『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

“何もんやねん?!”

2023-06-10 07:57:26 | 製本

大阪のミカちゃんから、
カミさんの誕生日と「母の日」の
お祝いとして
デザート・ワインセットが
送られてきた。

ソーテルヌ、
トロッケン・ベーレン・アウスレーゼ、
トカイ・サモロドニ、
という最高級の
世界三大貴腐ワインである。

しかも、
2018、2020、2006
というヴィンテージ物なので、
ほどよく熟成もされている。

そっそく、
『サモロドニ』から
あけてみたが、
最上の『エッセンシア』や
『5プトーニュ』に劣らず
酸味・甘味・アロマ・ボディが
ウェル・バランスの
極上ワインであった。

*

リク坊の
お散歩中の
「オヤツ」写真も
ワインに劣らず
ジジババには
眼福をもたらす贈り物だった。

「3歳になったのに、
まだ、ベビーカーに乗ってんだぁ・・・」
と、ジイジは驚いたが、
「途中で、抱っこをせがまれると
たいへんなんじゃない・・・」
と、バアバは母親の身になって
案じていた(笑)。

*

数日前から、
誤嚥性肺炎で発熱して
案じていたホームの老母が、
抗生剤と解熱剤点滴のおかげで、
解熱し、通常食が摂れるようになった、
と連絡がきて、安堵に
胸を撫でおろしている。

90歳を過ぎた老人が
誤嚥性肺炎になると、
イコール「死」を意味するが、
右側の片肺だけの初期の炎症で
早期に手当ができたので、
事なきを得たようだ。

見舞いに持参した
金光教の「ご神米」を
枕下に入れたので、
ホーム長さんからは
「お守りが効きましたね」
というメールがきた(笑)。

自分も時々、
むせる事が多くなったので、
誤嚥には気を付けているが、
無意識で食べている方が多いので、
咳込んでから、いつも
後悔している有様である。

誤嚥の「えん」は
漢字では、なかなか覚えにくいが、
口偏に「燕/ツバメ」と書く。

燕雀 (えんじゃく) 、
燕尾服(えんびふく)、
というから、音読みは
そこから来るのだろう。

「嚥」は、
「のむ。のみこむ」
という意味と
「のど」という意味がある。

「嚥下(えんげ)」というのが、
医療や介護でよく聞かれる
言葉である。

辞書によれば、
ツバメの子が
餌を丸呑みにする様子から
「口」+「燕」となったという。

不思議な事に、
英語の「swallow」には、
「ツバメ」と「飲み込む」という
両方の意味がある。

*

裏庭で
毎年のように稔っていた
ブラックベリーの幹が
真っ白いカビに覆われて
枯れてしまった。

まだ、先っぽだけは
緑の葉をつけていたので、
それを挿し木すれば、
再生するかもだが・・・。

*

36歳で教員を辞めてから、
今年で30年目になるが、
その間に、ちょうど
30冊ばかりの自費本を
上梓してきた。

一般の取次流通には出さず、
もっぱらネットや委託販売、
講演会やコンサートでの
ロビー販売をしてきたが、
それでも、数百冊の部数しか
出ていない。

図書館に寄贈したのも
いくつかある。

殊に、3.11関連の
『震災三部作』は
赴任した学校には必ず
寄贈している。

本で儲けようと思ったことは
いちどもなく、
むしろ、「名刺代わり」で
こちらの「パーソナリティ」を
手っ取り早く理解して頂くのに
便利なツールだと思っている。

ジャンルが多岐に渡り過ぎて、
日々のブログの延長と
あまり変わりないように
思っている。

その折々の
マイ・ブームを
まとめて記した
エピソード『自分史』とも言える。

思いつくままに
時系列で挙げると、
宗教・童話・教育・偲び草・震災・
魂理学・児童殺傷事件・社会事件・
楽器製作・鮨・フレンチ・音楽・
ギター・階段・小説・エッセイ・・・と、
“何もんやねん?!”
と、自分でも言いたくなる(笑)。

