『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

美女ビジョ

2019-08-31 04:30:00 | 食物・飲物
昨晩は、ナツが
インターン先で
イセエビを2匹も頂いてきたので
驚いた。

活きてはいなかったので、
お造りにはせず、
そのまんま五右衛門みたいに
“釜茹での刑”にした(笑)。



茹でる前は
でっかいザリガニみたいだったが、
茹でたら途端に美味そうな
でっかい海老になった(笑)。

日ごろから
グルメ番組をよく視てるので、
めったにはない機会だが、
イセエビの食べ方は知っていて、
頭と胴を持ってグルリと回して身を外し
まずはミソのついた部分をガブリと
かじりつく。

いや、ンマイのなんの!

そりゃ、そーだ(笑)。

なにせ伊勢海老様だもん。

盆と正月が
いっぺんに来ないと
食べられない高級品である。

こういう高級素材を見ると
思わずフレンチに仕立てたくもなるが、
しかし、鮮度のいいものは
素材の甘味・旨味が
十分に感じられる
網焼き(グリル)とか
塩茹で(ブレゼ)でいい。

結婚式などでは、
半分に梨割りにして、
表面をグラチネした
【テルミドール】というのが
古典的定番である。

それから、
身を輪切りにして
メダイヨン(メダル状)にして
上からブールブラン・ソースを
かけ回したものもよく見かける。

伊勢海老は
フレンチでは
「ラングゥースト」と言う。



毎週、英語の勉強に
Eテレの『クール・ジャパン』を視てるが、
時折、登場するスウェーデン人の
ヨハンナちゃんが超美人で、
いつも見惚れている。

北欧人らしい
金髪に白い肌は
なんだか「女神様」オーラがある(笑)。



ティーカップのブログには、
ヤフオクの画像広告が入るが、
時折、目を惹くモデルさんがいると
画像処理して人物画に仕立て上げて
悦に入ってる。

これも絵画的なポーズで、
衣服と肌の露出加減が
いい按配だったので、
素材として惹かれた。

小磯良平っぽい
感じにしてみたかったが、
やや写真風になっちまった。




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デブ蛙?

2019-08-30 05:45:00 | 健康
きのうは
風邪による体痛も癒えて、
こりゃアリガタイわい・・・と、
思ったが、気力は低下気味で
いつもの散歩に出る元気はなかった。

なので、
近所への買出しにも
クルマを出した。



ツタヤにも寄って
レンタル・コミックを
一冊借りてきた。

毎度、思うことだが、
自分は世間の流れに反して(笑)、
頭から突っ込んで
駐車する派である。

このテーマは
Eテレの『クールジャパン』でも
取り上げられていた。

「なぜ日本人は、
みな前向き駐車するのか?」

ことに、
バック車庫入れの苦手そうな
オバハンやオネーチャンらが、
なんども切り替えしして
モタモタ通行を遮られると
イラッとすることがある。

ならば、
頭からスッと入れて、
そのまんま尻から
スッと出たらいいのに・・・と、
いつも思ってしまう。

自分がオカシイのかと思ったら、
『クールジャパン』の外人さん方は、
一様に前進駐車の方が
合理的だと言っていた。

そーだよねー(笑)。

直角に入った時の
前輪の角度を保ったまま
(ハンドルを切らずに)
そのままバックすれば
いいんだもん。



ゆんべは
7時から
ソーちゃんの
【叡王戦】があった。

持ち時間1時間の
短期決戦だったが、
初戦で初手合いの
村山七段に敗れた。

相手は一昨年の
NHK杯優勝者である。

ソータは
NHK杯との合性がよくなく、
ここ三年、二回戦を
突破できずにいる。

昨晩も
ブルーのクレリック・シャツを
着ていて洒落乙だったが、
どーもこの格好で連敗しているので、
ちっと験が悪いんじゃないの? ソーちゃん
・・・と、老爺心で懸念している。

