『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

やっちまったい・・・

2021-06-30 07:25:00 | 藤井 聡太
きのうは、
楽しみにしていた
ソーちゃんの『王位戦』
第一日目を
なんと! 忘れて見逃すという、
大チョンボをしてしまった(笑)。

第五週目なので、
今週は昨日一日だけの
勤務日だったので、
その事に注意を払ってたら、
スケジュール帳にも
カレンダー2ケ所にも
赤丸印してあった
『王位戦』を忘れるとは・・・。

なんだか、
老化のボケなんか・・・
アタマん中に鬆(す)が入ったのか・・・
こないだの勘違い出勤みたいに、
おらぁ、ニンゲンやめたくなっただ(笑)。

でも、
仕事を忘れまいとして、
その事に集中していたので、
ご新規さん含めて
五件ものカウンセリングこなすのに
余裕がなかったんかなぁ・・・。

なんだか、
むかーし、教員時代に、
父兄参観後の個人面談を
10人もやって
ヘロヘロになった時、
(あ、そーいや、
今日は給料日だった・・・)
と思い出した体験が
脳裏によみがえった。

あの時、
今日は給料日を忘れるほど、
仕事に集中して、
頑張ったんだなぁ・・・オレ、
と、自分を褒めたいような
気分になった(笑)。

きっと、
昨日もそうだったのかもしれない。


学校で何度も
システムノート開いてるのに、
そこに記載してある
『ソータ王位戦』が
日にちを跨いで印てあったんで
見落としたのかもしれない・・・。





気が付いたのが、
帰宅した6時10分前で、
慌ててアベマ中継を付けたら、
なんともう「封じ手」の場面で、
豊島竜王が翌日の指し手を書いて
封印する儀式が行われていた。

形勢を見ると
48手目の中盤入口で
「32 対 68」と
トヨピーがリードしていた。

さすがに、
1勝6敗の相手で、
中盤前で
それほどのリードを許すのは
ソータにしては
珍しい不利な形勢である。

なので、
今日は、そこから
どう挽回できるのか
ハラハラドキドキの
一日になりそうだ。

トヨピーとは
5番勝負と
7番勝負の二つ行われるので、
最低でも7回以上の対局が
行われる。

そこで、
果たして、宿敵にしてラスボスに、
どれほどの戦果があげられるのか、
十代『ソータ劇場』の山場である。

これを凌げれば、
年内に十代「三冠」という
途轍もない「金メダル」に値する。





わずか10分しか
試聴できなかったが、
それでも、封じ手の儀式と、
初日終了で、王位のソータが
駒を片付け、
「一同総礼」という
茶会にもある清々しい儀礼を
能舞台で鑑賞できたので、
いくらか溜飲は下がった。









きのうは、
T中に自前のプリンターを
搬入した。

これまで
1階のカウンセリング室で
プリントアウトできず、
2階の職員室まで
取りに行っていたが、
それも運動になって
よかろうと思っていた。

ところが、
先週、職員室側の不具合で、
1階と2階を3回も往復したので、
過去にもあったこともあり、
うちに余ってる予備の物を
搬入した。

長らくキャノンで統一しているが、
使用してる3台とも形式が違うので、
インク・カセットも
全部違って不便感がある。

自社製品で
なんで形式を統一しないのか、
と腹立たしくもあるが、
販売戦略の都合なのかもしれない。

そして、
純正品はバカ高く
ランニングコストが悪すぎるので、
1/3価格のエコ・リサイクル品を
アマゾンやヤフオクで仕入れている。






きのうは、
学年トップで
福高志望の子の
母親カウンセリングが
ご新規さんであった。

将来は、
医学部志望の受験生なのに、
大スランプに
落ち込んでいるという。

聴けば、
「哲学病」のような
実存的問題に悩んでいるようだった。

自分にも身に覚えがあるので、
なんとか力になりたいので
夏休み前に本人に
カウンセリングに来るようにと
母親に促した。

人は何のために生きるのか・・・
自分とはいったい何なのか・・・
なぞといった
厄介な事に捕らわれたら、
受験勉強なぞ手につく筈もない。

賢いからこそ
そういう本質的な命題が
浮かびもし、
純粋だからこそ、
それを振り払えず
苦しむのだろう。

そしたら、
昼休み時間になったら、
廊下でオバカな男の子たちが
悪ふざけで
「♪アソコに毛が生えた~ッ!♪」
と大声で何度も歌い
女子生徒が悲鳴をあげて
「それ、やめて~!!」
と大騒ぎしていた(笑)。

この子らは、
実存的問題で悩むなんて
一生ないんだろな~と、
癒されもし、
可笑しくなった。

来年には、
母校の後輩になるやもしれぬ
"哲学少年"を善導すべく、
宗教哲学的なふだんの勉強や
研究が役立ちそうである。

最先端の宇宙論や
量子力学の不思議ワールドも
"実存病"には効きそうである。





歌人にして
能書家の碧水先生の
色紙が幾枚かあるが、
時折、その独特の書体を真似て
臨書している。

先日、
ネットでご注文いただいた
『たましい』三部作は、
いずれも碧水先生の御歌の
解説本である。



_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
_/                                  _/
_/ 養老大人 箴言録 _/ _/ _/
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/




