『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

リング再び

2023-11-26 10:47:36 | 映画

きのうは
市内で初雪がちらついたが
積雪には至らなかった。

それでも、
今朝方は0℃の予報となり、
いよいよ、戸外では
凍死もし得る
本格的な寒さとなつた。

*

きのうは、
前々から思っていた
ブランド豚の
「前田ポーク」の試食に行くべく、
口開けの11時に行きつけの
とんかつ屋に赴いた。

まだ、一組しか客がいず
ガラガラで心地よかった。

紅葉の前庭に
室内の山頭火の俳画が
佳い取り合わせだった。

**

以前は、
カツ丼でやって
さすがに一味違うと感心したので、
今回は、ロース定食で
豚肉そのものの旨味を
堪能しようと思った。

まずは、
『東京とんかつ会議』で
さんざん、見せつけられたように、
七切れだったので、
そのど真ん中から箸をつけた。

口中にインサートする時には、
コロモ側の両サイドを箸で摘まみ、
肉の断面を上っ側にし、
ロースの脂身を先頭にすべし、
という・・・(笑)。

はなは、なにも付けず、
下味のみでやってみる。

ンッ・・・?!

さほど、豚の旨味が
感じられない・・・。

つづいては、
卓上の岩塩でやってみる。

おなじく、ガツンとした
コク味がない。

されば、
甘口ソース、辛口ソースを
かけたところで、
肉の旨味はますます
コーティングされてしまうだろう。

カツ丼では
旨味を感じたのだが、
甘辛の味醂・醤油味でこそ
引出されたブランドの旨味なのか・・・
と、いささか怪訝に思われた。

ま、それでも、
並みのトンカツ以上には
上等の肉質ではあるようだった。

食し終えてから、
こんなんだったら、
スーパーで800円くらいの
ステーキ用牛ロースを
家で「ビフカツ」にした方が
よっぽど楽しめたなぁ・・・と、
思ったものである。

なにせ、
その三倍もの
『前田ポーク』だった。

***

帰路、ちょいと足を延ばして、
プロ御用達のホームセンターまで
楽器用材を調達に寄ってみた。

これまで
『SPF材』というのが
何のことか知らずにいたが、
材木置き場の前でググッてみたら、
スプルース・パイン・ファー
(トウヒ・マツ・モミ)の
頭文字だと初めて知った。

スプルースは、
楽器の表面板に用いる主材で、
松もギターでは高級材である。

その白い木肌は
まさしく楽器に相応しいが、
ホームセンターに卸されるのは、
節の多い板目材ばかりで、
目の詰んだ柾目材は皆無だった。

しかたなく、
質(たち)の良い柾目の
「ホワイトパイン(白松)」の
細材を2本だけ購入した。

テーブルソーを導入したので、
これを薄く剥いで、
継ぎ合わせて
製作ちゅうのリュートフォルテの
表面板としようと思った。

雪がちらつく
戸外の資材置き場で
念入りに選定してたので、
すっかりカラダが冷えてしまい、
店頭の自販機で
この冬二度目の「お汁粉」を買い、
車中で温まった。

**

本来、リュート製作では用いない
ライニングという
「糊代」になるパーツを
リュートフォルテという
特殊な折衷楽器の為に
装着してみた。

*

一昨年の12月から、
ご注文を頂いたのを機に
3.11後、10年ぶりに
古楽器製作を再開したので、
新しく電動工具を4種も
導入したので、12畳の工房も
加工作業場が手狭になってきた。

それでも、
電動工具は有難く、
手作業のみで
切ったり削ったりでは
労力も時間も桁違いである。

ただし、
怪我が付き物で、
油断したら、一発で指が
吹っ飛ぶような
超危険な工具もある。

幸い、今の処は、
電動サンダーで指まで
擦りおろして皮が向ける程度で
済んでいるが・・・。

なので、
工房内には
ご神前を設置し、
作業前後の安全祈願と
無事御礼の御祈念を
させて頂いている。

***

今年、小6の年齢ながら、
飛び級でアメリカの音楽大に
入学している
超天才ヴァイオリニスト
「ヒマリ」ちゃんの演奏する
バッハのソナタ1番の
『アダージオ』を聴いて、
その名演奏に心を揺さぶられた。

