生物学には「共生」という概念があります。
複数の種類の生物がお互いに関係を持ちながら同じ場所で生活する現象と説明されていますが、相互の関係が利益を得るのか害を受けるのかの組み合わせでいくつかの形に分けられます。
互いの生物種が利益を得るような関係を相利共生といい、片方のみが利益を得るときは片利共生と言ったりします。このうち、片方が利益を得てもう一方が害だけを被る場合を「寄生」と言います。
かつて、ちゃんと職を得て働いているのに家を出ずに実家でお気楽に暮らす独身者のことを『パラサイトシングル(寄生する独身者)』と呼んでちょっとした社会現象としてとらえたこともありました。まさに言いえて妙ですね。
※ ※ ※ ※ ※
住宅地を眺めていると、こうした共生関係は実は人間と一戸建ての家との間にも成立しているように思えてなりません。
家は人間を雨露や風、暑さや寒さから保護してあげるかわりに、人間はせっせと家の掃除や手入れをし、また家の数を増やそうとします。家は新しい工法や建材、設備などを進化させどんどん住みやすく便利になってきました。まるで生き物が進化するみたいです。
便利で丈夫な家のおかげで、人間はその中に便利な道具や財産を持ち込み、充実した豊かで幸せな生活を営むことができるようになりました。
家も人間がそういう生活を見せることで、自らの仲間を増やそうとするDNAがあるかのごとくに、家が欲しいと思う人を増やして郊外の空いた土地を住宅地として増殖を繰り返してきました。
かつてこれほど戸建て住宅が日本を覆った時代はないでしょう。生物学的にみると家はその全盛を迎えています。
※ ※ ※ ※ ※
一戸建て住宅には、自ら余計な土地を持たず覆いとしての機能だけを備えた「集合住宅」というレトロなタイプの変種があり、これまた人間に一定の支持を得て戸建て住宅と拮抗した勢力範囲を占めています。
ところが人口の減少と経済の低迷によって、この人と家との共生関係が微妙に崩れはじめています。
人に快適な屋内空間を提供することで手入れをしてもらえると思っていた家の中に、住まいを提供しているのに手入れをしてくれない居住人が現れました。
手入れをしてくれるはずの人口が減り始めたために、手入れをしてもらえるつもりだったのが、費用がかさむために住んでくれる人が見つからなくて手入れをされず傷みが激しくなる家が現れ始めています。
戸建て住宅はこれまでも進化を続けてきましたが、根源的な問題としてまるで植物のように自らは動けないという性質を有しています。それが彼らの大きな欠点になるかもしれません。
彼らを魅力的に見せていた近くのお店や学校がなくなったら、共生相手の住人は困ってきました。
それでも自動車で距離をカバーしていた住人が年老いたりして車を手放し、動ける能力が著しく下がった瞬間に、家は快適な屋内空間を提供してくれるだけではなくて、近くに何があるかも魅力としてカウントされるのだということに気が付きました。
植物は種という形で自らのDNAを残そうとしますが、家は寿命の長短はあれど自らの子孫を残すことはできず、それをよいと思う人によって仲間が作られます。生物的な自己増殖の機能はなくてあくまでもふるまい方が生物学的に見えいているだけでした。
人はその所在地の便不便や提供する空間の魅力の低下によって、より便利な土地にある家に移り住み家を捨てるかもしれません。
人口減少はかつて恐竜を絶滅させたと言われる隕石の落下のように家々を没落させてゆくのでしょうか。人と家との共生関係は今後どのようなものになってゆくでしょう。
家はもっと耐久性を増し、管理の費用を安くする方向へ急速に進化を遂げなければ、人間は共生関係を見放すかもしれません。
共生関係を維持したいと思うのは人間の側なのか、それとも家の側なのか。家はどうしたら人間に住んでもらえると思っているのでしょうか。
家自身に増えたいというDNAがあるのでしょうか。興味は尽きません。
【写真は本文と関係ありません】
