雪印乳業がなくなるのだそうです。北海道が生んだ一大ブランドでしたが時の流れに勝てなかったのでしょうか。
---------------≪ ここから引用 ≫--------------
【Lnews】雪印メグミルク/日本ミルクコミュニティと雪印乳業を吸収合併 2010年10月14日
http://www.lnews.jp/2010/10/38323.html
雪印メグミルクは10月14日、100%子会社の日本ミルクコミュニティと雪印乳業を吸収合併を決めた。
統合シナジー効果の早期最大化をと組織力をより強化した体制を構築し、企業価値向上を目指すため2011年4月1日付けで吸収合併する。
なお、雪印メグミルクは、2009年10月1日に日本ミルクコミュニティと雪印乳業が経営統合し、両社を完全子会社とする共同持株会社として設立された。
合併は雪印メグミルクを存続会社とする吸収合併方式とし、日本ミルクコミュニティと雪印乳業は解散する。
合併後の状況
吸収合併存続会社
商号:雪印メグミルク(株)
本店の所在地:北海道札幌市東区苗穂町六丁目1-1(登記上の本店)
東京都新宿区本塩町13(本社)
代表者:代表取締役社長高野瀬忠明
事業内容:牛乳、乳製品および食品の製造・販売等
資本金200億円
決算期3月31日
---------------≪ 引用ここまで ≫--------------
雪印乳業の前身は、日本酪農の父と言われる黒澤酉蔵が大正14年に作った北海道製酪販売組合連合会(通称「酪連」その後「北海道酪農協同(株)」に改名)という組織でした。
組合組織による助け合いの中で、デンマーク型農業の実現をめざし、バターやチーズを主力商品に売れ行きを伸ばしてゆきます。
ところが敗戦後の昭和25年、GHQは独占企業の分割や財閥解体を指令し、それを受けて日本政府は過度経済力集中排除法(集排法)を交付して寡占的な経済支配の解消に動き始めます。抵抗むなしく昭和25年に会社は二分割され、北海道バター(後に「クロバー乳業」)(株)と第二会社として雪印乳業(株)に分かれます。
結果的に一度は分けられたものの、その後昭和30年に集排法が廃止されると再び合併の動きが出て、ついに昭和33年に二つの企業は再合併して新しい雪印乳業が誕生します。
この間、創立者の黒澤酉蔵はその経営根本思想に報徳思想を据えて、自身も報徳の指導者として活躍しました。まさに雪印乳業は報徳の企業であったわけです。
しかしその後平成12年4月に北海道大樹町の雪印乳業大樹工場で発生した停電のために原料が腐敗し、それを使った多くの乳製品による集団食中毒事件を起こしてしまい、さらに落ち着きを取り戻す間もなく平成14年には子会社である雪印食品(株)が外国産牛肉を国内産と偽って補償金を得るという詐欺行為を行ったことにより世間に信頼を一気に失ってしまいました。
結果的に、乳製品分野でのシェアを落としながら雪印乳業は事業を分割し、新しく立ち上げられた日本ミルクコミュニティに建物や設備を売却してしのごうとします。
しかし結果として冒頭の記事にあったように今回ついに日本メグミルクによる雪印乳業並びに日本ミルクコミュニティという二つの会社を吸収合併するということになり、雪印乳業という企業は消えることとなったわけです。
報徳の思想で誕生した企業ではありましたが、いつしかその思想の根本である「至誠」を失ってしまっていたのかもしれません。
改めて時の流れを感じるとともに、今一度報徳思想のもつ根源的な部分に立ち返るようにしたいと思いました。
寂しいものです。

【永遠のブランド雪印】
【参考】
http://www.citymilk.net/bin/ote/snowbrand.htm#00
---------------≪ ここから引用 ≫--------------
【Lnews】雪印メグミルク/日本ミルクコミュニティと雪印乳業を吸収合併 2010年10月14日
http://www.lnews.jp/2010/10/38323.html
雪印メグミルクは10月14日、100%子会社の日本ミルクコミュニティと雪印乳業を吸収合併を決めた。
統合シナジー効果の早期最大化をと組織力をより強化した体制を構築し、企業価値向上を目指すため2011年4月1日付けで吸収合併する。
なお、雪印メグミルクは、2009年10月1日に日本ミルクコミュニティと雪印乳業が経営統合し、両社を完全子会社とする共同持株会社として設立された。
合併は雪印メグミルクを存続会社とする吸収合併方式とし、日本ミルクコミュニティと雪印乳業は解散する。
合併後の状況
吸収合併存続会社
商号:雪印メグミルク(株)
本店の所在地:北海道札幌市東区苗穂町六丁目1-1(登記上の本店)
東京都新宿区本塩町13(本社)
代表者:代表取締役社長高野瀬忠明
事業内容:牛乳、乳製品および食品の製造・販売等
資本金200億円
決算期3月31日
---------------≪ 引用ここまで ≫--------------
雪印乳業の前身は、日本酪農の父と言われる黒澤酉蔵が大正14年に作った北海道製酪販売組合連合会(通称「酪連」その後「北海道酪農協同(株)」に改名)という組織でした。
組合組織による助け合いの中で、デンマーク型農業の実現をめざし、バターやチーズを主力商品に売れ行きを伸ばしてゆきます。
ところが敗戦後の昭和25年、GHQは独占企業の分割や財閥解体を指令し、それを受けて日本政府は過度経済力集中排除法(集排法)を交付して寡占的な経済支配の解消に動き始めます。抵抗むなしく昭和25年に会社は二分割され、北海道バター(後に「クロバー乳業」)(株)と第二会社として雪印乳業(株)に分かれます。
結果的に一度は分けられたものの、その後昭和30年に集排法が廃止されると再び合併の動きが出て、ついに昭和33年に二つの企業は再合併して新しい雪印乳業が誕生します。
この間、創立者の黒澤酉蔵はその経営根本思想に報徳思想を据えて、自身も報徳の指導者として活躍しました。まさに雪印乳業は報徳の企業であったわけです。
しかしその後平成12年4月に北海道大樹町の雪印乳業大樹工場で発生した停電のために原料が腐敗し、それを使った多くの乳製品による集団食中毒事件を起こしてしまい、さらに落ち着きを取り戻す間もなく平成14年には子会社である雪印食品(株)が外国産牛肉を国内産と偽って補償金を得るという詐欺行為を行ったことにより世間に信頼を一気に失ってしまいました。
結果的に、乳製品分野でのシェアを落としながら雪印乳業は事業を分割し、新しく立ち上げられた日本ミルクコミュニティに建物や設備を売却してしのごうとします。
しかし結果として冒頭の記事にあったように今回ついに日本メグミルクによる雪印乳業並びに日本ミルクコミュニティという二つの会社を吸収合併するということになり、雪印乳業という企業は消えることとなったわけです。
報徳の思想で誕生した企業ではありましたが、いつしかその思想の根本である「至誠」を失ってしまっていたのかもしれません。
改めて時の流れを感じるとともに、今一度報徳思想のもつ根源的な部分に立ち返るようにしたいと思いました。
寂しいものです。

【永遠のブランド雪印】
【参考】
http://www.citymilk.net/bin/ote/snowbrand.htm#00