『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

ぷち熱中症?

2018-06-30 03:04:00 | 健康
きのうは
棚倉に赴く朝8時頃から
すでに市内は27℃もあり、
前の晩が熱帯夜だったことが
わかった。

そのせいか、
眠りが浅く、
寝苦しかった。

それでも、
日中は31℃ほどだったようだ。

今日は33℃、
明日34℃、
あさって35℃、
の予報である。

落語では
こういうのんを
「ひと目あがり」
という。

関東では
きのう梅雨明けしたという。

平年より22日も早く、
長い夏になるとのことで、
この時季がいちばん
熱中症になりやすい、
と注意を喚起していた。

あなおとろしや、
である。



昨日は棚倉も暑く
午前9時頃には
道路温度計が
29℃に達していた。

学校のカウンセリング室の
エアコンは集中管理で
27℃設定なので、
あまり冷えた感じがしなくて、
午後の湿度が高くなったあたりから
すこし気分が悪くなった。

CKD(慢性腎炎)の
ステージⅢ(中等度)で
腎機能が60%しかないので
熱中症体質なのである。

それゆえ、毎夏、
幾度も具合がわるくなる。

きのうも
水分補給を怠らずにいたが、
それでも不快感が治らず、
とうとうソファのクッションを
床に並べて伏した。

生徒がカウンセリングに
やってくると
さすがにシャンと気が張って
なんとかなった。

弁当のご飯で
ブドウ糖補給すれば
回復するかと期待して、
帰宅時の車中夕飯用のオニギリまで
いち時に大量に摂取したら
さすがに不調感が回復した。

ところが、
帰宅時の高速走行中に
眠気とだるさと全身痛が
一気に襲ってきて、
パーキングで鎮痛剤を服用し、
やっとこさ運転して帰ってきた。

前夜に睡眠の質がよくなかったのと、
ご新規のJCが三人もいて気が張ったのと、
高温多湿でエアコンの効きがいまいちだった、
というトリプル・ファクターで
体調不良に陥ったのだろう
と自己診断した。

最近、読んだ本に
「自分にとって
 いちばんの主治医は自分である」
というフレーズがあって、
なるへそと感心した。

60年間に
いろんな症状を経験してきたし、
その時の薬や対処法も
知悉しているから、
重篤な疾患でない限り
なんとか常備薬で凌ぐことができる。




これまで、
濃霧や豪雪や
車内除湿機能の低下で
ホワイトアウト状態で
運転したことが幾度かあったので、
そんな非常時のために
時折、ナビの設定を10mにして
計器走行の訓練をしている。

それは、まさしく
ゲーム感覚であり、
実景を見ずに
ナビの画面の
道路の曲がり具合だけを頼りに
ステアリングをきるのである。

今年の冬も
氷点下の日に、
走行中にうっかり
フロントガラスをきれいにしようと
ウィンドウォッシャーを噴射して
ワイパーが作動したら、
瞬間的に全面凍結して
真っ白くなって視界が奪われた。

一般道だったので、
すぐうしろに後続車もいて
急ブレーキも踏めず、
道路も凍結していたので、
そのまま熱風のデフロスタを
吹きつけながら
めくら運転の計器走行をした。

なので、
日頃から
リスク・マネジメントとして、
エマージェンシー・トレーニングを
欠かさないようにしている。






ギターは
趣味とは言い難いので、
自分にとっての純粋な趣味は
「まんが」なのであろう。

小学校に入る以前から
漫画には親しんできたので
50年以上の読書歴となる。

子どもの頃に読んだ
『おそ松くん』『オバQ』
『パーマン』『フータくん』
『ブラック団』などが
いまでも懐かしく思う。

先日、海行きのとき、
いつも寄っている相馬市内の
ブックオフで、
山下和美の珍しいエッセイ漫画が
100円コーナーでセットであったので
買ってきた。

数奇屋作りの家を建てる
苦心譚が面白かった。

茶道や表具を習うというのも
自分の趣味とも合致して
楽しめた。

先日、亡くなった
谷口ジロー画の
『坊ちゃんの時代』も
味のある作品であった。

昨日は、
退勤路に具合わるい状態だったが、
それでもコンビニに寄って
新刊の『剣客商売』を買って帰り、
風呂にも入らずに
すぐにベッドにもぐって
読みクスリとして頁を繰っていたら
そのまま寝落ちしてしまった。

