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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

ししゃも漁初水揚げ

2010-10-29 23:46:29 | Weblog
 10月28日は今年のししゃもの初水揚げの日。

 ししゃも漁は25日から解禁になっていたのですが、時化模様で漁に出られずこの日が初水揚げとなりました。ししゃも漁は午後に出漁して夕方に帰港、5時からセリが始まるというしくみなんだそうで、魚と言えばなんでも朝早くか夜遅くに行われると思いこんでいた私にはちょっと意外。

 もう日が落ちようとする頃に、寒い風に吹かれながら船で捕れた魚を岸壁にあげ、魚種を選別して木箱に入れる。ししゃも漁とはいえ、ししゃもだけがねらったように取れるわけではなくいろいろな魚種が混獲されるので、ししゃもだけを分けなくてはいけないのです。


               【夕日にししゃも漁とは絵になります】


「ちょっとこの魚の匂いをかいでみてください」案内してくれた水産課の担当者に言われて、ししゃもよりもちょっと大振りの魚の匂いをかいでみるとなにやら青臭い匂いがします。

「キュウリの匂いがしませんか。この魚はキュウリウオ、通称キュウリと言ってます」


               【これはキュウリウオ、ししゃもより大振り】


 ちょっと大振りなキュウリウオですが、実はししゃもも分類的にはキュウリウオ科の魚で、キュウリに似た匂いがします。安く出回っているカラフトししゃもやノルウェー産ししゃもなどもキュウリウオ科の魚で一見区別がつかないのですが、あちらはカペリンという別な魚。

 「ししゃも」とは呼んで欲しくないのだけれど、そこはビジネスの世界。値段の差と味の差の関係が難しい。

    ※    ※    ※    ※

 午後5時から第五魚揚場でセリが始まりました。一箱13kg入りの魚箱が積み上げられて値段が決められます。


               【ししゃもの魚箱が積み上げられています】


「ワンワンワン…(何を言っているのかさっぱり分からない)」「ターッ」で値段が決定したらしい。

 現場の方にこっそり伺うと「『ターッ』というのは『買ったーっ』の『たーっ』ですよ」とのこと。

 ししゃもの場合は下げセリといって、値段がどんどん下げられて行く途中で値が決まるセリの方式なんだとか。今日のししゃも、浜値は590円/kgだったそう。


               【セリの緊張した雰囲気】


「理想を言えばキロ千円欲しいところさ。シーズンで300トンくらいの漁獲を期待しているからそれで3億円の売り上げ。キロ800円でもまだ何とかなるけど、590円じゃあねえ…。それじゃ年に1億ちょっとくらいだろ。皆だんだん嫌になってくるさ…」

 もっともっと本物のししゃもを味わって食べましょう。今からが旬なんですから。

    ※    ※    ※    ※

 この日は体長40cm以上のマツカワカレイもたくさん上がっていました。

「カレイも刺身が旨いマツカワガレイと煮物が美味しいババガレイ(ナメタカレイ)などの違いがよく理解されていないみたいですね」とは水産の担当者の弁。
「刺身だとやっぱりヒラメが美味しいと思っていましたけど」

「ヒラメは獲ってからは旨味がどんどん落ちて行きますが、マツカワは落ち方が緩やかで旨い状態が長続きするという研究結果もあるみたいですよ」

 日高地方では「王蝶」と呼ばれて高級魚として認識も高まりつつあります。

 魚をもっと食べましょう。



               【マツカワガレイは大きいですね】
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【おまけ】条件不利を生き延びる~太平洋炭鉱の歴史

2010-10-29 01:49:22 | Weblog
 動物園へ行った帰りに釧路博物館へ立ち寄りました。炭鉱と石炭についてどうしても知りたかったことがあったので、石炭のことに詳しい学芸員のIさんに会いに行ったのです。

 数多あったはずの道内の炭鉱の中でも、釧路コールマインとして今なお年間約60万トンほどの石炭を掘り続けているのが元の太平洋炭鉱です。

 歴史的に見ると江戸幕府によってはじめて石炭採掘が行われたのは安政3(1856)年のオソツナイ地区でのことでしたが、炭層が浅かったり石炭の船積みに不便だったことから短期間で終了してしまいました。

 明治になると春採湖周辺で採掘を始め、海底へと坑道屈伸を始めたのが昭和21年で、同年8月には海底下の切羽採炭を開始しています。そしてこの時から当鉱の飛躍が始まりました。

 ピークの算出は昭和52年のことで、年間約261万トンを生産しこのとき年度末従業員数は約3600人もいたのです。

 やがてエネルギー源が石炭から石油に代わり、次第に炭鉱は閉山してゆくことになります。

「釧路の石炭の炭質はどうだったのですか?」と私。
「石炭の質と言えば、カロリーがどれだけ高いかでほぼ決まりますが、中の上か上の下あたりでしょうか。石炭が燃えるときには、ぱっと燃えて灰になる性質のものと、ねちゃっと粘りながら燃える性質のものとがあるのですが、釧路炭鉱は前者のぱっと燃えるタイプ。こういうのは発電所などに向いていて、後者は製鉄に用いられます」

