『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

賛助出演

2013-06-30 05:48:00 | ギター


合奏団のメンバーである
羽田先生の退職記念コンサートに
アンサンブルで賛助出演してきた。

テルサ大ホールには
発表会よりも多くの人が入り、
各世代の教え子と思しき
子どもたちの姿が沢山見られ、
終演後も先生の周りを囲んでいた。

「ギャンブラーは一瞬の楽しみ
 農夫は一年の楽しみ
 教師は一生の楽しみ」
という、格言を
つくづく再認識させられた。

と同時に、
自分にも18年間の教員時代の
教え子たちがいることに
幸福感を感じた。

最後は、教え子の小学生たちが
サプライズで舞台に上がり、
合唱部顧問だった先生に
指揮を請うて見事なコーラスを
聴かせてくれた。

ピュアで清澄な児童合唱の歌声に
ジンときて涙ぐんでしまった。




福島ギター合奏団として
ステージにお祝いの花を贈ったが、
コンサート後に聴衆に振舞われたので、
ちゃっかり頂いてきて
カウンセリング室に飾らせてもらった。

次の合奏団のコンサート予定は、
9/29の音楽堂での
シルバーコンサートになるので、
7-8月は練習オフになる。

でも、10月のコスキンには
すでに独奏でエントリーしたので、
『ブエノスアイレスの夏』と
『ベサメ・ムーチョ』の
暗譜と弾き込みに
これから取り組まねばならない。

コンサート・シーズンなので
ギタリスト・音楽家に
休みはないのである。


************


魂理学随談

イージー・ゴーイング

奈保子 先ほど、先生が言われた「辛抱」して「時節を待ち」「先を楽しむ」といったこは、「深刻にならない」ことが大切でしたね。
先生 そうですよ。英語でイージー・ゴーイング(easy-going)って言うじゃない。
奈保子 こせこせしない、あくせくしない、のんきにいく、というような意味ですか。
先生 そう。その手の日本語は山ほどあるでしょ。「泰然自若」なんていう四文字熟語もあるし、悠然と、悠々と、気長に、落付いて、脳天気に…とか(笑)。
奈保子 それと、先ほどの「大いなるもの」に任せる、というのは禅でいうところの放下(ほうげ)ということにも通じますね。
先生 そう。ドイツ語で言えばゲラッセンハイト(Gelassenheit)だね。
奈保子 キリスト教でも、自分を捨ててキリストにすべてを委ねる生き方、という意味で使います。
先生 そうですか。それは知りませんでした。漱石の『行人』にも「一切を放下し尽して」って出てきましたよ。



