『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

誕プレ古酒

2018-10-31 06:58:00 | 食物・飲物
歳と共に
物欲がなくなってきた。

あれが欲しい、
これが欲しい、
というのがないのが
ボンビー暮らしには
幸いである。

人並みにお腹は空くけど(笑)、
あれが食べたい、
これが食べたい、
も稀薄になってきた。

それでも、
生来のネオフィリア(新奇好き)の
傾向はまだ衰えていないようだ。

なので、
まだ、行ったことのない
食堂やレストランを検索しては、
休日にわざわざ出かけている。

それも、
半分は、10年来続けている
グルメ・サイトの
ネタ探しの為かもしれない。

その意欲がなくなったら、
そろそろ、
人生店じまいだろう。

父は71歳で
末期癌で亡くなったが、
晩年は、家族で食卓を囲んで
「喰うのも飽きた。
生きるのも飽きた」
とポソリと漏らした。

抗がん剤や
全身転移で
辛かったんだと思うが、
それは、なんだか
遣る瀬ない言葉だった。

そっか・・・。

自分はまだ、
とりあえず、生きるのに
飽きてはいないなぁ・・・と、
思ったが、
いささか飽きかけてはきてるなぁ・・・
とも感じてはいる。

フレンチ創作も
それが食べたいがゆえではなく、
プレートというキャンバスに
素材を用いてドレッセという
技法で「美」を創出したいのが
モチベーションなのだろう。




この時節になると、
毎年、恒例の
自分への誕プレを考えるが、
還暦イヤーの去年は
とうとう欲しいものが
考えつかず、
『我レ還暦ル』
という記念冊子を
上梓しただけだった。

その前年は、
ユーチューブにあった
ソプラノの波多野睦美と
リュートの「つのだたかし」の
デュオに聞き惚れて、
CD4枚を誕プレとした。

毎年、
予算は一万両と
決めている。

それでも、
ボンビー・トーチャンにとっては
清水舞台もんである(笑)。

1年間ガンバッた
自分へのご褒美だから、
大盤振る舞いである(笑)。

「誕プレ」で
過去ログを検索したら、
毎年、きちんとアップしてあり、
ディナー・プレート、
ドレスシャツ、
スワロフスキーのカフリンクス、
8トラック・レコーダー、
セカンド・バッグ、
焦げ茶靴、
などがそうだった。

バッグはヤフオクで
「1円」で落札した
「バレンチノ」でなく
「バレンチ」という
パチモン品だった(笑)。

こないだ、
ちょいと洒落た夫婦を
買い物先で見かけて、
カミさんがルイ・ヴィトンの
バッグを持っていたが、
ダンナが「バレンチ」だったので、
ははん、連れのんも
「ロイ・ヴィトソ(そ)」かぁ・・・と、
ニンマリしてもうた。

(。・艸・) ウプ・・・




久しぶりに、
ヴィンテージ・ポルトが
飲んでみたくなり、
アマゾンやヤフオクで
誕プレに託けて
「1957年」をいくつか見つけたが、
さすがに、いずれも高額で
三九八(サン・キュッ・パッ)が
最安値だった。

これでは、
一万両縛りを
大いに逸脱して
≪誕プレ基本法≫違反に抵触する。

脳裏で
10回クレジットで
月4000円の借金かぁ~、
なんて先走ってるから・・・

(・・*)ゞ イカン・イカン

・・・と、法令順守をと戒めた。

年金まで
まだ数年あるし、
それかてスズメの涙?
ナツは院に進むし・・・。

そんなんで、
バースデイ・ヴィンテージは諦めて、
予算内で買える
「1982年」物にした。

これは
メジャー・ネゴシアン(業者)じゃなく
36年物ながら
ハイコスパの掘り出しもんやった。

ほんまは
一晩から数日休ましてから
抜栓すべきなのを
早くテイスティングしたい一心で
愛用のソムリエナイフで
慎重に抜栓を試みた。

古酒のコルクは
経年劣化でたいていは
モロモロになっており、
途中でぶち切れるおそれがある。

若いワインなら
神経を使わずに
キュキュキュ、スポッと
気軽に抜けるが、
ヴィンテージ物では
何度も痛い目に遭っており、
壜のなかに千切れたコルクやカスを
落っことしてデキャンタ(ろ過)する
羽目になったことも度々ある。

36年物との格闘も
さすがに手強かった。

深部までスクリューを廻し入れたが、
テコで引き抜く途中で
やっぱりモロリと
上半分から断裂した。

ε=ε=ε=ヾ(*。>◇<)ノ ヤッテモタァ!

でも、
そこから冷静に、
さらに深部までスクリューを
全身≪ジェットモグラ≫になり
(サンダーバードの掘削機)、
慎重に廻し進める。

そして、
そぉーっと、ゆっくり、
しんちょーに、
チリの炭鉱やタイの洞窟で
遭難者をサルベージするように、
下半分のコルクを摘出した。

最後の一瞬は、
カスが壜内に落下しないように、
大胆に・・・
気合を入れて・・・

工エェ─イッ!!ヽ(`(`(`ヽ(`Д´)ノ

・・・と、
円明流居合で習った
抜刀術のように
キュポーンと抜いた。

見事!
カスは落ちず!
我れ、為し遂げりぃー!

♪ヽ(´▽`)/ ヤタ~!

褐色化した古酒を想定して
補色のグリーン・ステムの
グラスを用意した。

いよいよ、
テイスティング。

(///ω///) ドキドキ

先ずは、色を愛でる・・・。

やはり、いくらか
アンバーがかっており、
その中に微粒子の澱(おり)が
漂っていた。

36年物を
いきなり開けたのは
やはり間違いだった。

「急がば廻れ」で、
数日間は立てて休ませ
澱を沈めておくべきだった。

なので、
これから数日間は
そうして、もいちど、
クリアな状態を鑑賞する。

アロマには
まだ、いくらか葡萄香がしたが、
熟成してナッツや仄かなスパイス香が
感じられた。

味はまろやかで、
さすがにこれは
年代物でなければ楽しめない
馴れた熟女のようだった(笑)。

***

『刑事コロンボ』の名編
『別れのワイン』には、
「フェレイラ・ヴィンテージ・ポルト1945年」が
事件の解決の鍵に登場する。

試しにググッてみたから、
まだ市場に数本あって、
5.000ユーロなので
現在のレートで
641.385 円である。

ε= (+_+)





カミさんは泡物好きで
週に1、2本は買ってくるので、
コルク籠が一年で
たちまちいっぱいになる。

毎年、それらを
一年の呑み収めと同時に
ザーッと廃棄するが、
むかしはよく
コルクを使ったフォトフレームや
シャンパン針金を使った
椅子なぞをこしらえていた。



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マラガの酒

2018-10-30 05:23:00 | 食物・飲物
寝起きに
体のキレがわるいなぁ、
と感じていたが、
知らず知らずのうちに
太っていた。

「食欲の秋」をいいことに、
考えなしで食べていたことを悔いて、
またコンサート前の
オン・シーズン・節制モードに
スイッチを切り替えねば、
である。

たしか、その昔、
松田優作の映画で
「狼は生きろ。豚は死ね」
という
コピーがあったが、
何故か、ふと思い出した。

「飛べないブタは、ただのブタだ」
というのもあったなぁ(笑)。


(´・Θ・`) ブヒ

減量せねば。
節食せねば。

ムオゥ~ッ! (/>_<)/




両手の指の
第一関節と第二関節が
変形やら炎症状態の
「ヘバーデン結節」と
「ブシャール結節」で
痛いやら、曲がらないやらで、
もうギタリスト生命も危うい。

ミューカスシストという
水ぶくれもできていて、
悪化している指もある。

ことに、
右指の小指と薬指とが
癒着したかのように
自由にコントロールできず、
『アルハンブラ』のトレモロが
最高パフォーマンス時期の
60%程度に劣化している。

なので、
曲の練習前には
トレモロを覚えたての頃にやった
『マラゲーニャ』の基礎練習を
泣く泣くやっている。

ギタリストが
『アルハンブラ』を弾けなくなったら
もうやめ時であろう。

いかな厚顔無恥で、
自己顕示欲があっても、
少なくも、
人前で演奏すべきではない。

初来日の折の
ホロヴィッツの演奏は
ボロボロでひどいものだったが、
吉田秀和氏からは
「ヒビのはいった骨董」
と酷評された。

もっとも、
老マエストロは
その後に練習を積んで、
捲土重来、名誉挽回を
はかったのは立派だったが。

***

きのうは、
<ギター療法>をしている
不登校の中学生の
2回目のレッスンだった。

ちゃんと復習と予習をしてきて、
初回の課題をクリアしたので
褒めてあげたが、
「自分の指と思えないほど、
思ったように動かない」
と嘆くので、
そうだろう、そうだろう、
と共感した。

昨晩は夢で、
女性の先生に
ピアノ・レッスンを受けていて
鍵盤が小さいので
上手く弾けずに困っていた。

凝り固まった指を苦にして、
ギターが上手く弾けない、
という現実の苦悩が
無意識下にも
反映したのだろう。

せめて、
心まで縮み込まないように、
「 Everything is OK 」
…と、
大いなる「全肯定」の
大海の中に浮かんでいたい。

先日の『赤毛のアン』の
最後の言葉が
印象的だった。

「道には常に曲がり角がある。
 神は天に在り、世はすべてよし」

まだまだ、
「在るもの、みな美しく、
 起こること、みなよし」
という
心境には至れないでいる。

でも、
変形指という身体障害を抱え、
うつ病という精神障害を抱え、
音楽をもって
「たましいの復興支援」のために
身命を捧げたら、
ミューズ(音楽の女神)も
背中をそっと
押して下さるやもしれぬ。




ルネッサンス期やバロック期の
吟遊詩人や宮廷音楽家の肖像を
古楽器製作の意匠モデルとして
参照している。

この絵からは、
ボディのくびれがない
箱型のギターを創案した。

裏板は
カーリー・メープルという
高級材を用いている。

珍しい
6単弦のオリジナルなので、
好事家に落札された。




『マラゲーニャ』を
基礎練習でやっているせいか、
ふと、「マラガ酒」を思い出して
ヤフオクでサーチしてみたら、
いかにもスパニッシュな
マタドール(闘牛士)とギターラを
模ったプレミア物が
400円という廉価であった。

ただ、
古物商の出品で
「未開封ながら中身は補償外」
とのことだったが、
フォーティファイド・ワイン
(酒精強化酒)なので、
おおかた大丈夫だろうと
踏んで落札した。

損したかて
400円だし・・・(笑)。
ただし、
送料の方が
800円もした。

なんと、
飾りとして、
一見モノホンっぽい
パリージョ
(フラメンコ・カスタネット)
まで付いている。

ググッてみたら、
これは正規壜の
お土産限定品のようで
もう市場にはない
廃版だった。

マラガは「マルサラ」同様に、
シェリーやマディラ、
ポルトほどには
メジャーではないので、
だーれも見向きも
しないのだろう。

これもまた
「マラガのもの」
という意味では、
もうひとつの
≪マラゲーニャ≫である。

商品説明には、
マラガの原産地呼称(D.O.)があり、
モスカテル・デ・アレハンドリアという
葡萄で仕込まれている。

黄桃やバニラのアロマがあり、
極甘口デザート・ワインながら
15度なので爽やかな飲み口で、
華やかなアフター・フレーバーが
あるそうな・・・。

これは、
シェリーと同じく
伝統的なソレラ法によって
醸造されている。

熟成も可能なので、
10年後の味も楽しみである。

届いたら、
さっそく、
『マラガの歌』を練習しながら、
≪マラガの酒≫で
憩うことにしよう。

ε= (•ω•`;)϶ オラガ マラガヲ ノムダ…



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声力

2018-10-29 07:55:00 | TV・ドラマ
Eテレの『100分de名著』を
視聴しているが、
『赤毛のアン』で朗読をした
上白石 萌音(かみしらいし もね)が
素晴らしかった。

教員時代から
通退勤での隙間時間活用の
車内学習として、
もっぱら落語や朗読、講演を
聴くことが多かったので、
市販の主なるソフトは
聴き尽くしたと思う。

なので、
365日×40年聞き続けている
落語と同様に、
聞き巧者になって
朗読の巧拙は
一目瞭然に判る。

この子は、
抜群にウマイ!

日本一の朗読巧者は、
橋爪 功であることには
揺るぎがないが、
それに追随する
市原悦子なみに
モネちゃんはスゴイ!!

キャラになりきり
その個性を表現、描写するのが
並外れている。

名人文楽、天才談志をもってして
「敵わない」と言わしめた
落語界最高のテクニシャン
金馬の八人芸を彷彿させる
語りわけが見事である。

そして、ドスの効いた
「声力」があり、
訴える力がハンパない。





知らない子だったので、
ウィキってみたら、
大ヒットした
アニメ『君の名は。』の
ヒロイン役だったという。

さもありなん、である。

┐(´ー`)┌ ヤッパシ・・・

そして、本人は
ミュージカル『赤毛のアン』でも
主役を演じたという。

ε= (•ω•`;)϶ ダカラカァ・・・

経歴を見たら、
NHKドキュメントのナレーターが
すごく多かった。

そりゃ、適役だろう。

鹿児島出身で、
まだハタチの
現役大学生だという。

朗読愛好家として
今後、モネちゃんの
ソフトが沢山出されることを
期待している。

この子は、
朗読の天才である。

なんだか、避けてた
アニメ『君の名は。』を
見たくなった(笑)。




新潟の古楽器奏者Sさんには
バロックギターのご注文やら
他に4本もの古楽器を
お求め頂いた。

そのなかでも、
ストラド・タイプと
ヴィウェラ、
ヴィウェリーノは
いずれも心血を注いだ自信作であり、
これらが遺作として
後世に残ってくれたら
有り難く思っている。

古楽器は
その典雅な響きも魅力だが、
なにより佇まいが美しい。

鑑賞に堪える美を
纏っているのである。

それに比べ、
モダンギターは
機能性には優れているが、
その分「美」を削ぎ落としてしまった。

あまり「機能美」があるとも
思えない。

自分は何ゆえに
古楽器に魅かれるのか・・・。
それは、ひとえに、
その美しさゆえなのだろう。

青山二郎や白洲正子のように
ただただ、美しいものが好きなのだ。

それは
「真善美聖」と
同じ高みの
価値感だからでもある。

美しいモネちゃんの語りも
その範疇にある。

真実なるもの、
善きもの、
聖なるもの、
に通ずるもののみが、
人の琴線を震わすのである。

もちっと
精進潔斎して
心身の贅肉を削ぎ落とし
ファナル・リサイタルに臨もう、
と思った。

そうでなければ、
「直ぐなるもの」
「純なるもの」
を聞き手に届けられない。

そっか・・・。
庭樹の大伐採、
家中の大整理、
茶庭の作庭・・・と、
すべて一本の道で
繋がっていたんだ。

(; ・`д・´)…ゴクリ

したらば、
最近、フレンチ創りに励んだり、
眉目秀麗な容姿・声のモネちゃんに
魅かれたりするのは、
「美」への回帰、収斂なのだ。






夕食当番の日に
ソーモン・フュメ
(スモーク・サーモン)
を創って
ドレッセしてみたら、
カミさんが
「キレイー!」
と感動してくれた。

なるほど。

「美」とは
間主観性(intersubjectivity)
のもとに成り立っているのだ、
と再認識した。

これはフッサールの
現象学用語だが、
間主観的であるとは、
自分以外の他者との間で
価値感などに
同意が成立していることをいう。

その状態は、
「主観性」よりはマシだが、
「客観性」ほど確かなものではない。

「美」というものは、
人間の本能や価値感、
あるいは嗜好性に依拠しており、
そもそもが、
客観性を持たないのである。

グロイのが好き、
というJC/JKも
少なからずいる。

ハロウィン仮装も
好んで化け物メイクをする。

見るもの、聴くもの、嗅ぐもの、
味わうもの、触れるもの・・・
五感には共通の快感がある。

「美しさ」は視覚、聴覚でのみ
言い表されるが、
「芳しい」は嗅覚の、
「心地よい」は触覚の、
「美味しい」は味覚の、
「美」と同列の讃辞である。

生物にとって、
「美味しくないもの」は
毒なのである。

舌はそのトリアージをする
センサーなのである。

美味しい食べ物は、
心身の栄養とクスリになり、
古人はこれを
「喰い養生」
「合い薬」
ともいった。

もっとも、
「良薬、口に苦し」
というクスリもあるのだが・・・(笑)。






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作庭

2018-10-28 05:41:00 | ガーデニング
家中の片付けを
毎日のようにしながら、
ハンティングしてきた苔を
庭に敷き詰めて
茶庭の作庭にも勤しんでいる。

50㎏はあろうかという
蹲(つくばい)を
庭の端から汗だくで
ウンショ、ウンショと転がして
老母の部屋の
庭への出入り戸に引き寄せた。

部屋の整理が
一段落した暁には、
久しぶりに茶室にしようと
考えている。





これまで、
京都のマンション、
吉倉、清水町・・・と、
いずれの住まいにも茶室があり、
茶会やお弟子さんにお稽古をしていた。

実家を二世帯化してからは、
子どもたち三人と老母とで、
茶室にするゆとりはなかったが、
今は、カミさんと二人きりになり、
空き部屋だらけになった。

なので、
茶庭に合わせて
十数年ぶりに
茶室を創出しようと思う。

お茶は、
在京中に
裏千家の片桐先生
(片桐石州の家系)に、
十年間、お稽古をつけて頂いた。

先生は数年前に
ご他界されたが、
親身になって手取り足取り
「茶道」という伝統技芸を
ご伝授くださった。

三千家がある京都で暮らし、
利休居士の墓参りもし、
名だたる茶庭や茶室は
ほとんどすべて見て廻った。

馴染みの茶道具店にも
入りびたりで、
懐石道具ひとそろいを
一年かけて買い揃えた。

嵐山の信楽作家・
後藤安久さんの処へも
ちょいちょい茶碗やら
花入、石杯(ぐい呑)を
求めに出かけた。

茶道発祥の地で得た
総合芸術としての
「茶」の教養は
生涯にわたって
自分の中にある。

それは、
茶を立てぬ日があっても、
雪月花を愛で、
侘び寂びに生きる
茶人の矜恃としてある。

「人生深生き」の
マイ・ライフモットーには
「茶を遊ぶ」
「茶人を生きる」
というのも重要な
レイヤーである。





清水町の住まいでは、
茶室にするゆとりがなかったので、
二階の踊場を
一畳台目の茶室に設えた。

半畳ほどの手前座と
一畳ほどの客座だったが、
ユングルメ研究会
(ユング+グルメ)の
美女三人がキチキチに座って
何度も薄茶事を楽しんだ。

作庭もして、
金木犀の枝に
八朔の実を数個刺して
「遊び点景」にも
したりした(笑)。

カウンセリングの
お客様方にも
この茶室で
幾人もお茶を立てさせて
頂いたものである。

この家は
知人のご身内が
買い取ってくださり、
今の実家を二世帯に
リホームすることができた。




土曜の晩は、
カミさんがテニスで、
恒例のサタデイー・ナイト・フレンチでの
ロンリー・ディナーだった。

何を創ろうか
思案したが、
昼寝で見たイメージを
形にしてみようと、
思い立った。

例によって
アタマん中を
仏語モードに切り替えて、
フレンチ・シェフ・トーチャンに
変身する。

(/・`д・´) / トゥ~!!

四角いグラスに
牛肉とアッシェ(微塵切り)にした
モッツァレラとソシッス(ソーセージ)、
ブール・デルブ(香草バター)を
ミルフィーユ状に詰め込み、
パプール(蒸し)してみた。

香草は庭で摘んだ
ロマラン(ローズマリー)、
オリガン(オレガノ)、
ソージュ(セージ)、
の三種類である。

ソースは、
20年前に購入した
「25年物」の
ヴィネーグル・ド・ケレス
(シェリー・ヴィネガー)を
キャラメリゼしたミエル(蜂蜜)と合わせ、
セル・ド・クルヴェット(エビ塩)と
ポワヴル(胡椒)でアセゾネ(味付け)し、
仕上げにブールモンテ(バターつなぎ)する。

蒸しあがったヴィアンド(肉)を
いったん別皿に取り出すと、
溶けたブールとジュ(肉汁)が
流れ出たので、それを
ソースパンに入れて
メランジェ(混ぜ合わせ)した。

クトー・アパレット(パレット・ナイフ)で
慎重にヴィアンドをプラ(大皿)に移し、
真上からソースをかけ、
ウフ・ヴイイ(茹で卵)の黄身を
シノワ(茶漉し)で振りかける。

仕上げに
ハーブ・ポットの
セルフィーユ(チャービル)の葉を
ピンセットでナッペ(貼り付け)して
完成である。

この時、
お皿はオーヴンで
熱々にしておくと、
ソースの香りがフッと立つ。

夢で見たこの映像のタイトルは
『塔から降るミモザの花』である。

フランス語で
何て言うのか、
試しに翻訳サイトで検索したら、
「Fleurs du mimosa tombant de la tour」
(フルール・ド・ミモザ・トンバン・デ・ラ・トゥール)
となるそうな。

フルールやラ・トゥールは
ワインにもあるので知ってるが、
「落ちる」という動詞は
初めて知った。

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「暇」といふ字

2018-10-27 06:48:00 | 風景
学校の執務記録だけは
万年筆で手書きしているが、
30年来ワープロ使用していると
ちょいちょい書けない字がある。

「暇」という字も
なかなか書けなくって、
いちいち辞書や
ケータイの変換を見てる。

なんとか覚える方法はないかと、
偏と旁(つくり)とを分解してみた。

両端は「日」と「コ又」なので、
覚えやすいが、
真ん中の形は、
なんじゃいコリャという
他の字ではとんと
お目にかかったことがない。

なので、
これを「P+二」に分解して、
「日曜は、どこも混んでて、Parkingに困った」
と覚えた。

「尋ねる」も
長らく書けなかったが
JKの千尋ちゃんから、
ワル男子から
「ヨエロすん」って
からかわれてイヤだった、
とカウンセリングで聞いて
覚えられた(笑)。

商売用語の「虐待」の「虐」も
時折、下の部分を
「ヨ」と書いて
ホワイト修正したりしている(笑)。

学習障害の一種に
ディスレクシア(dyslexia)
というのがあり、
知能が正常でも特異的に
書字・読字が困難な子がいる。

自分の場合は、
小学時代に重症の喘息児で
十数回も入退院をしていたので、
部分的に常用漢字の「構成感覚」が
欠落している節があるのと、
ワープロ症候群によるものと
思われる。




同時に少しずつ、
家んなかのあちこちを
片付けていると、
いろんな掘り出し物があって
オモシロイ。

息子三人たちの
成長の残滓のような
学業品やオモチャ類も
まだまだ山のようにあって、
毎日、教科書やノート、作品類を
ゴミ袋にくくっている。

歩いて1分の近所にある
ゲーセンのコインも
50枚ほど出てきたので、
散歩ついでに
小半時ほどゲームに
費やしてきた。

平日にも関わらず
老若男女がゲームに興じていたが、
ギャンブルよりはマシとはいえ、
なんだか「生産性」がないなぁ・・・とも
思ってしまった。

でも、実際にやってみると、
単純なコイン押し出しゲームでも
けっこうハマりそうになる。

これを初めてやったのは
大学入試の時、
東京在住だった親友のYの所に
泊まった時だったので、
もう40年以上も昔である。

それと、
はじめて知ったのは
あまったコインは
バンク・カードという機械で
カードに記録できるようで、
買い物バッグをさげた主婦が
買い物ついでにちょいと
ゲームしていくみたいな感じだった。

へぇ~。{•ᴥ•}

そういうアミュパ・スタイルが
あるんだ・・・。

人様の「3R」
(レクリエーション/リラックス/リフレッシュ)
について
「非生産性」云々いうのも
何だなぁ・・・と、
ちと反省した。

(・・*)ゞ イカン・イカン




老母の86年の
地層のように堆積した
物量に圧倒されながらも、
廃品選別をしていると、
意外なものが出てきて
時折、手がとまる。

自分の臍の緒まで見つけて
恐るおそる見てみたが、
桐の小箱に綿に包まれていた。

2cmほどの
干からびた
赤貝の紐のようだった。

コンビニの
乾き物ツマミコーナーにある
帆立のヒモのようでもある。

大1の頃の
祖父の葬儀や
教員9年目の頃の
祖母の葬儀の
親族写真も出てきて、
懐かしく思った。

この頃、
右隣の亡父は
まだ50代だったので
今の自分よりも若い。

左隣は敬愛する
従兄のタカボで、
彼は50才で亡くなり
こないだ十三回忌をやったばかりだ。

そして、偶然にも
去年亡くなられた
タカボのお父さん
ヒロシさんも隣だった。

この三人は
親族なかで「三聖人」と
誰もが認める人格者だった。

「いい人」から先に亡くなる、
というのが「佐々木家」の
宿命のようである。

なので、
口のワルイ叔父・叔母たちは
「あたしらは、長生きすんね。
 ね、オサム・・・」
と、からかわれる(笑)。

たしかに、
「憎まれっ子、世に憚る」
だなぁ・・・(笑)。





押入れには、
京都から帰福しての
三度もの引越しのたびに、
ダンボール梱包のまんまのものが
何十箱とある。

家中「総整理・片付け」の
一環にそれらも
この際、梱包を解いて
「断捨離」することにした。

「庭の大伐採」が
不思議な心理効果をもたらしてくれ、
もう、必要な物だけに囲まれて
暮らしたいという願望が沸いて、
めんど臭がりのモノグサ屋が
なりをひそめている。

それと、
「バック・トゥ・ザ・パースト」は、
昔の自分や家族を省みる
「暇」ができてこその
「金のかからない楽しみ」
であるなぁ・・・と、思う。

自分は次男ではあるが、
我が家が「本家」なので、
佐々木家代々の戸籍謄本も見つけ、
祖父の弟妹や両親の名前を初めて知った。

中国格言を捩った
自分格言を創ってみた。

一日幸せになりたければ酒を飲みなさい
半年幸せになりたければ結婚しなさい(笑)
一生幸せになりたければ料理を覚えなさい

一瞬幸せになりたければギャンブルをなさい
一年幸せになりたければ作物を作りなさい
一生幸せになりたければ家をいじりなさい(笑)

在京中は、
毎月一組お客様を
我が家にご招待して
フレンチのフルコース・ディナーを
催していた。

その頃は、
寝ても覚めても
フレンチとワインに
明け暮れていた日々だった。

京阪神の
フレンチ全店
およそ百数店を
8年かけて全制覇もした。

そのメニューの記録も
丹念に記されていて、
今回、久しぶりに眺めて、
我ながらオタクだなぁ・・・、
おバカだなぁ・・・と、
思わずにはいられなかった(笑)。

今のこの貧困生活は
この頃の放蕩三昧の
因果報応なのだろう。

チュドーン! (/_;)/  

カゴメの創作料理コンテストでは、
学校前の「カメハウス」で食べた
「そばめし」が
東北人にはカルチャーショックだったので、
「スパリゾ」なる
トンデモ・レシピで
「アイディア賞」を受賞した。

この時の盾が
未だにどこかに
埋もれてるはずである。

「そばめし」は
焼きソバを米粒のように
あのコテ(ヘラ?)で
ジャカジャカにして細かくし、
炒飯と合わせたような
「ゲテモノ」風な見た目である(笑)。

なので、
ロングパスタを
米粒大にして
リゾットと合わせたら
おもしろかんべーと、
レシピを提出した。

同じ受賞者の列に
ホテルの料理長などがいて、
ワイの「料理研究評論家」って
なんやねん、って笑える(笑)。

ギャハハ _(_ _)ノ彡☆バンバン!

ウソコキ~! イチャビリ~!







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