『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

漱石研究

2021-04-30 06:14:00 | 勉強
春休み中から
ずっと取り組んでいた
漱石の『夢十夜』の
深層心理学的分析が
やっと終わったので、
臨時研究室を解体して
元のお茶室に戻した。




2階の書斎とは
雰囲気が違って
分析仕事に特化した部屋となり
いい気分転換になって
久々に研究が進んだ。

これから、
書き上げたものをまとめて
冊子化しようと
思っている。

研究室は解体したものの、
これからは、
未だ渦中の
『コロナ時代の深層分析』も
魂理学的視点から
やっていきたいと
思っている。

去年から、
ブログ内でも
ちょくちょく断片的に
思いを吐き出してはいるが、
「自分史」的な意義付けが
まだ不十分なので、
腑に落ちていない部分を
徹底的に思考実験を通して
意識化、言語化してみたい
と思っている。

それは、
取りも直さず、
外的世界や人類史をも
分析することになる。

「意識」と「たましい」
という切り口で
果たしてどんな事に
帰結するのか…、
これまた、やってみなっきゃ
分からない。

今朝も寝床で、
書き溜めた『思考実験ノート』を
見返していて
「実在するものは脅かされない」
という一文を見て、
これを一般に説明すんのは
容易じゃないだろうなぁ・・・と、
池上氏みたいな平易な語り口に
どう置き換えようか
悩みそうだった。






暇があると、
YouTubeで
「書」のサイトを見て
勉強している。

「一」の横角は基本だが、
これは、
「とん、すー、とん」
と起筆、送筆、収筆を
三拍子で書くが、
【三過折】という書法名を
知らなくて勉強になった。

それと、
向かい会う縦角が
互いにお辞儀をしているのを
「向勢」
互いに反っているのを
「背勢」
というのは、
掛け軸の用語と同じだった。

「書の歴史」サイトでは、
王 献之(けんし/344-386年)が、
『書聖』王 羲之(ぎし)の
第七子だということを
初めて知った。






ツタヤ・ブラウジングしてたら、
『クッキングパパ』の
最新刊が出てたので、
買ってきた。

715円もしたので、
えれぇ高いなぁ・・・と、
感じてしまった。

コミック本というのは、
だいたいワンコインくらい
というイメージだったが…。

なので、
これまで、
最新刊は中古コーナーに
出るまで待って
半額くらいになってから
買うことにしていた。








今日は、
今年度初めてのY中勤務だが、
新任の教頭が
融通が利かなくて、
通常は11時勤務のところ、
6月の研修会の時間調整で
9時15分に出勤して欲しいと
頑として譲らなかった。

去年は研修中止になったので、
今年もそうなるだろうから、
時間調整は様子見をして、
研修が有ったら、
その後の月からにして欲しい
と要望したのだが、
自分の決めた時間にさせたいのか、
初日から変則出勤せよ、
との事である。

なので、
昨日からイライラして、
カラダに多足類の虫が
何匹も引っ付いて
それを一々剥がすという
嫌な夢を見てしまった。

中っ腹で初出勤するので、
くれぐれも喧嘩になって
怒号したりすることのないように、
朝から我慢、ガマン・・・
辛抱、しんぼう・・・と、
自分に言い聞かせて
「人格者モード」のスイッチが
外れないように意識化している。





カミさんが、
タウン情報誌の
『mon mo』を買ってきて、
連休中の行楽地への
お出かけスポットを
リサーチしている。

喜多方で
餡子餅やら喰ってこようか、
とゆんべは話していた。



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感染列島GW

2021-04-29 07:42:00 | 大震災/コロナ禍
いよいよ
ゴールデンウイークである。

昨年同様、心弾まぬ
連休ではある。

それでも、
フクシマには
大自然があるから、
海に山に湖に・・・と、
三密を避けて
出かけることができるのは
ありがたい。






買い物&散歩に出かけたら、
いつもの空き地に
アヤメが一輪
凛として咲いていたので、
手折って玄関室礼に活けてみた。






昨日は
長男フミの誕生日だったが、
亡父が彼の節句祝いに買ってくれた
五月兜を出して、
フミの長男であるリク坊が
来月9日が誕生日なので
それを寿いで
コロナ禍を邪鬼に見立て
それを退治する鐘馗様の軸を掛けた。

