『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

理想の最期は午睡の如く・・・

2023-08-07 06:00:30 | 終活

 

 

夏風邪の症状が
症候移動して、
ゆんべは胃腸炎の
激しい下痢で冷や汗をかいた。

市民検診のついでに
腹部レントゲンを撮ったら、
腸内にガスや宿便が停滞していて
素人目にも黒い影の塊が
あちこちに見えた。

それらの腸内停滞物が
一掃されたと思えば
ありがたいのだが、
何度もトイレに駆け込むたびに、
(また、陣痛が来た・・・)
と、ふざけたこと言いながら、
扇風機をトイレにまで持ち込んで
ウンウンうなったり、
ヒッヒッフゥー・・・と(笑)
難産に苦しめられた。

*

通常の食事量を摂ると、
おなかが苦しくなるので、
炭水化物を減らして
消化のよいものばかり
食べている。

ゆんべは
「玉子豆腐」「サラダ」「桃」
だけだったが、
それでも食後に苦しくなった。

服薬してから
膨満感はだいぶ楽にはなったが、
まだ、胃腸のあたりが
穏やかではない。

今日も今日とて、
猛暑日になる予報なので、
熱中症を予防しながらも
冷房下でおなかを冷やさないように
腹巻でもするよりなさそうだ。

*

体調を崩すと
カミさんが気を利かせて
好物のイチジクを買ってきてくれる。

熊本産のクマモンが
パックに描かれているやつだが、
これが、6ケ628円というから、
1ケあたり105円ほどする
高級フルーツである。

昭和の子ども時代は、
イチジクやら柿なぞは
店で買って喰うものではなく、
庭や道端のものを採って
喰うのが当たりまえであった。

まさか、50年後の未来には、
水も買って飲む時代がくるとは
思ってもいなかった。

*

 

20年来、
紹介患者さんを診て頂いてる
ドクターのK先生から、
お中元のギフト・カタログが届いた。

毎ねん、盆暮れには
律儀にもご挨拶頂いてるので
恐縮しているが、
ありがたく頂戴させて頂いている。

今回は、
珍しい琉球菓子を
セレクトしてみた。

*

結婚してから、
40年来、朝刊をとるようになって、
毎朝、一通り見るのを習慣としているが、
最近は、ネットの発達もあり、
あまり、情報量がなくって
一部100円の価値がないなぁ・・・
とも感じている。

それでも、
カミさんも読んでおり、
たまには、本の広告に
目を惹くものがあるから、
月3000円の新聞代を払ってるが、
そろそろやめにしても
いいかなぁ・・・とも、思うことがある。

きのうの朝刊には、
『バナナの効能本』に
「レジスタントスターチ」なる
聞きなれない用語があり、
ググッてみた。

「resistant starch; RS」
小腸まででは消化されず、
大腸に届くデンプンや
その分解物の総称。

「レジスタント」=「消化され難い」
難消化性デンプン
耐性デンプンとも言う。

腸内細菌を活性化させ、
便秘改善、コレステロールや
中性脂肪の減少、
血糖値の急上昇を抑制する。

バナナには、他にも、
トリプトファンが多量含まれており、
それはセロトニンの原材料になるので、
「うつ持ち」には喰いクスリにもなるので、
毎日、一本だけ食するようにしている。

*

『終活本』には、
「理想の最期は、午睡の如くありたい」
という、
なかなか渋い
名言めいたフレーズが
目に留まった。

そーだよなー・・・である。

かねてより、
朝、目覚めることなく、
夜、就寝して、快眠のまま
あっちに逝きたいなぁ・・・とは、
願っていたが・・・。

午睡もあり、
だなぁ・・・と、思った(笑)。

苦しんで、
バタバタいうのだけは
勘弁こうむりたい。

もう、子どもの頃の
小児喘息の発作の呼吸困難感で
どれほど、バタバタ苦しんだか・・・。

*

 

司馬 遼太郎「記念館」には、
彼の蔵書が収められてるとあったが、
その見上げるばかりの
書棚は目を惹くものがあった。

地震がきたら、
大変なこったろうなぁ・・・と、
まずは思った(笑)。

そーいや、
去年、おととし…と、
震度5、震度6と
年に一回のフィーバーみたいに
来ていた3.11の大余震が、
今年はまだである。

誰やらが、
「5、6・・・」と来たので、
今年は「7」かも・・・
なんて冗談を言うので、
カンベンしとくれ・・・と、
戦々恐々ともしている。

「5」「6」のたんび、
部屋という部屋の
本棚が散乱して、
ゲンナリさせられて、
数日もかけて片付けるようになり、
まるで、「賽の河原の石積み」みたいな
心境になるのである。

記念館の蔵書庫を見て、
ここまでの生涯で
これほどの本を読んできただろうか・・・と、
自問自答してみたが・・・。

幼稚園の絵本から始まって
小・中・高・大・院の教科書、
参考書、問題集類をも含め、
生物学・心理学・哲学・宗教学・
音楽学・小説・エッセイ・評伝類・
マンガも入れたら、
このくらいにはなるかもな・・・
とも思った。

