『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

救急搬送

2016-08-31 06:55:00 | 健康
台風10号は
やや東寄りに逸れて
直撃こそなかったものの
風雨はかなり激しかった。



金曜の晩に、
コケて倒れた…
とばかり思っていた老母が、
四日経っても
ベッドから起き上がれず、
食欲も回復しなかったので
近所の病院に相談してみたら
「うちでは診れないので、
どこ何処で・・・」
というので、あちこちに電話で
訊ねてみたら、結局、救急隊に
判断してもらった方がいい、というので
救急車の要請をした。

まだ、
台風の風雨が激しい時だったが、
連絡後、5分ほどで到着し、
手馴れた様子で3名の隊員が
シーツごと持ち上げて
小型担架で車に乗せてくれた。

救急車内で病態を聴取され、
移送先の受け入れを訊ねてくれて、
結局は、父親が末期癌で長期入院していた
大原総合病院に搬送された。

自分も大学時代に熱中症と
教員時代に尿管結石で
患者として救急車に
乗ったことがあるが、
介添え席に座ったのは
初めてだった。



19年前に、
父親の最期を看取るのに、
兄と母親と三人で狭い病室に
寝泊りしたことがあるので
馴染みの病院でもある。

父の一周忌の『偲び草』が
今、手元にある。

+++++

『夜の病室』

 父は最期の入院から、およそ2週間後に息を引き取った。
 その間、兄が前半の1週間、私がその後の1週間を病室に泊まりこんで付き添った。
 二人とも、もちろん仕事はキャンセルである。
 何とか父の最期を看取りたいという気持ちは二人とも同じだが、如何せん仕事をそれ以上休めない状況ではあった。
 兄は後ろ髪を引かれるようにして千葉へ帰ったが、その前日に
「ここにいると、変な気になっちまうな・・・」
 と言った。
 彼が言わんとする意味が、私にはよく解った。
 私も心のどこかで同じ気持ちが過ぎったからである。
 それは、父には一分一秒でも長く生きていてほしい・・・。
 しかし、意識がなく危篤の状態がずっと続いている。
 まるで、出口の見えないトンネルに入ったように・・・。
 兄も私も、自分の「疑心暗鬼」に苦悶したのである。
 我われ以上に高齢で、ずっと看病しっぱなしの母には、もっと色濃い疲労が現れていた。
「こっちが先に参っちゃうかもしれない・・・」
 と冗談を言いながら、自らも点滴を打ってもらいながら頑張っていたのだ。
 母も最期を看取る、という気持ちの張りだけで持っていたようだった。

 それでも、この“死を待つ部屋”にも平安がないでもなかった。
 それは、我われが子どもの時以来、何十年かぶりでの「親子水入らず」の一晩があったからである。
 深夜の狭い個室の病室に、父の弱々しい吐息と、母と兄たちの鼾(いびき)が唱和していた。
(ああ・・・。むかし、こんなふうにして、四人でひとつ部屋に寝た日々があったなぁ・・・)
 と思った。
 私はそっと病室を出ると、ひとり深夜の病棟を徘徊しながら、
(父はまだ生きてる。父はまだ、この世に生きてる・・・)
 と何度も独り言ちた。

++++++

辛うじて医師の問いかけに
応答は出来る老母は
レントゲンやCT検査に廻された。

そして、青服の救急救命医が
廊下に出てきて、
「小脳に微細でない出血がありました」
と告げ、
「ここでは脳外科がありませんので、
センターの方に移送します」
とのことだった。

小脳の脳溢血と聴いて
驚いてしまったが、
大脳の言語野を侵さなかったから
応答はできても歩けなかったのだ、
と了解できた。

そして、再び救急車が呼ばれ、
病院間の搬送になった。

画像資料とカルテを持参した
若いドクターが一人付き添ってくれて、
大原医療センターの専門医に
引き継いでくれた。



見た目の若い中年女医が
CT画像を見せながら
手術は出来ないこと、
老年性の動脈硬化と高血圧性なので
さらに拡大出血によっては危険性があること、
などを丁寧に説明してくれた。

