『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

夏休み

2018-07-31 05:36:00 | 趣味
丸まる一週間
夏休みを過ごしたが、
猛暑、酷暑で
熱中症を予防するのに
毎日、神経を使った。

台風が来て、
暑さも一段落したかと思ったら、
今日は36℃になるという。

朝から25℃/湿度75%もあるので
仕事をするのに、
躊躇わずエアコンを入れた。

同じ25℃でも
湿度が50%になると
ぜんぜん爽快感が違う。

扇風機も併用して
絶えず室内に微風を起こしている。

その風に時折、
室内風鈴がチリン♪
と鳴ってくれるのが
いい気分である。




日曜には
久しぶりに車に乗って
市街まで出かけたが、
日向に駐車してると
乗った瞬間に
ムアッとする激熱で
頭がクラクラする。

窓を全開して
熱気を抜きながら走り、
エアコン最強で急速冷房しないと
車内で熱中症になりかねない。

南町集会所前から眺める
弁天山と阿武隈川の風景が
お気に入りのヴューイング・スポットで
「私的・福島八景」のひとつに
入れている。






今日は、
ソータの順位戦が
10時からある。

最近は
勝ったり負けたりで
破竹の勢いの連勝が見られない。

今日もまた、
勝敗が決するのは
夜の10時過ぎだろう。

それまで、
仕事しながら
観戦しようと思う。





きのうはアマゾンから
曽野さんの新刊が届いた。

夫の三浦朱門さんが
亡くなられてから
書かれた後半には
さすがに深い考察が
披瀝されていた。

自分にとっては、
書き手、話し手として
「たましい」に響いてくる
数少ない作家である。


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夏草や~

2018-07-30 05:56:00 | 風景
台風一過で
青空が望めた。

吾妻山をスッポリ呑み込むほどの
巨大な積雲が縦に連なり、
その分厚さは台風のシッポを
思わせた。

気温は28℃手前だったが、
湿度が75%もあり、
デジタル・サーモメーターの
「熱中症注意」が点滅した。

台風通過中も
通気用に窓を開けていたので、
廊下がペタペタするような
湿った感触であった。



雨あがりに
二階の窓から
庭を見下ろすと、
カミさんの車が雑草に
埋没していた。

いつだったか、
指導主事のC先生が
遊びにきて、
「先生。ちょっとは草取りしなよ~。
 これじゃ、お客さん来なくなっちゃうよ~」
と呆れていた。

雨上がりに
土が湿ったのをいいことに、
草丈の高いものだけ
十本ほど引っこ抜いた。

カミさんも横着なので、
車の降り口の足元だけ
ちょいちょいと抜いたという。

どうもこの夫婦、
福島弁でいう処の
“たれか”なのだろう。

どっちも大学の
生物学研究会だったので、
植物が繁茂することに
さほどに抵抗がないのかもしれない。

前の家、その前の家でも
雑草ボーボーで、
見かねて老親たちや
大家さん夫婦が
草取りに来たこともあった。

それでも、
草取りをしない。

生えたくば生えよ。
抜きたくば抜こう。
という「自ずから然る」
自然(じねん)の精神で生きている。




曽野綾子のエッセイを
愛読しているので、
新刊がアマゾンから届いた。

オフィーリアを模した
樹木希林のポスターが
話題になったようだが、
そのコピーも面白い。

これからの年寄りは
すべからく
野垂れ死を覚悟せよ、
という命題が
清々しく胸に響いてきた。

たしかに、
死ねば宇宙の塵芥(ちりあくた)
なのである。

老境の妙か、
段々と自分の死に対して
センチメンタルじゃなくなってきた。

過覚醒気味だった
若い頃にくらべて、
いい按配に草臥(くたび)れてきて
覚醒レベルが下がってきた。

「酔生夢死」
というように、
酒に酔ったように、
夢見心地で死んでいけたら、
それが理想かもしれない。




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台風一過

2018-07-29 06:32:00 | 風景
台風一過で
今朝は青空が拝めたが、
すぐまた曇りとなった。

今回の12号は
今まで見たことのない
左カーブの南下タイプで、
まるで豪雨被害を受けた
西日本に狙いを定めたかのように
現在向かっている。

さらなる
二次災害が発生しないことを
祈るが・・・。

それでも、
昨日は久しぶりの
恵の雨となった。

ずっと一雨を乞うていたので、
庭樹にもけっこうな
お湿りを頂いた。

八日連続の猛暑日で
不要な外出を控えていたので、