これまで、
クイケンはじめ
幾人もの名人・マエストロたちの
演奏を耳にしてきたが、
ヒマリちゃんのライヴでの演奏ほど
感動させられた事はなかった。

やはり、この子の
「音楽を伝える力」は
並大抵のものとは次元が違う。

12歳までに40ものコンクールを
すべて優勝してきたキャリアは
だてではなく、錚々たる審査員たちに
「1000年早く生まれてきた」
「必ずや歴史に名前を残す」
と言わしめたほどの超逸材である。

最近では
ゾゾの大富豪の前澤氏より
所有のストラディバリウスを貸与され、
ますます、彼女の音色は
魅力的になってきた。

さる審査員は、
「ストラドが、ヒマリが
生まれてくるのを
300年も待っていたようだ」
と評し、なるほどと唸った。

*

彼女の名演奏に促されて、
楽譜を書庫から取り出してきて、
これから、リュートかギターで
アナリーゼをしてみたいと
思っている。


***

今朝方、
YouTubeサーフィンをしてたら、
たまたま『リング』が
2週間限定の無料公開
とあったので、
もう、4度目くらいになるが、
寝床で全編鑑賞した。

日本一どころか
世界一怖い、傑作ホラーだと
自認しているので、
古典の名作に共通する
幾度鑑賞しても飽きがこない。

4度目で
何か新しい発見はないか・・・と、
分析的鑑賞眼でも視たが、
やはり、冒頭のシーンでの
15歳でデヴューした
竹内結子が自死した事が
痛ましくも憐れ感を誘われた。

それと、
松嶋奈々子が
超絶的に美しく撮られており、
真田正広も名演であった。

1時間35分という
短尺ながら
無駄がなく、濃密に
仕立て上げられた
稀有の作品である。

本来、リアリティの薄い
「呪い」物だが、
現代音楽のようなBGMが
巧みに用いられて、
仄暗い照明の効果もあり、
ヒプノティック(催眠的)に
変性意識に誘われるような
編集・構成が見事である。

原作とはキャラ設定が
異なったりしているが、
むしろ、本作では、
脚本・演出・効果・編集・・・と、
ピタリとツボに嵌った感がある。

同じ監督の別作品も見たが、
まったくの駄作で
呆れるばかりであった。

本作では、
「元型を刺激しない作品は
100年後まで残らない」
という、
ユングの名言が思い出された。

***

1998年の劇場公開時に見て、
翌日にブログに載せた
ユンギャン(ユング派)的分析が
今もネット上にある。

***
***

超能力者が恨みを残して死ぬと、
ただならぬことになる・・・
という設定が秀逸だ。

落語のマクラに、
バカの与太郎が死んだら、
方々に見境なく化けて出て困る、
という噺があるが、
「そこが、バカだから・・・」
というオチには爆笑した。

「バカは隣の火事より怖い」
と落語では云う。

なので
ケタハズレの念力を持つ
超能力者が化けて出るのは、
反則である(笑)。

日本の怪談系譜には
類例のないシュールな発想である。

怪談数寄者として、
成功している要因を分析すると・・・
 
・都市伝説の不気味悪さ
 
・7日間という時限爆弾的追い込みの切迫感

・美女・松嶋奈々子のシンメトリックな顔が、
呪いの写真でアシメ(非対称)になる。


乳幼児に、アシメ顔の絵を見せると、
不安反応が起こる。

・数学的直感の世界に生きる
科学者である元・夫が持つ
シャドウの部分である
非科学的なオカルティスティックな
領域への違和感。


誰もが、合理性と非合理性の
二面性をもっているが、
現実は合理性優位で暮らしているので、
非合理性は劣等機能となり、
シャドウとなって
気味悪いものと感じられる。

・息子への
「呪うべき気質」の世代間伝達。

・貞子の白い服は、
死に装束=花嫁の白無垢、
を連想させる。
(娘として死に、嫁として再生する)

・長い髪は、
女性性の象徴だが、
ネガティブな側面として、
般若、夜叉、魔女、鬼婆、山姥、
という女性の魔性の
シャドウを想起させる。
         
また、
「少女から女へ」移行する過程での
「死と再生」のイメージも喚起される。

・最後まで無言の貞子。


『らせん』『リング0』『リング2』
とも生身の貞子が喋っている。


それでは我々の現実感に近く、親近感が生じて恐怖感は薄まる。                 

無言電話同様、
得体の知れないものに
人は不安と恐怖を抱くのである。

・松嶋奈々子のポジティブな母性性が、
井戸で惨死した貞子の亡骸に
頬ずりして慰霊し、
呪いの連鎖の物語は
大団円で終焉したかに見えたが
(観客は一旦、安堵する)、
その後、貞子のネガティブな母性性
(殺す母)が突如現れ、
父親を呪い殺す。