*

最初に製本したのは、
教員の退職記念に二冊造った。

教職の「卒業論文」のつもりで、
『金光教祖の円相図』という
パトグラフィカル(病跡学的)な
研究エッセイである。

当時、傾倒していた
分析心理学(深層心理学)の手法で
金光教祖の事跡を
心理分析したものである。

金光教に分析心理学的なメスを
入れたものだが、
総じて、金光教の先生方には
あまり評判がよろしくなかった(笑)。

それでも、自分的には、
腑に落ちる事大ありで、
やってよかったと思っている。

それにより、
金光教の価値を低めたわけではなく、
逆に、その普遍的価値を見出したので、
教内の先生方に、その辺りを
汲み取って頂けなかったのは
残念ではあった。

金光教を第一義として
修行され、布教に努力されている
目上の先生方に、
「人間は、金光教の為に
生きてるのではありませんよ」
と、憎まれ口をきいたりしたので(笑)、
小面憎い若造だと
思われたに違いない。

そうなると、
【坊主憎けりゃ袈裟まで憎い】で、
誰がお前の物なんか認めるか・・・
となるのも当然だろう(笑)。

こういうトリックスターを
その内部に包含してこそ、
懐の深い、奥ゆかしさにもなるのだが、
いったん組織化されると
集団凝集力によって、
異物を排除しようという
力学が働くのである。

これは、
宗教教団に限らず、
国家・社会・企業組織など、
如何なる集団にも起こり得る
社会心理的力動なのだが、
その結果としては、
その集団は衰退するというのも
歴史的な事実なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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名人を超える

2021-09-10 06:39:00 | 製本
夏休みの間、
毎朝、一節ずつ
48日間書き続けた
『名人を超える』という
ファンタジック・リアリティ手法の
小説が完成したので、
三冊だけ製本した。

久しぶりの
中編小説だったので、
ひと仕事をやり遂げた
充実感と満足感がある。

自分が読みたいと思うものが
なかなか世の中にないので、
ならば、書いてしまえ…
というのが執筆動機である(笑)。

これは、
故・中島らも氏が
言っていたセリフで、
なるほどなと思ったものである。

市販の怪談物も
ちっとも面白くないので、
せっせと自分で考えては
小編を書き溜めており、
この夏は三篇を創作した。

十篇揃ったら
二冊目の『続 怪談奇談』として
製本化したいと思っている。




最近、
トンデモナイ「大ボケ」を
連発しているので、
我ながら辟易しているが、
ここにきて、また、
やらかしてしまった。

なんと、
書き上げたばかりの
『名人を超える』の「はじめに」を
今、書いてる
『魂理学試論』というエッセイの
「はじめに」を書いて、
製本してしまった(笑)。

しかも、
旧暦9月の「長月」を
「文月」(7月)に
勘違いもしていた(笑)。

それまで、全く気付かずに、
完成品を頭から再読しようとして、
初めて気が付いた…(笑)。

エ~ッ!!
と、自分がいちばん驚いた(笑)。

\(_ _)

もう、なんだか、
ニンゲンやめたくなった・・・。

( ;∀;)

本格的にボケはじめたのかなぁ…と、
マジで心配になった。

周囲から、
「どうしたんですか?」
と注意されるようになったら、
CT撮って脳の萎縮を
調べてみるつもりである。

ディメンツ(認知症/Dementia)
になったら、潔くSCを辞めて、
『恍惚の人』となって、
日がな一日、日向ぼっこでもして
年金で細々暮らそうかと思う(笑)。






