小学校2年生の頃に、お習字を習っていたことがあります。
当時やんちゃな私を、少しは落ち着かせようという親心だったと思いますが、私はそんなことはお構いなしにやりたい放題。
習字の先生は、口元とあごに白い髭をふさふさとはやして、着物姿が上品なお爺さん。
下手な字を書いた半紙を持って行っては、朱書きで訂正され、上手なところには丸を付けてくれたのを今でも覚えています。
あるときなどは、仲が良くてやはりいたずら好きの生徒と互いの顔に墨を塗りあって笑っていたのを、「こらこら」と叱られて、二人で雑巾で顔を拭いたところ、さらに真っ黒になって笑ったという思い出もあります。
そんな調子なのでとうとう筆文字は上手になりませんでしたが、今でも墨汁の香りを嗅ぐと何となく懐かしい気持ちになるのです。
そんな習字を習っていたある日、書き損じた半紙をくしゃくしゃと丸めて捨てたところ、お爺さん先生はそれを見て諭すようにこう言いました。
「君は紙に恨みがあるのかい?ないだろう?だったら書き損じた紙とはいえ、捨てるときは丁寧に折ってあげると良いでしょう」
私が約2年間、習字を習って今でも一番頭に残っているのはこの一言でした。
「紙に恨みがあるのかい?」
紙に恨みなどあるわけはありません。ただ面白がってくしゃくしゃに丸めて捨てていただけ。
その言葉を聞いてから、これまでの人生で、紙をくしゃくしゃに丸めて捨てることはなくなりました。
今でもいろいろなところで、イライラした様子で紙をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に投げ捨てる人をときどき見かけます。
エレベーターで行きたい階のボタンを壊れても構わないといわんばかりにバチバチと連打する人もいます。
ボタンに恨みはないでしょうに、誰かからそんな一言をかけられただけで人は変わるかもしれません。
「紙に恨みがあるのかい?」というのは、自分自身を見つめるきっかけになった、私の人生で特に強く心に残った一言なのです。