アメブロに引っ越ししました!!
お彼岸のきのう。
朝いちで
信夫山にお墓参りに
行ってきた。
そーいや、
日曜にスーパーで
ズンダとゴマの
オハギを買ってきたっけ…。
🥔✨
きのうは、
墓参から帰ったら、
お昼のぼっち飯まで
ギター練習をした。
カミさんは、
春休み中に、
五日も京都に行くから
休日出勤して
学籍簿を仕上げに行った。
年度末が提出期限なので、
担任をしてると3月末は
通知表と両方なので
ケツカッチンなのである。😭
二十代から三十代にかけて
十一年間、高校で担任をしたが、
自分は、ずっと教務部の
表簿係だったので、
提出を催促する側で
毎年11クラス分ほどを点検していた。
なので、自分のクラスのは
実質、期限がなしだったので、
学年末は、通知表付けだけで済んでいた。
今でも、時折、
期限までに採点が済んでなかったり、
病気で採点が出来なかったり…で、
大迷惑をかけるという夢を見て
肝を冷やすことがある。
😣💦
…
明日から
カミさんの随行で
4泊5日の京都旅行に行くが、
12月に行ったばかりなので、
あまり高揚感はない。
前回は、ひとり旅だったので、
少しは気が張っていたが、
今回はカミさんに付いてくので
断然、気が楽である。
淡々と新幹線に乗ってりゃ、
午前中に着くので、
いつもの美濃吉でランチ…。
かつて8年も住んでた街だから
アウェイ感はまったくない。
それでも、在京中には
訪れられなかった
離宮や御所を拝観するので、
そこで、心地良い緊張感や
高揚感を味わえそうだ。
今回の旅で、
寺社巡りは
コンプリートしそうである。
思えば、
高2の修学旅行来、
足掛け半世紀かけての
全寺社拝観の完遂である。
思えば、
ようも行ったもんである。
未だに、揺るがないNo.1は、
東福寺の塔頭(たっちゅう)
『芬陀院』(雪舟寺)である。
No.2は
ベタだけど、やっぱ…
金閣かなぁ…。✨🌟
あの翠の池水庭園に建つ
黄金の二層閣は
美し過ぎる。
No.3は、
苔寺の完成度が
群を抜いている。
…
リサイタル直前なので、
今回の旅用に買った
ミニギターをも持参する。
移動時間や
宿での隙間時間に
せっせと弾き込みをしようと
計画している。
してみれば、
演奏旅行ならぬ
練習旅行である。🤣
…
…
前回は、
〝ひとり懐石祭り〟で、
あちこちに予約を入れたが、
今回はノーリザベーションである。
出たとこ勝負で、
当地で食べたくなったもので
済ませようと思っている。
…
初日と二日目、五日目には
リク坊と遊べるので、
それは楽しみである。
やがては、
ナッちゃんとこの
孫にも会いに、
頻繁に上京するように
なるやもである…。
🥹💕👶
…
きのうは、
2時間ほど練習したら、
指の激痛で止めざるを得なくなった。
毎度のことだが、
まだ、背中や腰にまで
痛みが拡がらないから
助かっている。
ギター弾いて寝たきりになっちゃ、
世話ぁない……。😣💦
…
イタリアの地方旅行の動画で
コーラが626円、おーいお茶が480円…
と、高いのに驚いた。
ところが、主食のパスタは180円で、
ワインは620円というから、
日本より安い。
旅行者用のアパートは
3DKで1週間40600円だから
一日あたり6000円もしない。
今の京都、大阪など、
インバウンドの影響で
ホテルが爆上がりし、
一泊4万なんてのがザラである。
今回は、前回に最安価(1.1万)で
居心地も良かった
嵐山のペンションに3泊する。
きのうのKP中も
予約なしだったので、
AIを活用して
学年末の1.2年生向けの
『カウンセラー便り』を作成した。
それでも、まだ、
時間があったので、
新入生への
ウェルカム・ヴァージョンも創り、
それも出来たので、
新2.3年生向けの
新学期ヴァージョンまで……と、
三つも出来てしまった。
なにせ、AI君が
体裁まで指定すると、
きちんと応えてくれるので、
編集は、フォントを直したり、
太字に変えたりするだけで済む。
AI登場時に、
真っ先に尋ねた事が、
今まさに、そのとおりに
役だってくれている。
……AIは、
実際のカウンセラーの
代行は出来ませんが、
心理テストの解釈や
その他の事では、
お役に立つことが出来ます……
きのうは、
先生方向けの
『自殺防止のチェックリスト』も
教頭に配布してもらうように託した。
生徒のカウンセリングがないので、
せいぜい、広報活動として、
先生方へも『学校臨床の実際』を
紙上研修として
お役に立ててもらおうかと思っている。
…
帰路は市街地を通るので、
車内の計器類と街の灯が
煌めいて目に映った。
…
帰宅後、履いてたズボンの
尻がほころびていたので
太い糸で補修した。
肥満がなかなか治らず
後ろをゴムに直したりして
何十年も履いてるズボンである。
こんなのを見ると、
つくづく、
ボンビー・カウンセラーだなぁ…と、