およそ2週間目途の入院で
経過観察し、その後、
リハビリ病院に
転院してもらうことになるという。

その後、
事務方の入院手続きや
看護師との医療措置の承諾書など
さまざまな書類を書かされた。

自分は重症の小児喘息で
小学時代に十数度も入院歴があり、
それ以外にも、赤痢、盲腸手術、尿管結石などで
何度入院したか分からないほどだが、
老母はこれが初めての入院である。

これまで、もっぱら看病専門だったが
とうとう老いて病んで倒れて
自らが入院ということになった。



四日前には、
エアコンのコンセントを抜こうとして
踏み台から転倒したので
体が痛くって起き上がれないのだろう…
とばかり思っていたが、
ドクターの説明では
「脳出血による転倒でしょう…」
ということだったので、
老母の愚行を責めて
業腹に感じていたのが氷解した。

倒れて三日目には
ベッドから起き上がって
自分でトイレに行こうとして
また転倒した時には、
帰省している大学生のナツホと二人で
ベッドに運んだが・・・。

その時でも、まだ、
何やってんだ…と、
いつもの“いらんことしぃが…”の延長で
「しっかり歩かんかいッ」と思ったが、
脳溢血だったのに歩いたり、
歩けないのを憤ったり・・・って、
考えたら、
ムチャクチャなことしてんなぁ・・・と、
笑えてしまった。

脳溢血患者に
しっかり歩け!
だって。

ギャハハ _(_ _)ノ彡☆バンバン! 

入院書類の連帯保証人の
承諾をもらいに
叔母宅に寄った時も、
その話で大笑いになってしまった。

渦中のユーモアというか、
ブラック過ぎるかもしれないが…
心理的緊張の躁的防衛なのかもしれない
と思った。

老母は点滴療法で
補液・栄養・血圧降下剤で
まだ拡大出血の危惧もあるので
家族としては緊張下にはある。




台風休校といえど、
カミさんは出勤していたので、
1時間早退して
搬送先まで飛んできた。

5時過ぎて正面玄関が閉ざされ
人っ子一人いなくなった
玄関ロビーでくたびれ果てて
呆然としてたら、
救急入り口から入ってきた
カミさんの姿を見て
すごくホッとした。

気丈にしていたつもりでも
やはりどこか一人で
心細かったのだろう。

今日から
毎日、数ヶ月は
病母との付き合いが始まる。

退院後も介護・介助がいるだろう。

頼りになる
「連れ合い・パートナー」の
カミさんがいてくれて、
ほんとうに心丈夫で
有り難いと思っている。

まずは
命をつないで頂いたことを
神様にお礼申し上げ、
後遺症なく、回復させて頂けます様にと
ご神前でご祈念させて頂いた。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風休校

2016-08-30 06:13:00 | 仕事
8号、9号と
二つの台風に押されて
南下していた10号が
迷走後、北上してきた。

与太郎台風なんて
バカにしていたら、
もの凄い勢力とかで、
県下の学校はほぼ休校になった。

80年代の教員時代にも
幾度か台風休校があって、
連絡網メールも何もない時代、
知らずにやってきた生徒たちを
校門指導で帰らせたが、
その時の彼らの喜びようといったら
なかった(笑)。

ほんまは
自分も生徒同様に
嬉しかったが、
帰らずに
生物室で研究していた。




きのうは
K中への初出勤日だったが、
エアコンのない昔の宿直室なので
蒸し暑くて、湿度が80%もあった。

でも、幸いに
新しい扇風機が配置されていたので
なんとか涼を得ることができた。

初日から
カウンセリングと書類で
忙殺された一日だったが、
今日は台風休校で
ゆっくりと休めるので
ありがたくもある。




日曜のミニコンの
チラシがあったのに
帰宅後気づいて、
そこに午前に講演をした
福島みずほさんも
載っていた。

会場の写真を見てみたら
たしかに一番前のテーブルで
青い服を着ている福島さんが
写っていたが、
全く気づかなかった。

そんな有名人が居たと
事前に知っていたら、
わりとミーハーなので、
「エエかっこしぃ」の
不純な気負いが出て、
いい演奏には
ならなかったかもしれない。




夏休み前に発行された
K中のPTA新聞に
写真館で撮らされた
教職員紹介写真が載っていた。

校長のGは福高・福大の
二つ下の後輩なので
自分が学校で最年長だが、
Gは頭がすっかり
「滅びゆく大草原」で
貫禄負けしている。



以前に、
夏休みの間、
髭を剃らずに
伸ばしていたことがあった。



だいぶ以前に、
昔の教え子が、
生物教員時代の姿(イメージ)を
キャラに描いて
送ってくれた。

なんだか、
いつも不機嫌で
暗い顔をしていたみたいである。

担任を持った子たちからは、
「ツンデレだった」
とも言われた。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミーハー心理