「ははあ、だから今でも火力発電所に持ち込まれるんですね」
「そうです」

「そんな中の上くらいで結果としてずっと炭鉱が存続している理由はなんだったのでしょうか」
「中の上というのは条件的にはあまりよくありませんよね。道内にはもっと高カロリーで上質な炭鉱がたくさんありました。しかしそういうところでは簡単に採れる上に高く売れて儲かるために、安全対策や機械化への投資などが労使ともついおろそかになりがちでした。結果として事故につながってやっていけなくなるというところが多かったのです」

「なるほど」
「しかし逆に太平洋炭鉱の場合は条件が不利でしたから、早くから機械化による合理化に努めるとともに、ひとたび大きな事故を起こしてしまえば補償などで事業が立ち行かなくなるという危機感があって、安全対策にも相当力を入れました。そしてそれでも売って儲かるような事業計画を進めてきたのです。結果としてそういうところが残ったというのはある意味では必然のように思います」

「そういうことだったのですか。石炭の歴史もしっかりと押さえておかなくてはいけませんね」
「この辺りには東北の鉱山で働いていた人たちがかなり多く入ってきました。東北には『友子制度』といって、炭鉱に従事する人たちが互いに助け合うという、親と子の関係にも似た互助会のような制度が見受けられましたが、これらは東北地方によくみられる制度で、それがこちらにも入ってきた様子がうかがえます。石炭の歴史も面白いですよ」

    ※     ※     ※     ※     ※

 有利な条件の炭鉱が早々と姿を消してゆく中、条件の悪いところがそれを補うための合理化や先進的な安全対策を取り、結果として最も長命となるというのは皮肉なことでしょうか。

 いいえ、まちづくりでも資源や豊かさに甘んじて埋没することもあれば、苦しいからこそ住民が一致団結して地域なりに質素な幸せを満喫することだってありそうです。

 釧路は豊かで油断するまちなのか、苦しさを逆手に取れるまちなのか。 
 自分たちの意思で変えられるのは未来だけです。


【ついでに】
 博物館一階では12月12日までの期間で、トミカのコレクションをお借りした展示会を実施中。よくぞこれだけ集めたなあ、と驚きました。

 キーワードは「バリエーションとの戦い」なのだそうですが、持ち主の執念が伺えます。車好きにはたまらないかも。



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命について考える動物園

2010-10-29 00:13:30 | Weblog
 時間ができたので釧路動物園を訪ねて、前回見られなかった残りの施設を見せてもらいました。

 こちらの人気者がアムール虎のココア。2年前にここ釧路動物園では三頭のアムール虎の子供が生まれました。しかし母虎が産室ではなく、園舎の中で産み落としたために飼育員が気付いた時には小さな子虎たちはぐったりしていて誰もが三頭とも死んだと思いました。

 しかし母虎を別室に移した後で拾い上げてみると、ぴくりと小さな体が動いたんだそう。

「おい、生きてる!」

 そこから飼育員たちと子虎たちとの格闘が始まりました。一匹はすぐに死んでしまいましたが、タイガとココアと名付けられた二頭には、38度のお湯で体を温め、飼育員たちが交代でさすり続けたんだそう。

 しかしそこで子虎の下肢が以上にねじれているのに気が付きました。ずっと後になって分かったことは、この二頭は軟骨形成不全症という障碍によって、骨盤や関節が正常に形成できていなかったのです。

 障碍を持った子供の虎。他の動物園であれば知られないように薬殺されたかもしれません。しかし釧路動物園はそれを助ける選択をしました。

 足が動かないために糞尿を洗い落とすのも難儀。母虎の初乳も飲めなかったので飼育員が猫用のミルクで育てました。

 歩くのは無理だと思われていたのが、飼育記録を撮影中に見事に立ち上がり、その映像を入手したテレビ局が全国放送したことで一気に注目を浴びて日本中の人気者に。

 その後行われた臨時公開でも声援を送る人が多数訪れ、やがてタイガとココアのために募金活動まで始まるほどの一大フィーバーとなりました。

 残念ながらオスのタイガは昨年8月に餌をのどに詰まらせてなくなってしまいましたが、ココアの方は体格もよくなって今でも元気に園舎を動き回っています。命とは何かを考えさせられます。


               【今も元気なココア】



               【亡くなったタイガの部屋】


    ※     ※     ※     ※     ※

 実は釧路動物園には、全国で唯一のタンチョウ保護増殖センターが設置されています。これはタンチョウが自然状態で安定して存続できることを目的に昭和57年に設置されたものです。

 特別天然記念物であるタンチョウを保護したり育成したりできるのはここだけ、ということなのですが、タンチョウは今では生息数が千羽を超えたとも言われていて、事故にあったりケガをしたりする個体も増えています。

 そしてそこに人間が介在すると助けられたものはこちらへ持ち込まれることになります。

 タンチョウ保護増殖センターとしてはそうしたタンチョウが持ち込まれれば精一杯助けるように努力をすることになりますが、翼やくちばしが折れてしまったような傷病鶴は年々増えています。

 そんな鶴たちは自然界は生き延びることができないと思いますが、助けられるのが良いのか、それとも自然界で土に還るのが良いのでしょうか。


 釧路動物園は「命」について哲学できる動物園かもしれません。  



               【傷病鶴はこの園舎の中で保護されます】
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