 死んだらどうなるのかは、死んでいないから分かりません。
 誰もがそうでしょう。
 しかし、意識がなくなる状態というのは、毎晩経験しているはずです。
 寝るようなものだと思うしかない。



 極端に言えば、自分にとって死はない、という言い方ができるのです。
 そうすると、自分の死とは何か、というのは、理屈の上だけで発生した問題、悩みと言えるかもしれません。
 これは口と似ています。
 口とは何か、というと、実は実体がない。
 そんなバカなと思われるかもしれませんが、実際に解剖学の用語からは削られてしまっています。
 少し考えればお分かりいただけるはずです。
 例えば唇は存在しています。
 それを指せばそこにあります。
 舌下も存在しています。
 では、唇でも舌でもない口はどこにあるのか。
 それは穴でしかない。
 実体がないのです。



 死刑囚一人に対して複数の死刑執行人がいるというやり方は珍しくありません。
 銃殺ならば何人も死刑執行人が並ぶ。
 ボタンを押す場合でも複数の人間がボタンを押したりする。
 これも殺す側の心に配慮したからそうなるのです。
 毎回、マンツーマンで、自分が殺した、とわかったら、例え相手が極悪非道の殺人鬼ばかりでも、執行人の神経がもたないでしょう。



「みんなのため」には、本当はいろんなことをしなければならないのです。
 皆が同じ事をするという事とは違います。
 それが誤解されてしまっている。
 いろんな洗濯肢が消されて一つの事を押しつけてくる。



 動物実験をしている科学者にさえ、どこかに心理的な抵抗があるのです。
 私の知人で、 ニワトリの胎児を使って実験をしていた人がいました。
 その彼が、いざ自分の子供が出来たという時に、大丈夫かな、と心配をしていた。
 あんなにニワトリの胎児を使って実験したのに、自分の子はきちんと生まれるのだろうか、ということです 。
 それは科学的ではないかもしれません 。
 しかし、そういう気持ちを持つのは当たり前のことですし、人間はそれでいいのだと思います。



 都市は自然を排除していくことで作り上げられました。
 人間の脳が考えたものが形となって現れたのが都市です。
 そこでわざわざ飛び降り自殺をする人が絶えないというのは、一種の復讐のような行為と解釈することができないでしょうか。
 いったい、なんておかしなものを作ってくれたんだ、ということなのです。



 何かの拍子、例えば経験や学問などによって壁が壊れることもあります。
 その時に、向こう側にこれまで見たことがないような新しい世界が広がっているかもしれません。
 それはロマンではないでしょうか。



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創作怪談

2021-06-29 06:37:00 | 趣味
オシリ痛が
週に二日は
痛さを忘れる日がでてきた。

もう2年越しの
慢性神経痛なのだが、
こうして段々と
癒えてくのかなぁ・・・と、
カラダの自然治癒に期待している。

心身症的な面もあり、
どうやら、その意図する処は、
「座ってばかりいなさんな!!」
というカラダの声のようである。

「運動しろよ!」
という声も聞こえる。

・・・だので、
出来得るかぎり、
散歩やストレッチや体操を
心掛けるようにしている。

そのせいで、
カラダのほうも
納得してきて、
ちったぁ緩めてやっか・・・と、
痛みが減弱しつつあるのかもしんない(笑)。







『はま寿司』の広告チラシに
100円クーポン券が付いてたので、
それを切り抜いて
近くの店まで出向いてきた。

コハダ・中トロ・
アワビ・アナゴ・・・
と、五貫ばかり摘まんで、
ミニ『喜多方ラーメン』で〆た。

ほんの三口ほどの量だったが、
こないだ喜多方で食した味を
ちゃんと再現していたので
感心した。

久しぶりに訪ねたが、
いつの間にやら
店先にロボットのペッパー君が
いなくなっていた。







コープで夕餉の買い物をしてたら、
目新しいコーヒーを見つけたので、
試飲してみた。

裏面に
「カゼインなんたらNa」とかいう
添加物表示があったが、
どうせ一回こっきりだから、
毒にもなんめぇ・・・と、
やってみたが、
コーヒーの風味が際立ち
まずまずでござんした。






きのうは、
オフ日だったが、
体調が思わしくなく、
午後からの半日は
床に臥せってYouTubeの
対談なぞを聴いていた。

そしたら、
まだ、未聴の
河合先生と森先生のものがあり、
嬉しくなった。

どちらも関西弁なので、
「生と死」をテーマにしながらも、
なんだか吉本漫才を聴いてるような
心地よさがあった。

オモロかったので、
今日にもCDに録音して
通勤車内でも楽しもうと思っている。





.☆.・∴.・∵☆:*・∵.:*・.☆☆.。.:*.☆.・

       