オーディオブックも入れれば、
落語や講演や朗読の
カセットやCDだけでも
2000本はある。

『心理臨床学研究』の
ジャーナル(学会誌)も
年に5冊も送られてくるので、
すでに書棚の一段は、
70年代の№1からで満杯である。

なので、この先は、もう、
できるだけ新刊は買わずに、
これまでの書物を読むだけでも
人生の残り時間は
十分に消化できそうなのだが、
それでも、お気に入りの作家本は
年に数冊も買ってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

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これは、終活だったのかぁ…

2022-11-10 08:44:17 | 終活

きのうの
ソーちゃんの竜王戦「第四局」は、
ノーミスによる完勝だった。

広瀬八段も
あれやこれやと「新手」や
戦法を工夫してくるのだが、
なにせ、横綱相撲の五冠は、
どんな攻めにも対応して
受けきり、攻め負かしてしまう。

YouTubeでの名講釈師・
石田のトッツァンの言では
「もう。
手が付けられないほどの強さ」
だという。

ただ、先日の「棋王戦」では、
天彦・元名人に負け、
敗者復活戦にまわった。

そこから勝ち上がって
挑戦者になり、
「六冠」達成となれば、
さらなる「藤井劇場」の
見ものである。

対局前、対局後の
ソーちゃんの礼は
素晴らしく美しい。

それを見るだけでも、
茶人として価値がある。

*

先日のSC選考面接で、
「倫理」問題についても
試問されたが、
一昨年、福高の同級生で
福大教授だったWが
JKへのセクハラ事件を起こして
懲戒免職になった事をも
事例にあげて答えた。

当時、ブログには
その問題の根源を
つらつらと記述したが、
さすがに、短時間の面接では、
専門的問題である
「教育分析の必要性」までは
踏み込まなかった。

普段から、
私的雑記・雑文であるブログに、
臨床教育論なぞも
グルメ記事などと混ぜこぜにして(笑)
書き散らしてることが、
自説を持ち、開陳できる
訓練になってる事に
口頭試問で改めて気づかされた。

なので、
講演を依頼されても、
ハナシのネタは尽きないくらいある。

古くは、97年、神戸での
「酒鬼薔薇聖斗」による
連続殺人事件では、
『透明の存在』というキーワードを巡り、
短大生への「心理学」講義でも、
教員研修会やPTA講演会などでも、
自説の「ミツワ石鹸りろん」を開陳した。

昭和の古いCMにあった
三つの輪の「ミツワ石鹸」から、
学校・家庭・社会「教育」の
ベン図を描いて、
いずれの感化も受けなかった
存在として定義した。

あの頃は、
「サイコパス」という言葉が
流行っていた頃で、
世間は、その一言で
片付けようとしたり、
小田 晋先生のように
脳内の「攻撃/性 欲動」の
マルファンクション(機能異常)
に依るもので「十万人に一人」
という説など、多様な分析があった。

今回の選考面接で
「現在の教育臨床の問題」
という試問でも、
普段から「グレーゾーン」問題や
「コロナ禍」の弊害などに
問題意識を持って
文章で表出していたので、
恰も、脳内のプロンプターが
スクリプトを読むが如く
口からスラスラと出た。

してみりゃぁ…
こんな駄文・雑文のブログも
長くやってると、
役に立つこともあるんやなぁ…と、
独りほくそ笑んでいる。

*

2/7から始めた
『リュートマラソン』も、
この11/7で、早9ケ月となった。

こうなりゃ、
12月末までガンバッて、
さらに、余力があれば、
2/7まで完遂できたらイイナぁ…と、
思っている。

最近、頓(とみ)に感じるのは、
これは【終活】の一環なんだ、
ということである。

何故なら、
「ギター=指の酷使」で、
加齢性の変形性関節炎が
日に日に悪化し、
両手の指の痛みや強張りが
常態化している。

録画した演奏を見ると、
右手の小指が常に跳ね起きていて、
尋常な状態ではなくなっている。

これでは、いずれ、
初来日した時の
ホロヴィッツのような
ボロボロになりそうである。

あの折、
伝説の名手の惨憺たる演奏に
評論家の吉田 秀和が
「ヒビだらけの骨董品」
と、正直に酷評したのを
覚えている。

TVのハヤシ先生じゃないが、
「今でしょ!!」
という、
まさに、「今」が
辛うじて指が動く
最後のチャンスなのだろう。

テニスは、
走れなくなり、
走るとVVR(迷走神経反射)が
発作的に起こるようになって、
もう、去年で断念した。

加齢と老齢によって、
かつて出来たことが
一つずつ出来なくなっていく、
という事は「心理的対象喪失」でもあり、
それを「受容」することは、
ある意味、「障害受容」の
心理プロセスにも似ている。

*

…それでも、
アップした拙い演奏に、
大学の同級生や
かつての同僚たちが
反応して下さると、
くじけそうになる惰弱なココロが
励まされて背中を押してくれている。

【終末効果】や
【消える前に輝く蝋燭】
のように(笑)、
“いのちの火”を
「今、ここで」明かりを増すべく、
エネルギーを傾けたい
と思っている今日この頃である(笑)。

ちなみに、
2/7以来、ピアノには
全く触っていない事に気付いた。

 

 

 

 

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