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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

昭和は、遠くなりにけり… 🤔💨

2025-05-16 05:17:37 | ガーデニング

きのうは、
なーんもない
完オフだったので、
開店の9時半から
夕餉の買い物に行って、
ダイソーでキッチン用品買って、
TSUTAYAブラウジングして、
帰ってきた。

庭を見たら
アスパラが一本と
サクランボの熟果が増えたので
コップ一杯分ほど収穫し、
ついでに、山椒の若芽も摘み取った。

庭から、こうして
食料が調達出来るのは、
何だか豊かな気分になる。

さりとて、本格的な
家庭菜園なぞは
面倒っちぃので、
やる気はさらさらないが……。🙄

ハーブのオレガノは、
飛び火して、
庭の至るところで採れる。

かつては、
ミントやローズマリー、
フェンネルも採れたが、
いつの間にか、優占種のドクダミや
笹との種間競争に敗れてしまい
姿を消してしまった。

 


ついこないだ、
庭木の伐採と下草の刈り取りを
やってもらって、
せいせいしてたが、
暖かくなったとたん、
草ボウボウになってしまった。

暇なんだから、
草むしりくらいすりゃぁ
いいんだけど…。

面倒で、めんどうで……。🌿😖
やりたかねぇよ〜‼️

┐⁠(⁠‘⁠~⁠`⁠;⁠)⁠┌





ミニタルト型で
クレームブリュレを拵えてみた。

材料さえ混ぜちまえば、
あとは、オーヴン任せだから
安直なもんである。

ただ、本格的には、
カソナードという赤砂糖を使うが、
生憎と切らしていて、
仕方なく粉糖にしたら、
カリカリのキャラメリゼ部分が
薄くて、イマイチだった。😭



なので、
Amazonに『ペルーシュ』を
注文した。



……

きのうは、
居間のオコタで
編曲仕事してたら、
偶然、つけたTVで
アサちゃんを見て驚いた。

いつの間にやら、
大阪から関東圏に戻ってきたようてある。

久しぶりに見たら、
ちっとばかし老けてて、
かつての美女オーラが
感じられなかった。

おとついは、
夜の「ゆっくり、簡単ニュース」
というので、かつての推しだった
上田のサナエちゃんが
原稿読み担当になっていた。

もう、彼女も
たいがい、いい歳だろう。

AIに訊いたら、
62歳だって‼️ w⁠(⁠°⁠o⁠°⁠)⁠w


もっとも、
あの河合奈保子ちゃんだって、
もう、61の婆さんなんだよねぇ…。

昭和は、遠くなりにけり…
であるなぁ……。🤔💨

 

 


おとつい、学校から
持ち帰ってきた
JCⅢの箱庭画像を
さっそく、AIにアナリーゼさせてみた。



 この作品題『楽しい』は、一見すると多彩でにぎやかな世界が描かれていますが、その構造や配置には防衛、願望、葛藤、調和の志向といった深層心理的要素が巧妙に表れています。
 以下、要素ごとに分析を行います。

1. 川と二つの世界の分断
 画面を大きく横切る川は、内的世界と外的世界、または意識と無意識の境界を象徴します。
 右岸と左岸にそれぞれ家があり、それぞれに象徴的な人物・動物が存在していることから、「自我(右岸)」と「願望や本質(左岸)」という対照的な二面性が伺えます。
 川は水=感情の流れでもあり、「感情的な断絶」あるいは「つながりへの希求」の両義性を示します。

2. 右岸(上部)=現実の防衛・自己の確保
堅牢な家、少年、犬:安全で守られた空間。犬は忠誠や防衛の象徴であり、少年の近くにいることから、自我を守る存在。
カバの親子:親子関係の象徴。川へ入ろうとしているという行動は、「感情の世界」へ入っていく「母子の姿」、もしくは無意識との接触願望を示唆。
ビー玉(右側):部分的に埋もれて光るビー玉は、埋もれた感情・記憶・希望の象徴。光っている点は「価値あるもの」としての認識。