安心させといて驚かす
ドンデン返しである。

・井戸から現れる貞子の動きが
淀んでいて不気味である。

人間らしい
円滑な動きをしない人間に、
人間は恐れを抱く。

・テレビから実体化?し、
現出する、という非合理性の恐怖。

・非楽音的ノイズの多様。
特に、金属が軋むような
生理的嫌悪感を誘う音。
 






 

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テリー・トルダイ

2023-10-31 06:27:15 | 映画

カミさんが
買ってきたカボチャ・プリンの
自分の分をなかなか食べないので
賞味期限が切れてしまい、
しかたなく代わりに食べて、
写メで職場に送ったら、
「ぎゃ~!!」
という返事が返ってきた(笑)。

*



ルネッサンスギターの
ネックとヘッドが完成したので、
リンシード・オイル(亜麻仁油)を
下塗りした。

ひと刷毛ぬると
艶やかな木目が浮かび、
木肌フェチには
うっとりする瞬間である(笑)。

これから数回塗り重ねて
磨いていく。

**



去年の
『リュートマラソン』以後も
ちょくちょく新曲を録音しているが、
それらが溜まると
ひとまとめにしてCD化している。

Facebookにアップしたら、
思いのほか好評だったのが
『異邦人』だったので、
それをトップにもってきて、
尚且つ、タイトルにもしてみた。



昭和を代表する名曲の一つなので、
受けが良いのであれば、
来年のコンサート・ピースにしても
いいかもしれないとも思った。

**

 



庭のレモンが結実し、
そろそろ収穫しても
良さそうである。

無農薬だから、
レモン・ピールなどを
作ってみたいと思っている。

柿も色づきはじめたので、
完熟したら収穫するつもりである。

*



高校時代に
『卒業試験』という映画で、
その妖艶さに悩殺された
美人女優の名前が
「テリー・トルダイ」
と偶然知って、
まだ83才で存命だというから、
驚いた。

若い頃から
セクシー女優として
何本か主演映画もあるが、
いずれもマイナー作品で
今日、観ることはできないのが
残念である。

 

 

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『君たちはどういきるか』深層分析

2023-07-21 09:13:11 | 映画

きのうは、
30℃の夏日だったが、
熱中症予防に
厳重なクーリング対策をして
朝食に教え子から頂いた
菓子類を頂いてから
劇場に出かけた。

コロナ禍の間は
全く行ってないので、
何年ぶりかである。

宮崎作品は、
『風立ちぬ』来
10年ぶりだという。

前作は、
つまらなかった。

今回は、
監督の集大成というが、
評価が分かれてるとのことで、
これまで宮崎作品を全て観て
2冊ほど分析本も上梓したので、
久石 譲とタッグを組んだ
本作の出来栄えは気になった。

結論から言えば、
あまり面白くなかった。

いささか唐突感のある
エンディングに
“おいてけぼり”感を抱いた
観客も少なくなかったかもしれない。

いちおうは「ファンタジー」系の
作品だが、宮崎タッチが
鼻につき過ぎて
食傷気味になった。

それでも、
深層心理学的に分析してみると、
少年が「死者の世界」を訪れ
現実界に戻ってくると
内的な変容(魂の成長)を得る、
という典型的な『冥界往還』物語の
仕立てになっている。

最近、コミック界では
『異世界』物がトレンドになってるが、
その二番煎じ・亜流に乗じた感もある。

物語の出だしは、
病院の大火のシーンから始まり、
それにより少年(中2くらい?)の
「眞人(マヒト)」は、
助けに走って向かうも
無残にも母を失ってしまう。

愛着対象の喪失と
己れが助けられなかった
自責と悔恨の念は
哀しみと共に苦しみをも
彼にもたらす。

ここに思春期の
「癒されるべき魂」
「救われるべき魂」
が提示される。

夢分析で「火事」は
激しい変化の象意でもあり、
彼の尋常ではない形での
内的な変化・成長・発達が
「母の死」から始まるという事が
のっけからシンボライズされている。