そしたら、
また夜中の一時半頃に
目が覚めて、
仕方なく風呂に入って、
そのまま朝方まで
ブログを書いていた。

きっとまた、
日中に猛烈な眠気に襲われて
午睡に入るのだろう。

なんだか、
無茶苦茶なリズムである。










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物書きの血筋

2018-06-29 04:58:00 | 風景
夏休み前なのに
四日もオフ日がつづくと
ダレてまうかと思いきや、
けっこう毎日、創造的に過ごせて、
なんだか、ちょっとずつ
休み上手になってきたような気がする。

去年から一挙に仕事が半減して、
閑居の身となり、
「小人閑居して不善をなす」
じゃないが、
暇だとろくなことないなと
懸念していた。

かの諺を英訳すると、
An idle brain is the devil's workshop.
(怠け者の頭は悪魔の仕事場である)
やら
Idleness is the mother of all evil.
(怠惰は諸悪の母である)
となるらしい。

でも、
半隠遁生活も
あんがいワルクない。

なんたって、
一日が長く感じられる。

学校仕事をしていると
何処かせわしくって、
やはり時間の経過が早い。

一日を味わう余裕なぞなく、
目の前のクライエントである
生徒たちと向き合うことで
精一杯になってしまう。

それはそれで
充実感はあるのだが、
やはり還暦を過ぎたら
クリエイティヴ・リタイアメントを
考えなきゃというのは
一理あるような気がする。




二階から裏庭を見下ろすと、
ナッちゃんの小学校卒業記念に
植えた石榴が、
もう手が届くあたりまで
伸びてきている。

今年もたくさん実が成りそうだ。

そしたら、
グレナデン・ジュースを作って
スパークリング・ワインと
カクテライズするのが
楽しみである。

奥には枇杷がたわわに稔っている。

今年は、実の間引きも
袋掛けもする余裕がなかったので、
小粒になってしまい、
アッという間に
鳥に全部喰われてしまった。

それでも、
何十個かは味わえた。

ここ数日は、
刻んでドレッシングの
風味付けにも使っていた。






蜻蛉が
網戸にジッと
羽を休めていた。

この子も
生まれ日のきょうの夕刻には
もうこの世を去るのか・・・
と思ったら、
なんだか儚い命の
無常観を感じた。

誰か、この可哀相な
カゲロウちゃん? 
カゲロウくん?
のこと、
歌(うと)てやりやぁ!
と思ってググッてみたら、
けっこういろんな歌が
ありやんの。

どれも聞いたこともないが・・・。

カゲロウは英語で
ephemeraといい、
これには一日限りの印刷物
(チケットやチラシ)
という意味もある。

ネイティヴの発音を聞くと、
「エフェメラ」ではなく、
「アファムラ」と聴こえる。

ephemeralは【形容詞】で、
束の間の/儚い/一日限りの命の・・・
となる。

語源は、
epi = on/ hemera = dayで
「その日いちにちの」
となるらしい。






父方の祖母は、
米沢生まれで
「音羽屋」という
老舗旅館の次女だった。

祖母の叔父に
大橋乙羽という
マイナーながら
作家で編集者だった人がいる。

泉鏡花、尾崎紅葉らとも
親交があったという。

なので、
地元の郷土研究家や
国文学の先生らが
よく音羽屋には
資料を見にきていたらしい。

その肖像には
やはりどこか祖母に繋がる
面影があり、
ということは、
自分にも微かな似た処が
あるのやもしれぬ。

一年三六五日、
毎日一四年間もブログを
三つも更新してきたのは、
この乙羽さんの
物書きの血筋だからなのかなぁ・・・と、
ふと思うときがある。




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六十肩?!