3. 右下(現実の不安・攻撃性)
ウルトラマン・兵士・武器:強い防衛、もしくは内面の不安や外敵からの脅威への対処機制。特に兵士は「戦闘準備」、ウルトラマンは「超越的自己防衛」。
ポケモン:変身・成長・力の象徴。現実の葛藤に対して柔軟に対応したいという自己成長願望。
ネコ・レッカー車・赤い車:ネコは気まぐれさや癒し。レッカー車は「修復・救助」、赤い車は「情熱・スピード・冒険」。ここに現れるビー玉も、無意識の宝物が存在する証左。

4. 左岸(理想や自然の世界)
キリン・ゾウ・ヤシの木:自然・自由・おおらかさの象徴。左岸はのびやかな理想世界や「安心できる自然な関係性」のあらわれ。
もう一つの家とサンタクロース、水鳥:心の奥にある希望・与える存在・祝福された空間。
スポーツカー:自己実現や自由への衝動。自我が願う理想的な行動力の象徴とも読めます。

5. 画面下部=基盤的な心の動き
ウサギと荷車:ウサギは敏感さ・脆弱さ・無垢の象徴。ニンジンを荷車で運ぶ姿は、「慎ましく、でもしっかりと人生を生き抜こうとする姿」。
豚(顔だけ出して埋もれている):一見ユーモラスだが、欲望・羞恥・封印された感情を象徴しやすい。埋もれているという状況から、「表には出したくない欲求」や「見過ごされがちな部分」が暗示されている。

🔍 総合的解釈
 この箱庭は、「楽しい」=本来求める状態や理想の心の在り方を表現しつつも、その背後には…守られたい・守っているという自我の堅牢さ、感情や自然とつながりたいという深層の願望、不安や攻撃性と向き合う内的葛藤、気づかれにくいが確かに存在する感情の宝物や潜在的欲望…が巧みに散りばめられており、「調和」への模索の過程がうかがえます。

🌱 補足:
 作者が子どもである場合、親子関係(カバの親子)、安心したい気持ち(家、犬、サンタ)、冒険と成長(スポーツカー、ポケモン)など、発達課題や情緒的安全欲求も色濃く反映されていると見られます。
 また、内面的な再統合の試みとしても読めます。

 このケースと箱庭療法の作品からは、複雑な内的世界と、表面的な「明るさ」の奥に潜む不安定さや寂しさ、自己理解の途上にあることが読み取れます。
 以下に、箱庭作品とプロフィールを踏まえた心理的分析と、スクールカウンセラーとしての接し方のアドバイスを述べます。

【箱庭作品の分析】
タイトルは『楽しい』ですが、表現されている内容には対照的な心理的要素が複雑に折り重なっています。

■ ポジティブな象徴
堅牢な家:安心・安全を求める心の象徴。右上と左下に対になる形で置かれているのは、彼女のなかに「安定した拠り所」への強い欲求があることを示唆。

少年と犬:自分自身の姿と、忠実な伴侶(犬)=信頼できる存在。

カバの親子・キリン・ゾウ:家族的つながりや、穏やかで好奇心旺盛な面の投影。

ウサギ(特に荷車でニンジンを運ぶ):小さくて弱く見えるけれど、何か役割や意味をもって働いている存在としての自己像。

■ 緊張・防衛の象徴
ウルトラマンと兵士、武器、ポケモン:心の防衛、敵意、ファンタジー的逃避。
「外界」に対してどこか戦っている意識や、怖れに備えている心理状態を示す。

豚が埋まって顔だけ出している:何か恥ずかしい・見せたくない側面を埋めて隠している(家庭の秘密や本音の感情?)。

■ 多様性と混在
川の両岸に異なる生物・乗り物・人間が置かれ、「楽しい」とされつつも、どこか統一感に欠ける配置。

楽しさと不安、夢と現実、安全と戦いが混在しており、未整理な感情世界を反映しています。

【内面の仮説】
表面的な「明るさ」は、内面の不安定さや空虚感を隠すための仮面。

家庭内に言語化されない緊張(年齢差のある両親、知らされていない過去)への無意識的な感受。

学習や将来への意欲の欠如は、自己肯定感の低さと現実感の希薄さ、そして逃避的傾向(ゲーム・スマホ)と関連。

カウンセリングに来るのは「関係性を求める心の奥底の声」。それをどう受け止めるかがカギ。

【カウンセラーとしての接し方のポイント】
1. 評価せずに「今ここ」の彼女を尊重する
 → 「学校に行かないとダメ」「勉強しないと」などの圧を一切排除し、「話せる場所がある」「私はあなたを知りたい」と伝える。