通勤時の信号待ちで、
田圃の稲穂が
やや色づいて
頭(こうべ)を垂れはじめていた。

 実るほど
  頭(かしら)が下がる
   稲穂かな

・・・という句を
思い出しながら、
今月末は三男「夏穂」の
25歳の誕生日だな…と、
思い浮かんだ。

瑞穂(みずほ)は、
「瑞々しい稲穂」だが、
「夏の穂」もまた、
青々しく清々しい美しさと
その内に瑞々しさを湛えている。

次男の「鑑順」は
難字を当てて
読める人が少ないが、
「あきみつ」と読み、
「秋が充つる」という
日本的な美しい音韻を秘めている。

長男は「文治」で
「ふみはる」と
「春」を秘めている。





通勤途中にある
ベント屋『みどりや』で
300円の『天丼』を買って
職場に赴いた。

いつもは、
ご飯抜きの
タッパーベントだけだが、
体調不良もあって、
糖質制限食を解除し
通常食餌療法に切り替えた。

【医食同源】で、
食べて、飲んで、寝て、動く
というのがクスリいらずの
健康法である。






T中では
給食を頼んでいないので、
ひとりカウンセリング室での
"ぼっち飯"なので、
搬入したテレビデオで
グルメ番組を見ながら
喰っている。

大学時代から、
録り溜めたのが
100本以上あり、
昭和の頃の
『さすらいの食いしん坊』なぞを
視ながらやっている。





デルタ株に次いで、
今度は、南米コロンビア由来の
「ミュー株」なるものが
入ってきたそうだ。

ワクチン効果が1/7というから、
もうイタチごっこである。

先進国が
ワクチンを寡占しているから、
貧困国から新種が来入するのだ、
とコラムでは批判・啓蒙している。

ほんに、
コロンビア産は
コーヒーだけで
たくさんである。

(_ _。)・・・ハァ~



*********

『魂理学試論』


「はじめに」

 まだ二〇〇〇年になる前の世紀末と言われた一九九九年頃に、【魂理学】という独自の学際的な領域を考え出して、『魂理学入門』という一書を上梓した。

 ネットでも同じタイトルで長年アップし、数万人の閲覧を得た。

 還暦を過ぎ、そろそろ父が亡くなった歳に近づくにつれ、もう一度「たましい」とは何か、という答えのない命題に取り組もうと、これまで学んできた生物学や心理学、宗教学、哲学、量子力学などの知見をインテグレートして考察を試みてみた。

 ほとんどは、証明のしようがない、エヴィデンス・ベイストではない仮説・推論にすぎないが、自分が安心して死んでいける為の思考実験を介しての『物語創り』でもあるので、今は、ひとまず、腑に落ちる処までには至ってくれた。

 もし、死後生があって、あの世やらで自意識が保たれていて、なおかつ、まだ「たましい」と「存在論」について現世とおなじく疑問を抱き続けていたら、向こう側の神様なり、賢者にその真理を問うてみたい。
 
 それは、問題集を自分の力で解いてみて、あとで答え合わせをするようなものかもしれない。
 
        長月晦日 
              佐々木 修 







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寒いのぅ・・・薄暗いのぉ・・・

2019-07-17 06:19:00 | 製本
梅雨前線や寒気団の影響で、
東京は記録的な
日照不足になってるという。

行った事はないが、
ロンドンやヨーロッパの
曇天続きの日というのは
こんな感じなのかもしれない。

なので、連中は
ちょいと陽がさすと、
すぐに公園でも河畔でも
肌脱ぎになって
日光浴するんだろうか。

それにしても、
ほんに、毎日、
寒いのぅ…薄暗いのぉ…
といった感じではある。

でも、熱中症体質のジジイにとっては
猛暑よりかはずっといい。

涼しくて
夜に熟眠できるもんねぇ。






きのうは珍しく、
なんだか朝からエンジンがかかって、
上半期のブログ270頁分を
2冊に分冊して製本した。

2017年までは、
どうにか一年分が
300頁に収まって
ぶ厚い一冊ですんでいたが、
去年あたりから450頁を越して
分冊化せざるを得なくなった。

製本化にあたっては、
改行なしのベタ組で
フォントを一回り小さい
9ポイントにして、
画像も親指の爪ほどの大きさである。

それでも、
この分でいくと今年は
550頁近くになりそうである。

「日々、深生き」をモットーに、
閑職になるや、丁寧に雑感を
綴るようになったので、
『徒然草』や『方丈記』のように
なってきた感がある。

令和の隠遁者の
日記文学でもあり、
晩年を意識しだしたので
「散文的遺書」のつもりなのかもしれない。

自分だけのための製本なので、
ワンコイン頒布品よりは
大分と手抜きでやる。

『コスモス』で
カール・セーガンが
「本とは、印刷物を束ねて綴じた物」
と端的に言うのを聞いて、
なるほど、そうだなぁ・・・と、
感心したことがある。

それでも、
教員時代には
自費本や論文を冊子化するのに、
ゴルフ仲間の印刷屋さんでは
30万もかかったり、
同じようなものを
3万でやる処があったりで、
価格はあってなきもののような気がした。