2016-08-29 08:59:00 | ギター
昨日は、
グリーンパレスで
某女性団体の50周年式典に呼ばれて
40分のミニコンサートを
行なってきた。

事前に、パーティー会食間の
BGMなのかどうか確認したら、
食事後のイヴェントとしての
コンサートということで
そのつもりで臨んだ。



コスチュームは、
来年のリサイタルの第2部用の
ホワイト・ドレスシャツに
ウエストコート、蝶ネクタイの
バーテンダー・スタイルにしてみた。

蝶ネクタイは、
この夏、子ども部屋の
片付けをしていたら
出てきたもので、
幼稚園の頃以来、
50年ぶりかもしれない。



トップの支部長さんが
今年の『復興支援リサイタル』に
来てくださって呼んで頂いたので、
出演料を問われて
「こんだけでいいです」
と申し出たが、
帰宅後、開けてみたら、
それに色を付けてくれた。

曲間のトークでも
みなさんよく笑って下さって、
真剣に演奏を聴いて頂いている
空気が伝わってきたので、
こちらも最高の音で応えようと
真剣になり、アドレナリンが分泌してか
腸が収縮してキリキリ痛くなった。

最期の『コーヒー・ルンバ』では
「ヘーイッ!!」
というエンディングの
派手な掛け声の後、
即座に歓声と大拍手が
巻き上がり、すぐさま
「アンコールッ!!」
が会場全体から沸き起こった。

事前に準備してあった
『復興支援リサイタル』での
アンコール曲『見上げてごらん夜の星を』を
しっとりと情感を込めて演奏した。

会場におられる方々もみな
3.11の被災者でもあれられるから、
この曲には感じ入ったようである。

閉会後に、
ロビーで頒布されたCD・DVDを
36枚もお買い上げ頂いて
嬉しかった。



エアコンが十分に効いていた
会場だったが、
たった40分ワン・ステージながら
全身全霊を込めて演奏したので
シャツが搾れるほどの汗であった。

演奏の運動量というよりも、
日本刀の刃渡りをするような
真剣に研ぎ澄まされた意識で
音を紡ぎだすのに全エネルギーを
使っているからだろう。

今朝は、ものの見事に
昨日よりも1㎏体重が落ちていた。



楽屋で着替えを済ませて
ロビーに出ると、
まだCD売り場に人がたむろっていて、
何人からか握手を求められた。

えらく感激したように
握手を求めてきた人をよく見たら、
ナント、福島みずほさんだった。

「いや~。フラメンコは素晴らしかったです」
と、話しては
握手を何度も求められた。

さすがに選挙で
握手馴れしているのかもしれない。





昨日から
BSの『クールジャパン』を視だした。

各国のネイティヴたちが
日本の不思議な処、
素晴らしい処を、
素直な目と忌憚のない言葉で
語る番組で、日本人としての自分の
アイデンティティを見直すのに
役立ちそうである。

ついでに、アマゾンで
こんな本も買ってみた。

国家間レベルでは
ギクシャクしている日中関係だが、
民間の間では
爆買いをあてにする日本人と
クールな日本に憧れる中国人という
共存関係がある。

もっとも、
中国人のドテキャン問題や
観光地でのマナーの悪さという
問題も指摘されてはいるが・・・。

これに関しては、
長年、日本に在住している
中国人の識者からは、
「かつて、バブル期の日本が
海外での爆買いやマナー違反で
顰蹙を買っていた時代があったように、
中国も今、経済発展途上なので
もうすこし猶予をもって
様子見してほしい」
という意見もあり、
なるほどと首肯できた。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母性性と父性性

