『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

与太郎センセイ(笑)

2024-04-17 07:04:49 | 形而上的事

 

きのうは
K中の初出勤日で、
例年のごとく
新年度用のファイルを
三種用意した。

こういうのは本来、
コーディネーターの仕事なのだが、
教頭・養教ともに多忙なので
失念していたらしく、
「すみませんでした」
とお詫びを申されていた。

日頃から
何事も「Do It Yourself」に
慣れているから、
苦もなく当たり前の事として
事務作業も出来る年齢にはなった(笑)。

しかも、廃物利用のリサイクルで
令和1年の三色ファイルを
中身を交換しての
再利用をした。

***

今年から
勤務形態が変わって、
30分早く出勤し
『生徒指導委員会』と
『いじめ対策委員会』と
『教育相談委員会』を
ひとつにまとめた会議に
参加を要請された。

その分、4時半退勤になったが、
長年の5時退勤の習慣があって、
なんだか、早引けするようで
きのうは妙な感覚を味わった。


***

4、5校時は、
1年生・2年生への
カウンセリング・ガイダンスで
『メンタルヘルスと悩み』
というテーマで二時間
授業を行った。

新任の校長が
気遣ってくださって
「授業、よろしくお願いします」
と言われたが
「大丈夫です。
 元・教員ですから・・・」
と、どんと胸を張って応えた(笑)。

教員歴18年で
教壇時間1.5万時間のキャリアは
パイロットの飛行時間でいえば
ベテラン機長に匹敵するので、
久しぶりの授業でも
【立て板に水】の如く
話言葉はスラスラ出てくるものである。

それと、ハタチの頃から
46年間、毎日、今も入浴時に
名人上手の落語を聞いているので、
話のクスグリやら間合いは
落語の「それ」そのものである。

57年もやっている
ギターやクラシック音楽の勉強での
「間」も身についているので、
「間抜け」や「間違い」や
「間の悪さ」にはならない自信はある。

きのうも手元には
デジタルレコーダーをおいて、
二時間とも録音したが、
夜、就寝前に聞いてみたら、
生徒たちにワンワン受けていて
客席(笑)とのラリーもあり
ボケ、ツコッミもあって、
自分でも楽しめるくらい
けっこう面白かった。

かつて、桂枝雀が
自分の演じる噺を聴いて
ほんとに笑っているという
エピソードを開示しているが、
他の誰でもない、まさに、
これ以上の「自分好み」の芸は
ないのである。

掃除の時間になったら、
話を聞いたJCたちが
笑顔で寄って来てくれたりして、
爺様ピン芸人に大分と
親しみを感じてくれたようだ(笑)。

 



カウンセラーや
サイコセラピストには
トリックスター(道化)的要素も
必要で、それにより、
非日常的で深淵なサイキック世界を
共有することができるのである。

このことは、
落語の重要キャラである
「与太郎」をはじめ、
宮沢賢治の「でくのぼう」
良寛の「大愚」
一休の「風狂」
車寅次郎の「馬鹿」
という「愚者論」を若い頃に、
ずいぶんと研究したものである。

日本人の無意識下には
そういった「愚ろかさ」や
「役立たなさ」に
一種の「聖性」を感じる
という精神文化があるのである。

これは、深層心理学者のユングも
トリックスターという
アーキタイプ(元型)を
古今東西の文明・社会に見出して
その有意義性を強調した事とも
通底しているので、
コレクティヴ(集合的/普遍的)な
アンコンシャスネス(無意識)として
人類の精神性に潜在しているのである。



***

久しぶりの
芯から楽しい授業で、
おなかがペコペコになり、
きのうの“手作りベント”の
うまかったのなんの!(笑)。

そういや、
前日に新任校で
嫌な思いをした事の翌日なので、
【苦あれば楽あり】で、
ふて腐らず、与えられた状況・
環境・問題に素直に対峙して
やり遂げれば、必ずや
報いがあるんだ・・・という事をも
再認識させられた。