.:*,★:*・∵.:☆.。.:*・:*・∵.☆:*・∵..:*,★:*・∵.:☆.。.:*・:*・∵.★:*





毎年、夏になると、
『怪談噺』を創りたくなり、
昨日も、大学同級生の
不思議な体験談を元ネタに
一篇創作した。

その挿入画も
車と女性のフリー画像を
合成して仕上げた。




********


『ナヴィの案内』


********




 それは初めてのコンサート会場であった。
 僕は、隣県の未訪の音楽ホールに向かうべく、ナヴィにそのアドレスを打ち込んだ。

 開場は7時で、7時半の開演だったので、途中でコンビニに寄って、車中で軽食するつもりだった。

 日も長くなったので、家を出た5時半ごろでも、まだ明るい筈だったが、今にも降り出しそうな雨雲に覆われていたせいで、もう前照灯を点けた方がよさそうと思われるほどの仄暗さだった。
 
 楽しみにしていた今日の為に、数日前から今宵の演奏家のCDをずっと耳にしていた。
 それは、車中でも、到着まで、プログラムの予習のつもりで聴こうと持って来ていた。

 これまでも、隣県には仕事で何度か赴いてはいるが、わりと高速を使って移動することが多かった。    
 今回に限っては、演奏会でもあるし、急ぐ必要もないし、のんびりと一般道で行くことに決めていた。

 
 フロントガラスに、雨粒がポツリと付着した。
「降ってきたかぁ・・・」
 と、僕は独りごちた。
 ワイパーを「間欠」で稼動させると、CDから流れるアダージョの流れに、時折シンクロするかのようなリズムでもあった。

 やがて、ワイパーをアレグロ(急速)にせねばならぬほど本格的に、いや、かなりの激しさで叩きつけるように、土砂降りとなった。
「あーあ。これじゃ、CD聴こえねぇなぁ・・・」
 
 もの凄い雨音のうえ、暗闇と雨煙とで、前方の視界が心許なかった。
 こうなると、やっぱり、単純な道の高速の方がよかったか・・・と、なかば後悔しないでもなかった。

 それにしても、いやに道が細く、以前に通った記憶もないような木立が両脇に茂っている。
 いくらなんでも、ナヴィがガイドしてるんだから、道順を間違えるはずもなかった。
 
 あたりはすでに闇に包まれ、雨は降る、ライトの先は覚束ない・・・で、なんだか、段々と心細くなってきていた。
 それでも、ナヴィを信じるよりない。
 それは、年齢不詳の女性の、ボカロチックな無機質な音声だった。
 強いて推察すれば、アラサーくらいの妙齢か・・・(笑)。

 そんな愚にも付かない事で気を紛らせていたが、なんだか街から外れて、次第に山ん中に入ってきているような気がしてならない。
 勾配、傾斜こそないが、やたら周囲が樹々で鬱蒼としている。
(ウッソーっ!)
 と、クダラナイ親爺ギャグで不安を誤魔化した。

 車内に光るデジタル時計を見ると、もう6時半を過ぎていた。
 本来なら、もう会場近辺の街中のはずである。
 なのに、まだ山ん中って、どういうこと?

 ナヴィに嘘つかれた?
 いやいや、彼女に人格があるわけでなし・・・。
 イカレたんかな?
 動作異常・・・か。
 
 そういや、今更だが、僕は相当な方向音痴だった。
『地図の読めない女』というベストセラーがあったが、自分はその男版である。
 生まれもって、方向感覚というのが、母親の胎内に落っことしてきたのか、左右・東西南北に弱い。
 なので、幼い頃は、親との買い物でも、遊園地でも「迷子」の常習犯だった。
 何度、母親から「手ぇ、放したらダメだかんねっ!」と言い含められたことか。
 
 いい歳こいて、また、迷子なのオレ?
 ・・・と、洒落になんない気分に、胃の腑がジワリといった。
 
 その時・・・。

 ナヴィが告げた。
「目的地に到着しました」

 はぁ・・・?

 
 車を停めると、それは、明らかに、寂しい山ん中だった。
 雨は降り続いている。
 ワイパーはカチャカチャと相も変わらずせわしく窓をぬぐっていた。

 ハイビーム(遠目)にしたヘッドライトは、こないだの車検でハロゲンランプ(電球)を交換したばかりであった。
 暗闇と雨煙に対して、それを切り裂くように鋭角に一直線に伸びた光の先に、何やら人らしきシルエットが見えた。
 20mほど先だろうか・・・。
 
 ヘッ・・・、何っ・・・?

 なんで、こんな山ん中の、真っ暗闇ん中に・・・。

 シルエットは段々近づいてくる。
 ライトを反射させる白いワンピース姿に見えた。

 女・・・?
 誰・・・?
 何・・・?

 この世の者・・・?
 
 僕の混乱する思考を嘲笑うかのように、女はライトの前に棒立ちになっていた。









(‥‥‥‥)
 
 そして、ボンネットに両腕を付くと、ゆっくりと四つん這いになって、その上を這いだした。
 髪も、服も、ずぶ濡れで、額から血が流れている。
 
(・・・!!)