2016-08-28 06:58:00 | TV・ドラマ
高畑淳子の息子が
強姦罪で逮捕され、
母親の謝罪会見が行なわれた。

ユーチューブで
その一部始終を見てみたが、
その姿は、出から登壇するまで
さながら筋書きのない
「針の莚(むしろ)」という
舞台のようでさえあり、
時として、大女優の顔となり、
はたまた、ひとりの母の顔となり、
迫真の身姿を見る思いがした。

ワイドショーの記者たちが
「飯のタネ」とばかりに
ここぞと下種な質問を浴びせかけ、
それに一々侘びながら真摯に返答する
母親・女優の姿は同情を誘い、
ネット評では概ね好感度が高く、
むしろ低俗な記者たちへの
批判の方が多かったくらいである。

高畑淳子は
かつて『金八先生』で
養護教諭役を好演して
好感を持っていた。

『リング』の続篇では、
貞子を集団で迫害し死に追い詰め、
やがて呪われて狂い死にするという
悪役も演じていた。

『さんま御殿』では
たびたび親子で共演し、
面白い息子で、ほのぼのとした
母子関係だなと思っていたが・・・。

彼の出演した
連ドラの『まれ』も
毎日視聴していた。



お姉ちゃんも
『さんま御殿』で見て
可愛い子だなと思っていた。

そしたら、
その愚息・愚弟が
ロケ先で酔った晩に
蛮行をはたらいて逮捕され、
一家を塗炭の苦しみに
突き落した。

それでも、
拘置所の家族接見では、
「死ぬしかない」
と言う愚息・愚弟に
「どんなことがあっても、
お母さんとお姉ちゃんは
あんたを見捨てない」
と言ったという。

これこそが
母性性である。

たとえ殺人を犯しても、
世界中が敵になっても、
決して見捨てず護って愛する、
というのが究極の母性性なのである。

カウンセリングの場でも、
母親が我が子の問題で
世間体を優先するかどうか、
時折、このような極限質問を
ぶつける時がある。

そして、これと同じ答えが
返ってきたケースでは、
不登校でもDVでも精神疾患でも
子どもたちの予後は
概ね良好なのである。

当然の帰結ではあるが・・・。

母親自身から身二つになって
生まれてきた子は
「ウチの子」という感覚で、
悪く作用すると
「ウチの子に限って…」
と現実認知が危うくなる場合もある。

「ウチの子」であるから
どんな状況になっても愛し抜く、
というのが母性であるのに対して、
父性性というのは、
「信義を遵守するものだけが
ウチの子」となる。

この典型例が、
メリメの短篇
『マテオ・ファルコーネ』に
出てくる。

何よりも信義を重んじる
父マテオの息子フォルチュナトは、
官憲に追われ一旦は匿った父の知人を
官憲から差し出された
報奨の銀時計に目がくらみ
その逃亡者を売ってしまう。

帰宅して、事の顛末を知った父親は
息子を裏山に連れ出すと
跪かせて祈らせ、 
命乞いをする息子を
射殺してしまう。

「ウチの子」だから
「どんなにダメでも見捨てずに愛す」
というのが母性性の究極の姿であり、
「ダメなものはダメ」
「信義を守るものだけが、
ウチの子と認められ愛されるに値する」
という、この苛烈さ、厳粛さこそが
究極の父性性なのである。

これは
「我が父(神)を信じ、
契約を守る者だけを神は祝福する」
という一神教の背景が
関与しているのだろう。

多神教的、アニミズム的な
日本にあっては、とかく、
父性性はグズグズになっているのが
今の一般家庭での現状であり、
これが、不登校やDVや少年凶悪犯罪の
温床になっているとも考えられる。

健全な母性性と父性性というのは
子どもの心理的発達にとっては
車の両輪なのである。

高畑家も二度の離婚歴のある
父性性不在の母子家庭であった。

恥ずべき行為と迷惑行為で、
自ら死ぬしかない…と、
思ったとしたら、
酒と性衝動の酩酊から醒めて
ウチなるマテオ・ファルコーネ
(健全な元型的父性性)が
自己を罰したいという思いに
かられたのであろう。

後悔を先に立たせて
 後から見れば
  杖をついたり
   転んだり     





いつも京都散策と
「ご飯食べ」に
付き合うてくれてる教え子から
「十月は何処いくのん?」
というメールが来たので、
今回は未訪の泉涌寺塔頭「雲龍院」と
六盛の「手桶弁当」コース
と連絡した。