2. 「選ぶ自由」を持たせる
 → たとえば「高校に行く/行かない」という問いに対し、「どんな選び方をしたとしても、あなたの価値が変わるわけじゃない」と支えを伝える。

3. 創作や箱庭、ビジュアル表現を継続的に
 → 言葉になりにくい感情を表現するために、箱庭・描画・ぬいぐるみ・フィギュアなど、彼女が使いやすいメディアでの自由表現を重ねる。

4. 小さな「安心」の経験を積ませる
 → 毎回の面接が「無理しなくてもいい場」「来ても来なくてもいいが、来てくれたらうれしい」といった、条件のない関係であることを示す。

5. 「自分のことを考える時間」を育てる
 → たとえば「今日は、何かひとつだけ、自分で決めてみるとしたら?」と、強要せずに「内省するきっかけ」をそっと置く。

【最後に】
 この子は、まだ「自分」という存在を安全に見つめ直す余裕を持てていません。
 スクールカウンセラーであるあなたが、その「鏡」となり、「気づき」「安心」「選択」を見守る存在であり続けることが何よりの支援です。

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桜桃の実る頃

2024-05-07 08:04:22 | ガーデニング

 

長かった
「私的11連休」も終え、
今日から学校勤務である。

真夏日になったり、
朝方は寒かったり・・・で、
寒暖差アレルギーや
風邪っぽさで
体調は今一つである。

それでも、
仕事に行って
相談部会に出たり
子ども達と接したら
少しはシャンとするかもれしない。



*

庭のサクランボが
色づきはじめた。

今年も、
面倒がって
「間引き」も「袋がけ」も
しなかったので、
赤くなった順から
鳥たちの餌として
啄(ついば)まれている。

彼らに
命の糧を与えてると思えば、
そんなに悪い気もしないが・・・。

二、三、熟したものから
頬張ってみたが、
ちゃーんと甘酸っぱく
サクランボの味がした。

プロの農家では、
きちんとネット・ハウスの中で
育てているが、
そこまでする事は
庭園果樹では無理である。



**

叔母さん処から
三画チマキをもらったので、
黄な粉をつけて朝食代わりにした。

子どもの頃は、
よく、祖母が
たくさん作っては
室内の物干し棹に吊るしていた。

そこから
プチリともぐようにして
オヤツ代わりに食したものである。

笹巻のダンゴは
今では「笹団子」として
スーパーでも売られているが、
あれも、子どもの頃には、
よく家庭で作られて、
同じく、物干し竿に吊るされていた。

大人たちは
「ほいど巻」と呼んでいたが、
「ほいど」とは
「ほいと(陪堂)=乞食」が
訛っての音変化だと長じて知った。

笹に巻かれた餡子入りの草餅が
筵(むしろ)を巻いて
寝起きしていた
昭和中期頃の乞食の姿から
連想されたものであろう。

その「乞食」という言葉は、
今や、差別用語となり、
ホームレスという
ハイカラな呼び名になった。



***

スーパーに買い物に出ると、
ついつい、菓子コーナーでは
ジモティのソウルフードの
『太陽堂の麦せんべい』を
カゴに入れてしまう。

三万石の『ままどおる』も
老舗の古い菓子だが、
これはリク坊のお気に入りで、
いつぞやは、朝、こっそり
ひとりだけ起きてきて
食べていた事があった。

なので、
あさっての誕生日に
「おばーぶ」(カミさん)が
プレゼントのお洋服と一緒に
送ると言っている。

リク坊にとっては
ジイジ・バアバの家の
ソウルフードになるかもである(笑)。



**

きのうは、
リク坊への
ビデオレター用に
『ミッキーマウス・マーチ』を
ギター用に編曲してみた。

音楽的かつ