 僕は、座席からずり落ちながらも、睨む女の視線を外すことができなかった。

 それは、この世の人間の眼ではなかった。

 ・・・


..☆.・∴.・∵☆:*・∵.:*・.☆☆.。.:*.☆.・

       


.:*,★:*・∵.:☆.。.:*・:*・∵.☆:*・∵..:*,★:*・∵.:☆.。.:*・:*・∵.★:*




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オンデマンド書店

2021-06-28 05:03:00 | 
梅雨時の体調不良で、
どうにも寝苦しくって
イケナイ・・・。

喘息っぽい
気道炎症感と閉塞感があり、
今朝方からステロイド吸入剤を
使い始めた。

今朝は頭痛と体痛もあり、
幸い、第五週目で
勤務は明日の一日のみなので、
おとなしく自宅療養に
当てようと思う。

ステイ・ホームで
セルフ・メディケーションしながら、
『コロナ禍を生きる』を
執筆してようと思う。






三日前にやった
10分ほどの電動草刈機の操作で、
翌日から左上腕が筋肉痛になり、
今も続いている。

どうやら、
軽度の「振動障害」のようである。

これは、森林伐採などの
チェーンソーを使う人たちに起こる
「Hand-Arm Vibration Hazard」
(HAVS)
「Vibration Syndrome」
と言われている。

酷いものは、
末梢循環障害の症状が起こり、
レイノー現象という
「白指発作」
(白蝋病)になる。

レイノー(Raynaud)は
19世紀フランスの内科医で、
この症状を初めて報告した。

寒冷刺激や精神的ストレスでも
末梢動脈の収縮が原因となり、
手足の指に冷感やシビレ、痛み、
皮膚色の変化が生じることがある。

変色は発作的な一過性で、
指先の動脈血が行かなくなって
青白くなり、
静脈血が滞り紫色になって、
血流が再開し充血すると
赤くなる。

この予防には、
作業開始前、作業間、作業終了時の
首、肩、肘、手首、指の運動、
腰の屈伸、回転などをすると
いいらしい。

庭の草刈りといえど、
毎回、10分やっただけで、
カミソリでヒゲが剃れないほど
手先がプルプルといつまでも
震えが止まらないので、
体操は必須である。







ネット広告をご覧になられた方から
本の注文を頂いて、
土日で3冊仕上がって、
今日、郵送する。

ついでに、
2017年の『復興支援リサイタル』の
CDをオマケに同梱することにした。

『たましい』三部作を
一挙にお求め頂き、
魂理学者としては
嬉しい限りである。








きのうの散歩では、
また、近所にオープンしたばかりの
『丸源』に寄ってみた。

ラーメンはいまいちだったが、
前回「100円サービス券」を
もらったので、
それを使うべく
カラアゲ&ライス(650円-100円)
をやってきた。

バイトのおねーちゃんが
気が利かなくって、
唐揚げが出来る前から、
伝票を見てか、
早々とご飯を先にもってきたので、
冷めるのではないかと
気が気でなかった(笑)。

揚げたてと一緒に
熱々のを持ってこいやい、である。

ᕦ(ò_óˇ)/゛


日曜とあって、
開店5分前には
チラシを見ての客たちが
20人近く溜まり、三々五々、
ソーシャル・ディスタンスをとっていた。

「案内係」の腕章をした
ニーチャンが扉を開けると、
店前の消毒スプレーもせず、
みなワッと店内になだれ込み、
慌てた別のオニーサンが
「検温のご協力を・・・」
と言いかけたものの、
客はお構いもせず
我先にと席に駆け込んだ(笑)。

この辺りの光景は、
オープン店の体制が
まだ不十分だなぁ・・・と、
なかば滑稽にも感じられた。

タルタルソースのかかった
唐揚げは・・・というと、
飯のオカズとしては、
まずまず、だった。

驚いたのは、
夜はご飯抜きの
オカズのみだったのに、
今朝方、1㎏体重が増えていた。

きっと、ここ数日、
ダラダラ間食してたので、
ダラダラとインスリンが分泌され、
寝ている間の飢餓状態の時に、
カラダに脂質と糖質を
貯め込んだのかもしれない。

人類は、
進化の過程で
「空腹感」が正常状態だったので、
現代の飽食は異常状態であり、
それ故の体調不良や
生活習慣病が蔓延しているという。

そして、
遺伝子が少しでも飢餓感があると
貯め込もうと働くようになったらしい。

なので、
原理的には、
できるだけ空腹感の時間を
長く保っている方が
原始に返り、健康になる、
という説がある。

週末だけ、
断食するというのも
健康にはいいそうだ。

試しにやろうとしても、
喰い意地が張って、
なかなか出来ないでいる(笑)。







今朝の朝刊で、
コロナ禍が収束しないのに
業を煮やして、
とうとうロシア政府が
ワクチンを「強制接種」させようと
強権発動したようだ。

それに抗議した
野党議員が当局に拘束された、
というから、
あーいう国はオッカナイ。

中国は今んところ
収まってるからオトナシクしてるが、
いざとなったら、
やっぱり同じ事をするんだろう。

アメリカでも、
若者が打ち渋ってるので、
遊園地圏やらピザ券を付ける、
なぞ「子供騙し」の
「馬の面にニンジン」を
ぶら下げている(笑)。

日本でも
「パスポート」出そうとか、
アホな事考えてるらしいが、
そういう事言うから、
国民ナンバー制で
個人を監視・統制
しようとしてんじゃないか、
と勘繰られるんだよなー(笑)。