庭の大切なイチジクの葉っぱが
枯れかけていたことにも
気付かなかった。

一晩の雨で
大いに潤ってくれたので、
庭樹たちも喜んでいそうだ。



散歩に出たら、
暗渠に接するアスファルトの上に
小さな流れが延々と続いていた。

車の往来に踏まれて
泡だったのだろう。

目線の高さから
見下ろすと、
なんだか海岸線に
打ち寄せる波のように
見えないでもなかった。

ついでに
足元のズックにも目がいく。

毎日、散歩で愛用しているのは、
靴センターのワゴンセールで
300円で買った真っ白なズックを
自分でダイソーの100円スプレーで
「ブリティッシュ・グリーン」に染めた
お気に入りのものである。

地の白い部分を
マスキングテープで覆って
ツートンにした処が
お洒落ポイントである。

夏だとスリッポン感覚で
素足に履いても具合がいい。



従妹のミキティにもらった
室内用風鈴を
床上においてある。

扇風機の風を受けて、
時折、軽やかにチリリンという
遠くから聞こえてくるような
音を耳に届けてくれて
すこぶる心地よい。

今は、毎日、
ジョルディ・サバールという
ヴィオールの名人の
CDを聞いているが、
その曲の合間、合間に
何の違和感もなく
チリリンと鳴ってくれる。

***

今週は猛暑、酷暑で
温度計が38℃まで
ウナギ昇りになったが、
心理学サイトのアクセス数も
負けじ劣らず伸びてきて、
月曜日に更新した「2.418」を
土曜日には「2.546」と
更に伸ばした。

この分だと
夏休み中に
3.000の大台に乗るやもしれぬ、
と期待している。

顔の見えない読者を相手にしていたが、
最近になってやっと
「楽しませて頂いています」
という感想も
ポツリぽつりと
届くようになった。

教育臨床家は
「書けて、話せて、読めて」
ナンボの世界なので、
「たましい」に届く言葉を発信するのには、
とにかく論文や書籍を読まねばならない。

今日、知ったことを
翌日には書いてるという
自転車操業ではあるが、
こうでもしないと
ナマケモノの親類で
自称「寝たきりカウンセラー」だから、
自学の習慣が身に付かない。

インプットを多くした者こそ、
アウトプットが出来るものである。

なので、論文に限らず、
マンガ、小説、映画、落語、
音楽、楽器、絵画、写真・・・と、
「ソフト喰い」と自己揶揄しながら
インプットしたものを
アウトプットの「自己表現」に
なかば強迫的にやっている。

ある意味、
全力疾走している
毎日なのかもしれない。

「短い寿命、そんなに急いで、何処へゆく」
というコピーが
今思い浮かんだ(笑)。

かつての教え子で
霊感があるという女の子から
戯れに視てもらったら、
「先生には知識のカルマがあります」
と言われて、
30代前半だったので、
「へぇ~・・・」
と気にとめることもなくいたが、
六十路になって、
そうかも知れんなぁ・・・と、
思わないでもない。

「知識オタク」「雑学オタク」の気は
十分にありそうだ。



こころの復興支援にと、
毎年、桃を送ってくだすっている
金光大阪の元同僚ハネちゃんに
礼状とCDと拙著を送らせて頂いた。

一昨晩は、
電話でも懐かしくも楽しく
大阪弁で談笑させてもらった。

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アニマ力

2018-07-28 04:50:00 | 健康
連ドラの『半アオ』が
第三エピソードに入って
久しい。

キャラの濃い
キムラ緑子ら三姉妹も
どうにか馴染みつつあり、
ダメンズ涼ちゃんも
スズメっちの懐妊で
目が覚める。

はたして、この物語
いったいどこに着地するのか
今の処、まったく見当がつかない。




主役の永野芽郁を
見ていると、
不思議なことに
これまでの幾人たちかの
女優の面影が
ダブることがある。

モンタージュでいえば、
桜田淳子と吉沢京子と
石原さとみを足して
3で割ったような感じである。

時折、目元が
綾瀬はるかや
鈴木京香のようにも見える。

『八重の桜』には
子役で出ていたというので、
見ていたはずである。







夏休みになり、
毎日、散歩&買い物が
日課となり、リュックを
背負って外出している。

酷暑を避けるのに
スーパーの開店する9時半前に
家を出るが、それでも、
猛暑日のときは
陽射しがきつかった。

きのうは
戯れにパチンコ屋の
駐車場の縁石を
小学生のように
ポンポンと渡り歩いた。

平均台歩きのようで
いくらか平衡感覚が
鍛えられるだろうと思ったが、
途中で、あべのハルカスの
空中庭園の渡り廊下だと連想したら
急にカラダが強張って
一度落下してしまった。

