リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

態度が2つ

2014-06-28 21:34:10 | 断片
 こんばんはあ。
 はあ、へんですかあ。多少疲れたかなにかで。私の場合、すべてが気の問題。まあ病気かもしれないけど、それは気が悪くなったから。幸せですね、栄養のあるものを食べ屋根と壁のある家に住んで。

 とりあえず世間話のうさばらし、ほんとひどい、Word13(家人の)。Word10(会社の)もひどいけど。みんなよく我慢してられるねえ、我慢強い日本人と、何も考える感受性のない英米人。
 Officeは2003が絶頂。あとはクズ。10だの13だのは、Office97並みだね。わたしゃずっとOffice2000ですが(97以降、全種類使った)。
 もちろん一太郎、Atokのほうが良かったし、実際買ってもってたけど、頻繁にするWindowsのリカバリーんとき、オフィスはセットになってて簡単だったから。
 だいたいオフィスなんざ、新参者のソフトでさ。わたしらんときは、日本語ソフトはもちろん一太郎、表計算はLotus123って決まってたさ。
 英語ワープロっつったらWordPerfect。ちょっとあこがれ。でも一桁万円、6万円くらいだっけ? なんせ若くて貧乏で。
 ExcelはMACのしかなかったし。後から書いた本の中じゃwindowsでもあるってことになってるけどね、うそ。誰も使っちゃねえよ。そうゆうの「ある」っていわない。
 にしてもMacのExcel、かっこよくてさ。WordはくずだけどみんなExcel欲しさに「付属のパソコン」買ったんだね。ほんとは表計算ソフトは機能はLotusのほうが良かったんだよ。特に日本語機能がね。マックのエクセルはカッコばっか。でもかっこいいんだからしょうがないね。

 まあ、これはうさばらし。どうも日々すっきりしない。
 おかげさまで、使命仕事(本)もなんとかできて、あとはこの売れない詩人的文章をどの程度で見切りをつけるかということばかり。
 思うに私の人生て、この売れない詩人のような文章をどう人に見せるべく加工するかということで終始した、というところ。小学校等の作文やら、高校等の新聞やら(新聞部員)。
 結局、私など、ない能力をなんとかカバーしようとする、努力の人と規定すべきなんじゃないかね。それってヘレンケラーに近いんじゃないかね、畏れ多いから「のような」 とはいわないが。そのうえ、ほんのちょびっとも本気では思ってないけど。おりゃだいたい努力なんかせん。
 
 さて、体調とあせりでなにかと悪い折ながら
 
 こんなふうな話って、お友達のあなたに話してるじゃん、ていうか、あなたはお友達じゃなくても、ほんとはわたくし、友達でもないやつに何かを話す気、ゼロなのね。なのでトラックバックとかその他、宣伝作業には興味がないのですが、いやなら来るな、アホ、呼んでなんかねえぞ、みたいなもんで。
 しかし、複雑なことに、研究話というのは、他人に広めないと意味がない。そんな友達でもない人に話しをする自分て、まともじゃなくて、いや。
 でもさらに複雑なことに、世間で生きてると、そんなまともでない人間づきあいばかり。そんなこたあもう40年もやってるとして、じゃあどっちがほんとか、って、これはどうも好みではない、生きるためにはしょうがない、ということでしょう。
 というわけで、人生訓的結論。まともじゃなくてもしょうがない、それで死ぬのもやむをえない(話が極端だな)。人生ってそういうものだ。そういうものか知りませんが。
   おっとそう来たか、という私の中の感想ですけどね。

 
   いやほんと、中高年はとみにまともじゃなくてね、毎日自分がこわくて。
 
コメント
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