goo blog サービス終了のお知らせ 

北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

【おまけ】「寄らしむべし知らしむべからず」とは…

2010-10-18 23:48:20 | Weblog
 二重の意味で興味深い記事を読みました。『寄らしむべし知らしむべからず』とはよく耳にするんだけど…。


---------------≪ ここから引用 ≫--------------

【MSN産経ニュース】【政論】仙谷長官は、自分の姿を鏡に映したことがあるのか
 http://bit.ly/bPU6oj

 仙谷由人官房長官は、自分の姿を鏡に映したことがあるのか。15日まで4日間続いた衆参予算委員会で仙谷氏がその場しのぎに繰り返したウソ、強弁、はぐらかし-を拝聴し、「他者の目にどう見えるか、よほど分からない人なのだ」と得心した。その言葉は国民を欺くどころか、自らの過去も裏切っているが、自己矛盾は感じていないようだ。

 論戦で最大の焦点だったのは、沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件への政府対応の是非だった。野党側は、海上保安庁の巡視船が漁船に体当たりされる場面を撮影したビデオテープの公開を強く求めたが、対応を一任される仙谷氏は言を左右にして態度を明確にしなかった。

 「テレビ報道は国民に影響力を持っている。ビデオをどのようにどういう範囲で公開するかは、もう一工夫、一ひねり考えないといけない」

 要は「なるべく公開したくない」ということなのだろうが、これは国民の「知る権利」を踏みにじる発言だ。菅直人首相が8日の代表質問で「最終的に外交の方向性を決めるのは主権者たる国民だ」と答弁したこととも矛盾する。そもそも首相は1日の所信表明演説で「(外交は)国民一人ひとりが自分の問題としてとらえなければいけない」と訴えたではないか。

 もう一つ指摘しよう。仙谷氏は政権交代直後の昨年9月20日の民放番組で何と言ったか、お忘れか。

 「戦後自民党政治は『寄らしむべし、知らしむべからず』でずっと来た。陰でこそこそという部分があるから国民が政府のやっていることを信頼しない」

 中国人船長釈放の判断について、仙谷氏は「政治は関与していない」「判断の主体はあくまで刑事司法の担当者」と繰り返した。

 だが、裁判所と異なり、検察は一行政機関である。

 「政治と行政の関係で政治がとるべき責任をとろうとしない。その辺が現在の政治家不信を生んでいるのではないか」

 (…以下略…)

---------------≪ 引用ここまで ≫--------------

 この記事の中で気になったのは仙石さんの「戦後自民党政治は『寄らしむべし、知らしむべからず』でずっと来た。陰でこそこそという部分があるから国民が政府のやっていることを信頼しない」という発言。

 『寄らしむべし、知らしむべからず』というのは、論語泰伯編の『民はこれに由らしむべし知らしむべからず』から来ていて、このなかの『べし』というのは『可し(=can)』であり現代文の『○○すべし(=should)ではないと習いました。

 ちょっと前の岩波文庫の論語では解釈分は「人民を為政者の施政に従わせることはできるが、その道理を知ってもらう(理解させる)ことはできないものだ」という意味になっていたものです。

 かつて団塊世代の評論家たちはわざとなのかこの言葉を用いて、仙石さん流の解釈で政府の批判をしていたものですが、そのときはだれか正しい意味を教えてあげてほしいと思っていました。


 ところが改めてネットでこの言葉を調べてみると、上記の解釈に加えて「転じて、為政者は人民を施政に従わせればよいのであり、その道理を人民にわからせる必要はない」という説明が加わっている。

 こんなのあり?誤った解釈の方が堂々とまかり通って、古典における人間社会の真実を伝える意味が失われようとしているとは。

 誤りをだれも指摘しないから、嘘も百回言えば真実になってしまうのでしょうか。教養が失われてゆくなあ。

 もっとも記事の中でも『寄らしむべし』というところでもう間違っているんだけどね。うーん…

  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

結核は過去の病気ではありません

2010-10-18 23:05:17 | Weblog
 内地にいる知人と電話で話をしていたら、「最近結核にかかったことが分かった」という衝撃の発言が。

「そもそもなぜ結核と分かったんだ?」
「定期健康診断で肺のレントゲン写真を撮るだろ?それってたかが10センチ四方くらいの写真なんだけど、それを見た医療技術者が影を見つけたらしい」

「それですぐに結核と分かるのかい」
「いや、一応大きな病院で見てもらった方が良い、という指摘を受けて、周りにいる医者に相談したんだけど、『見てもらって安心すればよいのではないか』というので、再診断を受けたんだ。そこでもっと大きなフィルムで写真を撮ってみるとやっぱり影らしきものがあった」

「咳が出るとか自覚症状は?」
「なかったね。でも大きな写真の次にCTを撮り、最後は血液と胃液を検査して8週間かけて菌を培養してみたらやっぱり結核菌が出たってわけさ」

「他人に移すんじゃないか?隔離されたりしなかったのか」
「それは保健所の方から指示があって、一応隔離はしなくて良いけれど大人数での会合には出ないように、というお達しさ。薬を飲んでいるけれど、肝臓への負担がかからないように禁酒令が出されてこの一か月本当に酒を飲んでいないんだ。ストレスもたまるよ。それに9月のくそ熱い残暑の中を、駅から職場までマスクをして歩く10分間が地獄だったよ」

    ※     ※     ※     ※     ※

 病院へ行くと壁に「結核は過去の病気ではありません」などといったポスターが貼られているのを見たことがありますが、身近な友人に本当にそんなことが起きるとは驚きました。

 しかし何より驚いたのは、毎年受けている集団健康診断でそれが分かったということ。私自身(こんなレントゲンで何が分かるのかな)とどこか小ばかにしていたところがあったのですが、日々行われる大量で単純な作業の中から、受信者の微妙な徴候を見逃さなかった現場医療技術者のスキルに脱帽です。

 まさにプロの魂を感じました。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする