きのうは、
日中、28℃ほどになり、
ジメジメと湿度も高かったので、
仕事場にも初めて冷房を入れ、
ファンヒーターを引っ込めた。
今日までの
私的六連休だったので、
編曲仕事や片付けが
わりと、はかがいった。
この「はか」は、
進捗の「捗」の字を
当てるようだ。
ルビがなかったら
読めないかもしれない。
…
来年のリサイタルで
『アランフェス』全楽章を
デュオにアレンジしてやろう…
と思ってたが、なかなか、
構想がまとまらず、断念した。
既に、ソロで成し遂げたので、
今更、デュオにして…
というスケールダウンするのが
面白く感じなかったせいもある。
そんなんで、差し替え曲として、
大好きなカンツォーネ
『カタリ・カタリ』に
白羽の矢を立てた。
パヴァロッティの
朗々と歌いあげる中にも
哀愁が漂うソロに
いっぺんで聴き惚れたので、
あの感動を、なんとか再現出来ないか
楽譜とにらめっこしている。
ハ短調の旋律を
レキントギターで弾くと
マンドリンっぽい雰囲気になり、
それはそれで、ナポリじみて
良さげではある。
ちなみに、
正式なタイトル
「Core 'ngrato(コーレ・ングラート)」
は、ナポリ語で、
イタリア語では
「Cuore ingrato」になり、
「恩知らずな心」
または
「薄情な心」
の意味だそうな。
曲の背景は、
恋人カタリーナ(Catarì)に裏切られた
男の悲しみと怒り、未練が
込められている。
愛した相手に情を尽くしたのに、
報われなかったという切実な感情が
切ない旋律とともに、
聴く者の胸を打つ。
…
名人戦の第四局目は、
初日、千日手による
指し直しが行われた。
結果は、
中盤からじわじわリードし
終盤まで優勢を保っていたが
最終盤で珍しい疑問手を
数手指してしまい
逆転負けした。
これで、
3−1となった。
残り三局で
一番勝てば防衛になるが、
三連敗は有り得ないので
その可能性は濃厚ではある。
…
きのうも、
お昼は、ボッチ飯で、
バリラのヌーメル・チンクエの
アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノだった。
5kg買いを四度もしてるので、
もう、かれこれ、200回近く作ったから、
完全にカラダがマスターしたようだ。
きのうも、
アンティパスト、プリモ、
セコンド、ドルチェ…と、
自然とコースになった。
『お宝鑑定団』を視ながらの
ぼっちイタリアンだが、
自分で美味しいものを作れたら、
外食の必要なんかないなぁ…
とも思った。
子どもの頃から
台所に立ち、後年、
あちこちの食べ歩きに
ハマったおかげで、
料理得意ジジイになって、
ほんまによかった。🥹✨
もっとも、
連日、御馳走攻めにしたら、
カミさんは、
「粗食に戻そう…」
と、降参した……。🤣
…
寝室で、
シコシコ編曲作業をしてたら、
アンちゃんが来訪し、
自宅菜園の苺を持参してくれた。
ここ数年、
毎年のこと、頂いている。
お返しに、庭の
山椒の若芽を一握りほど
差し上げた。
出たばかりの赤ちゃん芽は
市販されてないから、
貴重な食材ではある。
冷奴にはベストマッチの
添え物である。
今日は、朝から、
アンちゃんちの苺採りを
手伝いに行ってくる。
こういう、隠居生活も
いいものである。
……
ピカソの14歳頃の
『漁師』という作品を見て、
その骨太さ、迫り来る力感に
感銘をうけた。
これだけの画力があっての
あの後年のキュビスムの作品が
創造されてきたのだなぁ……と、
感慨深く思った。
これより5年後には、
3年間の『青の時代』がある。
その頃の作風は、
寒色系の沈鬱で内省的で
繊細なものであった。
一人の画家が
これほどドラスティックに
一生涯に独自の画風を模索して
創造してゆく過程は
ピカソ以外にもいるのだろうか?
そこん処をAIに尋ねてみた…。
→ ピカソほど長い生涯を通じて、しかも時代を先取り・創造し続けた画家は極めて希少ですが、彼のように「変化そのものを芸術の本質と捉えた」ような画家は、他にも幾人か見ることができます。
特に、ゴッホとカンディンスキーは、ピカソと同様に内面の深さと革新性を併せ持つ存在といえるでしょう。
…
何かのBGMで
ナナ・ムスクーリ
(Nana Mouskouri)
というソプラノ歌手が
ヴォカリーズ風に歌詞なしで
歌っていたのを聴いて、
その幻想的な雰囲気に
感動したことがある。
他にも歌っていないか
調べてみたら、
サラ・ブライトマン
(Sarah Brightman)
という歌手も歌っていたが、
こちらは歌詞付きであった。
他にギター以外で
感銘を受けたのは、
ヴァイオリン・ソロで、
忠実にトレモロを再現したもので、
そのCDタイトルは
『メルヴィーユ』(驚愕)という
超絶技巧ものだった。
…