時代は戦中で、
父子は母の実家に疎開し、
父は母似の妹と再婚するが、
すでに胎児を宿している。

マヒトにとっては、
「実母の死」「母似の継母の登場」
「母以外の女性を愛する父」
「田舎への転居」「転校」
「やがて生まれる異母同胞」
・・・という、多くの葛藤が
多変数的なストレス因子として
一挙にのしかかる。

実母の急死だけとっても、
ストレス指数は「100/100」点だが、
更なる環境ストレスも加えれば、
思春期の未熟な自我強度では
何らかの心身症が発症しても
まったく不思議ではない。

そう考えれば、
転校直後の「いじめ」ケンカ後に、
自分の頭を石で殴って
大出血するほどの自傷行為も
衝動的・短絡的な病的心理の
アクトアウト(行動化)とも
考えられないでもない。

物語の王道を辿るなら、
翌日に正々堂々と再戦を挑み、
やがて、少年たちのコミュニティに
受け入れられ、めでたしめでたし、
となるものだが、
マヒトは自傷行為という歪んだ
病的な解決により、それを忌避した。

ここには、愛する母に死なれての
自暴自棄心もあるかもしれないが、
無意識下では、虚栄心の強い父や
胎児に関心の強かろう母似の継母への
「承認欲求」が働いての
退行的な自傷行為とも考えられる。

タイトルの
『君たちはどう生きるか』というのは、
思春期の多感で複雑な思いを抱く
一人びとりへの
「あるべきようわ」を問うている。

主人公の「眞人」は、
「まことの人」になる、
「しんの人」になる、
という意味で、
ユング的に言えば
「自己実現」
「個性化の過程」
の物語に相応しい名ではある。

元型的な解釈で見れば、
『英雄の夜の航海』であり、
『死と再生』が
コンステレート(布置)されている。

物語のキーパースンとして
「アオサギ」が登場するが、
その善悪両方を有する
両義的存在は、まさしく、
二つの顔を持つヤヌス神のような
トリックスター的存在である。

思春期クライシスにあるマヒトの
異界への仲介者として相応しいのが、
狂言廻し的なトリックスターなのである。

「サギ」は『象徴事典』では、
「次世代の礎」(代変わり)
「喪」(象徴的な死と再生)
「司祭」(聖なる仲介者)
という多義性がある。

また、群れで登場するペリカンと
同様に、水辺に棲み、
地上・水面・上空を移動でき、
魚を捕食する。

水も魚も
「無意識」の象徴である。

マヒトが体験した異世界は、
大出血するほどの自傷行為で、
側頭葉に外傷性の硬膜外血種が生じ、
圧迫された脳が意識障害を起こして
コーマ(昏睡)時の長い夢か
白昼夢か、妄想を体験した…と、
解釈することもできるが、
そう言っては身も蓋もないだろう(笑)。

マヒトの辿った「こころの旅」は、
『英雄の旅』という元型そのものである。

ここでの「夜の航海」という
異界・冥界の旅は、
無意識世界と同様に
時空が混沌としており、
「A boy meets a girl」
の物語元型は
「母恋い」として変形され
少女(ヒミ)は現世では
マヒトの母「久子」となる。

図らずも若者の「英雄の旅」に
同伴するはめになった
お手伝いで狡猾な老婆のキリは、
異界では雄々しく精悍な漁師
キリコとしてマヒトを救う。

彼女は怪魚を捕獲し、
マヒトにもそれを解体させ
臓物を破裂させる。

このシーンは言語化し難いが、
「妖しい状況を腑分けする」
と解すると、シンボリックな
シーンではあった。

また、マヒトが自ら作った「矢」や
怪魚を解体する「刃物」
そして、終盤でインコ大王が行う
「世界の切断」…といった事物は、
「塔」がファリック(男根)の
シンボルとして描かれているのと合わせて、
「男性性の獲得」という思春期男児の
テーマが見て取れる。

自傷により
いじめっ子との対決を忌避するのは
「女々しい」男の子であり、
いつまでも亡き実母を思慕し
涙で枕を濡らすのも
子どもじみている男の子の姿だが、
異界の旅(英雄の夜の航海)を経て、
「男性性」を獲得し「雄々しくなる」
という小道具(アイテム)としての
「矢」「刃物」「刀」「塔」などが
描かれているように思えた。