これは、
佐々木家代々の家宝で、
自分が生まれた頃から
生家に飾られていたものである。

次男でありながら、
父亡き後には
実家の母と同居したので、
図らずも
本家の当主となってしまった。

ダンゴ三兄弟のうち
誰かひとりでも帰福して
この跡を継いでくれたら、
と思わないでもないが、
彼らの人生だから
支援以外は、
一切干渉しないことにしている。





同じ空地には
野生のアスパラも生えており、
雑草の間に育っているので、
その生命力は強く、
ポキリと手折ると
断面からは水分が
したたり落ちる。

フレンチでは
「アスペルジュ・ソバージュ」
(野生アスパラ)
として珍重されるものである。






採りたての新鮮なものを
軽く塩ゆでして、
備前小皿に盛り、
備前の徳利とぐい呑みで
やってみた。

侘びた酒器に
生命感あふれる
エメラルドグリーンが映えて、
「純米大吟醸生酒」が
殊の外いい味わいに感じられた。






夕餉には
手屑刺身(切り落とし)を
買ってきて、
酢〆にしたり、
漬(づ)けにしたりして
手毬鮨をこしらえてみた。

「臨醐山」という
高級黒酢で酢飯にしたので、
香りがふくよかで
江戸前仕事を施したネタに
よく合っていた。

創ってる途中で
カミさんが仕事から
帰ってきたので、
面白がって自分でも
ラップで茶巾絞りにして
こしらえていた。






大都市圏を始め、
全土でコロナ禍が
「第四波」に入り、
その8割が変異型に置き換わり、
さらに、二重変異型も出始めた。

60代の死者は
7.3%とはいえ、
その致死率は決して
低いものではない。

昨日は、市内でも
変異株の
急拡大「警戒」情報が
出された。

そして、感染者数も
じわりと
二桁になっていた。









13億人を蔵する
インドでは、
二重変異型の急拡大で
1日あたり
36万人超えの感染者と
3000人超えの死者がででいる。

医療は完全に崩壊に陥り、
病床も酸素も薬も不足し、
野垂れ死にした人々が
街中のあちこちで火葬されている。

その様を
映像で視ると、
まさに、この世の地獄である。

これが、
今の「油断」と「慣れ」で
気の緩んだ日本の
すぐそにある現実だと、
どれほどの人が
危機感を抱いているだろうか。

いまだに、
緊急宣言下の四都市では、
新年度の飲み会やら
路上飲みが絶えないという。

街への人出も
目に見えて減ってはいない。

それが、歯止めの効かない
等比級数的な感染増加の
数値として、連日、
可視化されてもなのである。

この心理は、
単なる「馴化(Habituation)」という
ストレス刺激への
反応鈍麻(馴れ)だけではなく、
「認知的不協和(cognitive dissonance)」
という"自分だけは大丈夫"感も
働いているようだ。

さらには、
「学習性無力感(Learned helplessness)」
という、長期ストレスの回避困難な環境で
積極的にその状況から逃れようとする
努力すら行わなくなるという心理も
重複して生じているように見える。