なので、
「束ねて綴じる」というのを
極めれば製本化はできると踏んで、
試行錯誤しながら
千冊以上を手がけてきた。

数台のプリンターはじめ、
業務用ステイプラー、
裁断機などを揃え、
私家本製作ハード類に
10万ほどかかったが、
200冊ほど売れた時点で
どうにか元が取れた。

時折、知人の造本委託も
請け負ったりして
零細内職にはなっている。

なにより、
一回しかない人生で、
執筆業やら、編集業、
製版印刷業、製本業、
販売業・・・と、
“ごっこ”として
本業以外の仕事が味わえるのが楽しい。

これも立派に
自ら「手に職」つけたつもりでいる。

古楽器製作の
200近い工程に比べ、
製本はわずか数十工程なので、
物造りとしては
プラモ製作レベルではある。






製本を済ませると、
次は寝室と書斎の
エアコン清掃にとりかかった。

(なんか、今日は、
 オレやる気あるなぁ・・・)
と、怪訝に感じないでもなかった。

前日、
マッサージ椅子で
1時間も念入りに凝りをほぐしたので、
「気」のめぐりがよくなって
「気力」が充実していたのかもしれない(笑)。

こういうときは、
ふだん怠けて後回しにしてた事を
片付けるに限るとばかり・・・
続いて、モーツァルトとラモーの
ポケット・スコアを
トレース&プリントして
ピアノ用楽譜をこしらえた。

音楽堂からメール返信がきて、
『スタインウェイを弾こう』の大人参加は、
9/10、12/10に企画してるとのことで、
ヤッター!! と小踊りした。

ヾ(・̆○・̆)ノ

どちらにも参加しようと思うので、
『ロンリー・コンサート』のプログラムに
モーツァルトとラモーも練習しようと
昨日から読譜をはじめた。

音楽堂にはチェンバロもあるので、
いつか、ラモーやバッハを
何曲か暗譜できたら
「平日/大ホール/午前ステージのみ」\11,300
「チェンバロ」\6,000
で、ゆったりと古楽の響きを楽しみたい。

そん時は、
ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロも
持ち込んでビデオ撮りしよっと。

いっそ内緒で、
内輪にだけ公開しようかしらん(笑)。






昨日は、
梁川に行ったついでに
阿武急の「伊達政宗号」を
撮ってきた。

ブルーの車体に
アニキャラがコテコテと
描かれていて、いかにも
「撮り鉄」アイテムである。

駅前の支所前には
飯坂学習センターと同じ作家の
三体一組の裸婦像があって
オーッと思ったが、
近寄って見たら、
ナントッ!
そこここに
手形がついてるではないか・・・(笑)。

イタズラ心か、変態心か、判らぬが、
高い台座の上によじ登っての
蛮行だろうから、
事によると深夜の犯行かもしれない。

等身大に近い
見事な造型だから、
気持ちは解からないでもないが、
視覚障害者は触って彫刻を楽しむので、
健常者もつい撫で回したく思ったのだろうが、
手痕が残っては、芸術作品に卑猥感が漂って
毀損したようなものである。

役所の誰かが
気づきそうなものだが、
誰も見慣れて関心がないのだろうか・・・。

せめて、
良識のある女性職員が、
汚れを落としてもよさそうなのだが・・・。

このままだと、
「汚れ」ではなく
「穢れ」たまんまで、
作品が気の毒である。

***

今朝の朝刊の
新刊案内に
『老いる自分をゆるしてあげる』
というマンガ・エッセイの広告があり、
最近の自分の考えに近いものがあって
共感を覚えた。

ϵ(◎θ◎)ノ☆ フォッ・フォッ・フォッ




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予期不安

2019-04-03 06:58:00 | 製本
今朝も
牡丹雪が
モッサモッサと降り、
庭の灯篭も冬景色に
逆戻りである。

カミさんも
「信じらんなぃ~!!」
と悲鳴をあげながら
出勤して行った。





リサイタル当日の14日まで
春休みなのはラッキーだが、
ぼんやり過ごしているわけにも
いかない。

あたりまえだが、
毎日、練習しては、
翌朝、指の痛みに泣いている。

痛みを伴う変形性関節炎を
慢性的に患っているので、
使えば悪化するので
ハードユースができない。

それでも、
フラメンコの
速く激しいパッセージなぞは、
バシッと“決め”ないと、
フニャフニャでは
どーにもならない。

そんなコンニャク・トーケ(演奏)なら
弾かない方がマシだ。

なので、
泣きながら、
指を揉んだり、
さすったりしながら、
あと、もーすこしの我慢・・・と、
言い聞かせている。

練習をすれば、
翌朝には、首、肩、背中と
張って痛みを感じる。

温泉に行って、
家の電動マッサージ機を
執拗にかけても、
なかなか取れるものではない。

なんだか、
文字どおり
“命を削って”
ギターを弾いている。

6回の連続リサイタルで
大分と余命の貯金を
使い果たした気もしないでもない。

でも、
ギタリストなんだから、
それでも本望である。

なにより、
復興支援という大儀を
掲げているのだから、
“歌って踊れるカウンセラー”
の役柄は
誰もが出来ることではない。

それは、
ギター・セラピストの本義でもあろう。

毎年、アンケートでは
99.9%の方々から
「大いに癒された」
というお応えを頂いている。

ならば、
泣き言はいうまい、
である。








飯坂温泉のホテルに
所用で出かけてきた。

ロビーに、
羽生ちゃんや
渡辺棋王、森内九段の
竜王戦や名人戦の舞台となった
記念写真と直筆の揮毫扇子があり、
将棋ファンとしては
嬉しく鑑賞してきた。

もし、いつか、ソータが
此の地に来てくれれば、
何は置いても
駆けつけるだろう(笑)。







きのうは
新任校の女性教頭先生から
電話があり、
挨拶やら出勤日の打ち合わせを
させて頂いた。

リサイタル前々日の
金曜日に初出勤とした。

その方が、
なんだか気が引き締まって、
いいような気がした。

避難地区校だったが、
去年から再開校したものの、
現生徒数は中3のみが
3名というから、
来年以降は休校必至である。

3.11以後に
被災地区校を2校担当していたので、
大事な仕事と心得てはいるが、
週一勤務で三人では
頻繁にカウンセリングをするわけにも
いかないし、空き時間もそうとうにある。
(超多忙だったT中の真逆)

そして、
来年度休校になったら、
そのまま勤務校まで減じて
週一校勤務になるのでは・・・という、
予期不安を抱いている。

まだ、何も起きていないのに、
予め不安を抱く・・・ことを
「予期不安」というが、
いつもクライエントの方々には、
「明日、激辛カレーを喰うからって、
今日から水飲む人はいないでしょ」
という例え話をしている。

理屈では解っていても、
人は見えない先の不安を
抱くものである。

これは、「自動思考」とか
「マインド・ワンダリング」とも言われ、
鬱気質やネガティヴ・シンキングの持ち主が
捕らわれ、陥りやすい
歪んだ現実認知なのである。

なので、
これはポジティヴ・シンキングに
認知修正するのが
不安脱出の決め手である。

信仰的には
「生活の為に心理師をするな。
人を助けるという崇高な使命のためにせよ。
神は真の心理師を生かさずにおくものか」
と肝に銘じている。

世俗的には
「休校になったら、別の学校に採用されるさ。
いい仕事をしてさえいれば、
また誰かがきっと引き上げてくれるさ」
という楽観視も
アクティヴ・イマジネーションしている。

とりあえず、
今春から週休五日になったので、
「令和」のこれらの日々を
どう創造的に楽しく過ごすか、
ということが
本格的「隠居」を前にした
目下の発達課題である。

料理の鉄人・道場六三郎さんは
「人には今日用(教養)と
今日行く(教育)処が必要である」
と仰った。

蓋し、名言である。

とりあえず、
今日は、ブックオフで
漫画でも買ってこよっと(笑)。


***


初出勤の
ご挨拶と顔合わせの日に
学校に寄贈すべく
『震災三部作』を一書にまとめた
『3.11を生きる』のダイジェスト版を
急遽、製本した。

三冊分の合本なので、
200頁にもなってしまった。

表紙カバーの折り返し作業は
専用の箆(ヘラ)を用いて行う。

もう、
千冊以上造本してきたので、
職人芸みたいな手捌きが
出来るようになった。

一点物でもあるので、
『三部作』とは違った
新たな表紙画を採用した。

ついでに、
教職員分のリサイタル・チラシも
持って行くことにした。

なんたって、
“歌って踊れるカウンセラー”
≪ギター・セラピスト≫
だもんねぇ(笑)。

(^♀^)>

















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大寒波到来か・・・

2018-12-27 08:03:00 | 製本
今夜から
大寒波が到来し
大雪が降るという。

数日間
「冬ごもり」してもいいように
午前のうちに
買い物を済ませてこようと思う。

ロンバケなので
好きなだけ寝れるのだが、
左肩と右股関節が
疼くような痛み生じていて
難儀している。

三週間もの腰のアテロームで、
いつものようにリラックスして
寝返りをうったり、
仰向けに安楽に寝れなかったので
体の筋肉のバランスが崩れて
部分的な緊張と
引き攣りを起しているのかもしれない。