2018-06-28 07:08:00 | 風景
昨日、
パソコン仕事中、
突然、右上腕の深部に
刺されたような疝痛が生じて
うずくまるほどの
激烈な痛みに
しばし煩悶した。

初めての箇所の
突発的な激痛だったので
原因不明もあり、
不安になったが、
胸部の絞扼感は伴わなかったので
心筋梗塞ではないと判った。

腕を廻したり、
あちこちのツボを
出鱈目に圧してみて
ようやく収まったが、
その後、二回も起こったので
怪訝に思っている。

六十肩の発症が
いちばん疑わしい。

そういや、
昨日はオフ日で、
午前中の散歩&用足し&買出しで
ギッチリ詰まった
重いリュックを背負って
フーフー言いながら帰ってきた。

その急激な体への負荷が
良くなかったのかもしれない。

それと、
パソコン仕事で
長時間同じ姿勢でいたので
肩周辺の筋肉が凝り固まって
痙攣したのが痛神経に触ったのかも。

中高大、教員時代と
20年以上もバレーとテニスを
やってきたので強肩が自慢のタネで
肩周りの筋肉には自信があったが、
さすがに加齢による劣化が
きたのだろうか。

ぶっといタタミ針をぶちこまれ
ギリギリとこね回されたような
“ハンパない”激痛だったので
今日も起こらないことを
祈るばかりである。

昨晩は
就寝前の神前御祈念で
御神酒を患部に塗って
無事快癒をお願いさせて頂いた。

***

教員時代に起きた
深夜の尿管結石発作も
ハンパない激痛だったが、
救急搬送されて
一晩だけ入院したが、
石が排出されたらウソみたいに
コロリとよくなった。

その時の痛みを
授業の脱線話で
生徒に吹聴するのに、
「背中から、突然、暴漢に
スパッスパの登山ナイフを
ジャカッと刺されて、
それをグリグリーッと
何時間もこねくり回され続けんねんで」
と迫真の語調で演じたら、
教室内がゾーッと固まって
気の弱そうな女子は
身を縮めてブルッていた(笑)。

関西時代の教え子たちは、
こういう脱線話の時の
“語り部”としての
私のオモロコワイ話が
タマランかったと
口を揃えて言う。

先生になるより
“吉本”に行った方が
よかったんちゃう?
と言ってくれた生徒もいた(笑)。




「金のない日
 アリの行列おもしろい」
という、
天才・談志家元の句?
があり気に入っている。

昨日の散歩の途中、
なんと長さ50mもあろうかという
長大な行列に出くわした。

どこまで行っても
途切れない大名行列で、
元生物屋としては興味津々で
列を目視しながら歩いた。

途中から
ダンゴムシ君も随行して、
なんだかディズニーか
ジブリのアニメのようで
可笑しかった。

よくよく観察すると
働き蟻の一匹一匹が
それぞれに卵をくわえていたので、
(ははん。
 きっと、巣の引越しやねんな)
と、大阪の高校での
生物部顧問の口調になってもうた。

まさに、
「金のない日
 アリの行列おもしろい」
であった。





ビウエラの太鼓(ボディ)の
肝腎の表面板になる米杉を
2㎜までプレナー(電動鉋かけ)し、
ブックマッチ(張り合わせ)した。

一日、乾燥させてから
ノックの要領で
表面をトントンと叩いてみる。

これをタッピングと言い、
名匠クラスになると
この時の音で
完成後の楽器の音色(ねいろ)が
想像がつくという。

はたして、ホンマかいな・・・と、
最初は疑っていたが、
さすがに、二、三十本も製作してくると
なんとなくこのことが
了解できるようになった。

もっとも、素人でも、
その辺にあるベニア板を
叩いたときとは
明らかに違うのが判るだろう。

なにせ、十年以上も乾燥させた
楽器用の木目の詰まった逸材なので
この大きさで150gしかなく、
叩くと「パリン」と
太鼓の皮のように表面が波打つ。

その真ん中に
「音孔」を開けるには、
サークルカッターという
文房具を用いる。

本来は、
穴は開けずに、
直接、表面板に「薔薇窓」という
彫刻をしながら「細工孔」に仕立てる。

かつては、
そうしていたが、
この作業が難しくて、
尚且つ、不得意なので、
厚紙を切り抜いてボンドで硬化させたり、
タッティング・レースを用いたりと
代替案をオリジナリティと称して
誤魔化していた。