人生を深く生きるとは、
まさに、そうした事なのである・・・。








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育児相談

2024-03-30 09:00:09 | 形而上的事

 

きのうは午前中は
台風ばりの雨風だったが、
そんな中を
春休みの「ラーメン紀行」で
郊外の新店に行ってみた。

好物のワンタンメンがあったが、
麺が極細ですぐに伸びてしまい
スープは煮干し臭く雑味があって
感心したものではなかった。

今の処、
数あるラーメン店で
リピータブルな店は一軒だけである。



*

帰路、文房具店に
切れていた朱墨と
緑の顔彩を買いに寄ったが、
金の墨汁があったので
高価だったが買ってみた。

帰宅後、
さっそく書室で
試し書きをしてみたが、
目先が変わって面白かった。

春休みになって、
毎日のように
書の稽古と
茶室で琴の稽古に勤しんでいる。

きのうも
自宅カウンセリングの親子に
茶を振る舞い、
『さくら変奏曲』を
お聞かせした。

きょうも
別な親子がおいでになるので、
カミさんが土産で買ってきた
最高級(25g5千円)のお濃茶と
生麩饅頭をふるまい、
筝曲をお聞かせしようと思う(笑)。


*

午後からは雨があがり
陽が射したので、
気が向いて、
到着したばかりの
エアコン・ガスの充填作業をやった。

去年の夏に入れたばかりだが、
もう抜けたようで、
雨降りの車内の湿度計が
まったく除湿の効果を果たさず、
冷風も出なくなっていた。

時間にして
5分ほどの作業だが、
一缶1000円くらいなので、
スタンドでやってもらうより
遥かに安上がりである。

充填後のチェックでは、
吹き出し口から
凍えるほどの冷風が噴出したので
今回も上手く出来たようだ。

盛夏の8月まで
ちゃんともってくれればいいが・・・。

**

今朝方、カミさんは、
京都から帰ってきたばかりなのに、
二日ほど出勤したら、
きょうは上京して
ナッちゃん/アキちゃん夫婦と
ディズニーランドへ
観劇しに出かけた。

「帰りは、夜の10時過ぎになるね・・・」
と、言い残して、
さっさと出かけた(笑)。

「トーチャンは仕事なのに・・・」
と、イヤミを返したら、
「ハハハーっ!!」
と、高らかに笑っていた(笑)。

元々、旅行好きで
「出ずっぱり」の性格なので
「おうち大好き少年」の
トーチャンとは
共行動の機会が少ない(笑)。

お互いに稼いでいるから、
互いのやりたい事には干渉しない
というのが40年来つづいている(笑)。

ま、夫婦の形は
それぞれだから、
こんなんも「あり」なのだろう(笑)。

*

喜多方や白河といった
県内のラーメンの名所の店が
出張して出店する物産館に
しばしば赴いている。

駅前だけあって、
駐車場の近隣には
ホテルのビル群があり、
このアングルのみが
唯一、都会っぽい錯覚に陥る(笑)。

もっとも、東京や大阪のように
ビルが乱立する風景は
しょうじき、田舎者には
落ち着かず、こころが
ささくれ立つような気がする(笑)。

 



やっぱ、山や海といった
自然と触れ合ってる方が
性に合うんだねぇ・・・。

 



