『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

病院かけもち

2016-10-31 06:50:00 | 健康
市民検診で
採血、採尿、心電図などを
やってきた。

本当は、
胃、食道、大腸、前立腺、肺などの
癌検診もやらなくては
ならないのだろうが、
面倒なのとカメラが辛いので
一度やったきりで
もうやらないでいる。

四人の祖父母と両親で
癌になったのは亡父だけで、
あとは碌々検診なぞも受けずに
みな80越えの長生きだったので、
そっちを信じ、それに賭けて、
もしハズレたら、潔く負けて、
治療なんて抵抗せずに
自然に任せて死のうと思っている。

重症の小児喘息を患っていた
幼少期の10年間に、
主治医から
「この子はハタチまで生きない」
と言われたと
母親から聞いたことがあるので、
その後、奇跡的に全快して
今日まで生き永らえているのは
いわば「オマケ」の人生であり、
3.11でも生き残ったから
「丸儲け」のようなものである。

心残りがあるとすれば、
孫の顔を見てみたい、
と思うだけで、
あとは、特に未練もない。

まあまあ
納得のいく人生を
歩んできたつもりなので、
それ相応の「死期」を迎えるだろう
といくらか楽観している。



検診とは別に
咽頭炎の治療で耳鼻科に行ったり、
老母のカンファレンスで
入院先に行ったりと
病院を渡り歩いている。




先日の金光大阪での
講演に対する
ご丁寧な礼状が
校長、理事長名で届いた。

形式的な内容でなく、
実情的な文面だったので、
言葉による報酬を頂いたような
有り難い気分にならせていただいた。

本部長のイナッさんからも
個人的にお礼状を頂いて、
これも真心がこもっていて
有り難く読ませて頂いた。

教頭のサンマちゃんからは
メールでお礼が寄せられた。

先日、北工40周年記念での
功労賞授与式についても、
後日、校長・教頭から
式典出席のお礼をして頂いた。

茶会では「後礼」とも言うが、
このような仕来たりは
日本社会では常識であるが、
やはり大切な麗しい習慣で、
「実意丁寧」の体現であると思う。




NHK金ドラの『運似恋…』に
ハマりつつある。

48歳の原田知世が、
恋する可憐で可愛い
乙女チックに見えたり、
時にマンマのおばさんに見えたりと
まるで、『ハウル』のソフィーの
描写を彷彿とさせる。

前回では、
カスミが恋する年下のユーリ(アムロ)に
秘密にしている特大腫瘍があり、
オペを拒否して
自然死を望んでいるような場面があって、
予告編では、それを性悪女マホに
バラされてカスミが泣いてるシーンがあった。

先読みするのも
ドラマの楽しみだが、
実は、ユーリはアムロでなく、
死んだ幼馴染から移植してもらった
肝臓か腎臓(腹部のオペ痕は腸?)を
オペ切除したくない一心で
自然死を臨んでいるのかもしれない。

脚本の北川悦吏子は
『ビューティフル・ライフ』では
ヒロインの常盤貴子を
殺しちまったからなぁ・・・
今度も容赦なくユーリを殺すのかなぁ・・・。

でも、「たましいの救済」も
キーワードのようだから、
ひょっとして、カスミが
「私のために生きて・・・」
とか、ベタでクサイことになって・・・(笑)。

ユーリが親友からもらった
臓器を切除するのに逡巡していると、
夢か幻聴で狐狸庵先生の『沈黙』みたいに
「いーよ。ユーリ。僕のことを捨てても・・・」
なーんて声が聞こえて・・・(笑)。

・・・とか、
どーしても想像が
先走ってしまう。

















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漫画だって真剣に読んでるし・・・ϵ(◎⊼◎)϶

2016-10-30 06:21:00 | マンガ
今朝は、
大分と体調が
マシになった感がある。

でも、
まだ気管支あたりに
違和感があり、
耳鼻科処方の服薬は
続けている。

休日とはいえ、
土日ともに
ギターレッスンや
カウンセリングが入るので
丸々一日休みとはならない。

むしろ、
第五週のある月の平日に
学校が休みなのが
丸々一日休めて
ありがたい。



早く続篇を読みたいと思っていた
『王様の仕立て屋』の
シーズン3がコミック化されて、
書店で見つけて
狂喜して購入した。

シーズン1,2で
既に45冊揃えており、
何度も再読している
愛読書である。

紳士物に特化した
服飾コミックという
マンガ界でも稀有の作品で
その薀蓄は我が着道楽の
教科書になってくれている。

また、これを読み始めてから
古着スーツを買い集めては
虫食いを修復したり
パンツをサイズアップしたり…と、
針と糸での縫製作業を
“仕立て屋さんごっこ”として
遊んでいる。