もっとも、
そういう手法もなくはない。

現代のギターのように
ただのポッカリ空いた孔は
なんだかブラックホールみたいで
素っ気なく味気ない。

薔薇窓はローズとか
ロゼッタともいうが、
いかにも古楽器らしい
大事な装飾ポイントなのである。

今回は、
またまた新しい趣向で、
オリジナル水引などを手がけている
手芸店の組紐職人さんにオーダーして
「薔薇窓」にトライしてもらった。

完全なシンメトリーにできず、
忸怩たる思いがある、
と仰っていたが、
まずまずの出来なので
これを用いることにした。





一昨年、
テニス倶楽部の仲間
Iさんから頂いた
リサイタル・ポートレイトの額装を
メンテ・クリーニングしていたら、
中からもう一枚の別アングルが出てきた。

ひと目見た瞬間、
なんだか
遺影っぽいなぁ、
と直感的に思った。

これを飾ってもいいか・・・と。

医大「白菊会」への献体手続きや
カミさんへは、葬儀はしないで・・・などと、
自らの終活を着々と進めてきたが、
遺影は
「イエーイ!」
と、ピースをした
洒落写真にしようと考えていた(笑)。

✌( ̄▽ ̄)✌ イェーイ!

  ↑

 おバカ 

(^▽^)>テヘヘ…♪



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Daily creativity

2018-06-27 05:51:00 | 風景
夜半過ぎに、
パラパラという
トタン屋根を打つ雨音で
目が覚めた。

25℃を下回らない
熱帯夜だったので、
寝室も開け放し
廊下も網戸になっていたから
雨音は両耳からステレオで
聴こえてきた。

その軽快なサウンドが
心地よく、
しばしまどろみながら、
また眠りにおちた。

今朝はまた、
すっかり梅雨空である。

***

夏休みでもないのに
オフ日が四日も続くと、
(さて、きょうは何すべぇ・・・)
となる。

還暦過ぎの
半隠遁生活は
人生の残り時間を気にしながら
日々を暮らしている。

「先生」という字は
「先ず、生きている」
とも読む。

特別に何かをせんでも、
とりあえず今日を生きてるだけでも、
よしとするか・・・と、
思わないでもない。

Doingより先に
Beingである。

「Daily creativity」
(デイリー・クリエイティヴィティ/
日々の創造性)
という造語も考えた。

オフ日に限っては、
今日をどう創造的に生きるか、
と朝に考え、

行動メモを書くことがある。

就寝前には、
メモを頼りに
為したこと、
初めてのこと、
良かったこと(☆印)なぞを
A4のスケジュール帳に
色分けして書き込むことを
20年ほど続けている。

電子版のブログには
2004年から
ほぼ毎日更新している。
http://happy.ap.teacup.com/applet/soulology/archive?b=180

「よく、毎日、書くことあるね」
と友人たちからは
半ば呆れもされるが、
書くことによって
頭に渦巻くものを
吐き出すことにもなるので、
厄年にうつ病を患って以来、
精神衛生のためにやっている。

それが、
10年を過ぎた辺りから、
書かないと気持ちがわるい、
という半ばAddiction(依存症)っぽく
なってきた。

でも、これもまた
「創造性」の一部だ
とも思っている。

話せて、書ける、
ということは、
プロのスキルとしても
必須のことと
意識して鍛錬してきた。

毎日を意識化して、
記録しながら生きていても、
一年は早く、一日は尚更に早い。





そろそろ七夕なので、
赤い短冊を斜(はす)に
飾ってみた。

八寸染竹花入に
庭の紫陽花を一輪
活けてみた。

短冊は自筆の
良寛禅師と
弟子の貞心尼との
初対面時の相聞歌である。

 君にかく相見ることの嬉しさも
  まだ覚めやらぬ夢かとぞ思ふ

 夢の世にかつまどろみ
  夢をまた語るも夢もそれがまにまに

良寛の
「夢のようにはかないこの世では
 成り行きにまかせたらよろし」     
という
脱力の生き方が好きである。

新潟の国上山に
五合庵という庵を結んでいた良寛も
1828年の齢七十一の折、
三条大震災に遭遇しており、
1400人余りの死者を出したその震災では
愛児を亡くした知人に
見舞いの手紙を送っている。