そう。
ビルの谷間に住んでたって、
「音楽」なんぞ
できやしない・・・。

京都では、
高層マンション群に
住んでたけど・・・
なんだか、
地に足が付かない感じだった(笑)。

***

***

今朝方、メールをチェックしてると、
大阪の教え子からの
「育児相談」が来ていたので、
ブログ執筆前に返事を済ませた。

一昨年、上洛の際、
もひとりの教え子と
一緒に京都散策したが、
かつては、ふたりでフクシマまで
泊りがけで遊びにもきた子たちである。

***

なんだか、
育児ノイローゼっぽいなぁ・・・。

子育てに悩むいうのは、
まだまだ、自分にも「伸びしろ」ある、
いうことやで。

ほんまの毒親は、悩む前に
我が子を殺してまうもん。

そういう親、仰山、
ニュースになってるやろ。

【育児は育自】やねんで。

【ママというのに、ままならぬ】
というのもあるわ(笑)。

子どもは「自然」だから、
車や電化製品みたいには
コントロールや操作はできひんのや。

「教育」には
他動詞として「教え、育てる」という面と
自動詞として「教わり、育つ」という
両面があんねん。

親にあまり力が入り過ぎると
子どもの「教わり、育つ」という
自然の力を邪魔する事になるから、
時には、種が芽を出すように、水をやり、
芽が出たらお天道様になって照らすような
つもりにならなあかんわな。

「愛」という字は
「受ける」と「心」で出来てるから
「心から受け入れる」ということやで。
シンドウても・・・。

たとえどんなに反抗しようが
言うことを聞かなかろうが、
いつかは本来の道に戻るであろうと、
望み、信じ、願う・・・という
強い思いを抱くことも大事やねん。

それが「祈る」という
人の最も崇高な姿であり、
偉大な力でもあんのや。

何々教でのうてもいいから、
神仏のような大いなるものに
祈ったり、任せたりするのも
「形而上的な子育て」として大切やで。

具体策としては、困った時には、また、
「黒字ノート」をきちんと実践して、
「目かけ・声かけ・心かけ」の「三かけ」を
きちんとして、
褒めること、共に喜ぶことをせなあかん。

自分のアダチルを矯正してくれるのは、
カウンセラーよりも「我が子」なんだ
と思ったほうがええで。

「へたれ」返上のチャンスやないかい(笑)。

それに、お姉ぇやオカリンや旦那、
ワイも含めて、仰山、相談できる人が
おってやろ。

それは、幸せで有難いことやで。

金光教では
「不平不満にお陰なし」
言うねんで。

まずは、娘が生まれてきてくれた事に
感謝して、日々、成長してくれてることに
感謝せなあかんわな。

 ちちははも
  子どもと共に生まれたり
   育たねばならぬ
    子もちちははも

・・・やで。


 

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命は運ばれるもの・・・

2022-12-14 09:47:24 | 形而上的事

 