なんだか、
芥川の『魔法』という
短篇を思いだした。

人間なんて
簡単に暗示にかかってしまうのだ。





おとついは、
Tちゃん先生から、
ご神前からの“おさがり”の
ドリンクや桃を頂いた。

そして、きのうは
大阪の元同僚の
ハネちゃんから
桃が送られて来た。

3.11来、
心の復興支援として
毎夏送ってくれるので
ありがたいことである。

昨晩は、
お礼の電話をし、
久しぶりに大阪弁で
談笑を楽しめた。

また、昨晩は
テニススクールに
夜通っているカミさんが
珍しく、呑み残しのペットボトルを
半分飲んでと手渡してよこした。

なんだか、
女性三人から
あてがわれた食べ物、飲み物が
まるで女神たちから
これをクスリとして養生しなさい
と言われたように感じられた。

連ドラの
スズメっちにも
日々癒されているので、
ユングの言った
内的異性像(アニマ)は
外界に投影され、
それが創造性や癒しに与る
ということが
腑に落ちるようだった。

アニマはラテン語で
「風」であり
「たましい」でもある。
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(無題)

2018-07-27 06:03:00 | 季節
八日も続いた
35℃以上の猛暑日が
昨日でやっと途切れてくれた。

33℃に下がっただけでも、
あら、なんだか、過ごしやすい・・・
となるのだから、
不思議なものである。

昨晩から今朝にかけては
久しぶりに25℃を下回り、
涼しげでさえある。

それはそれで
嬉しくもあるが、
その寒暖差もまた
老体にはストレスにもなる。

自律神経系が疲弊しているのが、
我が事なので、よく解る。

風邪を引いたときのように、
耳鳴り、だるさ、関節痛と
不定愁訴のレンジが広い。

“真綿で首”のような
シンドさが続くと、
(もう、誰か、いっそ殺してくれ~!!)
と内言で
雄叫びを上げたくなる。

「辛抱」は
「辛さを抱く」と書くが、
辛さなんて、いつまでも
抱いていたくもない。

かつて、
似たような状態で
主治医に愚痴ったら、
「癌や難病に罹っていないだけ、
ありがたいことですよ」
と諭されて、
そうだなぁ・・・とも思わされた。

今この瞬間にも、
ALSや腫瘍などの難病で
治療、闘病されている
友人・知人が幾人もおられるので、
夏バテ、プチうつ、くらいで
グダグダいってるのも
情けない話かもしれない。

こないだ、
オモロイ番組を見た。

温泉に入ると、
誰しも「あ~」という
声を上げるのは、
体温の急変というストレスを
無意識に発声によって
発散させているのだという。

へぇー・・・と、
感心してしまった。

ならば、
ブログで「はぁ~」たら
「ほぉ~」たら
弱音、愚痴を吐くのも
いくらか効果があるのだろうか。

ε= (•ω•`;)϶ ツレ~ 




寝室の窓まで肉薄している
隣家の壁面にセミを
発見した。

まだ鳴きはしていなかったので、
土から出てきたばっかり
なのかもしれない。

こっそり窓を開けて、
最大ズームで撮ってみた。

珍しくもない油蝉だが、
最近では、子どもの頃よりも
その姿や泣き声が
少なくなってきた感がある。

この夏もセミの声を聞いたのは
つい数日前からである。

セミまで
絶滅に追い込んだとしたら、
人類の罪業の深さに
唖然とせざるを得ない。

我われはみな
地球環境テロを為した
オウム死刑囚なのか・・・。





ここ数日、
夕日がきれいに
眺めることができる。

一日、暑さに耐えた
神様のご褒美なのかもしれない。

悔しいのは、
今のカメラの精度では
見たままに撮れない、
ということである。

かつて、
そんなCMがあった。

「見たままに撮れます!」

ウソつけやい、
と思った。

人間の眼以上に
精度のいいカメラなんぞ
あるわけがない。



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