少年の英雄譚の切っ掛けとなったのが、
継母ナツコが、何か霊的なものによって
森へ誘われるように
吸いこまれるように
失踪する姿を目撃する事からだった。

そして、自らも、
それを留めようとする老婆キリと共に
木々のトンネルで出来た
長い小道を辿ってゆく。

このシーンでは
『トトロ』のシーンや
その主題歌の歌詞が
彷彿させられた。

小路→森へのパスポート→すてきな冒険
→魔法の扉が開く→不思議な出会い
→幸せがくる…

さて、妊婦の継母ナツコが、
なんでまた、唐突に寝衣姿で
森に迷い込んだのか…。

これには何の説明もない。

外的要因としては、
悪阻(つわり)が酷く、
マタニティ・ブルーの
鬱性の罪業妄想にかられたのではないか…
と察せられた(笑)。

それは、姉の大切な「忘れ形見」に
傷をつけてしまったことへの自責感が、
傷にふれて謝るシーンで描かれている。

その強い罪業意識が
姉に所縁のある森を抜けた塔への
「お詫び参り」へと
身重で病身の彼女を
向かわせたのかもしれない。

そして、マヒトも、いつしか、
母似で血を分けた叔母を
実母と同一視しはじめて、
大火で救えなかった母の
代償行為としてその救済の衝動に
かられたのだろう。

そのメサイア・コンプレックス
(救済者願望)は、
「自らも助かりたい」という
無意識的な欲求も併存している。

また、外的要因として、
ナツコを森へ誘かった
何か霊的なものがあるとすれば、
それは、まさに、この世に
愛児を残して未練を抱いたまま
逝った姉であり、
まだ未熟な少年マヒトの母である
久子(ヒミ)の魂だったのかもしれない。

物語の大団円は、
マヒトは亡き母の少女時代のヒミに会い、
継母ナツコと共に異界・冥界から
無事、帰還する。

そして、戦争は終わり、
マヒトは「ナツコお母さん」と呼び、
一家は新しく生まれた弟と共に
この世の異界的な僻地空間から
日常生活する都市空間へと戻る処で
「めでたしめでたし」
と物語は終幕する。

量子力学的な世界観で記述するなら、
異界はパラレルワールドであって、
「もうひとつの実在する世界」
という解釈もできよう。

量子の世界でも、
夢や無意識界のように
時空は歪んでおり、混沌としている。

あちらの世界の窓から
現世界を覗くシーンは、
『インターステラー』のシーンをも
彷彿させられた。

時系列的には、
戦中から戦後に変わり、
主人公の思春期前期の
アイデンティティ・クライシス
(自我同一性危機)は、
思春期中期に移行して
“かりそめ”ながらも
拡散状態から少しだけ
豆乳にニガリを打ったように
確立へ向かいはじめた。

それは、心・魂の成長、発達であり、
自己実現へと向かっている、
個性化の過程を
着実に雄々しく歩もうとしている
全うな青年男子の
「あるべきようわ」を示している。

本作は、宮崎監督の
戦中へのノスタルジーを描きながらも、
そこには、スマホやゲーム、ネットに
中毒している若者たちや、
腐敗、退廃しきった政財官の
オトナたちへ絶望や危機感を抱く若者へ
「君たちは、どう生きるのか」
という好々爺の老賢者的な
問いかけなのかもしれない。

その意味では、
意義の深い作品とも言えよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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片桐 夕子 逝く

2023-04-14 08:00:16 | 映画

 

 