こういうのが
極限状況化すると、
日本人は「一億総玉砕」みたいな
気違いじみた集団ヒステリーに
陥った戦時中の過誤がある。

インドでは、
身内を助けたくて
酸素ボンベを盗んだり、
見内を失って
刃物を振るって
医師に八つ当たりした
「追い詰められた人々」を見た。

GW以後、
第四波に歯止めが利かなくば、
いよいよもって、
「ロックダウン(都市封鎖)」が
現実味を帯びてくる。

そして、現行法には、
戒厳令はないので、
「特措法」を更に厳格化して、
大幅に私権を制限したものに
踏み込まねばならなくなる。

3.11レベルの
原発爆発級の大混乱が、
「感染爆発」で
日本全土を襲う可能性すら
現時点ではあるのである。

そしたら、またしても、
東北人が3.11の渦中に
経験したような
遺体を処理しきれずに、
至る処に仮埋葬するような
事態になる。

今のインドが
まさにその状態で、
街々の至る処で
野焼きのように
遺体を火葬している様を
映像で視るのである。

明日は
『感染列島日本』が
そうならないと
誰が太鼓判を押してくれるだろうか。


「Golden Week ?」
「No !!
Black Week !!」

! ε=ε=ε=ヾ(*。>◇<)ノ


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濱田先生ご逝去

2021-04-28 08:09:00 | 音楽
きょうは
フミの誕生日で
平成元年生まれなので
32歳になった。

自分が
32歳の時に生まれたから、
今のリク坊が
まさにそれと同じ感じである。

Facebookに
お祝いメッセージを送ったら、
見ていないリク坊の写真と
動画がいくつか
アップされていて、
「可愛いすぎる息子」
とあった。

この春から大阪転勤になり、
妻子に先にがけて
単身赴任しているので、
愛児ともしばらく
離れ離れで寂しかろう。

せっかく、
東京の自宅近所の
保育園に入ったばかりの
リク坊だが、
また、大阪に越したら
再入園しなくちゃである。




奇しくも、
東京・大阪ともに
二大都市は
緊急宣言発令の
真っ只中である。

なんだか、
そんな感染列島で
可愛い孫を
行き来させるのも
なんだか不憫でならない。

誰もが思うように
コロナが憎い、
である。






一日も早い、
コロナ禍の収束を
毎日、ご神前で
ご祈念させて頂いている。

あのコロナ以前の
正常な社会に
世界が戻ることができるのか…。

愛孫の無垢な顔を見てると、
大人たちの最大限の努力、
辛抱、協力、責任でもって、
それをやり遂げなければ、
と痛感する次第である。

だのに・・・
そのピーク禍にある大阪で、
公務員や教職員が
何百人と飲み会をやって
知事と市長が謝罪した。

大火事の現場で
目の前で燃え拡がってんのに、
そこで酒盛りして
何してんねん!!
である。

【状況判断できないのを馬鹿という】
という定義に
見事に当てはまる連中である。

いや・・・
大阪だから【阿保】か。




ツタヤ・ブラウジングで
110円で見つけた
『聖樹のパン』の
第一巻目に魅かれて、
続巻をアマゾンから購入して
第6巻目まで読んだ。

そこまでは、
蘊蓄とギャグと
ハートウォーミング・ストーリーが
織り交ざって
いい按排の佳作だったのだが、
6巻目からヒール(悪役)の
醜悪ジジイが出てきて、
それが主人公の母親を拉致し
返して欲しくば10人の職人と闘え
という陳腐なバトル物になり
ゲンナリしてしまった。

なんで、ステレオタイプの
喰い物バトル・ネタに
安易に走るのか…。

もう、ガッカリである。

しかも、10人も・・・。

連載を引っ張るための
作家と編集者の
"王道"かつ"鉄板"企画の
つもりだったら、
どちらもクリエイターとしては
最低である。

既に、
アマゾンには
最新刊の11巻目まで
注文してまったので、
これから、そのしょーもないバトルを
読まされるのかと思うと
うんざりしてまう。

先走りして、
買わんかったら
よかったわい。

こーいうのも、
見通しが利かなかった、
目利きが甘かった、
というのだろう。








何故か今月は
カツ丼マンスリーで、
おとついの日曜日も
カミさんとの山行きの途中で
『はないち』で挑んできた(笑)。

今月、七丼目である(笑)。

半分、意地である(笑)。

でも…
今日・明日と
オフ日ではあるが、
もう、さすがに
カツ丼を食べたいという
気は起こらない(笑)。

ひと月に七杯は
自己レコードである(笑)。

『はないち』は
"映え"のする
キュービックな
ソースかつ丼が名代だが、
通常の"煮込み"も
なかなかに佳かった。






店を出て、
何気に足元を見ると
大っ嫌いな○○(書くのもオゾマシイ)
と見紛うホースに
悲鳴を上げて、
飛び上がってしまった(笑)。

そのうねり具合に、
上半面が日に焼けて
まるで鱗みたいになってて・・・、
そりゃーもう、
チキン肌ものだった(笑)。

ホースと判っても、
直視できないほどだったが、
ブログネタにしようと、
勇を鼓して撮影してみた(笑)。

Snake-phobia(恐怖症)でない
カミさんも、
「ほんとにリアルだねい」
と感心していた。







定期購読している
フラメンコ専門店の
広告メールで、
濱田 滋郎さんが
3月に亡くなられていたことを
知った。

濱田氏は、
ギター界やフラメンコ界には
多大な貢献をされた先生で、
ギターを始めたばかりの
子どもの頃から
そのお顔を存知あげていた。

そして、
当時、ギターのレコードの
裏面の解説は
ほとんど濱田先生ので
〆られていたので、
必定、その名と顔は
インプットされていた。

後年、
京都から帰福したばかりの頃、
東京の三鷹であった
ホプキンソン・スミスの
リュート・リサイタルで
ばったり濱田先生とお会いして、
ためらわずにお声がけが出来、
先生も気さくにお話しくださって、
サインを頂いたのを
今でも懐かしく覚えている。