もし、そーなったら、
あたしゃ、
「慎重派」に宗旨替えしたんで、
パスポートもらえない
「非国民」って、
ハチマキして竹槍もった
愛国婦人団のオバチャンたちから
吊し上げ喰らって、
石もて追われないか、
ビクビクしてるよー(笑)。

ま、とりあえず、
個人の権利を認める
民主国家で良かったけんど・・・(笑)。






もうじき七夕だが、
Y中で恒例だった
「サマーコンサート」が
音楽の教頭先生が転任されてから
立ち消えになったのが
寂しい限りだ。

音楽堂なみに
残響2秒もある
ロビーホールでの演奏は
楽しみのひとつでもあった。

「サマコン」の他にも
「クリコン」「ニューイヤコン」
もやって頂き、
生徒たちとの
ギターやリコーダー、箏との
アンサンブルも楽しめた。

そして、
みなさん方に、
クラシックやフラメンコの
生ギターをお聞かせできる
貴重なミニコンだった。






コロナ禍もあり、
すっかり人前で弾く機会が
なくなってしまい、
ハリのない「老ギタリスト」である(笑)。



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『コロナ禍を生きる』

2021-06-27 06:01:00 | 藤井 聡太
きのうは
ソーちゃんの
「叡王戦タイトル挑戦者になる!」
の速報が
全国ニュースで流された。

このコロナ禍にあって、
大谷 翔平の活躍と並んで
国民にとっては
喜ばしい活躍だという。






現・叡王のトヨピーへの
挑戦者として5番勝負。

そして、現・王位として
挑戦者トヨピーとの
防衛戦が7番勝負ある。

ソーちゃんが唯一
棋界では1勝6敗と
負け越している
苦手とする相手である。

しかし、ここにきて、
早くも、そのラスボスとの
「命懸けの大勝負」の
機会が回ってきた。

デヴュー当時の29連勝も
マンガ以上に漫画的で、
マンガだったら、
有り得ない、リアリティがない、
と思われるほどだ・・・と
半ば呆れられもした。

今度の二大決戦も
まるで仕組まれたような
アレンジメントである。

棋界の大スターが
"持っているもの"を
あらためて
感じさせられるようでもある。

「400年にひとりの天才」の
子どもの頃に夢見たのは
「名人を超える」
という野望である。

その『レジェンドへの道』
というドラマを
リアルタイムで観賞できる我われは
誠にもって幸甚というよりない。






中二のデヴュー当時は
まだ幼さが残っていたが、
来月19日には19歳になる。

今週の土曜の
「棋聖戦」に勝てば、
棋界で空前絶後の18歳で
最高位「九段」への昇段が決まる。

そして、
19歳にして
これまた空前絶後の
「三冠」実現も
目の前にある。

なんだか、
ソータという
自律的アバターの
スリリングな活躍を
リアルRPGで
その『進化・出世物語』を
楽しんでいるようでもある。

(人´∀`*)