きのうは
カウンセリング中に
わざわざ校長先生が
新年度の『辞令』を
届けて下すった。

通常は、
校長室で教頭も立ち合いのもとで
“交付式”がなされるのだが、
懇意な間柄だと
簡単に手渡しされる場合もある(笑)。

平成8年から
この任に着いてるので、
辞令を受領するのは
今年で27回目となる。

*

帰宅して、
ウコギご飯にしようと
庭の若葉を摘んでいたら、
アスパラが二本ニョキリと
生え出していた。

収穫したいのは山々だが、
地下茎を育てるのに
去年もそのまま生育させたので、
今年もそうするつもりである。

近所の原っぱでも
野生のものが
ニョキニョキ生え出した頃だろうから、
明日あたり散歩のついでに
収穫してこようかとも思う。

それと、そろそろ、
スーパーの店頭にタケノコが
並び始めたので、
放置竹林のウォッチングも
してこようかと思っている。

*

庭のナポレオン桜が咲き、
ボケも満開になったので、
紅白揃え踏みで
信楽に活けてみた。

*

注文していた
「ちばてつや」の初期の作品が
届いていたので、
風呂上り後に、
ゆったりとベッドで読みふけった。

『島っ子』にも登場する
サブキャラの「ヒナ夫」が
同じ名と同じキャラで登場していた。

ちば氏独特の
ヒューマンなタッチは
70年代の世相を
よく描いているように思われた。

*

給料日だったので、
Amazonに
まとめて10点くらい
「ちばてつや」の作品やら
村上春樹の新刊やらを
注文した。

仕事から帰って、
ポストに書籍類が届いてるのは、
なんだか、ちょっと嬉しいものである。

*

今朝の朝刊に、
片桐夕子の訃報が載っていた。

昭和の頃、
その美貌に時めいた事があったのを
懐かしくも思い返した。

 

 

 

 

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ウェルチ死す・・・

2023-02-17 10:12:40 | 映画

散歩路にあって
楽しみの一つとしていた
「ツタヤ・ブラウジング」が
閉店とともに出来なくなって、
今もって残念でしかたがない。

広大な更地を見るたびに、
早く、より大型に進化した
書店が建ってくれないかと、
願うばかりである。

いつもは新刊コミックコーナーで
買っていた『クッキングパパ』だが、
そんなんで、買い漏らしていたのを
Amazonに注文した。

そしたら、
新刊の『七つ屋』と
『あたりまえの贅沢』もあり、
ついでに注文した。

*

日曜まで「私的五連休」なので、
悠々自適に古楽器製作に
いそしんでいる。

ツゲの柾目の角材から
バンドソーで引き割りし、
板材を接合後に1.5㎜まで均し、
初めて表面板としてみた。

自家製材だと
市販のスプルース材の
1/10の価格で、
同程度のクオリティが得られた。

買い集めていた
ローズ(薔薇窓音孔)の
マッチングを見て、
初めて職人に依頼した
「組み紐」を採用することにした。

柔らかい素材なので、
瞬間接着剤で硬化させ
重しでプレスして
真っ平らに仕上げた。

サウンドホールの周囲には
『へリングボーン』の
インレイ(象嵌)を施した。

音孔をあけたら、
子どもの卒業証書の丸筒に
サンドペーパーを貼り付けて
グリグリとまわしながら
平滑に均した。

*

一昨日、
ルーター・テーブルを
自作したので、
それの二次利用として、
表面板に力木を接着する際の
竹プレスの天板に用いた。

竹のバネ力は
天板が持ち上がるほど強いので、
上には重しを乗せるほどだった。

*

裏板は三種の木で
ストライプにし、
古楽器らしい装飾にした。

2010年に始めた頃の
リューティエ・エチケット
(製作者ラベル)
が数枚残っていたので、
久しぶりに年号だけ変えて
使ってみることにした。

当時は、
「ナッちゃんパパ」
というハンドルネームを
ネットで多用していたので、
それを用いていた。

カットには、
スペインの『セゴビア橋』を
用いている。

*

工房内に
二本のルネッサンスギターが
並んでいるが、
もうじき三本目も完成する。

まだ、売りに出すには
時期尚早なので、
しばらく弾き込んで、
音が熟れてから
「中古品」として
出そうと思う。

製作を始めた頃、
パリコンで世界一になられた
マエストロ・リューティエの
桜井さんと食事する機会があり、
その折、持参した色紙に
懇願して一筆書いて頂いた。

「鑿(のみ)持つのは得意だけど、
筆持つのは、苦手だなぁ・・・」
と、筆ペンに苦笑しながら
格闘されておられた(笑)。

お世辞にも
達筆とは言えないが(笑)、
世界一のリューティエの
お言葉だけに、まさに、
楽器製作の要諦をお書き頂き、
有難く飾られて頂いてる。

*

モンローと並ぶ
セクシー女優の
ラクウェル・ウェルチの訃報が
載っていた。

82歳の高齢だから、
ラクウェル婆さん
けっこう長生きしたんだ。

恐竜映画での
グラマラスなビキニ姿で
世の殿方の度肝を抜いたのは
半世紀も以前のはなしである。

 

 

 

 

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