それには、
「災難に逢う時節には
災難に逢うがよく候。
死ぬ時節には死ぬがよく候。
是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候」
と、したためてある。

なんという達観であろうか。

自然の摂理には逆らえない。
何事も受け容れることこそ肝要。
それが、災難を逃れられる
唯一の方法だというのだ。

「在る物みな美しく
 起こる事みな良し」
と言った先師もいる。

Anything is OK!!
(すべてOK)
という「全肯定」の境地までは
まだまだ道遠し
我が生である。





先日の
新浜公園の水場で
戯れる幼女たちを
絵画化してみた。

これを額装して
カウンセリング室に
かざろうと思う。

来談者で
もし気に入った方が
おられたら、
差し上げようとも思う。







Eテレの『100分で名著』を
しばしば録画で見ている。

カミュの
『ペスト』シリーズも
面白かった。

家にある
世界文学全集の
未読だった原作にも
目を通してみた。

来週からは、
河合先生のシリーズが始まるので
楽しみである。

30年来、
全著作集を蒐集してきたので
書庫には208巻もの
先生の著作や講演音源がある。

どれも
暗記するくらい
何度も読み返し、
CDやテープは擦り切れるほど聞いたので、
先生の言葉や思想がしっかりと
我が血肉には入っている。

在京中は、
自宅の近所だった
アスニーで行われていた
セミナーに何年も通って
その謦咳に接していた。

教育分析のオファーをしたが
超多忙を理由にお断りされ、
先生のお弟子さんの先生に
四年間教育分析を受けた。

福島に来られた時には、
飲み会の席で
親しくお話しして頂き、
揮毫も頂いた。

また学会でも
出たばかりの自叙伝に
サインを頂戴したこともある。

お亡くなりになられてから
もう11年にもなるが、
どちらも今となっては
我が家のお宝である。

古書店では今、
「河合隼雄著作集 全25冊」が
十万円ほどで売りに出ている。

ただ、これは
単著の50冊分くらいしかないので、
全著作の1//4ほどの全集である。

やはり、
最低でも100巻以上読んで、
河合心理学とユング心理学に
ついて論じられるほど精通して、
尚且つ、臨床家としての
力量と表現力がなくば
「カワイアン」とは認めがたい。

今まで、
幾人ものお弟子さんがいたが、
これをクリアした人は
まだいない。

もしそれを成し遂げたら、
先生のサインを額装して
「カワイアン」の認定状と共に
遺品として譲渡しようとは
考えている。















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慰霊巡礼

2018-06-26 02:46:00 | 大震災/コロナ禍
SCになってから20年此の方、
ずっと非常勤なので、
月の第五週目は
丸まる休みのことが多い。

なので、
ゴールデン・ウィークなどが
特にありがたくも感じられなくなった。

今週は期末テスト日にあたり
月から木まで休みである。

なので、
昨日は初めての
霊山道の駅に寄ってから、
これも初めての
中央高速道に乗って
久しぶりに松川浦まで
出かけてきた。

一人で海行きしたのは
初めてかもしれない。

市内はまた
30℃を越える真夏日だったので
高原を越えての海へ赴くのは
ちょうど避暑にもなった。

疲れたせいか
昨晩も9時半頃に
眠気におそわれて早寝した。

そしたら、なんと、
今朝もまた2時半に目が覚めてしまい、
二度寝できなくなったので、
「目が覚めたら朝」
と、二日続けて
深夜のブログ書きとなった。

私的四連休だからこそ
勝手気ままなライフスタイルで
いられる。

勝手気ままといえば、
リサイタル後、
案の定、ダイエットの
リバウンドがきて、
食欲のままに、
ま、いっか・・・の
日々を続けていたら、
みるみる体重が増えてきて
+2㎏にもなって愕然とした。

( ̄□ ̄;)ガーンッ!!