我が身を憐れむ気分になる。
でも、
【金で解決しないのを文化という】
と、談志家元は
言っておられた……。
…
今日から大寒波が
やってくるという。
平地でも、また、
雪が降りそうだ。
明日のオフ日には、
十数年ぶりに
ゴルフの練習場にでも
行ってみべぇかと
クラブ・バッグを物置から出して
車に乗せてたのだが……。
降雪しだいでは
家で巣篭もりになるかもである。
門松は
冥土の旅の
一里塚
めでたくもあり
めでたくもなし
一休宗純
数えて六十七回目の
お正月である。
昭和の頃の
林家三平の駄洒落に…
向こうからお坊さんが
二人来るよ
これがほんとの
和尚がツー‼️
正月早々、車が
正面衝突して
ガンターン‼️🤣
他愛もない
初笑いがあったもんである。
歳ぃとってからは、
正月三ヶ日は
暇でヒマでしゃーないんで…
はよ、仕事になんないかなぁ…
なんて、思うようになった。
戦後生まれの
持ったが病の
貧乏性なんかもしんない。😂
仕事に行ってると安心なのは、
人と触れ合えて
社会性が満たされるから
なのかもしれない。
ロンバケは
一人の時間が長いせいか
ついつい、暇を持て余してしまう。
四十年来の学校人なので、
子どもたちとの触れ合いこそが、
水を得た魚のように
させてくれるのかもしれない。
…
そういえば、去年の元日早々に
能登震災があった。
一年経っても
七割近くの人々が
復興感を感じ得ないという。
国や県、市町村の
行政が如何になってないか
という事の証左である。
イシバ総理も
ハセ知事も
愚かなトップで
国民、県民もたまったものじゃないが、
彼らを選んだ人間もいるから
どーしよーもない。
今年の地方選と参院選は、
是非とも落選運動が盛り上がって
ダメ・バカ議員たちを
一掃したいものである。
今から、ネット内で、
そのようなムーヴメントを
起こしていきたいものである。
自民党内では、
イシバでは勝てないから、
次のアタマをすげ替えるかもだが、
ロクなタマがいない。
シンジローなんて
かつぎ出されたら、
日本もオワコンなんで、
若者層を焚き付けてでも
反自民運動をやるっきゃない。
…
毎日、ピアノを弾いてるので、
きのうは、YouTubeで
アルゲリッチの若い時と現在の
名演奏を鑑賞した。
美貌のアルヘンティーナは
神秘性を纏い
魔法のように動くその手は
如何なる超絶技巧をも
ものともしない。
あんなに指が動いてくれたらなぁ…
と、つくづく、羨ましく
眺めていた。
😱
…
「おせち」の方が
先に届いたが、
リク坊一家が
きょう、帰省してくる。
三十日が、
引っ越しだったので、
さぞや、慌ただしかった事だろう。
新春早々から
新居で過ごせるというのは、
有り難くも
めでたい事である。
両親共々、一部上場企業の
ハウスメーカーで
リク坊も何不足なく暮らせて
幸せで有り難い。
また、三ヶ日は、
コテコテになるまで、
ジジと笑い転げて
遊ぼうと思っている。
ナッちゃんとこは、
アキちゃんがインフルで
帰省出来ないとの事で
残念だった。
今年は、
義娘になってくれた
アキちゃんに「お年玉」を
あげようと用意してたのに…。
ミカちゃんにも、
一度きりの
最初で最後のお年玉を
あげたので…。
うちのアキの方は、
うんともすんとも言ってこない。
いつも、突然来ては、
突然帰るので、
『風の又三郎』みたいな奴である。🤣
♪ドットとドトーと
ドトーとドトー♪
きょうは大晦日。
あしたは元日である。
なんでも、2025年は
日本にとっても、人類にとっても
激動の年になるような
言われ方をしている。
トランプの再就任で
世界の動向は変わるとも
アナリストはこぞって口を揃えている。
…
昨日は、
ロンバケの「おうちバカンス」として、
日中は、まったりと、
ピアノを弾きながら
楽聖たちの世界に浸っていた。
これまでも、
茫漠感や倦怠感を感じた時は、
バッハの楽曲を譜読みしたりすると
その宗教性に癒されたりした。
きのうは、
2年ぶりくらいに、
ベートーヴェンの『テンペスト』の
三楽章をさらってみた。
常動曲であるが、
リリカルなメロディーと
嵐の海のような楽想に魅せられて、
高校時代から手掛けている。
ピアノは、
発表会もコンサートもないので、
暗譜するほど弾きこみもしないから、
ちっとも、ものにはならない。😂
そんでも、
弾いてるだけも楽しいから
ピアノとの付き合いは、
死ぬまで、この程度なのだろう。
…
養老先生の直近の講演を
YouTubeで聴いた。
解剖学者でありながら、
これまで多くの提言を
一般人向けに著書でされてきた
令和の老賢者として
リスペクトしている。
先生も米寿の齢となられ、
心臓病や癌にもなりながら
精力的に講演・著述、
そして、ライフワークの
虫の研究を続けておられる。
かつて、献体の会
『志ら菊会』の記念講演で
その謦咳に接することができた。