これからの
二か月あまりは
まさに「ソータ・マンス」で、
棋聖戦・王位戦・叡王戦と
三大タイトル戦から
目が離せない。






市内の感染症数が
連日0人なのをいいことに、
散歩ついでの外食を
近所のあちこちでしている。

土日ともなると、
どこも昼時は
きちきちの満席状態である。

いささか「三密」も
崩れているなぁ・・・と、
思わないでもない。

でも、マスク、消毒は
誰もが慣行してはいる。

感染症対策のせいで、
去年はインフルが
発生しなかったという。

***

『はち兵衛』で
「冷やうどん」(680)をやってきた。

海苔のてんこ盛りは
嬉しいような
要らないような
どっちつかずの気分だった。

海苔は
けっこうな風味があるので
はじめはそれをよけて
素饂飩のみを
ツルツルとやって
麺自体の旨味を味わった。

なんだか、
この夏はプチ・マイブームで
「ざるそば」と
「冷やうどん」が
来そうである(笑)。








まったく手入れもせず
古いまんまでアップしてある
HPをご覧になられた方から、
著書の注文が三冊入り、
オンデマンドで製本した。

先週、久しぶりに
「ふくの季」さんのご注文で
5冊製本したばかりだったので、
勘を取り戻して、
手際よく、苦も無く出来た。

なにせ、
古楽器製作の200あまりの
工程に比べたら、
わずか10工程ほどなので、
ガンプラを作るようなものである。

パソコンとプリンター、
それと、業務用裁断機、
業務用ステイプラーがあれば、
だれでも簡易製本が
出来るのである。

Win95以前は、
印刷屋さんに頼み、
それこそ30万も
払っていた頃があったが、
今や機材の初期投資だけで、
一冊原価が50円ほどで
出来るようになった。

なので、製本手間は
プラモや楽器を作る
「楽しみ」と同じだ
と思うことにしている。

今回もワンコイン頒布なので、
実益は1500円-150円で
時給1350円であった(笑)。

楽しく「物づくり」して、
1350円のお小遣いを頂けるのは、
老後の楽しみとしては
わるくないものである(笑)。

【芸は身を助く】
というので、
製本技芸も
ちったぁ
身凌ぎになるやもである。





この梅雨時の研究課題として
『コロナ禍を生きる』
というのを執筆しているが、
その資料集めで
さまざまなデータを読み込んでいる。

毎日、朝刊で
目を通しているのが、
世界の感染者数/死者数の表である。

それと、
国内と県内の推移にも
毎日、目を配っている。

先日、物故された
立花 隆氏とならび
“知の巨人”と称される
出口 治明氏の
「タテ・ヨコ・算数」
という思考法も
思考実験に採り入れている。

時間軸・空間軸・数量軸
の多軸的な
現象学的接近法である。

簡単な割り算で
COVID-19(肺炎)による
致死率が計算できる。

現時点での、
国内は1.8%で、
世界は2.2%である。

この0.4%差について
考えるのに、
南ヨーロッパ3か国、
東アジア3か国、
を抽出して比較してみた。

フランス1.9%
イギリス2.7%
イタリア2.9%
(平均2.5%)

タイ0.8%
ベトナム0.5%
台湾0.4%
(平均0.6%)

この"算数"から
「南ヨーロッパ>東アジア」
が一目瞭然である。

人流移動などを
グローバリゼーションで
等価と変数固定すると、
ここから推量される仮説は、
アジア圏では
有意に免疫性が高い、
と思われることである。

この事について、
過去、中国由来の
数々のウイルスに被爆し
集団免疫が形成されているからだ、
と説明していた学者がいた。

SARS-CoV-2(ウイルス)は、
地域・人種の違いに関らず
一様な致死率である、
とは言い難いことになる。

しかるに、
日本の1.8%は
ヨーロッパ型に近く、
東アジアのようには、
必ずしも集団免疫が
あらかじめ確立しているとは
言い難い。

それでも、
英仏伊3か国の平均2.5%よりは
0.7%も低い。

東アジア平均0.6%よりは
1.2%高い。

ここから推察されるのは、
同種のモンゴロイド人種は
関連しないということで、
遺伝子レベルの問題ではない。

とすれば、
エピジェネティックな要因が
絡んでいそうである。

「epigenetics」は、
国試の受験範囲にも出て来たが、
「DNA塩基配列の変化を伴わない
細胞分裂後も継承される
遺伝子発現あるいは細胞表現型の変化」
と定義されるが、
簡単にいうと
「遺伝子が表現型を作るために
周辺環境とどのように相互作用するのか」
という事でもある。

この生物学概念は、
「生き物と環境の相互作用で
行動が決定される」
という
社会心理学の
「アフォーダンス理論」と
通底するものがある。

先の東アジア3か国と
比較した場合の
日本の独自性・特異性について
ランダムにキーワードを列挙すると、
「先進国・GDP優位・欧米型社会」
とすぐに思いつく。

そして、それに続いて、
生物学的な因子として
「食の欧米化」による
添加物(化学物質)の
常態的な多量接種が
影響してるのではと考えられる。

添加物と免疫異常については、
アカデミックな論文でも
数多く見られる。

もう一つ
「生活様式の欧米化」
という行動面にも
気になるデータがある。

数年前に、講演資料として
調べたものだが、
世界規模の大学生の健康調査で、
日本人学生が
ワースト1になったのが
「睡眠不足」と「不定愁訴」である。

これは都市化とIT化が
要因であることがすぐ解る。

大学生を抽出サンプルと考えれば、
JC/JK/JDやボーイズ、アダルトも
似たようなものだろう。

これらの環境要因が
エピジェネティカルに
日本人の免疫性を低下させている、
というのはアルゴリズム的推論から
自明となる。

今朝の朝刊記事では、
その派生的現象として
去年1年の小中高生の
自殺者が499人と、
過去最高を記録したと
報じられていた。

殊に、JK190人は
学校のメンタルヘルス・ケアㇻ―の
SCとしては
看過できない数である。






養老先生の新刊書に、
2020年12月の
『日刊メディカルOnline』と
『日経バイオテク』による
医師への「ワクチン接種」への
アンケート調査結果があった。

解答数6830人で、
65%の医師が、
「早期に受けたくない」
として、その理由が
「安全性がまだ十分に検証されていない」
としている。

それでも、
先日あげた勤務医のように、
・医療崩壊しては患者の命を守れない。
・病院が崩壊したら失職する。
・家族に感染させて死なせてしまう危惧がある。
・集団免疫獲得の為の向社会的行為である。
・コロナ禍が収束せねば社会的混乱が起きる。
・子供たちに夢のある世界・未来を繋ぎたい。
という道義的倫理観で
接種を決断した人たちも多い。

「安全性の検証」というのは、
接種直後のアナフィラキシー反応や
発熱反応のような
医療的対応可能な
回復可能な副反応への懸念ではなく、
「遺伝子製剤」注入による
5年後、10年後の予見不能な
遅発性への副作用への懸念なのである。

そのリスク値は、
3.11原発事故による
フクシマ在住者の
低線量・長期被爆のように
予見が立たないのである。


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清魂食?

