【終わり良ければ全て良し】
……なんだけど……
なんやかやあって…
なんでだろ~
なんでやねん…
ナンジャこりゃ…
であった……。
旅の最終日。
リク坊一家と宇治で別れ、
京都駅で新幹線に乗り換えるのに
在来線のホームの階段を
すし詰め状態の雑踏の中で
降りてた時だった。
半分ほど降りたあたりで、
突然つまづいて、
前向きに転倒してしまった。
途端に、右足に激痛が走り、
「いたぁ……!!!!」
と、うずくまるほどだった。
前を歩いていたカミさんが
異変に気づき、
「大丈夫っ⁉️」
と、大きな声で叫び、
動けない自分を
滑落したバディのザイルを
力付くで引き上げるかのように、
自分の肩口を鷲づかみにして
グイと階段の端に寄せた。
一瞬、後続の人流が
止まったかのように感じたが、
円形に空間ができたのは
見て取れた。
そして、四、五人の
外人さんだけが
駆け寄ってきてくれた。
中には、緊急コールしようと
スマホを構えた方もおられたが、
それを制して
「I'm alright!
Thank you so much!」
と、咄嗟に言えた。
痛みは肉離れのような
激烈なもので、
すぐには立ち上がれるものでは
とうていなかった。
それでも、
前にも、後ろからも
将棋倒しにならなかったのは
不幸中の幸いであった。
まさに、大難を小難に
御奉り替え頂いた。
後ろから重なり倒れられたら
圧死していたかもしれず、
前に連鎖してたら
人様が圧死した可能性もあった。
それが、身動きが取れないほどの
混雑の中で、自分ひとりだけの
転倒で済んだのは、奇跡でさえあった。
カミさんの素早い
適切な対応は、
生徒の不測の事態に対する
まさにそれだった。
さすがに、この道、46年は
伊達じゃない……。
(ありがとない…。かーちゃん)
🙏😭
……にしても、
日本人は、みーんな
スルーしてからにいィ…
だーれも、立ち止まっても
くれへんかった……。
薄情なもんやわ……。😥
ほんに、四人もの別々の方々が
みーんな外人さんて……
やっぱ、
"independent individual"
(独立した個人)
"self-reliant individual"
(自立した個人)
"autonomous individual"
(自主性のある個人)
という、近代西洋自我は
まだまだ日本人には
確立されてへんねやなぁ……。
😮💨
ほんで、まんず…
イタタ、アタタ……と、
泣きながら、負傷兵みたいに
カミさんに寄りかかって
新幹線の改札口まで
足引きずりながら移動しましたがな…。
担架で医務室まで運ばれても
おかしくない状態やったなぁ……。
ほんでもって、
取りあえずは、新幹線に
乗れましたとさ…。
そしたら、次は、滅多にない、
風速30mクラスの強風で
東北新幹線がストップしてます…
とのこと…。
ええーッ⁉️😱
帰られへんがな……。
東京駅に着いたら、
「あんたは、ここに座っときッ!!」
と、厳命されて、
床にお尻をついてヘタリこんでると
カミさんは韋駄天の如く
大混乱の駅構内を走り廻って
情報収集をしてきて、
取りあえず、132分遅れで
動き始めた列車の自由席に
飛び乗ればいい…との決断だった。
ダイヤは、メッチャくちゃで
構内では、払い戻しがどうたら…いう
アナウンスが悲鳴のように流れている。
まるで、3.11当日みたいな
非日常的な東京駅だった。
臨時列車化した車輌は
全席自由になり、
(指定差額は払い戻し)
幸いにも始発駅で
座席に座れたのも
奇跡的だった。
足の痛みはまだ酷く、
苦痛に耐えていたら、
今度は、スマホのメールに
ホームの老母がコロナ陽性で
発熱し、酸素飽和濃度が70%と
危険な状態で救急搬送したとの事。
主治医の話では、
92歳なので
様態が急変する危惧もある
との事だった。
このタイミングで、
なんでやねん…‼️😣
であった……。
ほいでも、祈るより他
する事があらへん…。
なので、車席で
懸命に心中祈念しましたがな…。
😣🙏💦
ついさっきまで、
リク坊と、楽しく遊んでたのに…
天気やないが…
一点にわかに掻き曇り…
急転直下やがな…。🌀⛈️
ナンジャィ、こりゃ〜‼️😱💦