複数の種類の生物がお互いに関係を持ちながら同じ場所で生活する現象と説明されていますが、相互の関係が利益を得るのか害を受けるのかの組み合わせでいくつかの形に分けられます。
互いの生物種が利益を得るような関係を相利共生といい、片方のみが利益を得るときは片利共生と言ったりします。このうち、片方が利益を得てもう一方が害だけを被る場合を「寄生」と言います。
かつて、ちゃんと職を得て働いているのに家を出ずに実家でお気楽に暮らす独身者のことを『パラサイトシングル(寄生する独身者)』と呼んでちょっとした社会現象としてとらえたこともありました。まさに言いえて妙ですね。
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住宅地を眺めていると、こうした共生関係は実は人間と一戸建ての家との間にも成立しているように思えてなりません。
家は人間を雨露や風、暑さや寒さから保護してあげるかわりに、人間はせっせと家の掃除や手入れをし、また家の数を増やそうとします。家は新しい工法や建材、設備などを進化させどんどん住みやすく便利になってきました。まるで生き物が進化するみたいです。
便利で丈夫な家のおかげで、人間はその中に便利な道具や財産を持ち込み、充実した豊かで幸せな生活を営むことができるようになりました。
家も人間がそういう生活を見せることで、自らの仲間を増やそうとするDNAがあるかのごとくに、家が欲しいと思う人を増やして郊外の空いた土地を住宅地として増殖を繰り返してきました。
かつてこれほど戸建て住宅が日本を覆った時代はないでしょう。生物学的にみると家はその全盛を迎えています。
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一戸建て住宅には、自ら余計な土地を持たず覆いとしての機能だけを備えた「集合住宅」というレトロなタイプの変種があり、これまた人間に一定の支持を得て戸建て住宅と拮抗した勢力範囲を占めています。
ところが人口の減少と経済の低迷によって、この人と家との共生関係が微妙に崩れはじめています。
人に快適な屋内空間を提供することで手入れをしてもらえると思っていた家の中に、住まいを提供しているのに手入れをしてくれない居住人が現れました。
手入れをしてくれるはずの人口が減り始めたために、手入れをしてもらえるつもりだったのが、費用がかさむために住んでくれる人が見つからなくて手入れをされず傷みが激しくなる家が現れ始めています。
戸建て住宅はこれまでも進化を続けてきましたが、根源的な問題としてまるで植物のように自らは動けないという性質を有しています。それが彼らの大きな欠点になるかもしれません。
彼らを魅力的に見せていた近くのお店や学校がなくなったら、共生相手の住人は困ってきました。
それでも自動車で距離をカバーしていた住人が年老いたりして車を手放し、動ける能力が著しく下がった瞬間に、家は快適な屋内空間を提供してくれるだけではなくて、近くに何があるかも魅力としてカウントされるのだということに気が付きました。
植物は種という形で自らのDNAを残そうとしますが、家は寿命の長短はあれど自らの子孫を残すことはできず、それをよいと思う人によって仲間が作られます。生物的な自己増殖の機能はなくてあくまでもふるまい方が生物学的に見えいているだけでした。
人はその所在地の便不便や提供する空間の魅力の低下によって、より便利な土地にある家に移り住み家を捨てるかもしれません。
人口減少はかつて恐竜を絶滅させたと言われる隕石の落下のように家々を没落させてゆくのでしょうか。人と家との共生関係は今後どのようなものになってゆくでしょう。
家はもっと耐久性を増し、管理の費用を安くする方向へ急速に進化を遂げなければ、人間は共生関係を見放すかもしれません。
共生関係を維持したいと思うのは人間の側なのか、それとも家の側なのか。家はどうしたら人間に住んでもらえると思っているのでしょうか。
家自身に増えたいというDNAがあるのでしょうか。興味は尽きません。

【写真は本文と関係ありません】