体操とストレッチで
なんとかバランスの回復を
図っている。

寒波が到来すると、
またまた体が強張って
痛みが出るやもと思うと、
なんだか気が重い。

アテロームの一難去って
また一難の歳の暮れである。

今日は、
クリスマ飾りを片して
正月飾りに室礼を
改めねばである。

つい、
メンドクセーなぁ・・・
という気持ちがおきたが、
いつまでもクリスマス飾りを
眺めているのも白けるので
やらねばである。





冬休みの仕事として、
ファイナル・リサイタルでの
ロビー物販用書籍の増刷をしている。

こういうのを
「手造り・手売り」というが、
ネットでも委託販売でも
さっぱり売れないので、
講演会やイベントなどの
「直売り」の機会は見逃せない。

毎日の「身辺雑記ブログ」以外に、
投稿サイトに様々なテーマで
長年アップしてきたコンテンツを
連載終了時点でブックレット化してきた。

そしたら、
いつの間にやら、
50種近くなってしまった。

その10倍としても
500冊以上は
製作・販売してきたことになる。

1アイテムで
100冊を越したのも
いくつかはある。

ミリオン・セラーでなく、
ハンドレッド・セラーである(笑)。

こんな駄本類でも
「救われた」
「考えさせられた」
「勉強になった」
「参考になった」
「楽しめた」
「面白かった」
「泣けた」
というような
感想をお寄せ頂いた
読者もおられるので、
「貧者の一灯、一隅を照らす」
の気概で
製本・頒布している。

半時、一時なりとも
読者の“いのちの時間”を
頂いているのだから、
プロ・アマ関係なしに
執筆する者は
真摯に直向(ひたむき)に
一字・一句・一文・一節・一物語に
“たましい”を込めなくてはならない。

これまで、
幾種かの「冊子/本」という
アイテムによって、
小説家ごっこ、エッセイストごっこ、
評論家ごっこ、グルメライターごっこ、
児童文学者ごっこ、アーティストごっこ、
を大いに満喫してきた。

そして、
印刷業・製本業・出版業の
真似事も楽しんできた。

年に二冊「創る」という
ハードなノルマも課して
なんとかこの二十年は
それを達成してきた。

ジャーナル(学会誌)への
論文投稿は一本のみだが、
もっぱらニュースレターのような
雑文への投稿が多いので、
アカデミックよりも
ジャーナリスティックなことに
向いてるんだろう。

小4の頃から中1まで、
新聞部にいて
創作小説を書いてたような
子どもだった。

なればこその
私本創りなのだろう。

来年は、
どんなテーマで
何を書こうか・・・と、
“ひとりパブリッシャー”が
企画を練り“作家”の自分と
相談している(笑)。





お歳暮を頂戴したK先生に
お礼状をプリントアウトしたら
プリンターの不具合で
印字が潰れ、仕方なく、
万年筆で手描きした。

考えてみれば、
字が下手なのを理由に、
目上の先生への礼状をも
ワープロ印刷していたが、
なんたがそれでは些か
失礼な気がした。

なので、
ペン字のお稽古も兼ねて、
こころを込めて、
一字ずつ丁寧に
ワープロ原稿を書写した。

日常の『執務報告書』のような
下手っぴな字が羅列したが、
「風呂は風呂桶じゃなく、
 湯加減だい!」
という屁理屈で、
大先生には
御寛恕いただくことにした。

お返しには
『フラメンコ・セレクション』の
CDを同封させて頂いた。





十年来はいてた室内履きが
“ナザレのイエス”状態に
なってきたので(笑)、
お客様用のものを
転用することにした。

モフモフ・スリッパは
冬用にお出ししていたが、
これで急な階段を昇ってこられるのは
不安に思われるのか、
みなさん薄手で軽量な方を
お使いになられる。

***

介護ホームから
毎月、定期便が届く。

多くのスナップの中に
やはり老母の姿を探し、
その壮健な様子に
安堵する。





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