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コンサト

2013-06-29 07:51:00 | ギター


今日は、ギター学院の仲間で
合奏団のメンバーでもあり、
大学ギター部黎明期の先輩でもある
羽田先生の退職記念コンサートに
合奏団として賛助出演する。

生憎の梅雨空だが、
今の所、まだ雨は降っていないので、
なんとか一日もってほしいものだ。

9時から楽屋入りし、
合奏の練習とゲネプロをやって
2時からが本番である。

発表会と同じ
テルサの大ホールなので、
団員にとっては馴染みの会場である。

打ち上げから帰ってきたら、
きっちり8時から
カウンセリングの仕事が入っているので
気の抜けない土曜日になりそうである。


******


魂理学雑談

「対治」と「同治」

奈保子 あまり聞きなれない言葉でしたが、「対治」と「同治」というのは、ナルホドと思いました。
先生 ああ。あれは、五木寛之さんの『他力』とか『生きるヒント』から引用したんですが、人間の心の傷を「治す」言葉には、二つあるというんですね。覚えていますか?
奈保子 はい。一つは「励まし」で、もう一つは「慰め」でしたね。
先生 そう。人は、まだ立ち上がれる余力や気力がある時には、励まされると、再び強く立ち上がることができるけど、もう立ち上がれない、もうダメだ、という時には、励ましの言葉は届かないものなんです。
奈保子 「ガンバレ、ガンバレ」と言われれば言われるほど、辛くなる状況もありますものね。
先生 そうでしょ。3.11直後の被災地や避難所でも感じたでしょ。
奈保子 はい。よくわかりました。
先生 人間というのは、あまりにも「頑張れ。ガンバレ!」と励まされると、かえってそのプレッシャーに潰されてしまうこともあるんです。私は、うつ病体験者だし、毎日、うつ病の生徒たちと会っていますからよく解るんです。
奈保子 そんな時には、「しばらく、そのままでかまわないから、肩張らずに、すこし息を抜いて、休息したら…」と、言ってあげたいですね。
先生 そうなんですよ。そういう言葉によって、窮屈に感じていた心の風通しがよくなって、結果的に、それが救いにつながるんですね。そういった場面で大事なのは、励ましではなく、慰めであり、仏教で言う「慈悲」の心が大事なんです。
奈保子 「対治」というのは、例えば、高熱を発したときに、氷で冷やして熱を下げるようなやり方でしたね。
先生 そうです。
奈保子 これに対して、「同治」は、十分に暖かくしてあげて、汗をたっぷりかかせ、そうして熱を下げるやり方なんですね。
先生 そうそう。悲しんでいる人に、「いつまでも、クヨクヨしていてはダメだ。気持ちを立て直して、ガンバレ! さあ、元気を出せ!」と励まして、それで悲しみから立ち治らせるのが「対治的」なやり方。
これに対して、黙って寄り添い、一緒に涙を流すことによって、その人の心の重荷を少しでも自分の方に引き受けようとする態度が「同治的」なやり方ですね。
「対治」は否定から出発しているんです。悪を否定する。病気を否定する。不自由を悪と考え、それを叩きつぶし、切除することで善を回復しようとする。つまり「退治」と同義語なんですよ。
奈保子 そういう攻撃の思想は、ヨーロッパ近代文明の一面ではないでしょうか。
先生 そうだね。西洋医学も、患部を切除するという考えだものね。でも、「老い」や「死」というものを否定できるだろうか? 
奈保子 それは、できませんね…。
先生 そうでしょ。ですから、我われ臨床家にとっても大切なことだけど、とことん打ちひしがれた人々を救うのは、肯定の思想、「同治」の思想ですよ。


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オペラ

2013-06-28 05:55:00 | 音楽


昔は、女性の甲高いソプラノ声が
鳥肌がたって苦手だったが、
最近、BSの『こころの歌』を
視聴するようになってから
ソプラノの美しさに
心惹かれるようになってきた。

クラシック音楽では、
これまで唯一敬遠していた
オペラの分野を
50代のうちに極めてみよう
と考えている。


ヤフオクで2枚組の
2セットを280円で落札できた。

プッチーニとヴェルディの
オペラを廉価版で
全部集めようと思っている。




近所のブックオフでも
500円版と105円版を
何枚か買ってきた。

毎晩、就寝前に
枕元のラジカセで聴いており、
いつもそのまま眠ってしまう。


****************


魂理学雑談

助かる処方箋

奈保子 以前、先生の講義で、病苦・災難という人間の普遍的な不幸に対して、とりわけ「思いかえ」とか「思いわけ」という態度が大切だ、と教えていただきました。辛い中でも、心をマイナスの方にもっていくのではなく、プラスの方に、助かるように「思いかえ」ていくということでしたね。
佐々木 そうだね。そして、心をしっかりと落ち着けるべく、時には、大いなるものに身を任せてゆくことも、苦難を凌ぐ秘訣ではないか、と思っています。
奈保子 「大いなるもの」というのは、信仰を持っている人でしたら特定の対象があるでしょうが、そうでない人にとっては、超自然的なものとか、宇宙的なもの、ということになるのでしょうか。
佐々木 そうですね。何らかのトランスパーソナル(超個)的なものになるんじゃないでしょうか。あるいは、無為自然のように、自然の流れとか天命に任せる、ということもあるでしょうね。
奈保子 「成るようになる」というのも、諦念の境地であると同時に、「大いなるもの」に任せるようなニュアンスがありますね。
佐々木 自然を「じねん」と読むと、「自ずから然る」という意味になるでしょ。つまり、物事は成るようにしかならない、ということですね。
奈保子 しかし、いざ病苦・災難のときに、そういう思いになれるか、というと、なかなか容易なことではないですね。
佐々木 ですから、ふだんから、日常的に「思いかえ」の練習をしてなくちゃならないんです。碧水先生の歌にもあったでしょ。