そのサインを
今朝、探してみたが
未だに出てこない・・・。

_| ̄|○ ガックシ・・・


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初物・竹の子

2021-04-27 06:56:00 | 季節
ゆんべは
2時半頃に目が覚め、
しばらく、床の中で
ゴロゴロするも
なかなか二度寝ができず、
仕方なく枕灯をつけて
マンガを読んで
眠気がくるのを待った。

4時近くまで
そのまんま
マンガを2冊読んでたら
ようやく眠気が
やってきてくれた。

寝付く前に
トイレに行こうと
廊下に出たら、
吾妻山に沈もうとしていた満月が
地上との対比効果で
異様に大きく見えた。







二度寝から目覚めたら、
一点の曇りもない
快晴の朝だった。








きのうは
通勤路にある
竹林の前を通過する時に、
そろそろタケノコ出てないかな、
と目を凝らして観たら、
出てた出てた!!

バンブーハンター
(竹取り翁)なので(笑)、
路傍に急停車させて、
スコン、スコンと四蹴りで
サッサカ採って
10秒で撤収した(笑)。

フキトノ・ハンティングの次は
バンブーシュート(筍)
ハンティングの時季である。

また、放置竹林めぐりで
あのワクワク感が
楽しめそうだ。






帰宅後に
さっそく酢の物と
木の芽味噌和えの二品を
先日の備前に盛ってみた。

筍ご飯も
いい香りに仕上がって、
ついつい
お代わりしてしまった。






きのうは
4階にあるカウンセリング室まで
箱庭を運ぶのに
ひと汗かいた。

まずは、
砂を全部掻き
ビニル袋に入れ、
それをリュックで背負い、
木枠をウンショ、ウンショと
階段で持ち上がった。

日曜に
仁田沼への
軽登山をしたせいか、
4階まで休憩せずに
一気に運び果せた。

それでも、
さすがに部屋に着くと、
心臓がバクバク状態で、
息もハーハーだった。

補液&休憩で
回復するまで
しばらくかかった。

ついでに、
ナッちゃんの
住宅模型も搬入した。

まだまだ、
箱庭のツールの方は
数が揃わず、
これからぼちぼちと
集めていくつもりである。








4都市で
緊急宣言が出たにも関らず、
ちっとも人流が減少していない
ということだった。

政府が推奨する
7割のテレワーク実現とやらも
今回はさっぱり進んでいないという。

【喉元過ぎれば熱さを忘れる】
とは言うものの、
コロナはまだ
過ぎてなぞはいない。

まさに、
「慣れ」と「油断」が
国中に蔓延している。

そこにきて、
インドで猛威を振るっている
二重変異型ウイルスも
国内で21例確認されたという。

この時期、
インド帰りのビジネスマンが
持ち込んだとも考えにくいので、
国内で独自に変異したのかもしれない。


「ダブル・ミュータント」が
抗プロトタイプ・ワクチンに
耐性があったら、
まさしく【いたちごっこ】であり、
致死率がインド並みに
激増するだろう。

そこに、
「トリプル・ミュータント」が
発生したら、もう
アンコンローラブル
(制御不能)で
ワクチンなぞは
【焼石に水】【山火事にバケツ水】
のようになる。

きのう、
日本でも
死者がとうとう
一万人の大台を突破した。

こうなると
インドのような
Y=X²のような
等比級数的なフェーズに
入り易くなるものである。

1円から100万円を
貯蓄するのは大変だが、
(100万倍)
100万円から200万円には
(2倍)
それよりも
大変ではないのである。


「慣れ」と「油断」があり、
ワクチン接種が進んでいない中、
ウイルスは日々進化を続けている。

感染症の防疫は
「時間との勝負」なのに、
完全に後手、後手・・・で、
ゴテゴテしているうちに
「スーパー・ミュータント」君が
ウイルス界に登場したら
もう、一巻の終わりである。

世界では、
このコロナ禍の中、
軍事費が前年よりも
さらに膨らんでいるという。

感染症で人類が危ないという時に、
人殺しの道具を増やしてるんだから、
為政者というのは
救いようがない…。

環境破壊の次は、
殺し合いで
互いに自滅しよう
というのだろうか。

狂っているとしか
言いようがない。

やはり、
ミャンマーの人民のように
狂った為政者たちに
命を賭して立ち向かわねば
平和で共存共栄の人類社会は
やってこないのだろうか・・・。



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仁田沼散策

2021-04-26 07:07:00 | 風景
きのうは
カミさんに誘われて
久しぶりに仁田沼に
赴いてきた。

97年に亡くなった父が
その前年に孫たちと
出かけて、登りの途中で
腹痛に襲われ断念し、
帰宅後に検査したら
大腸がんの末期が
判明した。

それ以来だったので、
登り路の途中で
そのシーンを
ありありと思い出した。

自分も
あれから25年も歳をとると
父がリタイアしたあたりで
息が切れて
目の前がクラクラしそうだった。

ずいぶんと
体力の衰えを
思い知らされた。

カミさんは
毎日、教壇に立ち、
週に二回もテニスをしてるので、
さすがにビクともせず
足取り軽やかに
ひょいひょいだった(笑)。

座り商売で
テニスをやめてしまった
カウンセラー親爺は
近所の散歩程度では
体力がまったく
ついてなかった(笑)。

。゚(;´д`) ゚。 トホホ






途中、登坂を諦めかけたが、
なんとか、休憩&補水をはさんで
やっとこさ登り切り、
ひさしぶりの楽園のような
光景を拝むことができた。

まさしく、
鳥鳴き、水流れ、風そよぐ、
ミズバショウのお花畑が
あちこちに展開しており
この世のパライソのようだった。






まだ連休前の
日曜だったので、
人もまったくいず、
カミさんとふたり
静寂な楽園を満喫した。

こんな絶景地も
かつては
広範囲に放射能汚染を
蒙ったと考えると
人間の犯した罪深さを
感じずにはいられない。

制御できない装置を
自然や感情を制御できない人間が
作ることが、大間違いの元なのだ。

もっとも、
放射能ごときで
この偉大な大自然を
まったく穢すことなぞも
そもそも出来得るものでも
ないのだろうが。

人間の「自縄自縛」の愚行に
気付かせてくれようとしてるのが、
自然が送り込んできた
メッセンジャーの
ウイルスなのかもれしない。

その自然の代表者は、
日々、進化・変異・適応し、
あたかも人間の性(さが)を
見知ったかのように、
愚かなリーダーの国々では
何十万もの宿主を得て、
慣れと油断を見越したように
性能をレベルアップしてきた。

生物の生存戦略としては
至極まともで、
このまま敗戦濃厚になると、
ここで人類の歴史が
潰えることになっても
すこしもおかしくない。

ワクチン耐性を持つ変異亜種や
エボラ級のスーパースターが
日々、進化・変異する
無数のウイルスの中から生まれたら
悲観的観測は絵空事では
済まなくなる。









カタクリの花が落ちて
結実化したものを
初めて観察した。

被子植物なので、
これも重複受精して
胚と胚乳が形成されている。

あの可憐な花の次には
こんな姿に変容するのである。









カタクリと同系色の
高貴なパープルの
レンゲも花盛りだった。

落語の中にも、
きれいな女郎を身受けして
女房にしたら、
何も家事が出来ずに
亭主が往生した・・・
という噺があり、
引用される句がある。

 手に取るな
  やはり野におけ
   れんげ草

  





学生時代、
同じ生物学研究会に
所属していたカミさんは、
さすがに「植物班」で
卒論も「生態学」だっただけに、
目ざとく小さな花々も見逃さない。

落ち葉の陰になっていた
ちいさなフデリンドウの蕾と
開花したばかりの
1㎝ほどの花を見つけた。

自分は
リンドウに偏愛があるので、
これは嬉しい発見だった。

まさに・・・「可憐」。

美が細部にまで
宿っていた。

フキノトウが
枯葉の茶色に生える
エメラルドなら、
こちらは
ブルーサファイアである。

芭蕉の句を捩れば・・・

 山路きて
  なにやらゆかし
   リンドウちゃん

・・・ってなもんである(笑)。






植物ハカセちゃんの
カミさんに
エンレイソウというのを
教えてもらった。

シロバナ・エンレイソウも
あったが、
こっちのビロードっぽい
地味な方が
どこかアダルト感があった(笑)。

帰宅後に
さっそくウィキってみたら、
「延齢草」と表記するようで、
学名は「Trillium smallii」
(トリリウム・スモーリー)
であった。

シュロソウ科
エンレイソウ属の多年草で、
別名「タチアオイ」。







最近の異常気象の
大雨・強風化のせいなのか、
今までに見た事のないくらいに、
あちこちで根こそぎの倒木が
見られて驚いた。

沼を周遊する道々も
大樹の倒木で
塞がれたまんまで、
まるで自然の
アトラクションみたいに
潜ったり乗り越えたりだった。

ついつい、
リク坊が歩きだした頃に
連れてきたら
喜ぶだろうね…と、
ジジババは
その様を想像しながら
楽しんでいた。





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