていた
黒楽茶碗をわざと用いたり、
貧乏臭いとなじられた
竹花入を用いたり、
噂を聞き楽しみに観に来た
利休の庭の満開の朝顔を
全部手折って
床の間に一輪のみ
活けて見せたのである。

田舎の百姓の出自である秀吉は
終生そのコンプレックスを
感じていたきらいがあり、
堺の商人の出ではあるが
洗練された都市文化の中で
生まれ育った利休の
「美意識」には
敵わなかったのである。

秀吉は、
利休の茶に赴くたびに、
躙口(にじりぐち)で
刀を外に置かされ、
毎回、頭を垂れさせられた事も
腹に据えかねていた。

「茶室」の中は、
「胎内」でもあるので、
何人(なんぴと)たりとも
エライもヘッタクレもなく
万人が「無身分」なのである。

文化人類学者のターナーは、
このような状況を
「コミュニタス」と命名し、
通過儀礼の過渡期に見られる
身分から解放された
独立個人どうしの
全人的で対等な人間関係
と定義している。

そのような物事の本質を
秀吉は最後まで理解できず、
それを悟らせようとした
己れがメンター(導師)を
自刃させたのである。

死ぬまで「美」を解せなかった
天下人は、歴史が示すように、
まさしく一代天下として
潰えたのである。

己が信念と
「茶の湯」と
「美」の為に殉じた
利休の後には
今日まで400年にわたり
連綿とそのミーム
(文化的遺伝子)が
継承されている。

これもまた、
「真善美聖」の
普遍性を示す好例と
考えている。








ミカちゃんが
送ってくれた
『リク坊ちゃんドライバーになる』
は、父子が微笑ましく
写っていた。

こないだの来福時も、
フミが仰向けに寝っ転がり
我が子を抱いて
そのオナカのあたりを
「ガブガブガブーッ!!」
とやると、
キャハハと喜ぶので
何度もやってたのを
そばで見てて微笑ましく思った。

(親子だなぁ…)
(やっぱ、子煩悩だなぁ…)
とも感じた。

フミがミカちゃんに
「カウンセリング室、
見たことないでしょ…」
と言って、
リク坊と三人で見に来たので、
親子三人をクライエント側の
ソファに座らせて、
ジジがカウンセリングの
真似事をしてみせた。

リク坊に向き合って
「ふーん…
そうなの?
トーチャン毎晩おそいの…。
そりゃ、ワリーとーちゃんだねぇ…」
と一人語りしてみせたら、
両親とも苦笑いしていた。

ついでに、
ギターを取って
リク坊の真ん前で
その目を見ながら
即興でフラメンコ曲を
ジャンジャラ、ジャンジャラ
弾いて見せたら、
キョトンとしながらも
喰い入るように見聴きしていた(笑)。

ジジ馬鹿で
(こりゃ、才能あるわい!)
と、その熱心な聴きぶりに
嬉しくもなった(笑)。

(o^-^o)ヾ(^^ ) ヨシヨシ エライゾ





先日観た
『コロンボ』の落ちが、
壁に埋め込まれた
殺された遺体に電話し、
そのブレスレットの
ポケベルが応答し、
犯人の目の前で
コロンボが送った
「gotcha つかまえた!」
というメッセージが現れる。

これは、
"I got you"のスラングで、
「ガッチャ」と発音されるが、
「わかった」という意味もある。

それから、
何かを達成したときに
「やった!」という意味もある。

しょっちゅう、
やった、やった、言ってる奴は
「ガッチャ・マン」という(笑)。





こないだの
震度6の大余震で
ぐちゃぐちゃ、
ガチャガチャになった
古楽器工房を
まだ片付けられないでいる。

片付始めて
"疲れを起こす"と、
いま、薬物療法と静養で
良くなりかけている
喘息性気管支炎が
悪化するからである。

なので、
気がかりでいながら、
廃屋の廃品置き場みたいな
工房内は足の踏み場もない。

震災だから、
すっかたなかんべぇー…
と、思うようにしている(笑)。



自分がかつて
一心不乱に創り上げた
ルネッサンス・ギターで
デモ演奏をして
YouTubeに
アップして下さってる方が
おられる。

自分が死して後も、
製作した二十あまりの
楽器たちは
この世に残り、
愛好家に弾かれ
時に動画にもなるんだ、
と想像すると
なんだか、ちょっと
嬉しいような気もする。

20…と言えば、
JCに、
「二十人いないのに、
なんで二十って言うの?」
と愚問を発し
「せんせい。
あれ、NiziUってんだよ」
と笑われた(笑)。

(/^_^)/ チュド~ン! 




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兄弟娘孫

2021-03-27 06:35:00 | 家族
今週、就職上京して
東京人となったナッちゃんを
さっそくフミが遊びに
連れだしてくれたようで、
カミさんが
「さすがだね…」
と感心していた。

二人の
打ちっ放しでの動画を見たが、
さすがにフミは
高校・大学と7年も
体育科に所属していただけあって、
ゴルフも必修だったので
様になっていたが、
ナッちゃんはまだ
へっぴり腰だった(笑)。




ミカちゃんが自撮りで
4人揃った処を撮るのに
失敗したのか、
カワイソーに
リク坊は里芋あたまの
ポワポワした毛ぇしか
写ってなかった(笑)。








上京したナッちゃんが
茶室に置きっぱにしていった
自家製作業デスクを
解体する前に、ここで
ひと仕事してやろうと
漱石の『夢十夜』の深層分析を
始めた。




かねてより
着手しようと思ってたが、
手強そうなのと、
意味あるかなぁ…という迷いとで
敬遠していたが、
この春休みに
向き合うことにした。

上手く
公益性のある仮説やらが
抽出できたら
論文にしてジャーナル(学会誌)に
投稿してもいいが、
それよりも、
大作家の異色作と向き合って
楽しみながら奮闘してみるのが
主眼ではある。

深層心理学と
病跡学(pathography)を
融合したような
ユニークなアプローチをしてみたい。





カミさんが
ウッド・クラフト店から
箱庭療法に使えそうな
ミニチュア・ハウスを
4点買ってきてくれた。

一緒に出掛けると、
ついつい箱庭のツールを
探しているので、
いいものを見つけてきてくれた。





茶の湯の精神に
「一器四用」
というのがある。

一つの道具でも
上手く「見立てて」
いろいろと転用してみよ、
ということである。

茶聖・利休は
この「見立て」の
天才であった。

現在の茶室の構造や
竹の花入、黒楽茶碗なぞ、
すべて彼の考案である。

使わずに
ホコリのかぶったまんま
しまわれていた
電灯のガラス傘を
きれいに洗って
空拭きしてから
「花入れ」に見立ててみた。

食卓に飾ったら、
カミさんに受けていた(笑)。







起きがけに
テレビをつけてみたら、
いきなり、土日のマドンナ
「アサちゃん」がアップで映った。

そのご尊顔を拝し、
(あらっ…)
と怪訝に思った。

なんだか、ちっと
浮腫(むく)んでるように
見えるのは
気のせいか…。

いつもより、
こころなしか 
プックラして観える。

(うん?! 太った?…
 それとも…
 出来ちゃった?)

彼女、アラサーの人妻だから
妊娠したとしても
何の不思議もない。

コロナ太りよりは
可能性がある。

しかも、ちっとばかり
眉がつり上がってて、
顔に険がある。

顔つきがキツくなると
「男の子」というのを
聞いたことがある。

かつて、
予報士のランちゃんが、
ちっとプックラしてきたな、
と思ったら
産休に入ったことがある。

果たして、
このヒマ人の「見立て」は
当たるかどーか…(笑)。


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