『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

歯医者

2012-11-30 05:57:00 | 健康



近所の歯医者に十年来、
通っているが、
ここの先生、
タバコを吸うので
口の中に指を入れられると
ヤニ臭いのが困りものである。

毎度、診療前には
丁寧に手を洗ってはいるのだが、
ヤニ臭さは簡単には抜けないものだ。

親しい間柄なら
忠告もできるのだが、
年に一回行く程度なので
そうも言えない。

こないだは、
奥歯に詰め物をするときに
熱いコテを顎に触れられて
「アチッ」
と身を引くと
「あ~。アハハ・・・」
と誤魔化されて
消毒された。

どうして一言
「スミマセン・・・」
と言わないのかと
少しムカツイた。

歯の治療で痛みは
当然というので、
一々謝ってられないのかもしれないが・・・。

でも火傷は
別だと思うんだけど・・・。

顎にはまだ跡が残っている。

ふんとにモ~! soppo



***********


『魂理学雑談』

民衆の「夢」
奈保子 私たちの意識の中心でもある「自我」(ego)は、できる限り矛盾を含まない統合性を保つように工夫されていますね。 
佐々木 そうだね。かなりIntegrateされている。 
奈保子 しかし、そうするとやはり、「自我」と相容れないものを排除しようとする機能が生じてきて、排除されたものは、だんだんと集まってきて力を得て、それが無意識下で「影(shadow)」になる、というのがユングの考えですね。
佐々木 そうです。それで、我われの夢の中には時々「影」が現れるし、時として、それは偏向的な自我の生き方に修正を加えようとして、いろいろな症状や問題として顕われてくるんやね。
奈保子 私たちの社会も、「体制」を保って、できるだけ矛盾を含まないよう統合性を持つようにと工夫されているわけですね。
佐々木 うん。せやけど、個人の意識とおんなじように、「体制」と相容れへんものは排除しようとする傾向もあるでしょ。
奈保子 たしかに。そうすると、排除された思想や行為は、だんだんと集まってきて力を得てくるようになるんですね。 
佐々木 それは、紛争の歴史を見れば解るでしょ。
奈保子 shadowとしての反勢力結集以外に、それは…、民衆の「夢」のような形となって表現されてくる場合もあっていいと思うんですが…。
佐々木 もちろん、そういう場合もあるやろうね。
奈保子 「夢」はいろんな形をとって現われるでしょうね。
佐々木 そうだろうね。体制側の目の届かへん処で「お話」として示されたり、芸術作品のなかに忍び混まされたりすることもあるんとちがうかな。



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煌々と

2012-11-29 08:33:00 | 風景



初冬の月が
天空を煌々と照らしていた。

日一にちと寒さが募り
今朝方は頭痛で目が覚め、
風邪を引いたかや
と心配した。

朝夕はストーヴを炊かずば
いられない時節である。




数日前には、
色ずく庭のドウダンツツジと照柿に
初雪が風花となって舞い込み、
秋は往くんだと思わせた。




+++++++++++++++++


『魂理学雑談』

愚直な人との出会い
奈保子 こないだ、先生のご推薦で、遠藤周作の『おバカさん』というのを読みました。
佐々木 ああ…。オモロかったでしょ。
奈保子 はい。ガストン・ボナパルトという冴えない外人が日本人女性に淡い恋心を抱くんですが、彼女からは蛇蝎のごとく嫌われるんですね。
佐々木 そうそう。せやけど、物語の最後で、彼女は「彼は馬鹿やないんや。おバカさんなんや・・・」って言うて、愚直なまでのガストンの生き方に神聖なキリストの姿をダブらせるんですね。
奈保子 はい。読み終わってから、「直ぐい人」というのは、やっぱり胡乱な人でもあるんだなあ、と思いましたね。
佐々木 変人は、俗から離れて聖なるものに近い人と言えるかもしれへんし。
奈保子 今の青少年たちは「教育者」や「指導者」に取り囲まれて、個性を摩り減らされて、ほんまに自分の個性とかかわる道を見出すのに役立つような人には、めったに会うことはないんやないかなぁ…と思いました。
佐々木 なるほどね。そうかもしれへんね。あるいは、会うてても、青年の方が無視したり馬鹿にしたりして取り合わないかもしれへんし、そんな変人とつき合うてる暇はない、とか思うてるかもしれへんね。
奈保子 そういうこともあるでしょうね。
佐々木 愚直な人との出会い、いうのは人生の中で大切な機会なんやけどなぁ…。
奈保子 ある意味、神性を体現した人でもありますものね。 
佐々木 そうでっせ。

