都市計画学会北海道支部主催の都市地域セミナー、「景観を生かした"まちづくり"を考える」に参加してきました。
基調講演は、法政大学の福井恒明教授で、お題は「"まちづくり効果"を高める公共事業の進め方~全国の景観配慮の事例に学ぶ」というもの。
福井先生はまだお若いのに、国交省が主催する公共事業における挂冠創出に関する研究会の座長も務めるなど景観分野で活躍中の若手研究者。
今日の公演は、公共事業における景観配慮が地域のまちづくりにどのような効果を及ぼすのか、また、高価発言のためにはどのような取り組みを行えばよいか、などについて全国を見てきた事例を紹介しつつ、論じてくれました。
都市環境のデザインというものは、日常生活の多くの場面に影響を与えますが、すべてそうというわけでもありません。
またその効果についての定量的な効果を事前に示すことも難しく、やってみた結果としての成果しか残るものはありません。
それだけに、本来機能に加えて景観に関する部分を付けたして投資をするということの必要性がなかなか説明もできないのです。
やった結果、地域の何かが変わって、それが地価の上昇や商売の好調など経済的な付加価値に繋がればよいのですが、あくまでも結果でしかないともいえそうです。
私などは、目に見えて写真に写せる『景観』を評価したとしても、問題はその結果関わっている住民や市民の幸福が増したり誇らしくなった、などといった人の心にこそ成果がもたらされるのだろうと思うので、そうしたことへの評価に興味があるのですが、その分野はまだまだこれからの課題のようです。
また、景観という言葉そのものにも問題があって、上記で述べた写真になる風景というような狭い範囲で捕えずに、まちづくりとして捕えるべきだ、という話を福井先生から聞き、まさにその点では膝を打ちました。
景観づくりは人の心をターゲットにしたまちづくりというわけです。
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しかし、景観づくりに取り組むことで人々の心の中に新しい思いが生まれるという事例は数多くあります。
コメンテーターの大塚さんからは、福島県の裏磐梯で、道路の景観をよくする仕事を受けたところ、住民から「スキー場の看板が多すぎて景観が悪いんじゃないか」という声が上がったのだそう。
元々仕事を依頼した道路事業担当者としては、道路の外の景観という思わぬところへ飛び火した形でしたが、結果として県は景観法を活用して、公共の道路標識に置き換えて案内をするようにし、90枚もあった各スキー場の看板を撤去することに成功したのだそう。
その裏には、スキー場の側にも看板をつけないと他のスキー場に客が流れるという不安があってエスカレートし、看板の維持費用だけで数百万円以上がかかっていたということから、実はなんとか止めたいと思っていたようだ、という裏話もあったのだとか。
景観そのものを考える中で、地域のあり方とか一人一人のライフスタイルまで関心と考えが及ぶようになると、まちづくりの芽が出てくるという項事例と言えるでしょう。
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会場との意見交換では、最近美瑛の丘周辺ではおしよせる観光客に閉口して、農家が農地にフェンスを回したり名のある木に「×」マークをペイントして写真にとらせないような行動に出ている例もあるという話が出て、「景観が経済も潤わせずに迷惑にしかならない事例は何とかならないか」という切実な例が報告されました。
実際、地方自治体でも補助金や交付金の制限から、それに景観のための費用を足してまで事業をやろうという機運にはなっていないところが多く、次第に景観の効用や価値が語られなくなりつつあるような気がしています。
さらにいえば、景観のためにお金を出そうという主体が少なくなっているような気もします。
その昔だったら、大名や財閥、貴族の親分がいたりして、自分たちの影響の及ぶ範囲での美学を追及するようなパトロンとしての役回りがありましたが、昨今は大金持ちが相続税で解体され、地方自治体にも国にもお金がないと来ています。
だれが景観という分野で美しい町を後世に残そうとするのでしょうか。
そんなことを危惧しながらも、これからも心ある人たちに対して美しさを追求するような活動を続けてゆきたいと思います。
我々ももっと暴れなくてはいけないのかもしれません。
美しい町よ甦れ!