今週も、
ラセット・スーツを
5コインで購入してきて、
虫食い補修とパンツ直しを楽しんだ。

今日は、それを着て
行きつけの鮨屋に
行こうと思っている。





朝刊の新刊広告に
久しぶりに、
カタカナ英語を見つけた。

カタカナ英語の権威と言ったら、
以前、福大に学術講演に来られた
島岡丘(たかし)先生(言語学博士)である。

NHKでキタローと共演し
「家内屁をプー/Can I help you?」
とか、
「紙屋/Come here!」
とか、
「薔薇/butter」「藁/water」
でネイティヴに
通じることを実証していたのが
面白く思い、その語り口も
魅力的で、紳士な方だったので、
学術講演では色紙を持参して、
終了後に演台に駆け寄って
恥も外聞もなく
「直聞直解」という
お筆書きをかいて頂き
握手までしていただいた。

こういうのを
学問的ミーハーというが、
他にサインと握手して頂いたのは
河合隼雄先生と
加藤諦三先生だけである。

これらの先生のご著書は
二百冊以上は読んだが、
若い頃は、願わくば、
ご本人に同一化したいくらいに
思っていた。




先日、中学来の親友から
子どもさんの事で
困っておられる親さんを
カウンセリングにと紹介された。

親友からのメールによる
ケース内容を読んで
緊急性と重篤性を感じた
ケースだったので、
既に予約時間が決まっていた
常連さんに「緊急性」を理由に
無理を言って曜日変更をお願いした。

不思議なもので、
何十年カウンセラーをしていても、
ご新規さんというのは、
生徒であっても保護者であっても
ある種の「緊張」を伴うのである。

それは、
何十年ギタリストをやっていても、
本番ステージでは
何が起こるか分からないので
「緊張」するのに
似ているかもしれない。

ましてや、
カウンセリングは
ひとつ間違うと「命が懸かる」ので、
文字通り、毎回が真剣勝負の
今、ここでの「一生懸命」なのである。

予約の定刻を過ぎても
おいでにならないので、
夜のことだし、
初めての来室だし、
道に迷っておられるのかも、
と善意に解釈していた。

ところが、
通常なら、どのご新規さんでも
迷って遅れそうな時は
必ずや電話やメールをよこすが、
15分経っても来ないので、
とりあえず半時待つことにした。

30分して、
堪らずメールしてみたが、
なんの応答もない。

こりゃ、やられた、
スッポカされたと思ったら、
なんだか、急に
腹立たしくなってきた。

こちとら、
ケース内容をカルテ化し、
資料を何枚か用意し、
治療計画、心理教育の検討をして、
体調悪くて鎮痛剤を呑みながら
カウンセリング室を掃除して、
早めに入浴、早めに食事して、
緊張しながら“お待ち申し上げていた”のに・・・。

親友が仲介に入って
連絡を取ってくれたら、
「忘れてました…」だと。

ヽ(#`Д´)ノ ザケンナ~ッ!!

…である。

謝罪電話にも、
謝罪メールにも、
返答なぞしなかった。

こっちは、
残り時間少ない人生を
真剣に生きているのに、
貴重な時間を無碍にされるのは
たまったもんじゃない。

\(#`(エ)´#)/ ガオォォー!!!

その方も、
親身になって親切心で
仲介に入ってくれた
親友の面子を潰して
どう謝罪するつもりなのだろう・・・。
 
























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早退

2016-10-29 06:36:00 | 風景
昨日は、どうにか
遠方の棚倉に赴いたものの、
やはり体調は優れず、
午後のカウンセリング予約保護者が
天の配剤かふたりとも立て続けに
ドタキャンになり、
大学同級生の校長の許可を得て
早退させてもらった。

コンサルテーションが
退勤時刻をオーバーすることが
しばしばあるので、
こんな時にこそ
時間調整をさせてもらうよりない。



先日の大阪講演で
教頭のサンマちゃんから
頂いた創立三十周年記念の
揮毫扇子をK高のカウンセリング室に
飾ってみた。

さっそく、
ケース・カンファレンスの後、
養護教諭のH先生が気が付いてくれ、
「和賀心」とは
「我が心が、常に和み、
喜ぶように努めると、
人生いい事ずくめになるんです」
と解説させて頂いた。