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かわいいピアニスト

2012-11-28 09:40:00 | 音楽


BS日テレの『こころの歌』での
ピアノ伴奏者の吉野翠ちゃんが
子猫みたいな姿で首を振りふり
ピアノを弾くさまが可愛くて
たびたび録画を見ている。

小柄だが鍵盤上のタッチは鋭く
キレのいい演奏を聴かせてくれる。

独奏もそうとうの腕のようである。




*************


『魂理学雑談』

「たましい」を感じて生きる

奈保子 魂理学の中心命題でもあります「たましい」というのは、広大無辺で、とらえ処のない、理解しがたいものですよね。
佐々木 そうやね。西洋の諺に、「多くの者が愛について語るが、その実体を見た者はまだいない」というのがあったような気がするけど、「たましい」も似たようなもんとちゃうかな。
奈保子 よく出来た壷や茶碗には「たましい」の存在を感じても、身内に対しては、あたかも「たましい」の存在を感じていないような人なんかもいるように思うんですが…。
佐々木 なるほどね。おるかもしらんね。人間は、何かに「たましい」の片鱗が顕現するのを見ることで、生きる支えを得ようとするんやと思うんですよ。
奈保子 人と人とが関わりあって、ほんまに「たましい」のレベルで生きようとする限りは、それ相当の努力をしなくてはならないのかもしれませんね。
佐々木 そうそう。私もね、最近、年老いた母親と大喧嘩をしたんですよ。お互いに「死んでまえ!」って…(笑)。罵詈雑言の限りを尽くした舌戦をしたんですが、なんだか、その後スッキリもし、おかしなもんや・・・って、感じたんですね。
奈保子 口論…っていうのは、醜い手段でも…
佐々木 そうなんです。「たましい」の切磋琢磨しているんやろうな・・・って、ふと思たんです。
奈保子 なるほど。

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HIROSHIMA

2012-11-27 06:22:00 | 音楽


ヴェートーベンと同じく
全聾の日本人作曲家が作った曲として
先日テレビ放映したのを聴いて、
感動したのでさっそく
アマゾンで購入した。

27歳のとき、30歳までの
自分の課題として3年間かけて
諸井誠の『交響曲名曲名盤100』を
テクストにして100枚のLPを
収集して聴いた。

その後も、ハイドンの108曲全集や
モーツァルト41曲全集、
ショスタコ15曲全集、
マーラー10曲全集、
ヴェートーベン9曲全集・・・と
CDで蒐集し、主要な作曲家のものは
30代でほぼコンプリートして聴いてきた。

それが、今でも
交響曲を聴くに際しての
基礎になっている。

佐村河内守の第1番は、
交響曲史の大河にあって
その最も河口に位置するものだが、
オーソドックスな創りで
大家の伝統を吸収しながらも
独創的な一曲に仕上がっていて
感動的でさえある。



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『魂理学雑談』


無垢なるもの

奈保子 この頃、日本人に拝金主義者が横行しているような嫌な感じがすることがあるんですが、この傾向をどう思われますか。
佐々木 「人の心も金で買える」と言うたのはいいけど、逮捕されてもうたIT長者もいましたね。ほんまに、拝金主義がはびこって嫌な世の中になりました。
 なんだか、それがグローバル・スタンダードの正体やないか、と疑いたくなりますよ。
奈保子 かつては、有名な画家でも、生きているときには全く売れず失意のうちに亡くなった「無垢なる人たち」は多いですよね。
佐々木 ゴッホとか、モディリアニとかね・・・。ですけど、彼らの「無垢なるもの」である、たましいの顕われである作品は、人類の宝として永遠に残るでしょう。
奈保子 そうですね。
佐々木 「無垢なるもの」は、得てして、この世に顕われてくるとき、世間には拒否されたり、低く評価されたりすることになるんやね。
奈保子 今は、「人でなし」であることは、さほど恥ではないですけども、それより恥とされているのは「お金なし」の方なんじゃないでしょうか。
佐々木 たしかにね…。「人でなし」で「お金あり」の人が、リスペクトされたり、出世したりしているのを見ると、嫌んなるよね。
奈保子 そういう意味では、3.11体験は、日本人に何らかの目覚めをさせてほしいものですね。
佐々木 そう。それが世界に誇れる新たな政治と結びつくといいんやけどね。
奈保子 同感です。







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免許更新

2012-11-26 11:45:00 | 


5年ぶりに免許更新に
センターに行って来た。

ここに来るたび、大学1年の頃、
自動車学校ではなく教習所で練習して
仮免の飛び込み一発試験を受けたが、
13回も落ちて、後の人生のトラウマに
なったことを思い出す。

そもそも同級生で同じギター部のNが
2回で合格してきたので、
それなら自分も・・・と、思ったのが
ドツボに嵌る始まりだった。

もう35年以上も昔のことだが、
未だに、助手席に乗った試験管が
チェック表をシャッ、シャッと
はねる姿が忘れられない。

けっきょく、自動車学校に入って
楽勝で免許は取れたが、
あの仮免地獄のおかげで
今日まで30年以上も人身事故を
起こしていない、と思うことにしている。




あと数日で55歳になる
自分の姿を写真で見て、
まだ老人顔にはなってないな、
とちょっと安心もした。



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『魂理学雑談』

胡乱な人
奈保子 河合先生のご本の中に、「人は何かに魂を奪われると胡乱(うろん)になる」とありましたが、胡乱というのは、普段はあまり耳にしない言葉なので印象に残っているんです。
佐々木 そうやね。あんまり若い人は使わんやろうね。
奈保子 漢字で「うろん」って、すぐ読める人も少ないと思います。「こらん」なんて読んでしまいそうで・・・(笑)。
佐々木 それで、意味は解ったの?
奈保子 いえ。知らなかったので、辞書で調べてみたんです。そしたら、「 疑わしく怪しいこと」とか、「不確実であやふやなこと」「勝手気ままなさま」とありました。
佐々木 怪しい様・・・っていうのが、覚えやすいかもね。今は「胡散(うさん)くさい」という方がよく使われるけどね。
奈保子 つまり、人は何かに魂を奪われると、心ここにあらずになる、ということですよね。
佐々木 そういうこってす。変人でも、ときに直ぐい人がいますが、世間からはたいていは「胡乱な人」と指さされることが多いですものね。
奈保子 「胡散くさい人」というのは、あまりいい意味には感じませんね。
佐々木 そう。なんだか、山師みたいで、オレオレ詐欺師みたい(笑)。

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