2021-06-26 07:37:00 | 藤井 聡太
SC(スクールカウンセラー)の定年は、
75歳なので、健康でさえあれば、
そこまで勤め上げたい、
とは願っている。

平成7年に
文科省による
研究事業として開始されたが、
自分は平成8年からの
二期生組(10人)で、
一期生組(3人)を含め、
25年続けている人は
もう誰もいない。

なので、
自称「シーラカンス」であり、
「レジェンド入り」である(笑)。

なので、
県教委はもっと大切に
扱ってほしいのだが(笑)、
毎年のように担当指導主事が変わり、
カウンセリング事情には素人で、
予算配分や人事や研修にばかり
役所的目線で仕事しているので、
SCの個人的事情なぞには
配慮がない。

なので、
定年までに、
懇意の先生が配置されたら、
最後くらいは
ワガママを言って、
家の近所の学校に
転勤させてもらおう・・・
という野望を抱いている。

ちっさい野望だこと・・・(笑)。


(^▽^)> テヘヘ…♪





自由業なので、
イレギュラーなオフ日が多いが、
半隠居生活の身には、
「休日神経症」にならないように、
朝目覚めた時に、
一日のプランニングをする。

メモにあらかたの
メニューと時程を決め、
それを節目として
オンタイムとオフタイムの
メリハリをつけるように
している。

多趣味の方ではあるが、
それでも、いずれも、
覚えたての頃のような
ワクワク感は喪失しているので、
【一日一新】
という事を心掛けている。

それと、
ブリ―フセラピーにある
「初めて」「久しぶり」「珍しい」
という変化の三指標も
毎日に求めている。



朝一に目を通す
朝刊のチラシも
けっこうな情報源になる。

きのうは、
近所の『ビッグボーイ』跡に
『丸源』というラーメン店が開店する
というのを見て、散歩がてら
冷やかしてこようと
開店時に合わせて家を出た。

BPPV(良性発作性頭位性めまい症)
の予防にいい・・・という、
バランス歩きに恰好の
駐車場の縁石を
平均台に見立てて
散歩コースに採り入れている。

きのうも
ふらつきながら、
平衡感覚トレーニングしながら
ラーメン屋に向かった。

(ここは地上100mの
建築現場の足場で
命綱がないんだ)
と自己暗示をかけると、
とたんに足が強張り、
よけいによろけて
何度も落下した(笑)。

3回は転落死したなぁ・・・(笑)。

 \(>o<)/ ア~…!!









開店10分前だったが、
すでに二人が並んで座っていた。

なので、
オープン三番目となった。

待ってる間、
メニューを手わされたので、
とくと品定めをした。

そしたら、
ラーメンよりも
筆字に目が奪われ、
なんと!! 「成」の字は
今、王 羲之(おうぎし)の
『集字聖教序』で
臨書している字体と同じで
この書家もきちんと
教科書を勉強してるな、
と感心した。

「醤」の「将」も
その絶妙の「白地」の
バランスが勉強になった。

書の稽古をはじめてから、
「集字」と称して、
いい字があったら
とことん蒐集して、
それを臨書している。

それが、やがて、
自分独自の字体を創造し
完成させる下地になるのである。

現代流に言えば、
「オリジナル・フォント」作りが
究極の目的なのかもしれない。










さて、ラーメンだが・・・
「素」のものがなく、
それにあたるのが「肉そば」といい、
豚肉がこれでもかというくらい
のっかてて、やになるほどだった。

飽きたのと
カロリー気にして
半分残したくらいである。

それと、
オリジナリティを出そうとしてか、
最初っから
「柚子胡椒のもみじ卸し」なるものが
トッピングされている。

"麺喰い"として
査定してみると・・・

細直麺で、旨味はさほどなし。

スープは豚骨・鶏ガラに
鰹節やら数種の魚系節を用いており、
わるく言えば、
旨味よりも雑味が感じられ、
「美味しい」とは思われず、
レンゲで一味みて、
もうけっこう・・・だった。

最近のニューウェーブ系の
ラーメン店は、
ダブルスープだ、
トリプルスープだ、
と飽食時代の豊かな素材を
ふんだんに使って「足し算」の
味構成をコンセプトとしているが、
絵具の原理と同じように
混ぜれば混ぜるほど
ダークになり彩度が落ちるのである。