今日からまた
10月の定期検診に向けて
更なるダイエットに
気を引き締めねばである。




我が家の
ホーム海水浴場でもあった
原釜では、3.11慰霊碑に
2年ぶりに御祈念させて頂いた。

この辺りでは
450名もが
大津波の犠牲になられた。

目の前には
真新しい「伝承鎮魂祈念館」があり
この7年で二度ほど訪れた。

そして、今回は
車載ギターで
津波で残ったという
「奇跡の藤棚」の下のベンチに座り
『影を慕いて』を
慰霊演奏させて頂いた。

弾き終えると
空耳だったのか
「オオーッ!!」
という大勢の人の歓声が
右耳の奥に響いた。

御霊様に届いたのだろうか、
と嬉しく思わせて頂いた。

そういや、
福大の新キャンパスが
金谷川の山林に出来たばかりの頃、
古くからある林内の
首切り地蔵にイタズラして
ふたりの学生が怪死した事件があった。

そのときに、
ギター部後輩のWもイタズラをした
と震えながら告白したので、
先輩として、その無礼を詫びるために
夏休みの夕方に林の中で
慰霊演奏をしたことがある。

そしたら、
その姿を遠巻きに目撃したらしい
テニス部の同級生Yちゃんから
後日、
「あんな所で、何してたの?
まわりにいた白い着物の人たちは
誰だったの?」
とマジに問われて
ゾッとしたことがある。

自分ひとりだけで、
だーれも周りになぞ
いなかったからである。

Yちゃんはマジな性格で
冗談を言うような子じゃなかった。

首切り地蔵とは、
江戸時代頃に処刑場だったことに
由来すると地元の古老は言う。

なので、
白い着物姿の人たちとは
その首を切られた
囚人たちの霊だったのかもしれない。

現に、後輩のWは
今も元気に生きている。

この話は
遥か昔に『現代ギター』という
専門誌に投稿し
「夏が来れば思い出す」
という怪談話として掲載され、
拙著の『怪談奇談』にも収録した。

40年近く経た今でも
学内怪談として
伝承されている。





息子たちと
何度もカニ釣りに興じた
磯場から灯台トレイを眺めた。

海面から
裕に10mはある
あの建物が水没するほどの
大津波だったので
想像するだに恐ろしく感じた。

鵜ノ尾埼灯台は
海面から40mもあるが、
その足元の松林が
津波にやられたと見えて
一面になぎ倒されて枯れていた。

見るからに
波高が30m近い
津波だったことが見て取れる。

15m級の津波でも
干渉によって合成波になると
倍の30mにもなるから
高台の松林が
枯れているのを見ると
背筋が寒くなった。





高台の捻れて立ち枯れた松は
海水に浸ったせいなのか
指先でいともた易く
モロモロと脆くも
崩れるようであった。

それでも、
辺り一面の地面には、
新緑の蘖(ひこばえ)が
あちこちから生え出していて
自然の再生力と
松の生命力に驚かされた。

太い幹に対して、
孫(ひこ)に見立てて
「ひこばえ」というらしく、
初夏に見られる若芽だが、
俳句では春の季語のようだ。

英語では「Basal shoot」という。

固い枝も落ちていたので、
家に持ち帰って
工房で切断・研磨し
製作中のビウエラのブリッジ材に
しようと思っている。

震災の翌年にも
松の廃材を拾ってきて、
ルネッサンスギターの
ブリッジにして、
完成したものは
「震災ギター」として
ヤフオクで落札された。

今回のものも、
津波に洗われ、
七年の月日を経て
自然乾燥された松材で、
それが弦の振動をどう
表面板に伝えて
いかなる音色が鳴るのか
楽しみでもある。

大勢の方々が亡くなられた地での
用材でもあるので、
心して、鎮魂の祈りを込めて、
楽器の一部にさせて
頂こうと思う。

完成した古楽器は
「復興支援」の
ファイナル・リサイタルで
演奏されるのが相応しいだろう。





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