 トレーニングなき本番に迫力なき
  当然のことと思ふ朝なり


奈保子 「思いかえ」というのは、ブリーフ・セラピー(短期療法)で言いますと、リフレーミング(reflaming)ということですよね。
佐々木 そうですよ。事の価値を能動的に反転させるんです。河合先生流に言えば、「二つ悪いこと さてないものよ」と積極的に捉えるんです。
奈保子 「二つ良いこと さてないものよ」の反対ですね。
佐々木 そうそう。
奈保子 それと、「真剣になること、深刻にならぬこと」という態度も大切、と伺いましたが、これは、真剣に治療する、真剣に養生する、そして、真剣に苦難が去ることを願い、信じ、祈ることでしたね。
佐々木 そうです。深刻にならず、辛抱して、時節を待ち、先を楽しむんです。これは、「言うは易く、行うは難し」ことだから、大変だし、努力がいるし、消極的でもあり、今風では、あまり歓迎されないことかもしれないけど、でも、いつの世も、あらゆる所で、これらが苦難を凌いでいく場合のキーワードじゃないかと思いますよ。だから、常平生からの心の鍛錬が肝要なんです。
奈保子 3.11の超自然災害や原発事故で身をもって思い知りました。


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コンプリート

2013-06-27 06:44:00 | 勉強


図書館から毎週
せっせと借りてきていた
全国の「昔話」をやっと
47県分コピーし終えた。

これで北は北海道、
南は沖縄までの昔話の
目録ができたようなものである。

現地の老人たちが
生粋の方言で語るので
味があって面白い。

津軽弁などは
聞き取れないほどの方言で、
同じ東北でも地域差を感じる。




昔話研究の第一人者である
小澤俊夫の著書もアマゾンから
中古で購入した。

以前から名前は知っていたが、
先日、『日曜喫茶室』に出演したとき、
小澤征爾の実兄だと知った。

べらんめぇ調の江戸弁で
面白い先生だった。

この夏休みは、
昔話の研究をしようと思い
今、他にもいくつか資料を揃えている。


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ギタリスト

2013-06-26 05:09:00 | ギター


仕事場に掛けてある愛器が
夕日に映えて
美しかった。

近頃、「プチうつ」のせいか、
自己肯定感が低く、
今朝も自分を
「能無しだ・・・馬鹿だ・・・」
と責めている心の鬼がいて、
ヤバイと気がつく自分もいる。

どうやって、
自分のレゾンデートルを見出すか
ということをいつも考えているが、
近頃は、「自分は音楽家なんだ」という矜持が
いちばん魂を救ってくれるような気がする。

だから、いつもカバンの中に
楽譜が入れてあり、
意気消沈したときには
魂を奮い立たせて
楽譜と向き合っている。




来年の課題曲である
バッハの『プレリュード』は
ほぼ暗譜できたが、
今でも楽譜を検討していて
その美しい世界、
言語表現の及ばない世界に
更に一歩でも近づこうとしている。