今度の日曜には、
谷川九段との
注目の大一番があるので、
それを今から楽しみにしている。

【やせ蛙 負けるなソータ これにあり】
・・・である。



右中指の第一関節の上に
ミューカスシストという
へバーデン結節による水泡ができている。

案の定の、
その部分の間接を曲げると
ズキリと痛みが走る。

家系的な遺伝病とはいえ、
難儀なものを背負ったものである。

後天的には、
ギタリストやピアニストなど、
指を酷使する演奏家に多いというが、
加齢も主要因なので、
【家系・酷使・加齢】と
三拍子そろっては
どーにもお手上げである。

あとは、
早く変形部位が固まってくれて、
洪水地みたいに
自然に“水が引く”のを
待ってるよりない。

あ゛~!!
イテ~よーぉぉ・・・。

。・゚・(ノД`)・゚・。

【デブ蛙 負けるなオサム これにあり】(笑)

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プチ・レジャー

2019-08-29 06:58:00 | 
いまだに就寝時は
タオルケットで休んでいるので、
ここの処の朝方の寒さでやられたのか、
おとつい辺りから
寝起きのカラダが痛くて
仕方なしに鎮痛薬で凌いでいた。

そしたら、
頑丈一式のカミさんも
ダルクて仕方がない、
と珍しくボヤいていた。

いまだ真夏モードの自律神経系が
ここ最近の長雨、低温、高湿度で
適応不全なのかもしれない。

おなかも張って
ゴロゴロいってるので
整腸剤も呑んでおいた。

幸い週末はオールオフなので、
来週の仕事に備えて
養生しようと思う。



きのうは
午前にはカウンセリングがあり、
夜からは宗教セミナーだった。

合間の時間には
夕飯の買い物がてら
久しぶりに県立図書館に赴き、
家で読んでいた本をリュックに入れて
書香につつまれた館内の一角で
2章ほど読み進めた。

この休み中の
「海行き」で、
相馬の古書店で買ってきた
『海辺のカフカ』を
上下巻で800頁ほどだったが、
面白く読了した。

相変わらずの
ハルキ・ワールドで、
不思議な世界観に
誘ってくれた。

小説や物語には
教訓や教養めいたものを
求める必要もなく、
読後に
「あ~。面白かった」
となれば十分である。

昨晩のセミナーでも
話題になったが、
我々はこの一つの宇宙(ユニバース)で
一回性の人生を過ごす、
という大前提があるので、
他の可能性や多くの人生を垣間見たい
という欲求から『物語』を
希求するのだと思っている。

それを、
自分の場合は、
漫画・小説・映画・ドラマという
ソフトによって満たしている。

ギターやピアノ音楽を
聴いたり、弾いたりすることでも、
作曲家の人生をなぞるような
気分を味わうことができる。

そして、
自らもファンタジーや物語、
小説、童話、怪談なぞを
細々と創作しては
ネットに発表したり
冊子化してきた。

河合先生は、
世界にある物語のパターンは
出尽くした感があるが、
カウンセリングでお会いする方々の
生き様には、それぞれに
独自な物語がある、
と仰っていた。

なるほど、
それには同じカウンセラーとして
いたく同感である。

自作冗句に
【乞食とカウンセラーは、三日やったらやめられない】
というのがある。

まさしく、
「事実は小説より奇なり」で、
これまで、
多くの人たちの人生を
垣間見てきたが、
そのダイナミズムに
心奪われるのは
生来の「物語好き/人間好き」
なのかもしれない。



この夏休み中の
“取って付けたような”
プチ・レジャーの画像を整理しながら
それぞれの想い出を
反芻して味わっていた。

「塔のへつり」と「大内宿」は
とりあえず「行ったなぁ・・・」
という程度で満足した。

裏磐梯では、
カミさんと幼いナッちゃんと
三人で泊まった
一泊2.500円の「イチロー莊」が
つぶれていた。

名前もユニークで、
お婆ちゃん一人でやってたので、
さすがにもう続かなくなったのか、
あるいは亡くなられたのかもしれない。

ボロっちい木賃宿だったが、
それなりに昭和中期の風情があった。

訊けば、
爺ちゃんの名前が
「イチロー」だったというが。

裏磐梯で温泉付きで
一泊2.500円というのは、
他にはない破格の宿だっただけに
残念ではある。

元々古い宿が
廃墟然として鬱蒼とした
森んなかに佇んでいると
なにやら心霊スポットに
見えなくもなかった。

***

数え切れぬほど訪れている
松川浦では、
はじめて寄ってみた
結婚式場併設のレストランで、
ランチに食した
「相馬産の丸蟹のパスタ」が
濃厚なカニミソ風味で
いまだに脳裏に残っている。