女子テニス部顧問時代の教え子
オカリンとツーラには
いつも車を出してもらい、
もう何度、京都散策をしたことか。

どちらも既婚者で
四十路のオバハンになったが、
今も一緒に
遊びに付き合うてくれるのが
頼もしい。

まさしく・・・

ギャンブラーは一瞬の愉しみ
 農夫は一年の愉しみ
  教師は一生の愉しみ






今年の『復興支援リサイタル』で
わざわざドイツから来てくれて、
ヴォランティア出演してくれた
教え子のオハギが、
その節、会場におられた
さる方から招聘されて、
来年、音楽堂小ホールで
ソロ・リサイタルを
開催して頂く運びになったそうな。

なんとも
嬉しくも有り難い話である。

本当に
あの時のソロの
『冬ソナ』組曲は絶品で、
アンケートの誰もが、
もっと彼女の演奏を聴いてみたい、
という思いにかられていたようだった。

それぐらいに見事な演奏で
復興支援として
被災者の私たちの心を
癒したのであろう。

来年の第4回『復興支援リサイタル』では
彼女の『冬ソナ』組曲の
シングルCDをロビーで
販売しようと思っている。

その「推薦ライナーノート」も
決めてある。

***

「奇跡の名演! フォルテさえ優しい!」

 2011年の3.11の東日本大震災では、2万2千もの尊い命が失われた。
 フクシマにおいては、3.11は人類史上、未曾有の超巨大地震、超巨大津波、超規模原発事故のトリプル・パンチの複合災害であった。
 2016年の今日も尚、放射能汚染による低線量被曝を懸念して5万人もが県外に移住したままである。
 
 ピアニストの北垣はぎは、私の大阪での高校教員時代の教え子である。
 3.11以前に、ドイツからフクシマを訪れ、裏磐梯国立公園や温泉などを共に探訪して、福島の素晴らしさに感激していた彼女は、3.11に心を痛め、『復興支援コンサート』に是非ヴォランティア出演したいと買って出てくれた。
 
 ドイツから24時間かけ、実家の大阪経由で、母親と共にフクシマ入りした彼女は、体調が完全でなく、本番直前まで、懸念される状態であった。
 しかし、そこはさすがにプロの根性で、本番では背筋をピンと張って全プログラムを弾きこなした。
 リハーサルの時に、彼女の高校時代の恩師だったO先生が亡くなられたことを伝えると、大変に残念がっていたが、それが本CDの『冬ソナ組曲』の演奏中に甦り、ふと涙がこぼれそうになって堪えたという。
 遠路遥々ドイツからやってきて、体調が完全でなく、恩師の死を知り、原発事故で傷ついた美しいフクシマの地に立ち、彼女への感謝と尊敬の気持ちを抱いている聴衆・・・という幾つもの条件が重なって、この珠玉の奇跡のような名演が生まれた。
 それは、一人の恩師へのレクイエムでもあり、また、22.000人もの犠牲者の魂をすべからく癒すべく鎮魂の歌でもあった。
 多くの聴衆が涙したのもこの目で見た。
 
 なんと尊い仕事をしてくれたのだろう。
 ほんとうに素晴らしい教え子をもったものだ・・・と、私は胸が熱くなった。
 
 余談だが、ドイツに帰国後、彼女のもとにウクライナのキエフ交響楽団からの共演オファーが入ったという。
 やはり、神様はちゃんと見ておられて、彼女の「魂の仕事」に報うべくご褒美を下さったのだろう。
                     




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老々介護

2016-08-27 06:24:00 | 生活
久しぶりの
遠隔地出勤で
早朝6時半に家を出た。

ランドマークである
フェスタの観覧車を見るのも
ひと月ぶりであった。



帰りは9時過ぎに
ライトアップされた
観覧車を横目に、
2学期初日も無事終えたなぁ…と、
感慨深く安堵した。



夏休み前に
三人の生徒を紹介した
懇意の精神科ドクターから
診断と処方の返事と共に
私信とお礼の品が入っていた封書が
学校名・役名・個人名宛で届いていたが、
それが開封状態だったので
いささか疑義と共に
心外する思いを抱いた。

