『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

ブラック・アート

2023-01-15 08:36:49 | 3.11

今朝の朝刊に、
Y中の麓にある
「田んぼリンク」の話題が
載っていた。

80年代から
続いてきた伝統文化が、
管理者の高齢化のために
終焉を迎えようとしていたが、
筑波大の院生と福大生が
後継するという明るい話題だった。

原発事故の避難区域について
社会学的な研究対象として
フィールドワークしていた彼らが
その地元の伝統文化を
滅ぼさせたくないと立ち上がったのは
なんとも頼もしく殊勝な事である。

*

この隣のI地区では、
いまだにフレコンバッグが
一帯を占領している場所があり、
その様を切り取った絵柄は、
まるでシニカルでブラックな
モダンアートのようでさえある。

原発被災者の間では、
常套句になってる
「フレコンバッグ」なるものは、
正式には、
フレキシブル・コンテナバッグ
 (Flexible Containers) 
と言う。

放射能汚染土が満載されている
このバッグに近づくと
今でも被爆するが、
ガイガーカウンターを持って
その針がグーンと上がるのを
いちど体験したことがある。

もうすぐ、3.11から
12年が経とうとしているが、
未だに、「原発は便利」
「原発は経済的」「原発は安全」
と嘯いて、利権の甘い汁を
吸い続けたいが為だけに、
目の前にある過酷な現実を
直視せず、無視している
自民党の大馬鹿政治家どもは
狂っているとしか言いようがない。

そのまま狂い死にしてくれれば、
国家にとってどれほど有益か(笑)。

なので、
原発被害で死傷した者たちの
「怨嗟の念」や集合無意識的な
「呪怨」のエネルギーが
彼らを蝕ばんで
地獄に引きずり落とすことを
確信している。

【天網恢恢疎にして漏らさず】である。


*


同地区の教委には
中学時代の同級生が二人も、
校長退職後に指導主事職にいるが、
財政難につきSC用のPCが配備されず、
未だに手書きで
「執務記録」を書いている。

自宅には、
買い換えて未使用の旧PCが
3台もあるので、
搬入すればいいだけだが、
あえて、ボケ防止と
漢字再生の失念対策のため
万年筆による手書きで行っている。

これまで、
二度もアマゾンで安価な
木製軸の万年筆を買ったが、
いずれも、ジョイントで壊れて
廃棄した。

それでも、
木製には偏愛があるので、
いっそ、自分で作ってみようと、
パーツのペン先を輸入して
それに合わせるように
楽器製作用の旋盤と
ネジ切りで試作品を作ってみようと
思っている。

もし、満足いくものが作れたら、
ペン先とカートリッジを仕入れて、
「売り」に出そうかとも
チラリと思いついた・・・(笑)。

老後は、まさに、
趣味と実益を兼ねて、
充実した時にしたいなぁ・・・と、
思っている。

***

 

これまで、学校現場で、
幾度かMP(モンスターパレント)に
遭遇してきた。

最近では、
学校に限らず、
「カスハラ」など
「クレイジー・クレイマー」が
頻出していると社会学の分析で知った。

MPに倣えば「CC」と
カルテに略記できそうである(笑)。

これらは、いずれも、
「理不尽で不当な主張をし、
権利を要求する」ことで、
定義される。

MPの特性をクラスター分析した
教育学者に拠ると、
そこから抽出された因子から
「経済的な余裕はないが
教育ママ度はそれなりに高い
パート勤務の母親」
とプロファイリングされ、
『生活切迫型パートママ』
とも命名された。

私見では、これに、
「グレーゾーン」要素も
加味されているのではと、
薄々感じている。

最近も、
ロジックの通じない親がいて、
さりとて、ネグレクトを見逃せず、
公的支援ネットワークにリファーする
というケースもいくつかあった。

笑えない笑い話だが・・・
A=B  B=C  ∴A=C
という「三段論法」が
マジで理解できない大人が
いるのである。

・・・であるからして、
3x+6x=3x(1+2)
という「共通因子」を
抽出する能力もない。

これでは、
心理教育も助言も
あったものではない。

++

最近の教育現場では
MPへの対処法が
マニュアル化しつつあるが、
企業や病院でも
『CC』には手を焼いており、
「スクール・ロイヤー」のような
司法専門家を嘱託で抱える
動きが始まりつつある。

+++

「言ったもん勝ち」
「ごね得」
「いちゃもん」
がまかり通る背景には、
日本人全体の「民度の低下」
「知性の劣化」「情緒的未熟性」
などの要因もあると思われる。

【今だけ 金だけ 自分だけ】
という風潮が
ここ数十年、政財官民に
蔓延ってきて常態化してきた、
という事も関連しているだろう。

アメリカのみならず、日本も、
家族や地域コミュニティの
「絆」が無くなりつつあり、
国も頼りにはならず、
個人は孤独化、“ぼっち化”が
進みつつある。

それ故のSNSにおける
「いいね」の承認欲求を
「拠り所」にする人たちが増え、
それすらに満足が得られないと、
「自傷他害」という行動化に走る、
という悲劇が現実となる。

今、若者の8割近くが、
将来に希望を持てない・・・
という暗澹たる気分でいる、
というアンケート結果がある。

理由は多くあるが、
端的に指摘した識者のなかには、
「国自体が老害に汚染されている」
というような例えをしていて
ナルホドと思わされた。

たしかに、
既得権益を守ろうと
汲々としている一群の高齢層がおり、
それが、オリンピック汚職であり、
無駄な公共事業をエンドレスに
続けて省益・党益・自己益を
守ろうという卑俗な輩たちである。

これらも日本における
DS(ディープステート)と
いっても言いだろう。

臨床教育現場でも、
こころを病んだ若者たちを
癒し、支援するだけでなく、
その「絶望の淵」から救い上げて、
なんとか希望ある「未来つくり」の為に
これまでの経験知を授けてあげたい・・・と、
対話・治療を続けている。

「業」を「ごう」と読み、
原意のカルマと捉えると、
それは、「 意志による身心の活動」
という事でもあるので、
まさしく、それを「授ける」
「授業」をSCもやっている事になる。

 

 

 

 

 

 

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