車通勤だと
コートというのが要らないが、
それでも、冬の寒い朝に
乗り込むときには、
防寒用としてダブルのスーツを
その代用としている。

きのうは、
中には毛足の長い
ポロシャツを着て、
脱着式のストライプ簡易タイで
Vゾーンのアクセントカラーにした。

冬場には、
ガッチリしたダブルスーツを
着ての出勤が多いから、
フォーマル感があって
“おしゃれ”に思われているようだ。

*

前期高齢者になったばかりだが、
もう、還暦過ぎてからは、
一年、一年を「晩年」と思って
大切に、丁寧に、
「深生き」しようと努めてきた。

そしたら、
殊更に、何が何でも
「長生き」したいとも
思わなくなった。

まさに、
それは、神任せ、寿命任せ、
「自ずから然る」ようになったらいい
とも思っている。

「運命」「命運」と言うように、
「命は運ばれている」のであり、
「生まれさせられて、死なされる」
というのを、今更、
理不尽・不条理と嘆いても
はじまらない。

老境に入りては、
磔刑上のイエスに倣えば、
「この身を委ね奉る」
という心境に
段々となってきた。

大仰に言えば、
近年の量子力学の
驚くべき知見や世界観なぞも、
現代的な「達観」を
助長してくれたようにも思える。

世間には、
相変わらず、金儲けや出世や
物質的繁栄を追い求め、
それに縛られている善男善女が
けっこう観られる。

この世は、
形而下的な事なのみではない。

万物の二極性を考えれば、
「+/-」「N/S」のように
形而上的な事も「車の両輪」の如く
欠くべからず要因なのである。

若い子はいざ知らず、
いい大人が、
「青臭い」だの
「くだらない」だの
「馬鹿らしい」
と言うのをよく耳にする。

そういう御仁の言をよくよく聞くと、
聞くに堪えない、まさに、
スキン・ディープ(表層的)な
軽薄短小な人生観・人間観
であったりして、辟易させられる。

そして自らの悪業で
難儀の極みとなり、
助けてほしい・・・と、言われても、
【縁なき衆生は救い難し】
と、関わらないようにしている。

*

ダイソーで
『ことわざ』『四字熟語』
というオモロイ日めくりがあったので、
職場でのパスタイム「書」の
簡易手本として買ってみた。

最近、「書道療法」というのを
独自に考えついて、
何人かの中学生に
実践・研究している。

キチンと縦横の枠線と
罫線、補助線のある
小1用の「おけいこノート」に
自分の名前を「美文字」に
仕上がるようコツを教示して、
短時間で「子ども字」から
「大人字の達筆」に仕上がると
どの子も驚嘆して喜んでくれる。

教示・理解・反復練習・・・という、
授業と同じ作業過程で、
1セッションのカウンセリング時間に
自分の名前が「我が字」でないような
美文字に自ら創出できた時、
子どもたちは
不思議な感動を覚えるのである。

自分の中に、
そんな才能が眠っていて、
それが、インストラクションにより
引き出され、創出できる事に
驚くのであろう。

この原体験は、
生まれて初めて
自転車に乗れた時にも通ずる
感動を伴う体験なのである。

「ギター音楽療法」でも
同じような現象はあり、
きのうも、生まれて初めて、
ギターで2オクターブの音階を弾いて、
『カエルの歌』でも『蝶々』でも
なんでも弾けるようになった自分に
驚きと喜びで、素晴らしくいい顔を
見せてくれた。

これは、生物学教師時代や
心理学教師時代にも体験したが、
まさに「蒙が啓かれた」瞬間に
人は「世界観」が変わり、
人として本能的な歓喜に触れるのである。

*

目下、中学三校に勤務してるが、
5.6%に『発達障害』が見られた
という調査結果である。

臨床感覚からも
妥当な頻度のように思われた。

今回の調査で瞠目すべき結果は、
小中高と長ずるにしたがって、
その頻度が低下している事である。

これは、小中高と42年間、
教育現場で感じてきた経験則を
裏付けており、生物学的に推測すれば、
脳内のニューラル・ネットワーク
(神経網/NN)が、その回路数を増やし、
より有機的な結合がなされるからだろう。

これは、乳幼児の運動機能や
言語機能の発達現象と同じであり、
卑近な例では、「自転車乗り」などは
「乗れた時」は「乗れない時」には
無かった『NN回路』が新生したのである。

老母が、
脳梗塞・脳溢血で入院した時、
数多の画像を主治医に見せられたが、
驚くべきことに、退院時には、
明らかにその脳内の物理的所見が
変化しており、80代後半でも
人間の復元力・回復力・改善力
といったものを再認識させられた。

それらのことを鑑みると、
ローティーンから
ミドルティーン、ハイティーンと、
脳内のNNが発達して、
その回路数が増え、
それが「落ち着き」や「思慮」
といった行動に反映するのも
当然のサイエンティフィック・ファクト
と言ってよいだろう。

*

お気に入りの
YouTubeサイトを視てたら、
NHKの後任会長が
また「金融屋」のグローバリストが
任用される・・・と知り、
サイト主同様に
ゲンナリさせられた。

“おかみ”(政府)も
公共放送も、オカシイを通り越して、
狂ってる・・・と言いたい。

BBCの会長は、
筋がね入りのグローバリストだそうで、
ならばこその「偏向報道」にも
納得である。

早いこと、
NHKも、自民党も、
邪教反社組織と共に
ぶっ潰れてほしいと
祈っている。

 

 

 

 

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