教育委員会等から
当該校カウンセラー宛の
公的書類ならまだしも、
個人名宛の信書を
開封されるのは
信書開封罪
(1年以下の懲役又は20万円以下の罰金)
に相当する。

いかな親でも、
正当な理由と
見做されるものがなければ、
子どもへの手紙といえど
開封するのは
個人の秘密の侵害なのである。

どなたかが
生徒の診断を知りたくて
開封されたのだろうが、
その申し出、謝罪もなく、
一日中、不信と不愉快な気分が
付きまとった。

これまでの他校のケースでは、
自宅に電話連絡が入り、
こちらに転送をご依頼することが
しばしばあったが、
7/15の文書を夏休み明けまで放置され、
こちらから頼りにしている
ドクターへの返礼の機会も遅れ
信頼関係を損ねかねたことも
まことに遺憾であった。

教育現場にあって、
個人の職能資質を問われることが、
夏休み前にも度々あったので、
アラ還の人間として
寛容さだけでなく
寛恕することも
必要なのかもしれないと感じた。





10時頃、
入浴をすませ
やれやれとホッとしながら
ベッドで寛いでいると、
カミさんが息子を迎えに行って
帰って来たと思ったら、
慌てて二階に飛んできた。

「おばあちゃんが倒れてる」
というので、
ドキッとして
逝ったのか…と、
ハラハラしながら
老母部屋に入っていたら、
横転しながら唸り声をあげて
嘔吐していたので、
すぐさまカミさんと介助した。

見たら、
熱中症予防で入れてやっている
エアコンを勝手に停めようと
コンセントを直に抜こうと
椅子に上がってコケたようだった。

元来、クーラー嫌いと
公言していたが、
連日30℃を越す部屋なので
そうも言っておられず、
気がついたらエアコンを入れてやって
リモコンを隠していたが、
コンセントを直に抜くことを覚えて、
自分の部屋意外の居間なども
勝手に運転中に抜いてしまうので、
カミさんに幾度も戒められていた。

居間の古いエアコンも
運転中にコンセントを度々抜かれて
マイコンの調子が狂ったのか、
誤動作ですぐに停止する故障を来たした。

あまりに業腹なので
老母の部屋と廊下を隔ててある
居間の引き戸にストッパーを取り付けて
開かないようにしばらくしていたら、
この転倒騒ぎであった。



畳の上だったので、
幸い骨折や頭部の強打は
なかったようだが、
その場に動けなくなってしまい
嘔吐と垂れ流しが起こって
カミさんとパニクッてしまった。

こちらも還暦の年齢で
若くはないから、
決して軽くはない老体を
二人で抱えたり
体を拭いたり、
下の着替えをさせたりで
深夜0時過ぎまで
老々介護の悲惨さを
存分に味わわされた。

居間の扉のストッパーで
やれ安心と老母をキリ捨てていたら
倍返しで介護の労を背負わされた。

バチが当ったのかもしれない。



介助・介護依頼書を
夏休み中、まだ様子見で
保留していたが、
いよいよこれは公的機関への
申請が必要になってきた。

おなじ83歳でも
シャンとして社会生活を営んでいる
老人も少なくないが、
脳の生物的老化だけでなく、
独善的、唯我独尊的な性格が
災いして非社会性が高じてくると、
心理的刺激が自ずと減って
現実検討識に歪み・狂いが生じて
器質的なアルツハイマーでなくとも
呆け状態になるようである。

事実、夏休み中のような
長期休暇中には、
まだ健常な自分たちでも
曜日の観念が怪しくなったり、
無気力に陥ったり、
人格がプチ崩壊するような
失現実検討識の感覚に襲われることがある。



89歳で亡くなった祖母の
晩年の寝たきり姿や
垂れ流し姿も見てきたが、
実母のそれを目撃している今、
釈尊の宣うた「生病老死」の四苦が
幾度も脳裏を過ぎった。

それでも、
まず、生かされて生きていることに感謝せねば、
とも思い、
喰えて、着れて、住めて、介護できることも
ありがたく思わせて頂けるよう
ご神前でご祈念させて頂いた。










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする