駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『アンチポデス』

2022年04月16日 | 観劇記/タイトルあ行
 新国立劇場、2022年4月15日19時。

 会議室に集められた8人は、リーダーであるサンディ(白井晃)のもと、「物語を生み出す」ためのブレインストーミングを始める。新たなヒット作を生むために、ゾクゾクするような、見たことがない、壮大な、集合的無意識を変えるような怪物級の物語を作り出すのだと、メンバーたちは必死で頭をひねるが…
 作/アニー・ベイカー、翻訳/小田島創志、演出/小川絵梨子。「声 議論,正論,極論,批判,対話…の物語」シリーズ第1弾。2017年初演、全1幕。

 …というようなことはプログラムのあらすじに書いてあり、私もざっと目を通した上で観劇に臨みましたが、実際の舞台ではこんなふうには明示されず、何がなんだかよくわからないなりにしばらく眺めているとこんなようなことなのかなーとなんとなく類推できるようになってくる…というタイプの芝居でした。ただこの「しばらく」が長いし、オチまで観てある程度なるほどねとは思いましたが、しかしなら90分でやってくれ、とは思いました。これまた120分の作品だとは事前に知っていて観ましたが(そしてだいぶ巻いていて実際の上演時間は110分ほどでしたが)、それでも観ていて長いなと感じたし、90分で終わると思えばまだその長さにもより耐えやすくなったろうと思うのです。いや、この長さによるストレス、わからなさによるストレスも計算のうちの芝居だ、とわかってはいるんですけれどね。
 実際、あくびも身じろぎの音もよく聞こえたけれど、一方でよく笑い声が上がる客席でもありました。私は、作品の意味そのものがまだよくわからない状態なのに、そこでちょっとくらいユーモラスなことが行われていたからってよく笑えるな、とあきれたくらいなんですけれどね…まあいい歳になった人でもドリフで笑うようなことはあるんでしょうけれどね。
 結局のところ、近未来のような平行世界のような世界のお話で(タイトルは「対●置」の意味で、地球の中心を挟んで正反対の位置にある2箇所のことだそうです)、つまり現実には「物語」はこういうふうに製作されているわけではないんだけれど、でもたとえば映画やテレビドラマなんかの製作委員会、特にその宣伝会議のブレストなんかはこんな感じのノリになることを私は実際に知っているので、そういうものへの揶揄とか批判とかがあるんだろうな、とは思いました。そして物語は架空のものでも作るのは実際に生きている人間なので、彼らが送る実際の日々の暮らしにけっこう左右されるのだ、というある種当然のようなことも作者は言いたかったのでしょう。また一方で、架空のものを生み出すために実体験を赤裸々に語らせる、という手法の愚劣さや醜悪さについても言及したかったのでしょう。現実と違う場所の話であるにもかかわらず、このメンバーの中に女性がひとりしかいないこと、リーダーのアシスタントが女性であること、メンバー内の性差別やマウンティング合戦などについても、あえてやっていて批判的にあぶり出しているんだと思います。ただ、やっぱり不愉快でしたよね。それが解消されるとか懲らしめられるという展開ではないので。
 ただ、そのメンバー唯一の女性からオチが出る、というのは、やはり女性である作家が書いたこの作品のキモなのでしょう。まあでも、ちょっとたわいないかなとは思いましたけどね。要するに人は「昔むかし」で始まり「おしまい」で終わる物語を愛してきて、究極的にはそれでさえあればなんでもいいようなところがあって、もちろんその中にも巧拙の差はあるんだけれど結局それでさえあればいいんだし、下手なものでもなんでもいいならなんの苦労もなく作れるんだしこんなことしなくてもいいじゃんねえ?というようなことが結論なのではないか、と私は思いました。そしてそれは私にはあまりに自明のことに思えて、それを引き出すためのこの2時間のストレス…ということにくらっとした終演後だったのでした。

 この公演もコロナで初日が伸び、役者が一部変更になりました。千秋楽まで、どうぞご安全に…






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