のっぺりした日常に堕さないようにと
「初めて・珍しく・久しぶり」
という〈変化のキーワード〉を
日常に実践している。

そんなんで、
街出のついでに、
初めて〈平和通り〉の
地下駐車場に入ってみた。

完成したのは
震災以前かもしれないが、
いまだかつて利用したことがなかったので、
この機会に地下に潜ってみた。

あの上下6車線の
大通りの地下に潜るというのも
なんだか不思議な気分がした。

お目当ての地上のカフェに
最も近い駐車場所を探り
そこからエスカレーターで
地上に出てみたら
「ビンゴーッ!!」
であった(笑)。

こんなグタラナイことでも
ちょっとしたゲーム性が
あるものである。

なにせ
ライフ・モットーが
【人生を遊ぶ】
であるから、
この世を楽しむために
生れてきたのである。

そのための
カラダと意識だと
思っている。



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お洒落&懐石

2019-08-28 08:24:00 | オシャレ
夏休みは明けたが、
週勤二日の
セミ・リタイアメントの
〈半隠居〉暮らしなので、
平日休をどーすべぇか・・・
という、その日の
〈クリエイティヴ・プラン〉に
悩むことがある。

生来、タレカ(怠惰)な性格なので、
寝ていようと思えば、
一日中でも根っこが生えるほど
寝ていられるので、
何かしら自分に課題やら
使命を与えないと、
駄々羅な老後・晩年に堕しかねない。

日々を〈クリエイティヴ・リタイアメント〉
とまでは、なかなか、いかないが、
「晩飯作り」という
家事があってくれるおかげで、
買出しやら仕込みやら
「料理好き」の趣味が
満喫できている。

「仕込み」は朝から始まり、
休憩を挟みつつ午後も行い、
出汁を取る、マリネする、
煮炊きして味を含ませる、
晩に完成させるために
素材を切り分けておく、
器の組み合わせを決める・・・
などなど時間をかけてやる。

***

「食べ歩き」も
趣味の一つだが、
高校生の頃から
ラーメンは何処そこ、
カレーはあすこ・・・などと、
いっぱしのグルメ・ガキだった。

給料取りになってからの40年は、
鮨屋巡り、フレンチ行脚、
懐石店探訪も納得いくまで
やってきた。

料理学校なぞ行かずとも、
美味しい店と不味い店を
ことごとく味わいつくしたら、
さすがに自分にとって
どんなものが美味しいと感ずるのか
馬鹿でも解ってくる。

インプットしてきた経験値を
アウトプットすれば
自分好みの
料理ができあがる。

味・見た目・香り・食感の
組み合わせは無限で、
それはやはり
アート(技芸)の範疇にある。

本物を味わい、観て、嗅いで、確かめて、
納得して体得できれば、
それは自分のものになる。



きのうは、
朝起き掛けに
ふと高橋さんの顔でも見て、
ちっと駄弁ってくっかぁ・・・と、
朝一でお店に予約電話を入れた。

クロークにずらりと吊り下がってる
半袖シャツのどれを着べぇかと、
ひととおり検討し、
クレリック(襟白の柄物)の
ボタンダウン・ブルー・ドットをセレクトした。

着道楽の教科書でもある
『王様の仕立て屋』に
ボタンダウンのボタンを外すという
「真行草」の「草」技があったので、
それに倣って、空いたホールに
サファイア・タイプのスワロフスキーの
カフリンクスを装着してみた。

ガラスと台座・ピンを
別々に購入して
自作したものである。

本来、コンサートで
ドレス・シャツの袖口を飾るものだが、
スーツのラペル・ピンにも代用するので、
これも「有り」ということにした。

いささかザーキー(気障)だが、
もしかしたら、
これはオリジナルのお洒落かも
しれない。

「青・黄・緑・桃・黒・透明」の
6色あるので、
それぞれシャツの色との
コーデも楽しめそうだ。

格式あるレストランや
懐石店に行くときは、
半ば仮装行列気分で
ドレス・アップして
貧相感を払拭することにしている。

***

きのうは
最廉価の懐石ランチだったが、
「粟麩」というのを
煮物椀(お吸い物)で頂いて、
ちょっと感動した。

茶懐石なので、
最後に〆のお薄が供されるが、
薄手の夏茶碗がすこし傾(かし)いだ
蹲(うずくまる)形(なり)をしていたのが
趣があった。

同時に、釉薬の垂れや
傷の景色をも味わえるのは、
自らも茶を嗜む
茶人であってこそかもしれない。

わずか三席のカウンターで、
目の前には料理長自らが
調理して手ずから供して下さる。

いつもカウンターには他客がなく、
一客一亭の趣で
料理談義なぞをしながら
美味しく楽しく
過ごさせて頂いている。

きのうは、
よく観る篆刻の扁額の代わりに
版画による「平泉の毛越寺」夕景が
飾られていた。

京都から帰福してすぐの年、
一ノ関での宗教セミナーの帰りに
毛越寺を訪れたことがあるが、
正直、京都の名刹・名庭を
鑑賞してきた眼には
いささか間が抜けて
垢抜けしなかった記憶がある。

***

食レポは、
「グルメ」サイト
(https://sun.ap.teacup.com/8867/)
に詳述した。



M1(院生1年)のナツが
二本松での6週間もの
企業研修のため帰宅しているが、
アパートで育てている植物たちも
一緒にもってきて、植え替えやら
水遣りをしている。

こういう処は、鉢物好きの
大学ん時の生物学研究会「植物班」の
カーチャンの遺伝子だなぁ・・・と、
微笑ましく思ったが、
よく見ると実のなるレモンやら
オリーヴやらイチジクやら、
こっち方面はトーチャンの
遺伝子かもしれないと思った(笑)。

なにせ、
保育園児の頃は、
前宅で毎日のように
通園前に、二本のイチジク大木から
熟した実をもいでは
ふたりでウンコ座りして
「ンマイねぇ・・・」
と味わっていた。

なので、
彼の卒園アルバムでの
「すきなたべもの」には
「いちじく」とあった(笑)。

【三つ子のタマシイ百まで】
とは、よく言ったものである。

***

書斎にある
M先生から株分けして頂いた
パイナップルが
すくすく葉を伸ばしている。

うまく枯れなければ、
孫世代の実がなるやもしれぬ。

烏城焼の今井さんの花入には
さしておいた紫陽花の枝から
根っこが生えてきて
新芽を出してきた。

***

アキのお友達との4人合宿やら、
フミと彼女さんの連泊やらで
格好の宿所になったお茶室が、
まだ復元されないままでいる。

やっと猛暑も峠を越えたので、
そろそろ手前畳を敷いて、
道具を並べようかと思っている。





勤務日で見れなかった
ソータの棋戦は
快勝だったようで、
9/1に谷川九段と公式戦初の
対局となった。

800円の有料中継だが、
さっそくチケット決済した。

谷川九段とソータには
有名なエピソードがある。

まだ幼児の頃のソータが、
公開対局をした時に、
ソータが負けそうになったので
谷川九段が途中で
「引き分けにしようか・・・」
と声をかけたら、
大泣きして盤にしがみついて
誰がなだめても止まなかった。

仕方なく、
お母さんが連れてこられて
やっと盤から離れたという(笑)。

後で聞いたら、
もっと将棋を指し続けていたかった
のだという(笑)。

その後のソータの
快進撃、天才ぶりに
谷川九段はしばしば
テレビで解説を担当し
自著でも絶賛している。

はたして、
元祖・中学生棋士にして
元名人・元会長・
タイトル27期ホルダーで、
羽生永世七冠と並び
棋界の「天才」と称されてきた
谷川九段と「四百年に一人の天才」の
対局はいかに・・・である。

♪( ´θ`)ノ ワクワク!!