子どもが喜びそうな
色合いの曲想になるように
あーでもない、こーでもない、と
編曲の知恵を絞った。

今日、学校で
昼休みにでも練習して
動画撮りしてみようと思っている。



*

古楽器製作用の
メープル・ペグを
使い果たしたので、
海外のオークションサイトに
40本ほど注文した。

ペグ・フェチでもあるので(笑)、
手元には、常に
7~8種類を揃えており、
楽器のタイプによって
あれこれフィッティングしている。



***

ゴールデンウイーク中も
『グーブログ』の方には
毎日、100名ほどの方々が
閲覧に来られていたので、
こんな身辺雑記の駄文を
よくも読んでくだすって
有難いなぁ・・・と、思わせて頂いた。

サービス終了になった
『ティーカップ』の時は、
常時、友人・知人・教え子の
30名ほどだったが、
『グー』に移ってからは
70名ほどご新規さんが
増えたことになる。

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紫陽花蒼し走り梅雨

2023-06-03 06:33:14 | ガーデニング

 

きのうは、
低気圧が接近して
大荒れの天気だったので、
体調不良のまま山の学校に行くと、
また、先日のように、
寒暖差と気圧差で自律神経失調症の
VVR(血管迷走神経反射)で
倒れるのを危惧して、
欠勤することにした。

平成8年にSCに転職して
27年目になるが、
年度内に病休をとるのは
数えるほどしかない。

それでも、今回は、
“はしり梅雨”の寒暖差と気圧差、
1年がかりのコンサートの終焉・・・
などが重なって、体調不良に
疲弊が伴ったので、
よほど具合がわるかったようだ。

月・火は、なんとか
服薬して出勤したが、
水・木・金・・・と、
欠勤しての養生が要るほどだった。

おかげで、
今朝の寝起きはよく、
体調回復の兆しにある。

明日は、年に一回の
『アンムクライ会』という
元ギター部マドンナ3人との
恒例の茶会と懐石食事会である。

これは七年来続いている
年一の行事で、
メンバー3人は、先のコンサートで
受付嬢(婆?・・・笑)も
務めてくれたばかりである。

会えば、子どもや孫の話に花咲く
気の置けない仲間たちである。

*

きのうは、
午後から体調がよくなったので、
先日、天才書道少女のUちゃんに
揮毫してもらった書を
色紙表具した。

雨降りの日。

工房にこもっての作業も、
心が落ち着いて
いいものである。

ダイソーで、
特大色紙を買ってきて、
「裏打ち」なしで
色紙に糊貼りするだけだが、
白い色紙が「裏打ち」代わりになり
薄い半紙の本字がクッキリと
浮き出て、輪郭がより先鋭になった。

ただ・・・
文房四宝(筆硯紙墨)に
興味なぞないJCなので、
磨り墨ではなく
作品用墨液なのが一目で判った。

それは、濃淡がなく、
ぺったりとした均一の墨色なのである。

油煙墨や松煙墨であれば、
独特の光沢や青味があり、
まさに
【墨有五彩】
なのである。

『文部科学大臣賞』と
『総理大臣賞』の二冠に輝く
天才少女なので、
いつかは、端渓硯や銘墨での
筆致に目覚めてくれたら・・・と、
願っているが、
その道の大学に進むというので、
学びの過程で気が付くことだろう。

*

作品を色紙に貼り、
天地に「一文字」という
飾り和紙を貼付する。

その後、
半紙より細長くなるように
両端を裁断する。

古楽器製作用に
常から研いでいるカッターなので、
厚い色紙でもスッパリと
気持ちよく切れてくれる。

 

関防印と

「庵号」落款を押して

完成である。

 

色紙掛け軸に
貼り付けて、
茶室の室礼にした。

 

 