ついでに、
頂いてきた記念コップをも
机上に飾ってペン立てにした。

思えば、
11年間、およそ3.000回は
この校門からの
風景を目にしていたことになる。

K工高には20年勤務したといっても、
非常勤で、週2日で2年、
以後、週1日だったので
およそ1.000回しか
学校風景を目にしていない。

さすれば、
やはり金光が
いちばん長く奉職した
母校感がある。

ついでに、
横浜の後輩宅で
愛娘のノノちゃんから
別れ際に、
プレゼントにもらった
何かよく分からない
少女キャラ物も飾ってみた。

小1の女の子の真心なので
それは大切にせねばならない。




後輩が
「横浜にぎわい座」で催した際の
落語会の記念手拭もついでに
廊下の掲示板に飾った。

ここには
コスキン五年連続出場記念の
タオルも飾ってあって、
カウンセリングには
まったく関係もない(笑)。

(^▽^)>テヘヘ…♪

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友に祈る

2016-10-28 05:07:00 | ノンジャンル
昨日は、
近所の耳鼻科が休診日で空振りし、
けっきょく、カワチでトローチを買って、
小指の先っちょにイソジンを垂らして
鼻ん中にグリグリ突っ込んで(笑)、
自分で治療したことにして誤魔化した。

予想外の休診で、
気持ちが萎えてしまい、
体のだるさもあって、
勤務を断念して
今年初の病欠をとった。

痛み止めを呑んで
ベッドに入りなおしたら、
瞬く間に爆睡してしまって、
やっぱり風邪モードの
体調だったようだ。

今日も、
微妙なコンディションだが、
多くのクライエントを
キャンセルするかと思うと、
久しぶりに“とと姉ちゃん”の
「どーしたもんじゃろのー」
になってしまう。




月曜の市民検診の帰り、
ふと、永京寺に
寄ってみようと思いつき、
お盆に行かなかったので、
二十七才で夭逝した
中学時代のテニス部仲間で
親友のマサヒロの
墓参りをしてきた。

去年の九月、
彼の三十三回忌の法要では、
同じく一中テニス部で
親友のヤマザキと共に供養したが、
あの折、彼の今生では
まみえることのなかった孫の男の子が、
法事の仕舞いに、
鐘楼の鐘を打ち鳴らすのを聞いて
彼岸のあ奴にも届いたかや・・・と、
万感の思いが込み上げたのを
思い出した。



3.11の大災害に遭遇するも
こうしてどうにか生き残り、
家族みな達者で暮らすことができ、
いくらかでも、まだ
世と人のお役に立つ仕事を
させてもらえることに、
感謝の念を抱かずにはいられない・・・と、
凛とした観音様のご尊顔を拝して
そう思わせて頂いた。



 散るさくら
  残るさくらも
   散るさくら

     良 寛


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抽象的危険性

2016-10-27 07:57:00 | 風景
一昨日、
昼食中に胃の不調を感じて、
気のせいだと思っていたが、
昨日は喉が痛み出し、
夕方頃には鼻水が出だした。

今朝も喉が痛く、
全身に倦怠感が襲っている。

久しぶりに
喉風邪にやられたようだ。

幸い、今日は
午後からの勤務日なので
近所の耳鼻科で
9時から診察とネブライザー治療を
してこようと思う。

朝方、
イブプロフェンを呑んだので、
倦怠感が取れれば、
気力は萎えていないので
郡山出勤は可能だが、
明日は棚倉への遠方勤務なので
明日朝の体調と気力次第である。



郡山のK工高の帰途、
満月に照らされて
3.11来ある道沿いの標語が
なんだか自分を鼓舞しているように
見えた。

42歳の厄年に
「うつ」を患って
苦しい思いをしたので、
今後は、
「嫌なことはやらない」
「義理を欠く」
「頑張らない」
というライフ・モットーを立てた。

しかし、なかなか
モットーどおりにもいかず、
けっこう嫌々やったり
義理に縛られたり、
ついつい頑張ってしまうことがある。

その時は、
あの苦しく辛かった時を
忘れるな、と自戒している。

かつての主治医で
研究会仲間のO先生からは
「頑張れるのなら、
頑張った方がいいけど、
くれぐれも無理はしない方がいい」
と言われ、これは
よく「うつ」のクライエントの方にも
同じように申し上げている。




注目していた
大川小裁判の判決が出た。

あの時、誰もが
裏山に避難誘導すれば
74人もの子どもたちは助かったのに・・・と、
思わずにいられなかった。

現場の判断では、
裏山は土砂崩壊や倒木の危険性が
あったので回避されたのだろう、
ということだったが、
判決文では
「抽象的な危険を、
津波の具体的な危険に
優先させることはできない。

規律ある避難に
拘るべき状況にはなかった。

列を乱して、山を登ることを含め、
高所への避難を最優先すべきだった」
と、児童の保護義務に対して
重大な過失を認めた。

遺児74人のうち
訴訟に踏み切ったのは
23人の親たちだが、
勝訴したとはいえ、
晴れない気持ちに
変わりはないだろう。

しかし、
日本の教育界に
一石を投じ、
頂門の一針となる
“お裁き”であった。





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