29連勝した時の
中2の頃のソータ語録・・・

【将棋に興味を持って頂ければ、私も冥利に尽きるかという感じです】

(°O°;) アングリ

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社会復帰

2019-08-27 06:41:00 | 風景
きのうは
6週ぶりに
学校通勤してきた。

すでに始業式は終えて
学校は通常に始まっているので、
やっとSC参上といった
気分であった。





旧宿直室を
カウンセリング室に仕立てたので
エアコンがなく、
この日も30℃まで上がるとあって
熱中症対策として
家からアイスバンドや
氷結パックをいくつか持参した。

どうにか
28℃どまりで、
風も吹いて、日差しは
柔らかだったので
助かった。

帰途には
凄まじいばかりの
夕立に遭い、
一時ワイパーが効かないほどで
ヘッドライトを点けて
走行するようだった。

まだまだ、
夏の名残りはあって、
今しばらくは残暑にも
注意しなくっちゃ、と思った。



ロンバケの6週の間に
幾度か地震もあったので、
壁の額縁がズレ曲がっていた。

プーさんは
落ちもせず、
「やぁ。久しぶり」
と、両手を挙げて
挨拶してくれたようだった。

駄々羅な6週間に
渇を入れるかのように、
数枚もの生徒の行動記録に目を通し、
紹介ドクターからの返信を
カルテに貼ったり・・・と、
ルーティン事務が戻ってきた。

執務記録用の万年筆を握るのも
久しぶりだったので、
インク出の調整をし、
常備してるペン字のテキストで
20分ほどお稽古して
手書きの勘を取り戻した。

カウンセリング開始までの
空き時間には、
いつものように
新刊ジャーナル(学会誌)に目を通し、
〈心理臨床の現在〉を俯瞰した。

生徒指導会議を終えると、
6週間ぶりの
手製ベントーである。

ベント箱には
ダイソーのタッパーを
永らく用いているが、
これは二代目である。

オカズは全部、
前夜の残りもの(笑)。

豆腐の炊いたんのカケラ、
ビアソーセージ、
茄子の炒めもん、
オカカのふりかけ・・・
といった、至って茶色げな
貧相な見た目である。

しかも、
どんなに鞄のなかに
水平に入れてきても
出してみると必ず片側に
よさっている(笑)。

「寄さる」は、
ネットでは茨城弁となっているが、
フクシマでも
昔はよく耳にした言葉である。

「寄り集まる」という意味である。



我が家のカウンセリング室に
10年以上通われたHさんが、
ちょうど夢分析が
400時間になったので、
〈ユング研究所〉と同じ体裁の
【民間ディプロマ】を発行して
額装して差し上げた。

深層心理学や宗教哲学など
学際的アプローチの「魂理学」という
オリジナル領域を創出して
ちょうど20年になるが、
我が家をして
「国際魂理学研究所」
〈International Soulological Institute〉
としている(笑)。

「魂理学士」のディプロマは
洒落半分、マジ半分のものだが、
400時間もの夢分析/教育分析を受けた人は
プロのカウンセラーでも
なかなか居ないものである。

自分も京都で
阪先生に受けたのは
4年間で144時間であった。

公認心理師にも臨床心理士にも、
教育分析や教育カウンセリングを受けることが
資格取得の必須項目にはなっていないので、
それをせずになっている
カウンセラーがほとんどである。

自己分析を経験しない心理屋が
人様の心を分析するのは、
解剖実習をせずに
テキストだけですませて
外科手術をするようなもので、
まことに心許ない。

そういう
カウンセラーには
かかりたくないものである。

ただ、「うん。うん」と
受容だけされるか、
独自の身勝手な考えを
押し付けられるのが
オチである。





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