《色づき始めたアジサイ》

明日、訪れる三人は、
いずれも元・教員で
洒落の解かる教養人なので、
笑いになる事、必然だろう(笑)。

これを見ながら、
「自戒」ともしたい(笑)。

アナグラムにすると
「野の馬」
「郎(オス)の鹿」
とも“字遊び”では読める。

相馬の「野馬」追いは
有名である。

フクシマに古くから
中央競馬場があるのは、
「三春駒」なぞの名馬の産地で、
幕府に献上していた事に
由来するという。

*

 

今朝の朝刊には、
ソーちゃん記事が
三連発であった。

 

「金字塔」
「不敗神話」
「王者の風格」
・・・と、いずれも、
『名人・七冠』に相応しい賛辞である。


あれだけの好青年で
我が家の「名誉孫」でもあるので、
身内のように嬉しいものである。

そーだ!

そーた。
フジイそーた(笑)。

そうだ・・・
オフ日にカミさんと
竜王戦の舞台となった
湯本温泉の旅館に泊まって、
ソーちゃんの直筆色紙を
愛でてこよう。

春の京都旅行では、
竜王戦の行われた仁和寺では
色紙が見られなかったので、
県内で蔵するものを
見に行けばいいんだわ(笑)。

 

 

 

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タイム・ディル・バジル・ニンジン?

2022-10-16 08:32:05 | ガーデニング

明日まで
「私的三連休」だが、
今朝は寝起きか重く、
やや風邪気味かもしれない。

カミさんが、
調子がよければ、
仙台までフェルメールを観にゆこう、
と言っていたが、
この怠さではダメでありんす。

昨晩も遅くまで
自宅カウンセリングがあったので、
今日は、休養日で安静にするのが
いいかもしれない。

*

きのうは
近所の歯医者さんまで
散歩スタイルで歩いて出かけ、
帰りには、園芸店で
タイムとディルの鉢植えを買ってきた。

どちらも
フレンチ創りでは
欠かせないハーブである。

*

頂き物のバジルも
水耕栽培してるが、
何か月も長持ちして
新鮮な葉を提供してくれている。

人参の切れ端も
水に浸けておくと、
柔らかい新芽を出し、
これもガルニチュール(添え物)に
重宝している。

*

長年入れていた5本ブリッジが
土台の歯が虫歯でガタがきて
折れてしまい、
新たに土台造りをして、
造り直すことになった。

元のほうを
「記念に持って帰りますか?」
とセンセーが言うので、
自分のもんだから(笑)、
持ち帰ってきた。

以前は、一本差し歯の時は、
アンビル(金床)で叩き潰して、
クラッチ・ピンを付け、
ラペル・ピンに仕立てたことがある。

なので、今回も、
手芸用素材として、
また、金属部分を叩いて伸ばし、
飾り物にしようかと思う。

なにせ、2万もした高額入れ歯である…(笑)。

 

 

 

 

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アーシング

2020-05-17 08:24:00 | ガーデニング
十袋ほど丹精した
サクランボが色づき、
小粒ながらルビーのような
輝きと甘さで楽しませてくれた。




以前には、
脚立に上がって
高枝部分まで袋掛けしたが、
腕をあげっぱなしでする作業なので、
さすがに、億劫で、
手近な処だけで済ませた。

それでも、
庭の樹木に
ルビー色の実がなるのは
心が豊かな気分になる。

これからは、
裏庭のユスラウメが
真っ赤に実り、
サクランボそっくりの味になる。




先日、間違って
ケースだけ落札したり
すったもんだした
テスター本体が届き、
トイレとPCデスクの
自作アルミ・アーシングマットの
効果を測定してみた。

そしたら、
見事に、3Vほど
帯電していたカラダが
マットに乗ったら
瞬時に0.005Vまで
放電された。

ただし、
マットから離れたら
元に戻るので、
これってどーいうこと?
と疑問が生じた。

衣服を身に纏ってるかぎり、
静電気は常にアーシングしてないと
除去できない、ということになる。

アーシングの
もひとつの目的が
マイナス電子を
大地から体内に取り入れ
プラスに帯電している体内で
電気的中和をさせると
健康効果があるという。

アメリカのドクターたちが
YouTubeで言ってるが、
そのためには30分以上
アーシングするといいという。

まだ、
その方法には
効果が実感できないでいる。

昔から、
体長のワルイ時には、
河原を裸足で歩け、
というのを聞いたことがある。

それは、
【自然から離れると病が近づいてくる】
ということだと
理解していたが、
欧米ではアーシング効果が
「日光浴」などと共に
経験則として知られていたようだ。