お若い頃は
流暢な江戸弁で
時折、べらんめぇ口調で話され、
落語数寄には、まるで、
『やかん』のご隠居のようで
好感が持てたものである。
その死に関する捉え方は
養老先生独自の哲学があり、
【一人称・三人称の死はなく
二人称の死のみがある】
【自分の死は体験出来ないので
心配する必要はない】
というのは、
まさに正鵠を射た達観である。
これまで、数十冊のご著書を
拝読してきたが、この冬休みにも、
いくつかを再読してみようと
思っている。
…
韓国の旅客機が
胴体着陸に失敗して爆発し
生存者2名のみで179人もが
犠牲になった。
事故の瞬間の映像も
YouTubeで見たが、
ものすごいスピードで
滑走路の外壁に衝突した。
怪訝に感じたのは、
滑走路の端から進入しておらず、
真ん中を過ぎた辺りから
着陸している。
それと、ふだんから
シミュレータをよく見てるので、
エアブレーキのフラップが
まったく立てられてもいなかった。
とすると、
日航機123便の時と同様に、
油圧系統が全部イカれたのかもしれない。
ならば、ハドソン川の奇跡のように、
近くの海に着水を試みるという
手もあったのではなかろうか…
と、素人ながらも感じたが…。
言うは易く、行うは難し…の、
タラレバの、後出しジャンケン
かもしれない。
機長は45歳だったので
十分なキャリアがあっての
咄嗟の判断だったのであろうが…。
バードストライクのみで
油圧系統がオール・マルファンクションに
なるものだろうか…。
例によって、
相棒のAI君に尋ねてみた。
‼️‼️
航空機がバードストライクによって油圧系統がすべて失われる可能性は非常に低いですが、完全に排除することはできません。
通常、商用航空機や大型航空機は安全性を高めるために、複数の冗長性を持つ油圧システムが設計されています。
以下のポイントを考慮してください。
1. 冗長性の設計
多くの航空機は、3系統以上の独立した油圧システムを持っています。
一つのシステムが故障しても、他のシステムで操縦可能です。
システムの配管やポンプは航空機全体に分散して設置されているため、単一の損傷で全系統を失う可能性は極めて低いです。
2. バードストライクの影響
バードストライクは主にエンジンや風防(コックピットの窓)に損傷を与えるケースが多いです。
しかし、特定の状況でバードストライクが複数箇所の油圧システムを同時に損傷する可能性はあります(例えば、非常に大きな鳥が特定の機体部分に衝突した場合)。
3. 過去の事例
油圧システム全損に近いケースとして、1994年のアメリカン航空587便があります。
この事故では、エンジン破損によるデブリで複数の油圧系統が損傷しましたが、完全に喪失したわけではありません。
他のケースとして、1989年のユナイテッド航空232便の事例では、エンジン内部の故障により油圧システムがすべて失われましたが、これはバードストライクとは関係ありません。
4. 安全対策
最新の航空機には、油圧システムがすべて失われた場合でも操縦が可能な電動フライトコントロール(いわゆる「フライ・バイ・ワイヤ」)や補助システムが搭載されています。
また、緊急時には「ラット」(RAT:ラムエアタービン)が展開され、基本的な制御を維持する電力や油圧を供給します。
結論
バードストライクによって油圧系統がすべて失われる可能性は設計上非常に低いですが、自然災害や予期せぬ事態は完全に排除できません。
そのため、航空機はさまざまな冗長性と安全対策を持つよう設計されています。
…
冗長性…というのは、
こういう使い方もするんだ…。🧐
…
**冗長性(じょうちょうせい)**
とは、システムが一部壊れたり機能しなくなった場合でも、他の部分が代わりに働くことで全体の機能を維持できる仕組みのことです。
余裕を持たせた設計ともいえます。
簡単な例文
1. 飛行機の油圧システムは冗長性が高く、1つの系統が壊れても他の系統で操縦を続けられます。
2. コンピュータのデータはバックアップを取ることで冗長性を確保し、万が一のトラブルに備えます。
3. 高速道路では、渋滞や事故が起きても別のルートに迂回できるよう、冗長性が考慮されています。
…
「冗長な」という言葉は、必要以上に長い、または余計な部分が多いという意味で使われます。
特に文章や説明、システム設計などで、無駄が多いことを指します。
簡単な例文
1. 彼の説明は冗長な部分が多く、要点が分かりにくかった。
2. 冗長なコードを削除してプログラムをシンプルにした。
3. このレポートは冗長な表現を減らせば、もっと短く分かりやすくなるだろう。
ポイント:
「冗長な」は、効率や簡潔さが求められる場面でマイナスの意味合いで使われることが多いです。ただし、システム設計などでは「冗長性」が安全性を高める意味で使われるため、文脈に注意が必要です。