****************

魂理学随談

耐性欠如

奈保子 近頃、小学生の暴力が増えていて、ある年は年間1,890件もあったと言います。
佐々木 ほぉ…。そりゃまた大変な数ですな。
奈保子 今の青少年はキレやすい、とよく言われますが、心理学的に言えば、フラストレーション・トレランス(欲求不満耐性)が弱いか欠如している、と言えますね。その根本原因はどこにあるのでしょうか。
佐々木 そうですね、これは、いつも挙げている例えだけど、「暑けりゃクーラー、寒けりゃ暖房、腹が減ったらコンビニ、暇ならケータイ…」というように、不快感を自分の工夫で解消することがなく、機械やお金でばかり解決してきたから、「辛抱」や「我慢」ということを学習してないんじゃないでしょうか。
 物が有り余っている時代ですから、幼児期から、親が何でも子どもの欲求を満たしてやっていたら、小学生になったら「小皇帝ネロ」にもなるでしょうね。中国の一人っ子政策で多くそういう子どもたちが輩出されたっていうでしょ。
奈保子 すると、後天的な心因性に拠るものなんですね。
佐々木 一因じゃないかと思いますよ。立花隆さんなんかは、環境ホルモンの影響だろう、って言っていますが、科学的データは示していませんものね。
奈保子 生物学的な要因も考えられるし、社会学的な要因も考えられるかもしれませんね。
佐々木 うん。きっと複合的要因じゃないでしょうか。
奈保子 キレることの究極は傷害事件ですが、先生の分析された『佐世保小6殺人事件』の女の子も、会津で起きた母親の首を切断した高校生も、世間的には特異的な了解不能の猟奇事件として片付けていますが、深層心理学的には了解可能な力動が働いていたことが解りますね。
佐々木 そうですね。ユング的に言えば、佐世保のケースは自分の無意識下にある抑圧された否定的部分(影)を相手に投影した「シャドウ殺し」だし、会津はやはり同じような心的メカニズムによる「ネガティヴ・グレートマザー(否定的太母)殺し」ですものね。
 以前、山中康裕先生の講演を聴いたときに、「現代ではあらゆる儀式が形骸化して喪失してしまったので、子どもたちに、今、普遍的無意識的なアクティング・アウト(行動化)が起きつつある」と警告されていました。
奈保子 具体的にはどういうことですか?
佐々木 例えば、アイヌとかある山岳民族などでは、熊を山の神と見なして、殺した後で儀式を伴ってその血を飲んだりするでしょ。
奈保子 それは、神性を取り込む、というか同一化をはかる、ということですね。
佐々木 そう。プリミティヴ(原始的)な宗教性でもあるでしょ。
奈保子 そうですね。
佐々木 それと同じ事をオウムの信者たちは、麻原の血をイニシェーション(通過儀礼)として飲んでいるんです。
奈保子 教祖を取り入れる、ということですね。
佐々木 これは、想像ですけど、原始仏教集団でも、釈尊が入滅したあと、荼毘にふして仏舎利を側近の者は体内に取り込んだんじゃないかと思うんです。
奈保子 なるほど。あり得ますね。
佐々木 神戸の酒鬼薔薇事件というのがあったでしょ。あの中2の少年は、小学生の土師 淳君を殺害して首を切断した後に、ビニールシートにこぼれた血を飲んでいるんですね。
奈保子 はい。以前、先生の心理学の時間に伺いました。
佐々木 そう。講義でも話したように、少年審判の尋問で「君はなぜ、淳君の血を飲んだんですか」と問われたとき、なんて答えたか覚えているでしょ。
奈保子 はい…。「僕は、穢れているから…」
佐々木 そう。ショッキングな答えですよね。戦慄を覚えましたよ。
奈保子 はい。私も、その話を伺った晩は、ショックでご飯が食べられませんでした。
佐々木 でしょうね…。でも、一般には理解しがたい答えですよ。
奈保子 はい。先生の謎解きを伺って合点がいきました。
佐々木 そう。つまり、淳君は知的障害があったんで、酒鬼薔薇少年はそれゆえに「たましいの純粋さ」を信じて、それとの同一化をはかったんですね。
奈保子 まさしく原始宗教的行為ですよね。
佐々木 そうでしょ。それを山中先生は、今の子どもたちの無意識の深層にそういう危うい衝動や欲動が芽生えてきた、と指摘したんです。

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