リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

絵について

2017-02-11 15:59:08 | その他
 こんにちは。西高東低、東京地方、昨日は5分ほど吹雪でしたが(?)、今日辺りが最後の部屋中(なか)陽だまりでしょうか。太陽がどんどん高くなります。といっているうちに陽がはいらなくなりました。どうせ雲で翳ってしまったけれど。
 
 さて、新聞はほとんどトランプ。
 皆様はワイドショーなど見る機会はないでしょうが、先日たまたま仕方なく見たところ、読売系の日本テレビで、トランプの入国禁止7カ国民の話で、なんでもアメリカのテロ犯人19人のうち、サウジアラビア人が14人いる、なんでサウジアラビアを禁止しないのか、といってました。人数等は記憶ですのでそういう趣旨だったとご理解ください。
 さらにイスラム国が、テロにはなんの支障はないしかえって味方が増えるだろう、と喜んでいる話を紹介し、日本テレビも、その通りアメリカのイスラムは過激化するだろうと危ぶんでいました。
 というわけで
 その1、多くの年寄りは、この程度までは中道右派のワイドショーでも勉強すんだね。とちょっと驚き、
 その2、なら、トランプの悪口はわざわざこのブログで書くこともないな、と認識しました。若人はどうか知らないけど。結局、世間はイジメ趣味だね。相手は権力者なんだからそれでいいけど。
 
 といっても、いつもオタクの話題ではどうかと思われますので、本日は少しだけ絵のことでも。
 休日のストレス解消策に、坂崎乙郎という、昔は有名な美術評論家の本を借りてきましたが、なかなか鋭いわりに踏み込みがない。まあ美学者ではなく評論家なのでそれでよいのですが。で、本人の代わりに少し踏み込もうかと。
 そも、絵というのは現実ではないのですな。
 当たり前だ、けれど、そう言い切れるところがすごいわけで。、、、すごかないか。
 そういう意味では、窓からの景色も現実っぽくない。冬だというのにあったかいし。
 って、あったかいのはここが部屋の中だからですが、そんなことはわからない。
 ただ、窓を開けると、「冬の現実」が迫る。現実というものはかくのごとく、すべて、「行為によって現実化する」のです、現実化して初めて現実だともいえる。
 ともかく、とりあえず絵は現実ではない。
 どうひっくり返しても、手にあたる額縁は痛いが表現内容は現実ではない。
 かくて、絵が力を持つためには、目で見たときに「驚かす」等の非現実的描写が必要なわけです。それは、もしかすると現実かもしれない認知の混乱を引き起こします。その混乱の人による好悪によって、まず、絵は評価される。ここでは絵は複製で十分。ほとんどの絵画愛好者は、現物をみることもなく、絵画を十分に堪能します。
 ついで、絵の「読み込み」過程が生ずる。
 人は、これは画家が作った仮象だ、と思い至ってから、絵をためつすがめつ見だします。この過程で今度は、画家の現実に入り込む。このときは現物がよろしい。人は画家の筆のタッチから画家の現実に移入します。
 もっともこの過程は小説の示すところの「現実」と同じ。単純に頭脳作業で、以下同文ということになるわけです。
 以上、美術としての絵画の本質でした。
 
 なに、ほかに、技芸としての絵画の本質というのもありますが、これは資本主義以前まで。支配者が幻想過程を握っていた時代まで。あ、なお、上部構造は幻想過程などではありません。現実の行為の過程です。
 
 ともかく資本主義以降の美術としての絵画は、先の非現実性を打ち出せないかぎりは美術の資格がありません。日常を描いて誰が認知の変換を迫られるか。
 そんな絵画は技術でしかない。具象風景や具象人物なんか描いて日銭を稼いでいてはいけない。
 坂崎氏はそのように主張しております。
 
 もっとも以上の文章で、坂崎氏の担当は初めの一歩、と終わりの一言だけですが。
 終わりの一文というのも暗いね。そんなに暗く生きなくてもよかっただろうとも思いますが、気質というより世代というものなのでしょう。
 
 さらになお、絵画論は次回配本ではふれません。例証を挙げていくスペースはすでになし。芸術一般論で終わりなのでご注意。
 
 
コメント
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