人気クイズ番組だった『クイズダービー』なんて覚えていますか。
この回答者の一人として、一世を風靡したフランス文学者篠沢秀夫教授という方がいました。
現在篠沢先生は、難病のALSに侵されて声を失い、動くこともままならない状態なのですが、それでも病魔と闘いながら前向きに執筆活動を続けています。
そんな篠沢先生の記事が昨年3月の「致知」に掲載されていました。
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致知2012年3月号
「我が闘魂は尽きず」 篠沢秀夫
この病気の徴候が表れたのは、平成二十年の春頃と記憶しています。舌がもつれて次第に発音が不明瞭になり、原因が分からないまま検査を繰り返していました。そして翌年の一月に東大病院に検査入院した時、筋萎縮性側索硬化症(ALS)という初耳の病名を宣告されたのです。
ALSは筋肉を動かすための神経が麻痺し、手足がしびれるなどして体が徐々に動かなくなる病気です。毎年十万人に一人が発病するといわれていますが、原因も治療法も不明の難病とされています。
私の場合は早い段階から呼吸機能に障害が出ていました。自力での呼吸が困難になる前に、手術で人工呼吸器を付けました。更に食べ物が気管に入ってしまう誤嚥(ごえん)を防ぐため、気管と食道を分離する手術を受け、完全に声を出すことができなくなりました。
…病名を告げられた時はショックでしたが、すぐに心を切り替えました。入院中、窓外の空を見つめる日々を送りながら、情報の無い時代に身の回りだけを見聞して生きていた古代人のことを思ったのです。明日を憂えるのではなく、過去を嘆くのでもなく、いまある環境だけを見つめる古代の心 ー それを「新古代主義」、フランス語で「ネオアルカイスム」と名づけました。
病気になったことを悔やんでいたら、心は沈みます。いまある姿を楽しみながら前進を続けよう。そして少し前進した人生の中で得た気づきを、同じ日本人に伝えよう。そう覚悟を決めて、毎日夕方の2時間は、入院中に習ったパソコンで、自著の執筆やフランス文学の翻訳をしています。
人差し指が少しもつれているので主に親指を使います。この執筆活動が、生きる支えとなっています。
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…長女が生まれて沸き立っていた昭和五十一年の十二月、知り合いから「『クイズダービー』に出てくれ」との依頼がありました。五人の回答者を競馬の馬に見立て、誰が正解するかを当てるクイズ番組です。
それまでは視聴率十五%前後を推移していた番組が、私がレギュラー出演した十一年間は、年間平均視聴率三十%の「お化け番組」に育ちました。
私は正解が少なく勝率が低い。けれども大学教授が当たらないというのが面白くて人気なのだと言われました。
実は出演を打診された時、番組のプロデューサーに「先生が当たらないような問題を出しますので、よろしくお願いします」と言われ、かえって出演への意欲が高まったのです。
クイズと学問は違います。クイズという場では分野を問わず、細々としたことを訪ねてきます。けれども知識とは構造的に考える手がかりに過ぎません。
入学試験や資格試験などの三択問題は、細かい知識を暗記するのが勉強という恐ろしい誤解を生み、何でも知っていなくてはいけないという強迫観念を社会に蔓延させました。この学問とクイズとの混同から脱却してこそ、あるべき知性の姿となると示したかったのです。
もう一つ、私には番組出演を通して発信したいことがありました。
「不得手なことはできなくとも笑っていればいい!」。このメッセージを全国の視聴者、とりわけ若い青少年男子に伝えたかったのです。
大学で教鞭を執りながら、男子学生が年々男っぽくなくなっていることを危惧していました。ここにいる自分を認めてほしがる。格好を気にする。上手くできそうにないことには手を出さない。
そんな彼らに対し、「他にできることがあればカッコ悪くなることを恐れるな」と、口では言えなくとも、テレビでそのありようを映像化してみせれば良いと思いました。
テレビ出演から全国的な知名度が上がり、講演などの依頼が増えると、不思議なことに気づきました。私が呼ばれるのは東北と越後の地方都市ばかりなのです。
ある時、東北での地方公演の後の会で、「キョージュが外れても外れてもニコニコ笑ってる、あれがいいんだよなあ」と涙ぐんだ一人に皆が同調するのを見て、はっと思い当たる節がありました。
東北・越後は、一八六八年の戊辰戦争で列藩同盟を組み、西から攻め入ってきた官軍に敗れた地域です。賊軍の汚名を堪え忍んできた心が今も残り、負けても笑い続けている私への共感を呼んでいるのではないかと思ったのです。
『クイズダービー』での私の姿が「負けて辛いのに耐えて笑っている」と捉えられていることは予想外でした。私自身は勝率にはこだわらないという姿勢は保っていましたが、クイズの矢が飛んできたその場では問題を真剣に考えており、外れた瞬間にはもう一歩考えれば解けたのにと焦ります。解答が外れることを気にしないから笑っているのではなく、気にしても笑顔でいるのです。
一々他者に認めさせなくても、「いまに見ていろ、オレだって」と目前の屈辱に耐え、人に見えない努力を続ける。自己のアイデンティティを温めて心に保ち、小さな自分を超える一歩を重ねればよい ー それこそが、映像を通して私が伝えたかったメッセージでした。
◆ ◆
(中略)
人生、何事も上手くいくとは限りません。一時の成功も振り返れば大したことではないと気づいたり、失敗して打ちひしがれることもあります。けれども心の苦しみについては、語らないことで耐えるしかありません。
悲しみは口にしないでじっとこらえ、やり直して明るく前へ進めばいいのです。困難に遭うたび、私は自分にそう言い聞かせて乗り越えてきました。
「前進 前進 また前進」はいまも昔も私の行動原理です。しおれそうな心を引き立てるこの考えは、子供の頃聞いた「歩兵の本領」という軍歌が元になっています。
退く戦術我知らず
見よや歩兵の操典を
前進前進また前進
肉弾届くところまで
いまある環境を楽しみながら、一つ、また一つ。一歩、また一歩。一日、また一日と、前進を続けていきます。
明るい心で。
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いかがでしょうか。クイズダービーを覚えている人には、答えが外れても「愉快、愉快」と笑っていた篠沢先生の姿が思い出されることでしょう。
その裏にこんな思いがあり、また今は難病の身でありながらなお前向きな人生を歩まれている篠沢先生に敬意を表したいと思います。
人生前向きに参りましょう。