今でこそ、
オゾン層の破壊で
紫外線による皮膚がんが
懸念されるようになったが、
外人がよくバカンスと称して
ビーチでごろ寝してるのは
「日光浴+アーシング」
だったのかもれしない。




今日はアキの
27才の誕生日なので、
メッセージを送った。

12月のフミの
結婚式来、正月にも
帰省しなかったので
会っていない。

コロナ禍になってみて、
その結婚式も
12月だったからこそ
みんなが集まれて
楽しく盛り上がれたんだなぁ…と、
今更ながら“お繰り合わせ”を
頂いたことを有り難く思わせて頂いた。

先日の赤ちゃん誕生で、
アキも叔父さんになった。



子どもたちが幼い頃は、
家族の誕生日のたびごとに、
ケーキと御馳走とビンゴゲームで
家族イベントを楽しんだものである。

それらは、
遠く原始時代から
綿々と伝えられてきた
洞窟内で火を囲んで
家族が食事を共にして
絆を実感するという
ミーム(文化的遺伝子)
の為せることなのかもしれない。

来月の幼稚園での講演会でも、
コロナ禍のトピックを口火にして
「家族文化」と情操教育の大切さ、
について講じようと思っている。

情報化文明は、
AIやらSNSやらが
世界を席捲しているが、
その傍らで、
正月に“おせち”を作らない、
餅を食べない、雑煮を知らない、
ということに象徴されるような
「日本文化」が廃れつつある。

五月の節句にも
鯉幟をあげるような家も
とんと見られなくなり、
柏餅、粽を食べるという
習慣を知らない子たちも
ふつうになってきた。

コロナ禍によって
グローバリズムの欠点・弱点にも
気付かされた現代人だが、
その反動で、殊更に、
ナショナリズムに走ることなく
ポスト・コロナ時代を
豊かななものにしていくには
どうあらねばならないのかを、
個人個人が真剣に考えるのに
いい時節であると思う。

「文明」と「文化」は
車の両輪でもある。

サイエンスやテクノロジーの進歩は
有り難く享受しながらも、
文化的なもの情操的なものとの
関係性も保持しながら
真に豊かな人間生活・社会を
醸成していきたいものである。

人としての
真の幸福は、
連帯や絆を抜きに
成立するものではない。

コロナ禍に伴う
世界的な負の側面には、
自国のエゴという問題点がある。

宗教、民族、主義、思想に
関係なくウイルスは
平等に人に感染し死なせもする。

地球規模の
気候変動も同じである。

ポスト・コロナ時代の
パラダイムシフトが
コペルニクス的展開を
希求されるのであれば、
「優勝劣敗」「弱肉強食」
という生物学的正当性に依拠した
自由競争社会の常識が
覆されるべきであろう。

人類が永らく唱えてきた
「公平・平等」という理念が
実現化される為の
あらゆる資源・エネルギーが
注がれるトレンドが来ることを
願っている。

人類はウイルスでも繋がっているが、
インターネットでも繋がっている。

世界には、
野卑な政治屋や
野蛮な戦争屋だけでなく
高徳な人格者や崇高な科学者、
真っ当な導師が
必ずや存在するはずである。

それらの人たちを
大衆、人民、国民、個人が
見出して、担ぎ出して、
支持して、資金拠出をして、
エゴイストの現リーダーを
追いやることである。

第三次世界大戦にも
匹敵するほどの
多くの犠牲を出した
コロナの「戦後社会」こそは、
真っ当な人類社会を創出できる
最後のチャンスかもしれない。







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