昭和のラーメンは
物資の乏しい時代の産物で、
廃棄部位の鳥ガラと
臭みを取る長ネギがせいぜいで、
それでいて滋味深い
「ソップ」(スープ)となったものである。

いわば「引き算」の味で、
シンプル&プレーンゆえ
雑味のない澄んだ味がした。

それが刷り込まれている世代には、
いまのスープは
"厚化粧した山姥"みたいだ(笑)。

(乂'ω') ダメデアリンス












ミニチャーハンと
餃子3ケで980円の
セットものだった。

熱々の鉄板に盛られた
チャーハンは
客席に運ばれてから
店員さんが生卵を
ぐるりにグルリとかけ回す
ショー的な演出をする(笑)。

「かきまぜて、
お召し上がりください」
というので、
遊び半分で
半分調理させられる(笑)。

仕掛けが大事のわりには、
ガツンとインパクトのある
味ではなかった。

こういうのを
"見掛け倒し"
と言うんだろう。

贔屓にしてた
棚倉の町中華
『一竜』の味には
及びも付かない。



餃子も
それなりで・・・
特筆すべきものではなかった。

"出来の悪い中華店"
という洒落があるが、
そのココロは
「可もなく不可もなし」
(鴨なし鱶もなし)
のことだが、
この店はそれより劣る
造語の「アリピータブル」
(リピートするに値しない)
である。






なんだか
雑味に富んだ食事をして
"たましい"が穢れた気がしたが、
帰り道、雑草を草刈りされた空地に
アスパラの赤ちゃんが
芽吹いていたので、
カワイソウだったが、
"たましい"の浄化のために
その無垢な生命力を頂いた。

その味の
なんとピュアなことよ!!

ニンゲン、
やっぱ、こーいうもんを
たべなっきゃ
ダメだよなー、
と思わされた。

イタリア産の
伝統的古酒も
胃の腑をジンワリと
清めてくれた。







散歩で寄った
ツタヤ・ブラウジングで、
愛読している『瑠璃ちゃん』の
最終巻を買ってきて、
小一時間、横んなって楽しめた。

『おせん』の作者でもある
きくち正太の食への
拘りと蘊蓄はものすごい。

ここでも、
現代のラーメン事情を
キャラクターたちの口で
ボロクソにこき下ろしていた(笑)。






日曜に
ギターレッスンに来た
弟子のハッシーが、
「玄関、草ボーボーで、たいへんでした・・・」
と言ってたので、
今日もカウンセリングのお客さんが
お二人来られるから、
きのうの夕方に
久しぶりに電動草刈機で
キレイに刈り上げた。

金属丸ノコじゃなく
ナイロン線を高速回転させるやつだが、
土や小石をはじくと危険なので
ゴーグルと靴を履くようにと
指定されているが、
横着してサンダルでやってたら、
案の定、小石が吹っ飛ばされて
足の指にヒットして血が流れた。

たった10分かそこらの作業だったが、
蒸し蒸しと暑かったので、
けっこうな汗をかいた。

すぐに入浴したが、
いつものようにヒゲ剃りをしようと
カミソリを握ったら
手が不随意運動をして
プルプル震えて危なかった(笑)。

高速振動する機械を
10分やっただけでも
カラダは影響を受けるものである。

***

きょうは、
10時からソーちゃんの
叡王戦「挑戦者決定戦」がある。

この大一番に勝てば、
タイトル挑戦者になれる。

相手は
これまで5勝2敗の
イケメン・シンタロー八段で、
すでに彼はA級入りしている
(ソータちゃんはまだB級)。

でも、来週の棋聖戦で勝てば、
先にソーちゃんが
「九段」に昇段する。






★゜'・:*:.。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。

()()
(・_・)  
~ ~      

★゜'・:*:.。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。



『養老大人 箴言録』より~



 人生のあらゆる行為に、回復不能な面はあるのです。
 死が関わっていない場合には、そういう面が強く感じられない、というだけのことです。
 ふだん、日常生活を送っているとあまり感じないだけで、実は毎日が取り返しがつかない日なのです。
 今日という日は、明日にはなくなるのですから。
 人生のあらゆる行為は、取り返しがつかない。
 その事を死くらい歴然と示しているものはないのです。



 もう回復の見込みがなく、寝たきりになっている患者が、自分の生きる意味に疑問を持った。
 その時、フランクルは、その人がそういう運命を自分で受け入れて、それに対してどういう態度をとるかということが、周囲に大きな影響を与える。
 それが意味だ、と語った。



 決まったことは仕方がない、と私はよく言います。
 それは何も、流されて生きなさい、と言っているのではなく、そのくらいの気持ちでいれば、逆に大抵のことは実はうまくいく、と思っているのです。



 周囲の死を乗り越えてきた者が生き延びる。
 それが人生ということなのだと思います。
 そして身近な死というのは忌むべきことではなく、人生の中で経験せざるを得ないことなのです。
 それがあるほうが、人間、様々なことについて、もちろん自分についての理解も深まるのです。
 だから死について考えることは大切なのです。



 どうしても、空しい、死にたい、と言われれば、もう好きにしろ、としか言いようがない。
 しかし、それが周囲にどれだけ大きな影響を与えるのか、ということについてだけは考えておいた方がよいと思うのです。



 若い人の中には、生きていて何の意味があるのか、と考えて自殺する人もいるそうです。
 そういう人には、 「ふざけんな。大した生きてもいないくせに意味なんて聞くな」と言いたくなります。



 そもそも人間、悩むのが当たり前なのです。
 悩むのも才能のうちです。
 悩めない人間だってたくさんいます。
 そういう人がバカと呼ばれるわけです。
 悩むのが当たり前だと思っていれば、少なくともそんなに辛い思いをすることはない。























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